2012年07月13日
ついに完成!ファンタジー小説
つ、ついに、ついに完成!ファンタジー小説
この1か月、短いようで長かった。長いようで短かった。
現実の生活ではいろんなことが起きた1か月だった。ある意味、これを書いていることで救われた気もする。
前も言ったが、小説の世界では、作者は万能の超能力者だ。
どんなことだってできる。
そう、思わぬ人との出会い、そして育まれる友情、そして時々恋愛。
場面展開、キャラクター設定だって、自由だ。
徹夜で書き上げて、ちょっと興奮している。
「夜に手紙は書くな」と言われるが、それは暴走してしまうからだ。
だが、空想の世界を描くのにはこの暴走の方が大事だ。
自然、夜型になった。
この狙い、吉と出るか凶と出るか。
・・・・・・・・・おい、行政書士試験は大丈夫なのか? と自分をよく戒める。
生まれて初めて書く小説、推理小説から書き始めたが、完成はこっちの方が早かった。
応募しようと思っている賞の締め切りの順番に合わせた。・・・・・・まあ、賞がとれない場合でも、どこかに持ち込むつもりだが。いくつか持ち込んでたら、誰か一人ぐらい面白いと思ってくれる編集者でもいるかもしれない。
「楽天的」と離婚協議中の妻が言ったのは、あながち間違ってないのかもしれない。
同居している時、俺は小説なんて書いてなかったけど。
俺はいつの間にそんな性格になったんだろう?
慎重に慎重すぎる性格で「石橋を叩いて壊すみたいな性格だな」と20歳ぐらいの頃に一番親しかった友人に言われた。・・・・・・・・実際に心当たりがある。
だが、人間長い人生のうちに、賭けは必要だ。博打という意味ではない。
何かを得ようとするのならば、一か八かやってみなければならないことがある。
そんなことは多いかもしれない。
俺にとって、小説を書いてみたのも、一つの賭けだ。
賭けたものは、「時間」〓
時間は取り戻しがきかない。だから貴重だ。
ドラえもんの道具に、時間を取り戻そう、時間を貯めておこう、時間をゆっくり流そう、・・・・・・そういう時間に関する道具が数多く登場するのは、それが大事だからだろう。
「処女作」
特別な響きを持つ言葉だ。
だが、これは俺にとってどっちの小説のことをいうのだろう? とふと疑問に思う。
最初に書き始めた推理小説? それとも最初に完成したファンタジー?
普通に考えたら最初に完成した方かもしれない。
推理小説の方は、ベッドの上で、いざ事を始めようとして、Bまでしかいってない状況なのかもしれない。・・・・・・・・・・・基準があいまいだ。推理小説の方も8割方は完成している。後は犯人を追いこんで自供させ、ラストをカッコよく締めるだけ。そう考えると、すでに挿入は終えている気がする。
そもそも、もともとは推理小説や歴史小説が大好きで、推理小説を趣味で書いてみようと思った。
書いているうちに、これはこれで結構難しいと思った。
やはり読むのとは違う。
第一、推理小説の特性として、やはり事件を解決していくのも、事件を起こすのも生身の人間。
生身すぎる人間。あまり登場人物が人間離れすると面白くないと思う。
ホームズはある意味の超人だが、やはり生身の人間だ。
話を聞くだけで解決してしまう安楽椅子探偵も、やはり生身の人間。
そんなジャンルのものを書いているうちに、「あんなこといいな できたらいいな」とか考えるようになった・・・・・・・・。35歳にもなってガキみたいだ。(;^ω^A
その願いがファンタジーになった。
だから、どっちが先かというと、俺にとってその推理小説が原点と言えば原点なのだ。
「処女作」かあ。
まさか、同時に二人の人に奪われました、なんて言えない。(ノ∀`*)ペチョン
ペンネームも書いているうちに考えた。
幸いにして世に出ることがあったとしてもけして本名で出たくない。
登場人物は、多かれ少なかれ自分の分身の要素を持っていることが多いのだ。それがいくつかのキャラクターに分割されていたとしても・・・・・・・・・・。
出てくる異性だって、中心人物は絶対俺自身の好みでしかない。
だから、それを本名で出すと、自分の心の中をすべて覗きみられてるみたいで、考えただけで恥ずかしくなってくる。(/∀\*)キャ)
そういや、ワンピースに出てくる主要な女性キャラクター、みんなボインですごい腰のくびれだ。それが尾田栄一郎の好みだと、実際彼自身が単行本で自白している。
ペンネーム「塞翁鹿馬(さいおうかうま)」
へんてこな名前だが、これがなんとなく浮かんできた名前だ。
たぶん変えない。結構気に入っている。
お気づきの方はいるだろうが、もちろん「人間万事塞翁が馬」これが基になっている。
いろんな諺、故事の中で一番好きな言葉だ。
なんか、この言葉を思い浮かべると、どんなドン底の状況に陥ってる時でも楽観的になれる。
たとえ今のようなドロ沼の離婚協議中であっても。
この離婚協議の経験が、きっとこれからの人生の中で幸福を呼び込むだろうと考える。
「実際にそういう経験した行政書士って、離婚したい人は仕事頼みやすいだろ」って考える。
別にそれを専門にする気はないが、ウリの一つになるだろう。
『鹿』と『馬』をあえて並べているのは、自虐というか、自戒というか、自壊というか。
あ〜、本になりたい。・・・・・・・本になればいいなの間違いか。
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この1か月、短いようで長かった。長いようで短かった。
現実の生活ではいろんなことが起きた1か月だった。ある意味、これを書いていることで救われた気もする。
前も言ったが、小説の世界では、作者は万能の超能力者だ。
どんなことだってできる。
そう、思わぬ人との出会い、そして育まれる友情、そして時々恋愛。
場面展開、キャラクター設定だって、自由だ。
徹夜で書き上げて、ちょっと興奮している。
「夜に手紙は書くな」と言われるが、それは暴走してしまうからだ。
だが、空想の世界を描くのにはこの暴走の方が大事だ。
自然、夜型になった。
この狙い、吉と出るか凶と出るか。
・・・・・・・・・おい、行政書士試験は大丈夫なのか? と自分をよく戒める。
生まれて初めて書く小説、推理小説から書き始めたが、完成はこっちの方が早かった。
応募しようと思っている賞の締め切りの順番に合わせた。・・・・・・まあ、賞がとれない場合でも、どこかに持ち込むつもりだが。いくつか持ち込んでたら、誰か一人ぐらい面白いと思ってくれる編集者でもいるかもしれない。
「楽天的」と離婚協議中の妻が言ったのは、あながち間違ってないのかもしれない。
同居している時、俺は小説なんて書いてなかったけど。
俺はいつの間にそんな性格になったんだろう?
慎重に慎重すぎる性格で「石橋を叩いて壊すみたいな性格だな」と20歳ぐらいの頃に一番親しかった友人に言われた。・・・・・・・・実際に心当たりがある。
だが、人間長い人生のうちに、賭けは必要だ。博打という意味ではない。
何かを得ようとするのならば、一か八かやってみなければならないことがある。
そんなことは多いかもしれない。
俺にとって、小説を書いてみたのも、一つの賭けだ。
賭けたものは、「時間」〓
時間は取り戻しがきかない。だから貴重だ。
ドラえもんの道具に、時間を取り戻そう、時間を貯めておこう、時間をゆっくり流そう、・・・・・・そういう時間に関する道具が数多く登場するのは、それが大事だからだろう。
「処女作」
特別な響きを持つ言葉だ。
だが、これは俺にとってどっちの小説のことをいうのだろう? とふと疑問に思う。
最初に書き始めた推理小説? それとも最初に完成したファンタジー?
普通に考えたら最初に完成した方かもしれない。
推理小説の方は、ベッドの上で、いざ事を始めようとして、Bまでしかいってない状況なのかもしれない。・・・・・・・・・・・基準があいまいだ。推理小説の方も8割方は完成している。後は犯人を追いこんで自供させ、ラストをカッコよく締めるだけ。そう考えると、すでに挿入は終えている気がする。
そもそも、もともとは推理小説や歴史小説が大好きで、推理小説を趣味で書いてみようと思った。
書いているうちに、これはこれで結構難しいと思った。
やはり読むのとは違う。
第一、推理小説の特性として、やはり事件を解決していくのも、事件を起こすのも生身の人間。
生身すぎる人間。あまり登場人物が人間離れすると面白くないと思う。
ホームズはある意味の超人だが、やはり生身の人間だ。
話を聞くだけで解決してしまう安楽椅子探偵も、やはり生身の人間。
そんなジャンルのものを書いているうちに、「あんなこといいな できたらいいな」とか考えるようになった・・・・・・・・。35歳にもなってガキみたいだ。(;^ω^A
その願いがファンタジーになった。
だから、どっちが先かというと、俺にとってその推理小説が原点と言えば原点なのだ。
「処女作」かあ。
まさか、同時に二人の人に奪われました、なんて言えない。(ノ∀`*)ペチョン
ペンネームも書いているうちに考えた。
幸いにして世に出ることがあったとしてもけして本名で出たくない。
登場人物は、多かれ少なかれ自分の分身の要素を持っていることが多いのだ。それがいくつかのキャラクターに分割されていたとしても・・・・・・・・・・。
出てくる異性だって、中心人物は絶対俺自身の好みでしかない。
だから、それを本名で出すと、自分の心の中をすべて覗きみられてるみたいで、考えただけで恥ずかしくなってくる。(/∀\*)キャ)
そういや、ワンピースに出てくる主要な女性キャラクター、みんなボインですごい腰のくびれだ。それが尾田栄一郎の好みだと、実際彼自身が単行本で自白している。
ペンネーム「塞翁鹿馬(さいおうかうま)」
へんてこな名前だが、これがなんとなく浮かんできた名前だ。
たぶん変えない。結構気に入っている。
お気づきの方はいるだろうが、もちろん「人間万事塞翁が馬」これが基になっている。
いろんな諺、故事の中で一番好きな言葉だ。
なんか、この言葉を思い浮かべると、どんなドン底の状況に陥ってる時でも楽観的になれる。
たとえ今のようなドロ沼の離婚協議中であっても。
この離婚協議の経験が、きっとこれからの人生の中で幸福を呼び込むだろうと考える。
「実際にそういう経験した行政書士って、離婚したい人は仕事頼みやすいだろ」って考える。
別にそれを専門にする気はないが、ウリの一つになるだろう。
『鹿』と『馬』をあえて並べているのは、自虐というか、自戒というか、自壊というか。
あ〜、本になりたい。・・・・・・・本になればいいなの間違いか。
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