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2017年04月04日

教育勅語

教育勅語については
「一身を捧げて皇室国家の為につくせ(以下教育勅語の引用部分はwikipediaより)」の部分が問題だという報道を見た。

しかし、問題はそこだけでは無い。「汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり」も実は大問題だ。

この様な文言は歴史的背景を無視して読むことはできない。

聖徳太子の十七条憲法の「和を以て貴しと為し」にしても、結局は、蘇我氏などの豪族に、仲良くしろ、勝手なことをするなという意味が見て取れる。

政府や親が戦争を決めたら、それに従えというのが、教育勅語なのだ。

いいだろうか。自ら信じるところに従い、信念を貫け、とは言っていない。

全体主義のたまものなのだ。

教育勅語をまもるなら、坂本龍馬や西郷隆盛の「日本の夜明け」という発想はでない。

親を尊敬するのは当然だ。しかし、単純に「親に従え」ということばは、あまりにも危険なのだ。

その証拠に、瑞穂の国記念小学院のサイトには「あえて出る杭になれ」と書かれていたではないか。

教育勅語をまもるなら、出る杭にはなれない。 

自己矛盾も甚だしい。

国家のために努力するのは、ある意味で当然だ。

しかし、自分の考えが正しく、そのためには、手段を選ばず、嘘をつく教育者に師範として子どもを預かる資格は無いのだ。

逆上がりができない教師が、生徒に逆上がりをしろ、と言っても説得力はない。見本を示す。それが教師の基本だ。

自分はおもらしをしなかったのか? 食べ残しはしなかったのか?

何度も言う「目的は手段を正当化しない」。

政治家なら革命家や宗教家なら、結果オーライだ。奇跡が起こった。クーデタで新政府ができた。

それで、勝てば官軍だ。

しかし、教育者は師範だ、学ぶ者の見本になれなければ師範では無い、正しい手段で正しい結果を導けないなら、それは無能と言うべきだ。

世の中には、いろんな考え方があり、いろんな人がいる。それを理解した上で自分の行動を決めるべきだ。

憲法改正論がある。日本国憲法は他から押しつけられたものだから、自分たちの憲法を作る。

それは理解できる。

しかし、「教育勅語」は国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の下に作成されたものではない。

したがって、もし、歴史的事実としてでは無く、思想的に教育勅語を使うことはあっては成らない。

それこそ、他つまり過去から押しつけられたものだから。国民が作ったものではない、国民主権では無いから。


憲法を改正せず、教育勅語を改正しないというのは、、、、もう馬鹿馬鹿しい

とにかく、「仲良くせよ、親を大切にせよ」それは、自分の考えで行動するな、に通じることを忘れては成らないのだ。

歴史を乗り越えてこそ、人類の発展がある。

個人の尊厳を無視するようなことがあってはならない。

過去を直視し、目を背けず、過去を乗り越えて行こうではないか。

                        おしまい。



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ペトロニウス
事故と遭難の臨死体験から甦った、メンタルケア心理士、上級心理カウンセラー、行動心理士、キャリアカウンセラー、日本語教育能力試験合格、文学博士、法学修士です。 「三行日記」をはじめてから救われました。これは宗教じゃなく、「引き寄せ」、「思考は現実化する」を最も簡単確実に実現する方法です。しかも、副作用は無いです。
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