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2020年10月30日

非接触

非接触という言葉ははコロナ禍が始まる前だったら計測の分野で頻繁に使われていましたが、一般にはそれほど馴染みのあるものではありませんでした。テレビCMでも、商品を紹介するのではなく会社が何をやっているのかを説明するCMにはたまにこの非接触で計測するということ言っていました。

いま、回避すべき行動の中に濃厚接触という新たな言葉が出回りソーシャルディスタンスという言葉が定着してくると、この非接触という言葉も日常の中に溶け込んできました。

非接触の体温計は公共の場でも、家庭の中でも最も有効です。一時期は1台7,000円以上で売られていましたが、今は落ち着いて値段もバラエティに富むようになり、3,000円台のものも入手できるようになりました。

測定精度という面でどのくらいのものなのかは不明ですが、体調の良い時に測って36.3℃〜36.6℃なので信頼できるものと思っています。通常のわきの下にはさんで測る1分計なども測定精度は信頼して気にしたことがありませんでしたから、非接触だからと今さら疑う気にはなれません。

そもそも温度の指標など一般の家庭には無いのです。
熱っぽい時に測定して、やっぱり熱があったと納得して薬を飲むのか、平熱だったら気のせいかと思い込んで念のために薬を飲むとかの行動の指針にはなります。

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2020年10月29日

人生の平均

人生には幸運な時期と不運な時期とがありますが、高々100年では最終的にどちらかに偏った人生を過ごすことになると思います。いわゆる人生の勝組、負け組という感じです。

人生の幸・不幸は本来はプラスマイナスゼロ、勝ち組も負け組も無いように仕組まれているのではないかと思うのです。しかし現実はそうではありません。

これは、人生の平均値に落ち着くには圧倒的に時間が足りないのではないのかと思うのです。人生1,000回分の時間平均をとるには100×1,000で10万年の人生時間が必要になります。

この世でのせいぜい100年の人生は一度きりですが、パラレルワールドを考慮すると無限回の人生を同時に過ごしていることになります。このような多数の人生の平均値をとることが出来ればプラスマイナスはゼロになると思われます。1,000回分の人生をパラレルワールドから無作為抽出して集合平均をとります。

人生の時間平均と集合平均が一致すれば、ひとの人生は次元も時間も超越しているといえます。確かめようがないですけど。

しかしよくよく考えてみると、何を幸運と捉えるか、何を不運と捉えるかの基準がハッキリしません。それはまさに「人生万事塞翁が馬」だからです。

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2020年10月28日

交通信号機

行燈の灯からランプの灯へ、白熱灯へ、蛍光灯へ、そしてLED照明にと灯りは進化してきました。電気による灯りは白熱灯以降ですが、進化するたびに同じ明るさを得るのに消費電力は少なくなってきました。ただ単に新しい光らせ方だけでしたら世の中に普及はしません。安くてそれでいて劇的な効果がなければなりません。

LEDになって一番よかったなと思うのは交通信号機です。昼間の太陽の日差しの下でも、赤、黄、青(緑)がハッキリくっきり分かるのです。以前の信号機は太陽光が信号機に当たると、どの色が発光しているのがほとんど分からなかったのです。交通安全上とても良くなったと思っています。

信号機の発光部分は随分と薄くなりました。軽量化されたことはいいことです。重量物が頭上にあると思うとあまり気持ちの良いものではありません。幾分かでも軽くなるのは良いことだと思います。

LEDは1962年に赤色が発明されました。そして、1970年代までに赤、黄、橙(だいだい)、黄緑などの各色LEDが発明されました。ただこの色のラインナップだけでは照明の世界では需要が伸びません。白色が欲しいのです。

LEDで白色を出すには、先ほどのラインナップの他に青色のLEDが必要です。この青色LEDは誕生するまで難産でした。これを発明すればノーベル賞間違いなしとまで言われていました。その青色LEDは1993年に開発されました。こうして、白色LEDが世に出回るようになり、手ごろな値段で購入することができるようになったのです。

格安になったLEDをふんだんに使った信号機は日本中の交差点に設置されています。

ちなみに、2014年、青色LEDの発明と実用化に貢献したとして、赤崎勇氏、天野浩氏、中村修二氏の3名がノーベル物理学賞を受賞しました。

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(2014年10月8日 朝日新聞より)

2020年10月27日

紙に書く、ということ

黒板の需要について調べていたら次のような引用記事に出会いました。

「紙に印刷して読むとき──つまり、反射光で文字を読むとき、私たちの受容モードは自動的に、そして脳生理学的に「分析モード」になり、心理的モードは「批判モード」に切り替わる。したがって、ミスプリントを見つけやすい。(中略)(透過光でものを見た時)私たちの認識モードは、自動的にパターン認識モード、くつろぎモードに切り替わります。 パターン認識モードとは、細かい部分は多少無視して、全体的なパターンや流れを追うような読み取り方をいいます。分析モードの対極にあるもので、多量の情報を短時間に処理しなければならないときは、このモードになりやすいといえます。(中略)ここから、私たちが透過光で文字を読む場合は、何となく全体の流れを追うだけになってしまい、細部にあまり注意を向けることはできません。したがって、ミスプリントを見逃してしまうということになります。」
(引用元: 有馬哲夫(2007),『世界のしくみが見える「メディア論」―有馬哲夫教授の早大講義録』, 宝島社. )

さらに
「パソコンを使っていた学生は24時間後には記録した内容を忘れてしまうことが多かった。また、大量のノートを見返しても記憶を呼び戻すのにあまり有効ではなかった。それが非常に表面的だったからだ。対照的に、手書きでノートを取った学生は講義内容を長く記憶でき、1週間後でも講義で示された概要をよく覚えていた。専門家らは、書くというプロセスがより深く情報を記憶に焼き付けると指摘する。また、手書きのノートはよく整理されているため、復習にもより大きな効果を発揮する。」
(引用元:ウォール・ストリート・ジャーナル日本版|あなどれない「手書き」の学習効果)


いつも思っていたのです。PCで文章を作って十分に見直しをして「完璧だ」と思ってプリントアウトしていく端から誤字脱字を見つけていってしまう、なぜだ、と。
理由が分かりました。PC上では完全にミスプリを排除できないことを。私の不注意じゃないんだ。良かったヨカッタ。

「手に覚えさせる」ということで書いて覚えるのは当然でした。ただ読んだだけではなかなか覚えられないことは経験上知っていました。
ただそれが個人レベルのことなのか、他人との共通項なのかは未知でしたが、共通項のレベルだということが分かりました。

ところで黒板のはなしはドウナッタ?

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2020年10月26日

シンク

考える、ではなくて流し台の方です。食べ物に関係するところなのですが、水を扱うので湿気が多く、また野菜の切りくずや食料の破片が溜まり、また鍋や食器を洗うと食べ残しが溜まります。

清潔好きやこまめな人は、食事を作りながら、あるいは食器を洗いながら、シンクを綺麗にしていきます。毎回あるいは毎日シンクを洗い残飯処理をします。

ずぼらはシンクに鍋や皿を溜めていきます。しばらくすると嫌な臭いがします。コバエが発生します。パイプから異臭がします。
そうなると益々シンクに近づきたくなくなります。負(腐)のスパイラルです。

これは「割れた窓理論」の心理に近いのかもしれません。
「割れた窓理論」とは、犯罪学者のジェームズ・ウィルソンとジョージ・ケリングが発案した理論で「−−割れたまま修理されていない窓のそばを通りかかった人は、誰も気にしていないし、誰も責任をとっていないと思うだろう。まもなくほかの窓も割れる。すると無法状態の雰囲気がたちまちそのビルから向かいの通りへと伝わり、ここでは何でも許されるという信号を発しはじめる。都市においては、たとえば落書きや風紀の乱れ、あつかましい物乞いなど、比較的些細な問題のすべてが"割れた窓"と等しく、より深刻な犯罪の呼び水になる。」というものです。

この理論を実際に活用して1990年代のニューヨークの地下鉄ひいてはニューヨーク市の犯罪を劇的に減らしました。地下鉄では、1990年代の初めと終わりでは、重罪事件の発生は75%も減りました。

一体何をしたのか?

犯罪の多発する地下鉄の落書きを徹底的に清掃したのです。路線ごと、車両ごとに計画を立てて清掃していきました。折り返し駅では、清掃基地を設け、もし一台でも車両に落書きがあれば、その場で消すか、その車両を外しました。徹底的に清掃したのでした。
その結果が犯罪率の75%激減です。

犯罪予備軍は激減しなかったかもしれませんが、犯罪を誘発しやすい環境をやりにくい環境に変えてしまったわけです。

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2020年10月25日

勤労・協同・理不尽

北海道大蝦夷農業高校校訓「勤労・協同・理不尽」。
この高校は架空世界「銀の匙」の北海道帯広にあります。校長室にはこの校訓が掲げられています。校訓とは普通もっと美しい言葉を選ぶものだと思うのですが、理不尽を選んだ理由とは?

現実世界の、北海道帯広農業高等学校校訓は「礼儀・協同・勤労」です。普通の校訓はこうなるのでしょう。
ますます「理不尽」が不思議に見えてきます。
銀の匙のテーマがそうさせたのかもしれません。

特段マンガの世界だけに理不尽がある話ではありません。現実世界は理不尽の山積みです。
理不尽な状況の方を変えるのか、それとも理不尽を前にして自分を変えるのか、という思いが湧いてきます。

残念ながら、理不尽な現状は、抗議したり、もがくことで、やすやすと変えることはできません。

もしかすると、取り組めば乗り越えられるものもあるかもしれません。あるいは黙って通り過ぎるのを見ているのが精いっぱいかもしれません。残念ながら、断念するしかないこともあるかもしれません。

理不尽との付き合い方が人生の生きざまを決めていくのかもしれません。

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2020年10月24日

21世紀のSL

超電導磁石を使って高速鉄道を作ろうという時代にSLを作るという発想はないでしょう。だから現在走っているSLは現役と言いつつも動態保存に近いご老体です。それでもSLには不思議な魅力があります。

現在の流線型の新幹線と比較すると貴婦人と呼ばれたC61でさえも武骨に見えます。動輪の動くさまはメカニック剥き出しです。それでも一度動き出すと大抵のひとは魅力的と感じます。

石炭+蒸気という組み合わせでなくて良いので、21世紀にSLを作るプロジェクトは企画されないものでしょうか。SLの外観をした電車は子供騙しですか?
銀河鉄道999は明らかにSLではない未知のエンジンを駆動させていましたが、星間航行するSLに誰もツッコミは入れません。

C61繋がりで歴代の特急列車でも見てみましょう。

特急列車「つばめ号」
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ビジネス特急「こだま号」
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新幹線「ひかり号」0系
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2020年10月23日

金の斧と銀の斧

昔むかし、木こりが過って斧を池に落としてしまい困っていると、池の中から女神さまが現われて、金の斧を差し出して「あなたが落としたのはこの斧ですか」と聞いてきました。木こりが「違います」と言うと、次に銀の斧を差し出して「あなたが落としたのはこの斧ですか」と聞いてきました。「違います」と言うと、次に鉄の斧を差し出して「あなたが落としたのはこの斧ですか」と聞いてきました。「そうです、その斧です」と言うと、女神さまは「ふ〜ん」と言ってそのまま消えてしまいました。

木こりはがっかりして家に帰り、事の顛末を仲間の木こりに話すと、「ふ〜ん」と言って聞き流していましたが、仲間の木こりは翌日に件の池に行って鉄の斧を投げ入れました。すると、池の中から女神さまが現われて、金の斧を差し出して「あなたが落としたのはこの斧ですか」と聞いてきました。仲間の木こりは「はい、そうです」と言うと、女神さまは「ふ〜ん」と言ってそのまま消えてしまいました。

仲間の木こりはがっかりして家に帰り、事の顛末をさらに別の木こりに話すと、「ふ〜ん」と言って聞き流していましたが、別の木こりは翌日に件の池に行って鉄の斧を投げ入れました。すると、池の中から女神さまが現われて、金の斧を差し出して「あなたが落としたのはこの斧ですか」と聞いてきました。別の木こりは「金の斧と銀の斧と鉄の斧を頂くにはどうすれば良いですか」と問うと、女神さまは「その手で来たか」と言ってそのまま消えてしまいました。

最初の木こりと仲間の木こりと別の木こりは相談して池の水全部抜いて、沈んでいた鉄の斧と、女神さまが見せた金の斧と銀の斧を3人分手に入れるとともに、池の生態系を破壊する外来生物を退治しました。

池の水を抜くにあたっては、生態系を破壊し木こりとしての生活がままならなくなってしまっては本末転倒なので、そうはならないように入念に準備を整え専門家も同伴して実行しましたとさ。

メデタシメデタシ


池の生態系を破壊する外来生物

☟ブルーギル
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☟ブラックバス
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☟カミツキガメ
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2020年10月22日

口すぎ

「どうだね、若い衆、腹はパンがほしいというし、裸のからだは着物をほしがるから、口すぎをしなくちゃならない。おまえ何か仕事ができるかね?」
「私は何もできません」
(人は何で生きるか:トルストイ民話集)

ここで使われている「口すぎ」という表現が良いです。


現代的には、就活の面接で似たような質問が出るのでしょうか?
「わが社に入社を希望するにあたって、君は何か有用な資格を持っているのかね?(と言いつつ面接資料を一瞥する)」
「私は、英検3級、珠算3級、書道3級を持っています」

トルストイの若い衆は,呆れられながらも靴屋の仕事を一から教えてもらい、間もなく評判の若い職人になりました。

件の就活者は、どうなるのでしょうか。
現代の私たちが口すぎのために、どういうことをしたらよいのでしょうか。何を準備したらよいのでしょうか。

勉強を頑張って良い学校に入学するのは、良い会社へ入社するための前提条件と思いますか? 学歴は無いより合った方が良いです、がそれだけではないのは薄々分かっていますよね。

勉強や仕事への真摯な取り組みは、必ずしも人生の幸福を意味しません。入学した学校との相性、入社した会社との相性が良いか悪いかが重大な問題です。

出会いが、幸福と不幸の分かれ道なのです。しかも、出会いは自分でコントロールできません。まさに偶然なのです。不条理の世界なのです。

準備するのは大事です、しかし偶然という不条理を受け入れる覚悟も必要です。

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2020年10月21日

古代ローマ

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西ローマ帝国が滅亡したときをもって古代が終わり、ビザンティン帝国が滅亡したときもって中世が終わったと歴史家たちは区分します。
ビザンティン帝国は元々東ローマ帝国であり、為政者も市民も自分たちの国はローマであり自分たちはローマ市民と思っていたようですが、歴史の目で見るとまったく異質の国柄になっていたようです。
ですから古代と冠のついたローマ世界は西暦476年で終わったとするのが妥当でしょう。

紀元前753年に初代ロムルス王の就任したときから古代ローマが始まりました。イタリア半島の小さな都市国家から始まりました。

国家体制は、王政→共和制→帝政と変遷しましたが、一貫して元老院と市民による政治体制という形態をとり続けました。
古代ローマの正式名称は「元老院ならびにローマ市民(Senatus Populus que Romanus)」です。正確には共和制以降に正式に使われていたようですが、ロムルス王のときから元老院は存在していました。
753年+476年=1,229年、古代ローマは千二百年余続きました。

ちなみに、ヴェネツィア共和国は、始まりはは697年、終わりは1,797年、1,797−697=1,100。
千百年の歴史を刻んでいたのですね。

ビザンティン帝国(東ローマ帝国)またはビザンツ帝国、ギリシャ帝国。成立は395年、滅亡は 1,453年。1,453−395=1,058。千年余の寿命を生きてきたんですね。

日本は、神武天皇即位の紀元前660年を起点と考え、神武王朝が現在も続いているとすると、660+2,020=2,680で二千六百余年続いており、なお継続中。
神話や伝説の曖昧な部分が嫌なら、継体天皇以降継体王朝が続いているとみると、継体天皇即位年は507年で、2,020−507=1,513となり、千五百年余り続き、今なお更新中です。

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