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生理とは辛いものです

男の僕がこんなこと言っても説得力はありませんね。

確かに僕は男で、生理を経験したことはありません。そんな僕でも目の前で体験することがありました。
僕の妻は生理が辛く、二人の子供を出産しましたが、妻いわく生理痛の方が辛かったようです。ある時は痛みで気絶したこともあったそうです。

僕の妻は二人目を妊娠した時、早産の危険から、子宮を糸で縛る手術をしました。あまり詳しいことは分かりませんが、通常一か所縛ればよいところ、妻は二か所縛る必要があったみたいで、シロッカー法とマクドナルド法という手術を二か所行いました。通院していた産婦人科の院長は、この道30年以上の経験を持つ人でしたが、二つ同時に行ったのは初めてだったぐらい、非常に稀なことらしいです。

手術は無事問題なかったのですが、抜糸は麻酔なしで行いました。抜糸は通常の診察の中で行われたため、僕も付き添い、その場にいましたが、あまりの痛さに妻は気絶しました。この時、死ぬのでは! と思いぐらい体が痙攣し、体の力が抜けていた妻を抱き上げ、僕が想像できないほどの痛みに耐えているのだと、尊敬、それ以上の神に近い感覚を感じました。

妻はとても稀なほど生理が辛いのかもしれません。個人差があることだと思いますが、一つ言えるのは、楽ではないと言うこと。

全ての女性を尊敬します。

あえて言おう、使えない上司

僕の仕事はシステムエンジニア。僕の職場に、あえて言おう、使えない上司がいる。
「上司」と言うには、とても御幣がある。

「あえて」とは、僕なりの最大にして最後の敬意である。
僕の会社は平社員(僕)→リーダー→管理職→役員と役職があり、上の役職はいわば上司である。
それとは別に、プロジェクトの組織図はメンバー→リーダー→マネージャーの順に地位がある。僕は今、会社では平社員、プロジェクトではメンバーの立場にいる。今回の使えない上司は、会社では役員。プロジェクトではメンバーの立場である。

公務員は安定?

教員の早期退職が話題となっているが、詳しいことはあまり知らないのである。
1月に退職するのと3月に退職するので、退職金の額が違うことで、1月に退職する人が多かったことが問題となっているようだ。
しかし、普通に話を聞けば、1月に退職したほうがお金がもらえるのだから、1月に退職するのは悪くもない話ではないのだろうか?企業だって、人件費を削減、要はリストラしたいから自主退職を募りたいという思惑がある。それに手を挙げた人間がいたという、だけの話ではないのだろうか?誰も早期退職しなければ、それはそれで困った話になったのではないか?誰も困らなければ、退職金の減額など行う必要がないように思う。

ただ、問題は職業である。担任を受け持つ教職が生徒の卒業式を待たずに辞めることは無責任ではないのか? という見解があるようだ。確かに、僕が前の会社を辞める時も、僕の辞めたい時期と、実際に辞めることができた時期は違う。担当しているプロジェクトが落ち着き、引き継ぎが終わって、最低限の責任を果たしてようやく辞めることができた。それに比べて、辞めるといって、辞められることは甘いことなのかもしれない。無責任と言われてもしょうがないことかもしれない。
誰が正しいのか、間違っているのか、そんな答えは出ないであろう。ただ僕が思うのは、退職するうんぬんの話で世間にあーだこーだ言われる公務は辛いなあ。
景気が悪ければ税金で何やってやがると叩かれ、景気が良ければ民間の羽振りと比較してしまう。そして制度に左右されてしまう。
民間も制度や法律によって、売り上げや業務に影響がある。しかし、公務はその存在すら変える法律が成立することがある。最近で言えば郵政民営化、社会保険事務所民営化。公務であったものを民営化したのである。実態が変わったかどうかは知らないが、入社当時公務員だと思っていたのが、途中から民間企業になるのである。公務員は安定しているから、と思っていたのが、民間企業になったのでは、最初から民間企業に行けばよかった、なんて思うこともあるかもしれない。
そして公務は、上が変われば、方針も変わることが言える。
どこかの大阪市の刺青の話があったと思うが、市長が変わればやり方が変わる。民間企業も上司が変わればやり方は変わるが、その上には株主がいる。最悪の暴走はできないであろう。誤解がないよう言うが、何とか市の市長が暴走しているとは言っていない。一応。
なんだか政治批判に走りそうで、まとまらないので、この辺で。
要するに、公務員が安定していることを志望動機に選ぶことは、極めて危険であるということ。公務員(中でも職種)に魅力を感じて、その仕事にまっとうしたいという理念が必要ではないか。

失敗は成功への近道?

「失敗は成功への近道」なんて言葉を耳にしたことがある。しかし、本当に正しいのか僕は疑問に思う。
僕の職業はシステムエンジニア。ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズも広い意味で同業者と言えるのだろうが、僕の現状は程遠いものだ。
僕の仕事内容を簡単に説明すると、ユーザーからこういうシステムがほしい、という要望を聞き、作る。というのが仕事。僕たちが売っているものは、原価で言えば数十円のCD一枚と人間である。つまりそのシステムを作る開発者の人件費を売っている。
僕の会社で言えば、単価は月80万円。一カ月3人で一年間の開発期間があれば、3人×80万×12カ月=2880万円の開発費用となる。これぐらいの計算を細かく説明すると馬鹿にしてるみたいなのでもうやめるとして、僕たちの売上は開発期間と開発人数で決まるため、できるだけ多くの期間と人数で契約を取りたいと考えている。そして、契約した期間よりも早く、より少ない人数で完成させることができれば、より多くの利益が発生する。
と、全てがそうなればいいのだが、仕事がほしいあまり、無理な契約人数で受けてしまうことも少なくない。そんな時は必ずと言っていいが、そのプロジェクトは破たんする。
結局人数を増員するか、頭を下げて期間を延ばしてもらうかのどちらかになってしまう。しかし、ここで言う、増員と期間延長は受注側の自己負担がほとんどである。つまりただ働き。
このように契約工数以上の実働が発生したプロジェクトは、失敗プロジェクト、赤字プロジェクトとして苦い記憶となる。
僕もそのような失敗プロジェクトを経験したことがある。その時は増員ができなかったため、その分自らが働くしかなかった。通常、1カ月の労働時間が160時間(1日8時間×20日)のところ、450時間働いた事があった。そのプロジェクトでは同じようなことを7人で半年続けた。

そして今、当時の反省を生かし、新しいプロジェクトが始動された。始動する前には前回の失敗の原因調査、分析、対策を検討し、今回の新規プロジェクトにどのように生かせるか話し合った。
しかし、僕はこのような反省を生かすやり方がどうも好きではない。というより、意味さえ感じない。
失敗から成功を導くためには、
@失敗した→A原因調査→B分析→C対策検討→D対策実行→結果(成功or失敗)
となるが、失敗から成功に辿り着くのであろうか?
失敗の反省を生かしたところで、その反省が成功する保証はどこにもない。
見たことのないきのこを食べ、食中毒になったとする。そのきのこを食べてはいけない、という経験を積むことができたとしても、どのきのこが食べれるかは分からない。それと同じように、失敗からは、こういうやり方はやってはいけない、という経験は積めても、こうすればいいね、という成功手段は分からない。
それに比べ、成功から成功を導くことはどうだろう。
@成功した→A原因調査→B分析→C応用策検討→D応用策実行→結果(成功or失敗)
となるが、一度成功したことを真似て次の成功に辿り着くことは、イメージしやすいのではないだろうか。確かに、成功例を真似ても結果的に失敗することはあるだろう。成功したことがあるということが逆に過信になることもあるだろう。しかし、根拠のない反省よりも、結果のある実績を信用した方がいいと僕は思う。気分的にも前向きになれるし。

ただ、今の新規プロジェクトは、成功例も取り入れなければ、反省したことも忘れている上司を中心に動いている。すでに失敗、が頭を埋めている。

コミュニケーション能力とはどんな能力?

僕が学生の頃、就職活動をしている時に企業の採用要項でよく目にしたのが、「コミュニケーション能力」である。就職活動セミナーなどでも、「企業が求めているのはコミュニケーション能力のある人」と説明を受けたことがある。
最近はどうなのか、試しに「コミュニケーション能力」「新卒」で検索してみたところ、やはり企業が求める人物像の上位にコミュニケーション能力が高いことが上げられているようだ。
当時の僕は、一応それなりに社交性もあるつもりだったし、面白いこともそれなりに言えた。どんな人ともそれなりに会話ができていた。そのため、コミュニケーション能力は高い方だと考えていた。
しかし、僕が自慢するそれは、本当にコミュニケーション能力なのか?

現在、僕はサラリーマンとして、SE(システムエンジニア)として仕事をしている。僕の仕事は1つのプロジェクトに数人のメンバーが集まってチームを組んで作業をするのだが、プロジェクトの失敗の最も多い原因がコミュニケーション不足だ。
コミュニケーション能力の高い人材を採用しているにも関わらず、コミュニケーション不足が起きているのが現実である。

なぜそのようなことが起きてしまうのか? もちろん、他人との交流を避け、独りで作業を進めるメンバーも中にはいる。しかし、もっと根本的なことで、コミュニケーション能力とはそもそもどんな能力なのか? その意思疎通ができていないからだ。

企業の人事担当や、就職セミナーを開く講師などは、「コミュニケーション能力」などと抽象的な形のない能力をありがたそうに重宝しているが、とてもバカバカしい。僕が思うコミュニケーション能力の認識と、人事担当が思うコミュニケーション能力の認識と、講師が思うコミュニケーション能力の認識が一致するわけではないのだから、この時点でコミュニケーションが取れていない。この場合、コミュニケーション能力がないのは、僕なのか、人事担当なのか、講師なのか、誰でもない。本当の意味でのコミュニケーション能力など存在しない。現在、広く使われているコミュニケーション能力など、ただの言葉だということがよくわかる。それと同時に、採用要項でコミュニケーション能力を求める企業は、なんとなく誰にでも当てはまりそうな事柄を並べ、ただ多くの応募を得たいだけだ。多く集まった中から選ぶ方が選びやすいから。
僕はそんな企業あまり好きじゃない。

とはいえ、世間的にコミュニケーション能力が主流になっている現在、採用されるには企業の言うコミュニケーション能力を持ち合わせなければいならない。
僕が仮に今学生だとして、就職活動をしているとした場合、コミュニケーション能力は社風だと考える。その企業の言うコミュニケーション能力とはなんぞや? 協調性があってチームワークを大切にするのか、報連相ができてきっちりした仕事をするのか、自ら意見ができる行動力なのか、臨機応変に対応できるプレゼン能力なのか、まあどんな会社なのか観察するための材料として見る。
仮に自分に合わないと思ったらこちらからお断りする。

僕は就職活動で苦労した。僕の場合はたまたま自分に合った会社だったからよかったが、苦労した末にようやく就職した会社が自分に合わない会社だった場合の悲惨なこと。なので、今就職活動を行っている学生には、悲観的にならず自分の意思を持つことをお勧めしたい。企業に選んでもらうのではなく、自分から企業を選ぶ意識で。コミュニケーション能力などバカなことを言っている企業には、「おたくのコミュニケーション能力とはどんなものですか?」と逆にそのコミュニケーション能力があるのか見極めてもらいたい。

セクハラ・パワハラは、辞めるか辞めさせるか

最近僕は自転車で会社に通っている。と言うのも、7月に入ると健康診断があるからだ。つまりダイエット目的で少しでも運動し痩せよう、という魂胆だ。成果の程は、とても妥当な数値が出ている。

しかしまあ、最近は気温も上昇してきて、朝会社に着くと放っておけないくらいの汗をかいている。汗をかいたシャツで過ごすのも汗臭いのも嫌なので、僕は着替えをするようにしている。
僕の会社は更衣室やシャワールーム何て物はない。トイレの個室で着替えをしている。

ここで極たまに、着替えと同時に用も足したくなる時がある。トイレなのだから我慢する理由はどこにもない。ズボンを脱いで便座に座る。この時、まだ汗が引かないため、上半身も脱いでいる。そしてほぼ全裸だということに気付いた。なぜだろうか、会社で全裸ということに若干の後ろめたさを感じた。

着替えを終えようやく席に着き、パソコンの電源を入れる。パソコンが立ち上がるまでの時間、ウェットティッシュで顔や首元、時には脇の下まで臭いの元になる個所を拭く。

さて、これはセクハラになるのだろうか?
今のところ苦情は来ていない。しかし、ウェットティッシュで体を拭く行動は、不潔な印象もあるし、少なからず露出もしている。
同僚に「髪切った?」と話しかけることもセクハラになると聞いたことがあるが、僕の行動も不快感を持つ人がいればせれはセクハラになるのだろう。
自分の行動を見つめつつ、セクハラとパワハラについて考えてみた。

まず、セクハラやパワハラは、どこからどこまでがその範囲なのか?
議題を上げておいてなんだが、僕は法律家でもなければ専門のカウンセラーでもないので分からない。お尻を触るや、殴られる、など職場に関係なく明らかに法に触れる行為は話が早いが、女性の肩を叩いて「ねえ、ねえ」と呼んだり、仕事の出来が悪い部下に「全然出来てないじゃないか」と指導することは、意見が分かれるところだと思う。
また、それを逆手に取って、気に入らない上司を訴えることもあるのかもしれない。過剰に反応する見方と、泣き寝入りする見方と、バランスが難しいところだが、常識の範囲で個人が考えるしかなさそうである。
ただ、仮に何かしらの悩みを持ち、それが理由で会社に行くのが憂鬱に感じている場合は、セクハラ、パワハラに該当するしないに関わらず、第三者に相談することがいいと僕は考える。

そして問題はここから。前置きがだいぶ長くなったことを反省しつつ、今日のテーマ。
もしセクハラやパワハラを受けた場合、そして訴え出た場合、その結末はどうなるのか?
それは、被害者が自ら会社を辞めるか、加害者が会社を辞めるか、どちらかであると僕は考える。両者の和解は現実的ではないと思う。
前者の自ら会社を辞めるは、その言葉の通り、耐えられなくなって、でも誰にも言えなくて退職する場合。仮に訴えた場合でも、その後も加害者が社内にいる限り、顔を合わせ辛いだろう。結局は会社に居辛い思いをして、最終的に辞めてしまう場合。
何で被害を受けたこっちが辞めなければいけないの? と思う人は、次の加害者が会社を辞める、のケースになるのだろう。

セクハラやパワハラが発覚した場合、会社は何かしらの措置を迫られる。そこで、加害者を処分(解雇)することや減給することが考えられる。解雇は言うまでもないが、仮に減給の場合、果たしてそのまま会社にいれるだろうか? 先ほどの話ではないが、やはり加害者が会社に居辛くなり自ら辞めることが考えられる。それでも会社に残っていられる人は、今度は逆に被害者が自ら辞めることになるだろう。

というように、どちらかが残れば、どちらかが辞める、という構図は自然なことだと僕は思う。
できることならば、そのような事態が起きないことが一番望ましいのだが、昨今、警察官や教師ですらセクハラでニュースになる世の中では無理なことなのだろうか。
倫理と道徳を教育することが必要ではないか、と思いつつ、美脚韓流が好きな僕。

生理休暇は本当に取れる?

サラリーマンは個人事業とは違い、労働の対価として雇い主から賃金を受け取る。このバランスが取れているから雇用が成り立つ。
なんて僕は思わない。労働者の方が弱い。理不尽な強要に耐え生活のため、現状以上の悪条件を引き合いに不本意ながらなんとなく理由を付けて納得している。
そんなサラリーマンの不満の中で今日は有給休暇について僕なりの考えを発表したいと思う。しかも生理休暇について。

僕は男で生理はない。もちろん生理休暇を取ったこともないし、取ることも認められていない。ちなみに僕が今努めている会社と前に勤めていた会社は、女性に限り生理休暇が設けられていた。
大学を卒業して入社したての頃の僕は、女子は休みが多くていいな。などと安易に考えていた。
しかし僕は数年前結婚し、妻と二人生活を始めたことで、生理がとても辛いことを目の当たりにした。「男が何を言うか」と思う人もいると思うが、僕なりに思っていることを言いたい。
僕の妻は生理が重いほうで、毎回薬を飲んでいる。薬を飲まないと、時に痛みで気絶することがある。そのお陰か、妻はとても安産だった。妻いわく、生理痛の方が出産より痛かったらしい。
それぐらい生理の日は辛く、特別なのだということである。
そのため、多くの企業では生理休暇が設けられている。

が、しかし。本当に生理休暇はそのために設けられたものなのか? 表向き、世間体、条例など、いくつかの制限のために仕方なく設けたのではないだろうか?

僕を含め男性はあまり生理休暇を取得する時がイメージできないことだろう。試しに、男性は自分が女性になったつもりで、実際に生理休暇を取得する時のことを想像してみよう。

朝起き、体がだるく、お腹が痛い。そう、あなたは生理。会社に出社しようにも、支度することすら困難なくらい体調が悪い。仮に無理して会社に出社したところで、まともに仕事ができるのだろうか?
やむなく今日は休むことにし、会社に電話をかける。
「はい。×××商事です」
「おはようございます。一課の鈴木です。課長いますか?」
「はい。課長の高橋だ。どうかしたかね?」
「あの、今日□□なので会社休みます」
ここで問題。あなたは何と言って会社を休みますか? □□を埋めなさい。
本来の正解は「今日生理なので会社休みます」である。嘘も付いていないし、生理休暇を取得するために正しく申告している。
しかし、報告する相手が男性だった場合、素直に「生理」と言えるだろうか? 赤の他人に月経日を報告するみたいで、なかなか本当のことが言えないだろう。どうせ有給休暇も消化できないでリセットされるんだし、体調不良にして有給休暇にすればいいか、と考える人が大半ではないだろうか?

今回の問題とは外れるが、他の意見として、仕事が忙しい時に休んだところで、結局休み明けに苦労するのは自分なんだし、周りの人にもいい顔されないから、休みたくても休めない。という人がいるだろう。人に移すわけでもないし、自分が無理すればいいや、と言って強行出社する人。

統計を取ったわけではないが、この二つの選択肢が多数派意見ではないだろうか?
このような形式だけの生理休暇システムに意味はあるのだろうか?
生理休暇と通常の有給休暇をトータルで設定し、取得しやすくする方が良心的ではないだろうか?
また、有給休暇もそうだが、もっと取得しやすくする制度に変えるべきでは・・・。といってもこれと言った案もない、僕サラリーマン。

喫煙所の廃止はいいこと?

近年、社会全体が禁煙傾向にある。僕も脱タバコした一人である。僕がタバコを止めた理由は、表向きは増税。そして本当の理由は、会社で喫煙所に行きたくなかったから。
僕の会社は喫煙者の割合が1〜2割程度と少なめだ。そのため、喫煙所で顔を合わすメンツもいつも一緒。そしてみんな無口で、とても会話に困ってしまう。せっかくの昼休みにそんな時間を過ごしたくない。だから僕はタバコを止めた。
僕は意思が固いわけでも我慢強いわけでもない。しかし、喫煙所はそれを上回るほどの苦痛だった。そのおかげで僕は楽にタバコを止められた。
と、非喫煙者からすれば止めてよかったねー、の話である。
が、しかし。喫煙者からすれば、本当に止めてよかったの? と疑問になる話である。

タバコを吸う。健康面からも金銭面からもいいことはない。それはみんな分かっている。吸うのを我慢して逆にストレスが溜まって不健康だ、という人がいるが、それは屁理屈だと僕は思う。最初から吸わなければ我慢する衝動は起きない。タバコを一度も吸わないで過ごせればそれにこしたことはない。
そうではなく、タバコを吸う利点は、コミュニケーションである。

僕が大学卒業後に初めてサラリーマンとして勤めた時、喫煙所でネットワークを広げ情報交換を行ったものだ。今の僕があるのも、当時の喫煙所のおかげだ。
喫煙所は時に会議をも上回る重要事項の決定が行われる。缶コーヒーを飲みながらタバコをくわえ、資料も議事録も存在しないただの会話が、全体を左右する大きなことになることは珍しくもない。
この場に居合わせた人間とそうでない人間では、情報量と信頼関係が段違いである。

僕は時々戦略的に喫煙所に足を運ぶこともあった。それぐらい喫煙所はコミュニケーションツールとして効果的なものだ。
タバコを吸ってサボっていると言われればそれまでだし、席を動かずもくもくと作業を行っている人が損をしているみたいで腑に落ちない人もいるかもしれない。しかし、喫煙者も健康やお金を犠牲にし、周囲の批判を受けて、その分利益を得ている。

最近の禁煙ブームで職場から喫煙所が廃止されているが、本当にそれがいいことに繋がっていくのか? 僕は必ずしもそうではないと思う。

最後に、僕の会社はコミュニケーションもないから廃止すればいい。

きゃりーぱみゅぱみゅから学ぶ

昨日、とんねるずのみなさんのおかげでしたを観ていたら、食わず嫌いにきゃりーぱみゅぱみゅが出演していた。
きゃりーぱみゅぱみゅを知らない人、ちょっと前にプリンのCMに出ていました。それでもピンと来ない人、和製レディー・ガガと思ってもらえればいいだろうか。レディー・ガガが分からない人、逆に非常識なので調べてください。とにかく、きゃりーぱみゅぱみゅは個性的な女性と思い浮かべてください。

番組の中でとんねるずが
「本名は?」
と聞いた際、
「きゃろらいんちゃろんぷろっぷきゃりーぱみゅぱみゅ」※覚えられなかったのでWikipedia(ウィキペディア)から引用
とすらすら答えたことに関心した。
てっきりきゃりーぱみゅぱみゅという名前が芸名だと思っていたが、実は略名だったこと。
本人が考えたのかプロデューサーが考えたのか分からないが、キャラ設定と計画性がはっきりしていていいと思った。普通ならこれほど長くて言い辛くインパクトのある名前を面白おかしく押し出すところだが、あえて後ろのきゃりーぱみゅぱみゅだけを使っているところに表面上だけでない自力を感じた。

これ以上彼女を分析するとインテリな芸能評論家みたいになるからもうやめるとして。
そもそも僕は別に彼女を見た目でひいきしない。正直私見だが、きゃりーぱみゅぱみゅはビジュアルで売るほど可愛くないし、潰れたカエルみたいな顔をしている。色気もずば抜けてない。個性的な衣装や歌詞などにも惑わされない。
ただ、きゃりーぱみゅぱみゅはしゃべれる。その辺の可愛いだけでバラエティーに出ているタレントとは雲泥の差だ。
以前、グータンに出演した時、藤原紀香とサメの話をしていた。たまたま二人の趣味が合っただけだが、その回を通して感じたのは、自分の好きなことをちゃんと話せる。他人の意見に答えれる。自分から話ができる。である。
モデル出身ということもあり、ただ見た目でなんとなくここまで来た恵まれた人かと今まで思っていたが、誤解していたようだ。
見た目や名前の個性に目が行きがちだが、趣味や好きなことに打ち込み、中身のある人物がベースとなっていることに、僕は見習うところがあると感じた。

僕は趣味もなく、学生時代ものんびり過ごした。ただ、自分はこんなところで収まる人間じゃない。いずれでかいことをやって、有名になる。などと考えていたらサラリーマンになって、特に出世することもなく、給料も並。
自分磨きを怠ったが故の結果だろう。今からでも彼女を見習い、中身のある人間になるべく、過ごせて行けたらと思う。

大企業と中小企業

「将来の夢は正社員です」


そう答える園児が少なくないらしい。


先日テレビで大学生のなりたい職業ランキングが紹介されていた。ご存じの方も多数いると思うが、ここで振り返ってみると、一位が公務員、二位が大手企業の正社員、であった。あまり園児と変わらない回答にも思える。またそう答えた人は昨今の経済状況を素直に反映した現実的な人とも思える。

僕が学生の頃(今から6,7年前)は何が何でもマスコミ関係の仕事がやりたくて、テレビ局や出版社、映画に広告と採用試験を受けに受けまくった。結果的に数えられないくらい落とされ(100社を超えていることは確かだと思うが)、1つも受かることなく、興味もなかった今のソフトウェア開発の仕事に就いている。

僕の昔話はいいとして、今回の大学生のアンケートの結果に僕は疑問を感じる。それは、大手企業に入ることは果たしていいことなのか?安定、収入、本当に大手企業で手に入るのか?大手企業を何社も落ちた妬みも少しあるし、中小企業の劣等感も多少ある。大手企業に入ったことのない人間の言うことだからいい加減に決まっているが、リーマンショックはどうだろう?(出た!殿下の宝刀リーマンショック。よく知りもしないで、と思った人も多いと思うが、その通り、あまりよく知らない)

しかし大手企業リーマンブラザーズが倒産したことは事実。もはやとの企業が安定しているかなど一言では言えない時代。とは言え、大手企業はブランド力もあるし、収入面や福利厚生、組合関係もしっかりしているのは確か。

一方中小企業はどうだろうか?ベンチャーなどとカッコイイ呼び方もあるが、資金面や将来性で不安がある。また査定基準も昇進基準も結構適当なところが多く、社長のワンマンっぷりが発揮されることが多い。

大手企業も中小企業も良いところ悪いところを上げればきりがないし、結局は会社による、という結論になるだろう。しかし、実際のところはどちらがいいのだろうか?これからの時代、自分で企業を見極める力が必要になるのだろう。
   
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プロフィール

セバス
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