2017年10月05日
3年半ぶりに、仕事をはじめた話
昨日から3年半ぶりに仕事に復帰した、職場は異なるが、仕事はほぼ同じだ。
ただ、家からの通勤時間が2時間近くあるので、ロフストランドを使って、朝の通勤時間帯に京阪電車と大阪地下鉄を乗り継いでいくのが、怖かった。
もちろん、採用面接や会議などには何度か行っているので、初めて行くのではないが、ラッシュ時に出勤したことななったのだ。
ご存じのように、わたしは右足の膝が破壊されており(その他、左足や両肩、腰にも問題がある)、2年以上の入院と、1年半のリハビリを行い、ロフストランドでの歩行ができるようになったのだ。
とはいえ、身障者手帳所有で、介護保険2号要支援1(最初は要介護3であった)なので、仕事への復帰には主治医も懐疑的ではあったが、必死にリハビリをして、ここまできた。
おととい、整形外科の定期受信の時、主治医は「あなたが自分の足で立って歩いて、仕事に行くとは奇蹟に近い」といった。
入院中は、「将来は車いすでの生活を覚悟して下さい」と言われていたのだから当然だ。
とはいえ、主治医や看護師、ケアマネ、身体障害者就業生活支援センターの皆さん、ハローワークの相談員の皆さん、そして、PT(理学療法士)、OT(作業療法士)、ボランティアの皆さんに助けられ、やっとここまで来た。
決まるまで、いくつかのところに履歴書を出した。すべて身障者対象ではない求人に応募したので、職場のバリアフリーなどの状況を説明するなど、大変であった。
とはいえ、仕事を始めた以上、手を抜かずに頑張っていこうと思う。
おしまい。
ただ、家からの通勤時間が2時間近くあるので、ロフストランドを使って、朝の通勤時間帯に京阪電車と大阪地下鉄を乗り継いでいくのが、怖かった。
もちろん、採用面接や会議などには何度か行っているので、初めて行くのではないが、ラッシュ時に出勤したことななったのだ。
ご存じのように、わたしは右足の膝が破壊されており(その他、左足や両肩、腰にも問題がある)、2年以上の入院と、1年半のリハビリを行い、ロフストランドでの歩行ができるようになったのだ。
とはいえ、身障者手帳所有で、介護保険2号要支援1(最初は要介護3であった)なので、仕事への復帰には主治医も懐疑的ではあったが、必死にリハビリをして、ここまできた。
おととい、整形外科の定期受信の時、主治医は「あなたが自分の足で立って歩いて、仕事に行くとは奇蹟に近い」といった。
入院中は、「将来は車いすでの生活を覚悟して下さい」と言われていたのだから当然だ。
とはいえ、主治医や看護師、ケアマネ、身体障害者就業生活支援センターの皆さん、ハローワークの相談員の皆さん、そして、PT(理学療法士)、OT(作業療法士)、ボランティアの皆さんに助けられ、やっとここまで来た。
決まるまで、いくつかのところに履歴書を出した。すべて身障者対象ではない求人に応募したので、職場のバリアフリーなどの状況を説明するなど、大変であった。
とはいえ、仕事を始めた以上、手を抜かずに頑張っていこうと思う。
おしまい。
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