2018年02月17日
「日本人の「勤勉さ」はどこへ行った?」という記事を読みました
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アーリーリタイアシリーズは記事感想がメイン
管理人はアーリーリタイア志望ですので、このブログにもアーリーリタイアというカテゴリーがあります。
実際のところ、アーリーリタイアは射程距離に入ってはいるものの、まだ具体的に考える状況ではないため
なかなか記事数が伸びていないのが現状です。
このカテゴリが伸び始めたら、リタイアに向けて本格的に動き出したということかもしれません。
そんなわけでこのカテゴリーはもっぱら、数ヶ月に一度のアーリーリタイア計画進捗の報告を行うことと
Webで見つけた記事の感想をつらつらと書き連ねる場所になっています。
(感想と言っても批判的な物が多いのですが、私が天邪鬼ゆえとでもお考え下さい)
今回もその一つ。なかなか攻めたタイトルの記事を見つけました。
・日本人の「勤勉さ」はどこへ行った? 〜勘違いワークライフバランス
では例によって、著者の方の立場から。
著者は横山信弘氏、肩書きは経営コンサルタント。
この時点で私とは反対側にいる方だと確信しました。
記事下のプロフィールを見ても
・「現場に入り、目標を絶対達成させるコンサルタント」
・「メソッドを激しく情熱的に伝えるセミナーパフォーマンスが最大の売り」
など、非常に分かりやすく経営者側の立場にいらっしゃる方です。
となれば、この方の口から労働者側に立った意見はまず出てこないでしょう。
そういった色眼鏡を掛けて、一労働者である私が思うところを記事にしたいと思います。
(*もっとも、この方の立場的にそうしなければ仕事を失うわけですから、その事情は理解しています。
これは単なる、経営者視点の記事に対しての、労働者視点からの反論記事とお考え下さい)
ワークライフバランスと働き方改革
例の電通の一件以来、ワークライフバランスという考え方が大きな広がりを見せています。
私の勤務先でも、ワークライフバランスという概念が紹介されたばかりの頃は、唾でも吐きかけかねない
勢いで否定していましたが、最近は電通の叩かれ方を見て「さすがにまずい」と思ったのか、ここ最近は
推進していこうという方針に変わっています。
もっとも業績目標は変えようとしていないので、本気で推進するつもりはあまり無さそうですが。
働き方改革についても、同様にまだまだです。
社内の議論は「働き方」の改革ではなく、「働かせ方」の改革から抜け出せていません。
そもそも働き方改革の目的が生産性向上という時点で、大きくズレています。
それでは「(企業に都合の良いように)働き方(を変えさせる)改革」と名乗るべきでしょう。
他人に優しく自分に甘く
さて、私の勤務先の話はこのくらいにして、それでは記事を引用させていただきます。
遅刻ばかりしている社員が、「どうやったら効率よく出勤できるか」「どうしたら楽しく出勤できるか」を考えていたら、あなたはどう思いますか。非効率的であろうが、少しばかり面倒な手段であろうが、まずは「遅刻せずに出勤しなさい」「時間を守るクセをつけてから考えろ」と誰もが言いたくなります。
いえ、別に。というか言いたくなったとしても、言うのは筋違いです。
地位があり、世の中や部下に対して影響力がある人であれば、行動と発言の不一致は責められるべきです。
しかし、文脈からしたらこの遅刻社員はそういう立場ではないでしょう。
でしたら、勝手にさせておけばいいだけです。それはそれで、一つの個性であり多様性です。
ちなみに、もしも自分がこの遅刻について多少の迷惑を被っていても、私は多分強くは言いません。
会社組織の中において、迷惑やら理不尽なんてものはお互い様だからです。
そんなものを一々考えていたら、有休の一つも取れません。
自分がかける迷惑も寛大に許してもらうかわり、他人の行動による迷惑も、自分の身体財産に対して
直接の被害がなければ容認するべきでしょう。
(身体財産に直接の被害がある迷惑というのは、通常、犯罪と呼びますが)
そして万が一、この社員が私の部下だったらどうするか。
(私には絶対部下を付けないで下さい、と会社の中で宣言してるので、まずそんな事はないのですが)
遅刻常習犯の上、仕事も無能ならデータ集めてガン詰めしますが、遅刻だけなら気にしません。
遅刻の分は給料からさっぴかれるわけですから、その痛みで直れば良し、直らなければそれも良し、です。
会社の中では、「自分にも他人にも厳しく」というのが美徳と言われる事が良くあります。
会社組織の競争力を高めるには必要かもしれませんが、不寛容な競争の果てには戦争があるだけです。
結果、行き着く先は一握りのトップだけが利益を享受する極端な格差社会ではないでしょうか。
他人のミスや欠点を認め、代わりに自分の不手際も認めてもらう。そういった寛容が大事だと思います。
(ただし、遅刻による減給まで免除せよと言うことではありません。法律で下す事が認められている
ペナルティは受けるのですから、それ以上に叱責をする必要はないだろう、という意味です)
「他人に優しく、自分に甘く」くらいがちょうどいいのではないでしょうか。
それがきっと、平和の第一歩です。
(死の商人以外の)ビジネスは戦争を嫌います。なら、その火種を会社の中に蒔くのは道理が通りません。
上司の責任、社員の責任
ベテラン社員が退職したり、同僚が突然、親の介護のために勤務時間を変更したいと申し出てきたりと、「内部環境」も常に変化していきます。業務量が一定である場合、「しばらくのあいだ慣れない仕事だろうがやってほしい」と言われることもあるでしょう。しかしながら「それは私の仕事ではありません」「私はそこまでの仕事をこなすことができません」と言っていたら、会社は困ってしまいます。
会社が困ろうと、社員は困りませんが。
ベテラン社員一人辞めた程度の内部環境変化で混乱するのは、組織の問題です。
それをどうして社員側に押しつけようとするのでしょうか。
もちろん、総合職の社員に対して業務転換を命じるのは上司の権限ですから、それは構いません。
しかし、それで仕事が回らなくなったとしても、それを社員の責任にするのは筋違いです。
緊急配備した社員が、ベテランと同等のパフォーマンスを出せるわけとは、まさか思っていないでしょう。
もし思っているのなら、まずお手本を見せてもらいたいものです。
代打でも業務が回るよう、人的もしくは仕組み的にフォローするのは、上司の義務であり責任です。
ムリをするから、ムリがきくような心身ができあがるのです。それなりの業務量をこなすから、この業務をどうしたら効率化できるのか、という工夫する知恵がついていきます。その工夫した歴史こそがその人の「付加価値」です。
どこぞのワタミの元会長みたいなことまで言い出しました。
なら、ムリをして潰れたら生活の面倒を見ますか? と聞けば、会社は「自己責任」と言うでしょう。
でしたら、ムリをするもしないも社員の自由意志。会社側に選ぶ権利は存在しません。
一方で、工夫した歴史がその人の「付加価値」だ、というのは間違ってはいないと思います。
ただしそれは、だいたいその会社の中でしか使えない、地域振興券みたいな付加価値にすぎませんが。
ですから社員側として考える事は、地域振興券ではなく商品券、できれば日本銀行券のような、例え会社を
辞めても使える付加価値を身につける事です。これは、社員一人一人が考えるべき責任でしょう。
この表現だけは看過できません
もう一つ引用させていただきます。
企業努力によって労働時間が減った。ならば、空いた時間で学習する空気・環境をもっと社会がつくりあげるべきです。異業種の人たちで集まって読書会を開いたり、週末にセミナーに足を運んだりして勉強する人を増やす。まだ経験が浅い時期に自己投資を繰り返し、自主的にバリューを高める空気を作らないと、「ワークライフバランス」という考え方が、いずれ日本経済を凋落させる間接的要因になりかねません。
さらっと書いていますけど、なぜ労働時間が減った手柄を企業がかっさらっているのでしょうか。
たいていの企業では、おそらくその中身は半分以上、社員の努力によるものではないでしょうか。
でしたらそれは社員の手柄であって、企業が誇る事ではありません。
企業と社員の利害関係は、今の日本においては必ずしも一致しません。
ですから、労働時間の減少により空いた時間をどう使うかは、完全に社員に委ねられています。
(それ以前に、残業代を考えると社員側が積極的に労働時間を削減する利点はないのですが)
もちろん、勉強時間を増やすという提言をされる事は自由です。
それを聞くも聞かないも各自の自由。お互い自由ですから、ここまでは何の問題もありません。
ですが、日本経済を人質に取って個人を脅すような言い方は、看過すべきではありません。
個人レベルで日本の将来を影響する行動ができるとしたら、それは選挙に行く事くらいだからです。
権限のないところに責任は存在しません。
凋落の責任と、日本人の勤勉さ
もしも横山氏の危惧の通り、ワークライフバランスという考え方が日本経済の凋落原因になったとしたら。
その責任は誰にあるかと言えば、多分誰にもありません。なるべくしてそうなっただけです。
それでも責任の所在を言うならば、おそらくは国に影響力を持つ人間でしょう。
そこには政治家、学者、論客、そして経済界のトップも含まれます。
日本人の各個人に帰する責任は、皆無か、もしくは皆無と同等と見なせる程度にしかありません。
日本経済が凋落する責任は各個人にはありませんが、もし日本経済が凋落したとしても自分と家族の生活を
守り抜く責任は各個人にあります。
勉強や自己投資を通じて自分自身の価値を高める活動は、自分と家族を守るためです。
元記事の「日本人の「勤勉さ」はどこへ行った?」ですが、元々そんなものは無かったと私は思います。
勤勉さを要求する代わりに会社が提供していた終身雇用と年功序列が崩壊した今、報酬もなく要求だけが
残っているのは筋が通りません(それでも、日本人は世界平均で見れば真面目な方ですが)。
会社側が行うべき施策は、社員一人一人が持つ方向性の異なる付加価値を、会社の業績を向上する手段と
できるよう、利害関係の調整、制度と環境の整備を行うことだと思います。
会社が儲かれば自分の懐も温かくなる。そういう制度の下ならがんばれる人も多いでしょう。
2018年からは、「ワーク」と「スタディ」のバランスを考える潮流があらわれてくることを願っています。
横山氏の表現をお借りして、この感想記事を以下のように締めさせていただきます。
「2018年からは、会社と社員の利害を一致させた方が結果的にうまくいくということを、会社の経営陣が
考える潮流があらわれてくることを願っています」
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リンク先には同じ話題を取り扱うブログが沢山あります。こちらもいかがでしょうか。
posted by SALLOW at 13:10
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コメントありがとうございます。
一応この方を擁護しておきますと、要はこの方は「こういうパーソナリティのコンサルタント」として売り出し、結果として(多分)成功されています。
ですから、例え本心がどうであれ、こういう意見を貫き通すしかないのでしょう。そうでなければ失職することになりますし。
プロレスラーの設定みたいなものだと思っています。
要はこれも、ポジショントークの一部なのでしょうね。
ポジショントーク増し増しのアドバイスを鵜呑みにするから後でひどいめに合うわけで、きちんと内容を吟味すれば良い事だと思います(それができるならコンサル頼まない? ごもっともです)
残念なことに。
こんな感覚だから中国進出で酷い事になる会社が多かったのでしょう。