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就職活動

最近就職活動うんむんの話を目にする。
自己分析うんむん、趣味特技うんむん、面接うんむん。
興味本位で見てみたが、どれもいまいち。
自分をさらけ出してはいかがしょうか? 見ている企業は見ている。みたいな。結局、いろいろな企業があって、自分と企業の相性がありますよー、てな感じの話で、こうすれば間違いない、といった強い自信と、こだわりは感じられない。そんな記事を誰が共感するだろうか? 誰が信じるだろうか?

あれ? じゃあ自分が今書いていることは? 結局、いくつもある意見の一つにすぎない。

就職活動。僕も学生時代やりました。履歴書、エントリーシートだけを含めれば軽く100社は超えているかな。期間にして1年以上。大学3年の秋から4年の冬まで。正直ここまで決まらないとは思わなかった。授業をサボる、僕よりバカな友達が、4年の冬に始めて僕より早く決まった時は、人生をちゃぶ台返ししたくなったな。
でも、就職てのはそんなもんだ。決まる子は決まるし、決まらない子は決まらない。決まる子が優れているかもしれない。でも、幸せかどうかは分からない。

僕は、就職活動は結婚と同じだと思っている。自分がいいと思っていても、相手に選ばれなくてはどうしようもない。表面上、自分をよく見せて結婚したところで、離婚しては意味がない。
相思相愛な関係になって初めて幸せと感じるのではないだろうか?

今僕は、どこの企業にも受かる自信がある。受かった後、やっていく自信はもちろんある。学生時代はそんなこと思いもしなかったが、今の自分はそう思える。学生時代の就職活動をしていたころと何が違うのか?
一言で言えば自信。もっと言えば、自身。
自分に取って何が一番で、何が重要かを考えれば、働く場所が見えてくる。
それを見つけるために面接をしているにすぎない。
面接は企業が選考していると考えがちだが、僕は企業を見るために面接をする。

今、就職活動に悩む学生を見ていると、過去の自分を見ているようだ。そして、何かしてやりたいと思う。

公務員は安定?

教員の早期退職が話題となっているが、詳しいことはあまり知らないのである。
1月に退職するのと3月に退職するので、退職金の額が違うことで、1月に退職する人が多かったことが問題となっているようだ。
しかし、普通に話を聞けば、1月に退職したほうがお金がもらえるのだから、1月に退職するのは悪くもない話ではないのだろうか?企業だって、人件費を削減、要はリストラしたいから自主退職を募りたいという思惑がある。それに手を挙げた人間がいたという、だけの話ではないのだろうか?誰も早期退職しなければ、それはそれで困った話になったのではないか?誰も困らなければ、退職金の減額など行う必要がないように思う。

ただ、問題は職業である。担任を受け持つ教職が生徒の卒業式を待たずに辞めることは無責任ではないのか? という見解があるようだ。確かに、僕が前の会社を辞める時も、僕の辞めたい時期と、実際に辞めることができた時期は違う。担当しているプロジェクトが落ち着き、引き継ぎが終わって、最低限の責任を果たしてようやく辞めることができた。それに比べて、辞めるといって、辞められることは甘いことなのかもしれない。無責任と言われてもしょうがないことかもしれない。
誰が正しいのか、間違っているのか、そんな答えは出ないであろう。ただ僕が思うのは、退職するうんぬんの話で世間にあーだこーだ言われる公務は辛いなあ。
景気が悪ければ税金で何やってやがると叩かれ、景気が良ければ民間の羽振りと比較してしまう。そして制度に左右されてしまう。
民間も制度や法律によって、売り上げや業務に影響がある。しかし、公務はその存在すら変える法律が成立することがある。最近で言えば郵政民営化、社会保険事務所民営化。公務であったものを民営化したのである。実態が変わったかどうかは知らないが、入社当時公務員だと思っていたのが、途中から民間企業になるのである。公務員は安定しているから、と思っていたのが、民間企業になったのでは、最初から民間企業に行けばよかった、なんて思うこともあるかもしれない。
そして公務は、上が変われば、方針も変わることが言える。
どこかの大阪市の刺青の話があったと思うが、市長が変わればやり方が変わる。民間企業も上司が変わればやり方は変わるが、その上には株主がいる。最悪の暴走はできないであろう。誤解がないよう言うが、何とか市の市長が暴走しているとは言っていない。一応。
なんだか政治批判に走りそうで、まとまらないので、この辺で。
要するに、公務員が安定していることを志望動機に選ぶことは、極めて危険であるということ。公務員(中でも職種)に魅力を感じて、その仕事にまっとうしたいという理念が必要ではないか。

失敗は成功への近道?

「失敗は成功への近道」なんて言葉を耳にしたことがある。しかし、本当に正しいのか僕は疑問に思う。
僕の職業はシステムエンジニア。ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズも広い意味で同業者と言えるのだろうが、僕の現状は程遠いものだ。
僕の仕事内容を簡単に説明すると、ユーザーからこういうシステムがほしい、という要望を聞き、作る。というのが仕事。僕たちが売っているものは、原価で言えば数十円のCD一枚と人間である。つまりそのシステムを作る開発者の人件費を売っている。
僕の会社で言えば、単価は月80万円。一カ月3人で一年間の開発期間があれば、3人×80万×12カ月=2880万円の開発費用となる。これぐらいの計算を細かく説明すると馬鹿にしてるみたいなのでもうやめるとして、僕たちの売上は開発期間と開発人数で決まるため、できるだけ多くの期間と人数で契約を取りたいと考えている。そして、契約した期間よりも早く、より少ない人数で完成させることができれば、より多くの利益が発生する。
と、全てがそうなればいいのだが、仕事がほしいあまり、無理な契約人数で受けてしまうことも少なくない。そんな時は必ずと言っていいが、そのプロジェクトは破たんする。
結局人数を増員するか、頭を下げて期間を延ばしてもらうかのどちらかになってしまう。しかし、ここで言う、増員と期間延長は受注側の自己負担がほとんどである。つまりただ働き。
このように契約工数以上の実働が発生したプロジェクトは、失敗プロジェクト、赤字プロジェクトとして苦い記憶となる。
僕もそのような失敗プロジェクトを経験したことがある。その時は増員ができなかったため、その分自らが働くしかなかった。通常、1カ月の労働時間が160時間(1日8時間×20日)のところ、450時間働いた事があった。そのプロジェクトでは同じようなことを7人で半年続けた。

そして今、当時の反省を生かし、新しいプロジェクトが始動された。始動する前には前回の失敗の原因調査、分析、対策を検討し、今回の新規プロジェクトにどのように生かせるか話し合った。
しかし、僕はこのような反省を生かすやり方がどうも好きではない。というより、意味さえ感じない。
失敗から成功を導くためには、
@失敗した→A原因調査→B分析→C対策検討→D対策実行→結果(成功or失敗)
となるが、失敗から成功に辿り着くのであろうか?
失敗の反省を生かしたところで、その反省が成功する保証はどこにもない。
見たことのないきのこを食べ、食中毒になったとする。そのきのこを食べてはいけない、という経験を積むことができたとしても、どのきのこが食べれるかは分からない。それと同じように、失敗からは、こういうやり方はやってはいけない、という経験は積めても、こうすればいいね、という成功手段は分からない。
それに比べ、成功から成功を導くことはどうだろう。
@成功した→A原因調査→B分析→C応用策検討→D応用策実行→結果(成功or失敗)
となるが、一度成功したことを真似て次の成功に辿り着くことは、イメージしやすいのではないだろうか。確かに、成功例を真似ても結果的に失敗することはあるだろう。成功したことがあるということが逆に過信になることもあるだろう。しかし、根拠のない反省よりも、結果のある実績を信用した方がいいと僕は思う。気分的にも前向きになれるし。

ただ、今の新規プロジェクトは、成功例も取り入れなければ、反省したことも忘れている上司を中心に動いている。すでに失敗、が頭を埋めている。

コミュニケーション能力とはどんな能力?

僕が学生の頃、就職活動をしている時に企業の採用要項でよく目にしたのが、「コミュニケーション能力」である。就職活動セミナーなどでも、「企業が求めているのはコミュニケーション能力のある人」と説明を受けたことがある。
最近はどうなのか、試しに「コミュニケーション能力」「新卒」で検索してみたところ、やはり企業が求める人物像の上位にコミュニケーション能力が高いことが上げられているようだ。
当時の僕は、一応それなりに社交性もあるつもりだったし、面白いこともそれなりに言えた。どんな人ともそれなりに会話ができていた。そのため、コミュニケーション能力は高い方だと考えていた。
しかし、僕が自慢するそれは、本当にコミュニケーション能力なのか?

現在、僕はサラリーマンとして、SE(システムエンジニア)として仕事をしている。僕の仕事は1つのプロジェクトに数人のメンバーが集まってチームを組んで作業をするのだが、プロジェクトの失敗の最も多い原因がコミュニケーション不足だ。
コミュニケーション能力の高い人材を採用しているにも関わらず、コミュニケーション不足が起きているのが現実である。

なぜそのようなことが起きてしまうのか? もちろん、他人との交流を避け、独りで作業を進めるメンバーも中にはいる。しかし、もっと根本的なことで、コミュニケーション能力とはそもそもどんな能力なのか? その意思疎通ができていないからだ。

企業の人事担当や、就職セミナーを開く講師などは、「コミュニケーション能力」などと抽象的な形のない能力をありがたそうに重宝しているが、とてもバカバカしい。僕が思うコミュニケーション能力の認識と、人事担当が思うコミュニケーション能力の認識と、講師が思うコミュニケーション能力の認識が一致するわけではないのだから、この時点でコミュニケーションが取れていない。この場合、コミュニケーション能力がないのは、僕なのか、人事担当なのか、講師なのか、誰でもない。本当の意味でのコミュニケーション能力など存在しない。現在、広く使われているコミュニケーション能力など、ただの言葉だということがよくわかる。それと同時に、採用要項でコミュニケーション能力を求める企業は、なんとなく誰にでも当てはまりそうな事柄を並べ、ただ多くの応募を得たいだけだ。多く集まった中から選ぶ方が選びやすいから。
僕はそんな企業あまり好きじゃない。

とはいえ、世間的にコミュニケーション能力が主流になっている現在、採用されるには企業の言うコミュニケーション能力を持ち合わせなければいならない。
僕が仮に今学生だとして、就職活動をしているとした場合、コミュニケーション能力は社風だと考える。その企業の言うコミュニケーション能力とはなんぞや? 協調性があってチームワークを大切にするのか、報連相ができてきっちりした仕事をするのか、自ら意見ができる行動力なのか、臨機応変に対応できるプレゼン能力なのか、まあどんな会社なのか観察するための材料として見る。
仮に自分に合わないと思ったらこちらからお断りする。

僕は就職活動で苦労した。僕の場合はたまたま自分に合った会社だったからよかったが、苦労した末にようやく就職した会社が自分に合わない会社だった場合の悲惨なこと。なので、今就職活動を行っている学生には、悲観的にならず自分の意思を持つことをお勧めしたい。企業に選んでもらうのではなく、自分から企業を選ぶ意識で。コミュニケーション能力などバカなことを言っている企業には、「おたくのコミュニケーション能力とはどんなものですか?」と逆にそのコミュニケーション能力があるのか見極めてもらいたい。

夏のボーナスにて

先日、夏季賞与が支給された。正直、僕が予想していたよりも金額が低かった。
このご時世、ボーナスがもらえるだけありがたいと思うのか、ちゃんと能力に見合った金額を主張すべきなのか。他の人はどうとらえているか分からないが、僕の気持は後者。しかし、表向きの態度は前者。と情けない限りである。
ただ、僕の言い分はこうである。
まず、僕が、会社に媚を売る背景として、僕の会社が社長のワンマンな会社だということ。つまり、僕に限らず誰も社長の意向に背いたりしない。背いたところで結果は変わらないし、異端児としてただ会社に居辛くなるだけだから。やったことがないから分からないが、評価も下がるのだろう、と想像している。
そして、僕が会社に不満を持っているのは、金額ではない。その評価のシステムである。僕の会社は夏と冬に賞与が支給され、春の新年度に一度昇給がある。しかし、その根拠というものが、一切表に出ず、僕は何を評価されてこの金額なのか毎回知らない。何をもっとどうしたらいいのか? よかった点は何なのか? これを知らずに毎日の仕事を続けて、向上していくのだろうか?
こんな疑問と不満がある中、何も言わない自分がとても情けない。

そして極めつけは、僕の上司の部長が部下の課長に怒られていたところを見て、「この部長に評価されているのか」と思ったことである。

エアコン

7月に入り蒸し暑い日が続く。世間はクールビズとか言っているが、僕の会社は私服のため、あまり意識したことがない。

そんな中、さすがに今週は暑い日が続き、ついに冷房を入れる日が来た。と言っても「エアコン、入れまーす」なんて掛け声はないし、シレっと社長がピピっとスイッチを入れただけ。

しかし、この社長がスイッチを入れたことが何よりの意味があり、暗黙の了解で冷房OKのサインである。
僕の会社は電子機器を扱う会社で、ただでさえ熱を発して暑い。もちろん室温が高いことは機材にもあまりよくない。にもかかわらず、僕を含めみな冷房を進んで入れたがらない。それは、社長のサインを待っているからだ。

去年から節電節電。設定温度28度と言われ続けた中、どの程度で冷房を付けていいものなのか、みなうかがっていた。個人的にはもっと前から冷房を入れたかったところだが、自分が汗かきというのもあり、なかなか手が出なかった。おそらく、他の従業員も同じ気持ちだったであろう。
こうなってしまうと、もう我慢大会の始まりである。
そして最終的な基準は社長になってしまう。

しかし、この呪縛からも解放された。ようやく冷房解禁の合図が出た。

そう思っていた次の日。朝出社すると部屋が暑い。冷房が入っていない。なぜ、冷房を入れておかないのだ。僕はその日二番目に出社したから、おのずと最初に出社した人を知っている。

タオルで汗を拭いている一番目を冷たい目で見ながら、僕は冷房のスイッチを入れた。
こ奴、どこまで小心者なのだ。

三番目以降では知りえもしない、ほんの五分の出来事であった。

セクハラ・パワハラは、辞めるか辞めさせるか

最近僕は自転車で会社に通っている。と言うのも、7月に入ると健康診断があるからだ。つまりダイエット目的で少しでも運動し痩せよう、という魂胆だ。成果の程は、とても妥当な数値が出ている。

しかしまあ、最近は気温も上昇してきて、朝会社に着くと放っておけないくらいの汗をかいている。汗をかいたシャツで過ごすのも汗臭いのも嫌なので、僕は着替えをするようにしている。
僕の会社は更衣室やシャワールーム何て物はない。トイレの個室で着替えをしている。

ここで極たまに、着替えと同時に用も足したくなる時がある。トイレなのだから我慢する理由はどこにもない。ズボンを脱いで便座に座る。この時、まだ汗が引かないため、上半身も脱いでいる。そしてほぼ全裸だということに気付いた。なぜだろうか、会社で全裸ということに若干の後ろめたさを感じた。

着替えを終えようやく席に着き、パソコンの電源を入れる。パソコンが立ち上がるまでの時間、ウェットティッシュで顔や首元、時には脇の下まで臭いの元になる個所を拭く。

さて、これはセクハラになるのだろうか?
今のところ苦情は来ていない。しかし、ウェットティッシュで体を拭く行動は、不潔な印象もあるし、少なからず露出もしている。
同僚に「髪切った?」と話しかけることもセクハラになると聞いたことがあるが、僕の行動も不快感を持つ人がいればせれはセクハラになるのだろう。
自分の行動を見つめつつ、セクハラとパワハラについて考えてみた。

まず、セクハラやパワハラは、どこからどこまでがその範囲なのか?
議題を上げておいてなんだが、僕は法律家でもなければ専門のカウンセラーでもないので分からない。お尻を触るや、殴られる、など職場に関係なく明らかに法に触れる行為は話が早いが、女性の肩を叩いて「ねえ、ねえ」と呼んだり、仕事の出来が悪い部下に「全然出来てないじゃないか」と指導することは、意見が分かれるところだと思う。
また、それを逆手に取って、気に入らない上司を訴えることもあるのかもしれない。過剰に反応する見方と、泣き寝入りする見方と、バランスが難しいところだが、常識の範囲で個人が考えるしかなさそうである。
ただ、仮に何かしらの悩みを持ち、それが理由で会社に行くのが憂鬱に感じている場合は、セクハラ、パワハラに該当するしないに関わらず、第三者に相談することがいいと僕は考える。

そして問題はここから。前置きがだいぶ長くなったことを反省しつつ、今日のテーマ。
もしセクハラやパワハラを受けた場合、そして訴え出た場合、その結末はどうなるのか?
それは、被害者が自ら会社を辞めるか、加害者が会社を辞めるか、どちらかであると僕は考える。両者の和解は現実的ではないと思う。
前者の自ら会社を辞めるは、その言葉の通り、耐えられなくなって、でも誰にも言えなくて退職する場合。仮に訴えた場合でも、その後も加害者が社内にいる限り、顔を合わせ辛いだろう。結局は会社に居辛い思いをして、最終的に辞めてしまう場合。
何で被害を受けたこっちが辞めなければいけないの? と思う人は、次の加害者が会社を辞める、のケースになるのだろう。

セクハラやパワハラが発覚した場合、会社は何かしらの措置を迫られる。そこで、加害者を処分(解雇)することや減給することが考えられる。解雇は言うまでもないが、仮に減給の場合、果たしてそのまま会社にいれるだろうか? 先ほどの話ではないが、やはり加害者が会社に居辛くなり自ら辞めることが考えられる。それでも会社に残っていられる人は、今度は逆に被害者が自ら辞めることになるだろう。

というように、どちらかが残れば、どちらかが辞める、という構図は自然なことだと僕は思う。
できることならば、そのような事態が起きないことが一番望ましいのだが、昨今、警察官や教師ですらセクハラでニュースになる世の中では無理なことなのだろうか。
倫理と道徳を教育することが必要ではないか、と思いつつ、美脚韓流が好きな僕。

生理休暇は本当に取れる?

サラリーマンは個人事業とは違い、労働の対価として雇い主から賃金を受け取る。このバランスが取れているから雇用が成り立つ。
なんて僕は思わない。労働者の方が弱い。理不尽な強要に耐え生活のため、現状以上の悪条件を引き合いに不本意ながらなんとなく理由を付けて納得している。
そんなサラリーマンの不満の中で今日は有給休暇について僕なりの考えを発表したいと思う。しかも生理休暇について。

僕は男で生理はない。もちろん生理休暇を取ったこともないし、取ることも認められていない。ちなみに僕が今努めている会社と前に勤めていた会社は、女性に限り生理休暇が設けられていた。
大学を卒業して入社したての頃の僕は、女子は休みが多くていいな。などと安易に考えていた。
しかし僕は数年前結婚し、妻と二人生活を始めたことで、生理がとても辛いことを目の当たりにした。「男が何を言うか」と思う人もいると思うが、僕なりに思っていることを言いたい。
僕の妻は生理が重いほうで、毎回薬を飲んでいる。薬を飲まないと、時に痛みで気絶することがある。そのお陰か、妻はとても安産だった。妻いわく、生理痛の方が出産より痛かったらしい。
それぐらい生理の日は辛く、特別なのだということである。
そのため、多くの企業では生理休暇が設けられている。

が、しかし。本当に生理休暇はそのために設けられたものなのか? 表向き、世間体、条例など、いくつかの制限のために仕方なく設けたのではないだろうか?

僕を含め男性はあまり生理休暇を取得する時がイメージできないことだろう。試しに、男性は自分が女性になったつもりで、実際に生理休暇を取得する時のことを想像してみよう。

朝起き、体がだるく、お腹が痛い。そう、あなたは生理。会社に出社しようにも、支度することすら困難なくらい体調が悪い。仮に無理して会社に出社したところで、まともに仕事ができるのだろうか?
やむなく今日は休むことにし、会社に電話をかける。
「はい。×××商事です」
「おはようございます。一課の鈴木です。課長いますか?」
「はい。課長の高橋だ。どうかしたかね?」
「あの、今日□□なので会社休みます」
ここで問題。あなたは何と言って会社を休みますか? □□を埋めなさい。
本来の正解は「今日生理なので会社休みます」である。嘘も付いていないし、生理休暇を取得するために正しく申告している。
しかし、報告する相手が男性だった場合、素直に「生理」と言えるだろうか? 赤の他人に月経日を報告するみたいで、なかなか本当のことが言えないだろう。どうせ有給休暇も消化できないでリセットされるんだし、体調不良にして有給休暇にすればいいか、と考える人が大半ではないだろうか?

今回の問題とは外れるが、他の意見として、仕事が忙しい時に休んだところで、結局休み明けに苦労するのは自分なんだし、周りの人にもいい顔されないから、休みたくても休めない。という人がいるだろう。人に移すわけでもないし、自分が無理すればいいや、と言って強行出社する人。

統計を取ったわけではないが、この二つの選択肢が多数派意見ではないだろうか?
このような形式だけの生理休暇システムに意味はあるのだろうか?
生理休暇と通常の有給休暇をトータルで設定し、取得しやすくする方が良心的ではないだろうか?
また、有給休暇もそうだが、もっと取得しやすくする制度に変えるべきでは・・・。といってもこれと言った案もない、僕サラリーマン。

良い会社と悪い会社の見分け方

僕が学生の頃、合同説明会である企業の話を聞いた時、良い会社は靴のかかとを見れば分かる、と語った企業があった。その人いわく、靴のかかとが潰れている従業員がいる会社は、仕事が暇だから靴を脱いでいる。そして用のある時だけ靴を履くからかかとが潰れると言う。スリッパを履く会社はもってのほからしい。
その時は、なんてすばらしい話を聞いたものかと思ったが、今改めて考えると、まあ、その人の言い分も分からなくはないが・・・といった感じだろうか。

確かに営業職や新聞社など足を使って仕事をする企業は靴を脱ぐ暇がない方が忙しくていいだろう。
しかし、デスクワークや僕みたいなSEといった技術職はむしろ逆だろう。忙しくなればなるほど一日中パソコンから動けない方が多い。こんな時はよりリラックスするためにスリッパを履いたり靴を脱ぎっぱなしにしたりする。

靴のかかとで良い会社と悪い会社を言い当てるとは、就職したい学生にとってはユニークで印象的な企業に映ることだから、会社説明会の戦略としては当たりだろう。

しかし、本当に良い会社と悪い会社を考えた時、それは正しいのだろうか?
僕が考える良い会社と悪い会社の見分け方はいくつかあるが、その中の一つはホームページだ。
ホームページが充実していない会社は良い会社とは言えない。
もちろん、すべてがそうだとは言わないし、そもそも良い会社と悪い会社とは、人それぞれ考え方が違うだろうから、線引きするのも変な話だが。

ホームページが充実していない会社は、まず現状に満足している向上心のない会社だ。この世の中ネットでの宣伝が有効なのは分かり切っている。にもかかわらずそれを利用しないのは、今のままでよい、そこに力を注ぐのは面倒だ、もしくは力を注ぐ余裕がない。といった理由だろう。いずれも新しいことをやろうとする意識がない。向上心があれば、多少労力がかかっても、経費がかかっても、新規顧客、新規人材確保の面で有益になることを想定した活用が思いつくはずである。
最終更新日が現在の姿である。数か月も更新のない企業は何も変化のない証拠である。変化がなければ大きくはならない。大きくならなければ、空きが出るまで採用はない。顧客が離れれば仕事がなくなる。そういうことである。

次にホームページが充実していない会社は採用に積極的ではない。形式だけの採用募集と書いてあっても、実質は採用するつもりはない。考えれば分かることだが、採用希望者は知り合いがいない限りホームページか会社説明でしか企業のことを知り得ない。僅かな情報の中で、その企業に興味を持つだろうか?
僕が「これはないな」と感じたホームページの一つが、アットホームを売りにしている会社で従業員の写真が掲載されていないことである。これから一緒に働こうとする人間の顔も分からず、なぜアットホームだと言えるのだろうか? アットホームを売りにするくせに、なぜ写真の掲載を拒むのだろうか? そんな会社のアットホームなんてとても信用できない。
しかしまえ、たとえ興味がなくても、信用がなくても、就職難な現在、採用希望者は現れるだろう。しかし、僅かな情報の中で無理やり志望動機を探しだした応募者の中にいい人材がいるだろうか? こんな会社は数年に一人の逸材が現れたのを、「やっと我社に適う人材が現れた」と言って自分たちの不甲斐無さを棚に上げているのである。

最後にホームページが充実していない会社は、仕事が減る。特に僕が感じるのは、ソフト会社なのにホームページがダサいことである。僕がSEだから余計に気になるのかもしれないが、ソフト屋のホームページがダサくて誰が、仕事を頼む? 技術力が自慢などというキャッチコピーを誰が信用する? ソフト屋であればある程度の見た目に拘ったホームページを用意しなくては、逆にない方がいいとすら思う。あと、広告会社もダサいホームページは厳禁だろう。斬新なデザイン。豊かな表現力。今までにない広告を。なんて誰も信用しないだろう。ホームページを作るからには、最低限の見た目と内容を提供しないと、商談にすらならないと思う。

以上、良い会社と悪い会社の見分け方。

喫煙所の廃止はいいこと?

近年、社会全体が禁煙傾向にある。僕も脱タバコした一人である。僕がタバコを止めた理由は、表向きは増税。そして本当の理由は、会社で喫煙所に行きたくなかったから。
僕の会社は喫煙者の割合が1〜2割程度と少なめだ。そのため、喫煙所で顔を合わすメンツもいつも一緒。そしてみんな無口で、とても会話に困ってしまう。せっかくの昼休みにそんな時間を過ごしたくない。だから僕はタバコを止めた。
僕は意思が固いわけでも我慢強いわけでもない。しかし、喫煙所はそれを上回るほどの苦痛だった。そのおかげで僕は楽にタバコを止められた。
と、非喫煙者からすれば止めてよかったねー、の話である。
が、しかし。喫煙者からすれば、本当に止めてよかったの? と疑問になる話である。

タバコを吸う。健康面からも金銭面からもいいことはない。それはみんな分かっている。吸うのを我慢して逆にストレスが溜まって不健康だ、という人がいるが、それは屁理屈だと僕は思う。最初から吸わなければ我慢する衝動は起きない。タバコを一度も吸わないで過ごせればそれにこしたことはない。
そうではなく、タバコを吸う利点は、コミュニケーションである。

僕が大学卒業後に初めてサラリーマンとして勤めた時、喫煙所でネットワークを広げ情報交換を行ったものだ。今の僕があるのも、当時の喫煙所のおかげだ。
喫煙所は時に会議をも上回る重要事項の決定が行われる。缶コーヒーを飲みながらタバコをくわえ、資料も議事録も存在しないただの会話が、全体を左右する大きなことになることは珍しくもない。
この場に居合わせた人間とそうでない人間では、情報量と信頼関係が段違いである。

僕は時々戦略的に喫煙所に足を運ぶこともあった。それぐらい喫煙所はコミュニケーションツールとして効果的なものだ。
タバコを吸ってサボっていると言われればそれまでだし、席を動かずもくもくと作業を行っている人が損をしているみたいで腑に落ちない人もいるかもしれない。しかし、喫煙者も健康やお金を犠牲にし、周囲の批判を受けて、その分利益を得ている。

最近の禁煙ブームで職場から喫煙所が廃止されているが、本当にそれがいいことに繋がっていくのか? 僕は必ずしもそうではないと思う。

最後に、僕の会社はコミュニケーションもないから廃止すればいい。
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プロフィール

セバス
職業SE ごく普通のサラリーマンです
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