三佛寺(さんぶつじ)は、鳥取県東伯郡三朝町にある天台宗の仏教寺院。山号は三徳山(みとくさん)。国宝投入堂を有する。
三仏寺 本堂
概要
開山は慶雲3年(706年)に役行者が修験道の行場として開いたとされ、その後、慈覚大師円仁により嘉祥2年(849年)に本尊釈迦如来・阿弥陀如来・大日如来の三仏が安置されたとされる。
鳥取県のほぼ中央に位置する三徳山(標高900m)に境内を持ち、古くは山全体を境内としていた山岳寺院である。中腹の標高470mにある投入堂(なげいれどう)の通称で広く知られる奥院の建物は、垂直に切り立った絶壁の窪みに建てられた他に類を見ない建築物で、国宝に指定されている。また、三徳山は昭和9年(1934年)7月7日に国の史跡及び名勝に指定された。
2015年4月24日には日本遺産の最初の18件の一つとして「六根清浄と六感治癒の地〜日本一危ない国宝鑑賞と世界屈指のラドン泉〜 」のタイトルで認定された。
境内
境内は、石段など一般的な参道によりアクセス可能な山下区域と、滑落事故の前歴を有する険しい一本の登山道(行者道)によってのみアクセス可能な山上区域とに実質分かれている。
山下区域
宿坊:皆成院(かいじょういん)・正善院(しょうぜんいん)・輪光院(りんこういん)
宝物殿:投入堂に安置されていた蔵王権現像などを展示。
本堂【県保護文化財】:本尊は秘仏の阿弥陀如来立像
宿入橋(しくいりばし)
山上区域
役行者石像
野際稲荷(十一面観音堂)祠【県保護文化財】
文殊堂【重要文化財】:懸造で中にははいれないが、手摺の無い縁台を周回できる(脱履物で右回り)。
地蔵堂【重要文化財】:上記堂より少し小さいが、同様。
鐘楼【県保護文化財】
納経堂(祠)【重要文化財】
観音堂【県保護文化財】
元結掛堂(もとゆいかけどう)祠【県保護文化財】
不動堂(祠)【県保護文化財】
投入堂・愛染堂【国宝】
山上区域への進入は「8時から15時まで」とされており、当該時間帯以外はもちろんのこと、冬季(12月〜翌年3月)および荒天時には進入禁止となる。
駐車場:約400m東に離れた県道21号脇に無料大駐車場あり。
皆成院
正善院
文殊堂
交通アクセス
JR山陰本線 倉吉駅からバス「上吉原」方面行きで40分、「三徳山寺前」下車
拝観は有料(冬季は登山はできない。4月1日の法要を経て登山可能となる)。
所在地 鳥取県東伯郡三朝町三徳1010
位置 北緯35度23分57.5秒 東経133度57分20.7秒
山号 三徳山(みとくさん)
宗派 天台宗
本尊 釈迦如来
阿弥陀如来
大日如来
創建年 (伝)嘉祥2年(849年)
開山 役行者
開基 (伝)慈覚大師
正式名 三徳山 三佛寺
札所等 中国三十三観音霊場第31番(三佛寺)
伯耆観音霊場第29番(三佛寺)
百八観音霊場第36番(三佛寺)
中国四十九薬師第43番(皆成院)
文化財 奥院投入堂(国宝)
文殊堂、地蔵堂、納経堂ほか(重要文化財)
三徳山(史跡・名勝)
2023年11月01日
2023年10月31日
大前神社(おおさきじんじゃ)は栃木県真岡市にある神社
大前神社(おおさきじんじゃ)は栃木県真岡市にある神社。式内社。旧社格は県社。
祭神
福の神「だいこく様」(大国主大神)
その御子神「えびす様」(事代主大神)
配祀神として天照皇大御神、八百万の神
氏子崇敬者から中古より「大前さま」「大前大権現」と呼ばれ、今日も古老は「権現さま」、多くは「大前さま」の名で親しまれている。
歴史
延喜式内大前神社の鎮座する聖地「大前(おおさき)」は、古代の口碑に「神代の霊地」と伝わる。大前という由来は、神地境内隣接の北地にかつて「芳賀沼」が存在し、その大突端に位置することから大前(崎)神社と称されたものである。神護景雲年中(767年 - 770年)に社殿が再建されており、一千五百有余年の歴史を持つ。平安期には、常陸国坂東の東叡山黒子千妙寺の末寺を別当寺として祀り、本社は神仏習合により薬師如来を配していた。また、承平5年(935年)平将門は承平天慶の乱を興すに至り、大前神社にて合戦勝利の祈願をし、勤行を五行川の御手洗に為したと伝わっている。中世、坂東の荒武者「紀清両党」の芳賀氏は、本社東に若色城を、次いで大前神社南に御前城を築き、22代芳賀十郎清原高定に至るまで大前神社社領守護職を兼ねた。
かつて例大祭には、「頭(とう)」と唱え、猪鹿の頭を供えた故事が伝えられており、神饌には鹿肉と鹿頭を献じたという。現在も、例大祭では鹿肉が神饌として供えられる。また、拝殿大床天井には三尾の神使の鯉が描かれ、拝殿天井には昇竜に権化した姿が描かれている。本殿にも、雌雄の鯉と琴音仙人の鯉が彫られている。神使の鯉にちなんで、心願が成就すると元気な鯉を神前に奉納し、祓いを受け御神酒を注ぎ、五行川に放流する風習が伝えられている。
なお、境内地には「日本一えびす様大前恵比寿神社」が鎮座している。
2013年(平成25年)11月9日、東日本大震災により解体を余儀なくされた第二鳥居が県内杉材にて再建された。また、第62回神宮式年遷宮の記念行事で本殿裏側に鎮座する摂社・末社の整備事業が行われた。中でも末社の足尾山神社は、日本で最初の二輪車・バイクの交通安全を願う神社として鎮座しており、毎年県内外より月800人から1,000人のライダーが参拝している。
2017年(平成29年)には御造替1250年を迎え、額殿や神楽殿、社務所等の移築改修工事等の記念事業を推進している。同年2月3日の大節分祭・追儺式から三鬼(前鬼・後鬼・百目鬼)に加えて、古式の祭儀に則って方相氏が加わった。
2018年(平成30年)12月25日付けで大前神社本殿・幣殿及び拝殿が国の重要文化財に指定された。
文化財
重要文化財(国指定)
本殿 - 江戸時代中期(1707年)の建立。桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝一間、銅板葺。組物の龍彫刻のほか,柱や壁の幾何学意匠の地紋彫など,随所を秀逸かつ先駆的な手法で飾り,関東地方における装飾建築普及の萌芽を示している。平成30年(2018年)12月25日指定。
幣殿及び拝殿 - 江戸時代中期の建立。拝殿、桁行正面三間、背面五間、梁間三間、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風付、銅板葺。幣殿、桁行二間、梁間一間、寄棟造、銅板葺。正面の向拝まわりで彫刻を多用し,屋根に千鳥破風を飾るなど,華やかな拝所空間を演出している。平成30年(2018年)12月25日指定。
交通
最寄駅:真岡鐵道「北真岡駅」より徒歩15分
北関東自動車道 真岡I.Cより約10分
JR石橋駅から関東バス「石橋駅・真岡車庫」系統にて約35分 「真岡車庫」下車徒歩20分
JR宇都宮駅から関東バス「宇都宮東武〜真岡営業所」方面行きで約1時間 「大前神社前」下車すぐ
駐車場:有り
所在地 栃木県真岡市東郷937
位置 北緯36度26分57.1秒 東経140度01分33.2秒
主祭神 大國主大神
事代主大神
社格等 式内社(小)
旧県社
創建 神護景雲年間(767年 - 770年)
本殿の様式 入母屋造
例祭 11月9日・10日
祭神
福の神「だいこく様」(大国主大神)
その御子神「えびす様」(事代主大神)
配祀神として天照皇大御神、八百万の神
氏子崇敬者から中古より「大前さま」「大前大権現」と呼ばれ、今日も古老は「権現さま」、多くは「大前さま」の名で親しまれている。
歴史
延喜式内大前神社の鎮座する聖地「大前(おおさき)」は、古代の口碑に「神代の霊地」と伝わる。大前という由来は、神地境内隣接の北地にかつて「芳賀沼」が存在し、その大突端に位置することから大前(崎)神社と称されたものである。神護景雲年中(767年 - 770年)に社殿が再建されており、一千五百有余年の歴史を持つ。平安期には、常陸国坂東の東叡山黒子千妙寺の末寺を別当寺として祀り、本社は神仏習合により薬師如来を配していた。また、承平5年(935年)平将門は承平天慶の乱を興すに至り、大前神社にて合戦勝利の祈願をし、勤行を五行川の御手洗に為したと伝わっている。中世、坂東の荒武者「紀清両党」の芳賀氏は、本社東に若色城を、次いで大前神社南に御前城を築き、22代芳賀十郎清原高定に至るまで大前神社社領守護職を兼ねた。
かつて例大祭には、「頭(とう)」と唱え、猪鹿の頭を供えた故事が伝えられており、神饌には鹿肉と鹿頭を献じたという。現在も、例大祭では鹿肉が神饌として供えられる。また、拝殿大床天井には三尾の神使の鯉が描かれ、拝殿天井には昇竜に権化した姿が描かれている。本殿にも、雌雄の鯉と琴音仙人の鯉が彫られている。神使の鯉にちなんで、心願が成就すると元気な鯉を神前に奉納し、祓いを受け御神酒を注ぎ、五行川に放流する風習が伝えられている。
なお、境内地には「日本一えびす様大前恵比寿神社」が鎮座している。
2013年(平成25年)11月9日、東日本大震災により解体を余儀なくされた第二鳥居が県内杉材にて再建された。また、第62回神宮式年遷宮の記念行事で本殿裏側に鎮座する摂社・末社の整備事業が行われた。中でも末社の足尾山神社は、日本で最初の二輪車・バイクの交通安全を願う神社として鎮座しており、毎年県内外より月800人から1,000人のライダーが参拝している。
2017年(平成29年)には御造替1250年を迎え、額殿や神楽殿、社務所等の移築改修工事等の記念事業を推進している。同年2月3日の大節分祭・追儺式から三鬼(前鬼・後鬼・百目鬼)に加えて、古式の祭儀に則って方相氏が加わった。
2018年(平成30年)12月25日付けで大前神社本殿・幣殿及び拝殿が国の重要文化財に指定された。
文化財
重要文化財(国指定)
本殿 - 江戸時代中期(1707年)の建立。桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝一間、銅板葺。組物の龍彫刻のほか,柱や壁の幾何学意匠の地紋彫など,随所を秀逸かつ先駆的な手法で飾り,関東地方における装飾建築普及の萌芽を示している。平成30年(2018年)12月25日指定。
幣殿及び拝殿 - 江戸時代中期の建立。拝殿、桁行正面三間、背面五間、梁間三間、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風付、銅板葺。幣殿、桁行二間、梁間一間、寄棟造、銅板葺。正面の向拝まわりで彫刻を多用し,屋根に千鳥破風を飾るなど,華やかな拝所空間を演出している。平成30年(2018年)12月25日指定。
交通
最寄駅:真岡鐵道「北真岡駅」より徒歩15分
北関東自動車道 真岡I.Cより約10分
JR石橋駅から関東バス「石橋駅・真岡車庫」系統にて約35分 「真岡車庫」下車徒歩20分
JR宇都宮駅から関東バス「宇都宮東武〜真岡営業所」方面行きで約1時間 「大前神社前」下車すぐ
駐車場:有り
所在地 栃木県真岡市東郷937
位置 北緯36度26分57.1秒 東経140度01分33.2秒
主祭神 大國主大神
事代主大神
社格等 式内社(小)
旧県社
創建 神護景雲年間(767年 - 770年)
本殿の様式 入母屋造
例祭 11月9日・10日
2023年10月30日
鶴林寺(かくりんじ)は、徳島県勝浦郡勝浦町にある高野山真言宗の寺院
鶴林寺(かくりんじ)は、徳島県勝浦郡勝浦町にある高野山真言宗の寺院。山号は霊鷲山(りょうじゅさん)、院号は宝珠院(ほうじゅいん)と号する。本尊は地蔵菩薩。四国八十八箇所第二十番札所。
本尊真言:おん かかかびさんまえい そわか
ご詠歌:しげりつる鶴の林をしるべにて 大師ぞいます地蔵帝釈(たいしゃく)
納経印:当寺本尊、星谷寺、白衣背中の鶴亀の鶴印
本堂
概要
地元の人や遍路からは「お鶴さん」と呼ばれ親しまれているが、「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と並び称される阿波の難所の一つで、鶴林寺山(標高516.1 m)の山頂近くにあり、本堂の位置で比較すると標高495 m付近で八十八箇所中7番目、表参道は「へんろころがし」といわれる急傾斜の山道である。
山門と六角地蔵堂
歴史
寺伝によれば、延暦17年(798年)に桓武天皇の勅願によって空海(弘法大師)が開創。寺伝によれば、空海がこの山で修行中に雌雄の白鶴が杉の梢で小さな金の地蔵菩薩像を守護していた。空海はそれを見て、霊木に3尺(約90 cm)の地蔵菩薩を刻み、その胎内に鶴が守っていた1寸8分の地蔵像を納めて本尊として鶴林寺の寺名を定めた。境内の雰囲気が釈迦が説法をした霊鷲山に似ていることから山号にいただいたという。
平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇からの篤い帰依、源頼朝、源義経、徳島藩祖蜂須賀家政などからの信仰も受けて大いに栄えた。
本尊の伝承として、昔、猟師が猪を追って山に入り矢を放ち、たどって行くと本堂で地蔵菩薩の胸に矢がささり血を流していた。猟師は殺生を懺悔し仏門に入ったということから矢負いの地蔵と呼ばれ、本尊にはその傷が残っていると云われている。
山門の中の鶴
アクセス
鉄道
四国旅客鉄道(JR四国) 牟岐線 – 立江駅下車 (13.5 km)
バス
徳島バス 勝浦線(横瀬行) 「生名」下車 (3.4 km)
道路
一般道:徳島県道283号和食勝浦線 鶴峠から (1.9 km、徳島県道146号鶴林寺線)
遍路道:19番立江寺 --(4.0 km)-- 櫛渕町萱原 -(6.2 km)-- 勝浦町生名 --(1.3 km)-- 水呑大師 -(1.6 km)-- 20番
三重塔
所在地 徳島県勝浦郡勝浦町生名鷲ヶ尾14
位置 北緯33度54分49.9秒 東経134度30分20.2秒
山号 霊鷲山
院号 宝珠院
宗派 高野山真言宗
寺格 別格本山
本尊 地蔵菩薩
創建年 (伝)延暦17年(798年)
開基 桓武天皇(勅願)、空海(弘法大師)
正式名 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺
別称 お鶴さん
札所等 四国八十八箇所20番
文化財 木造地蔵菩薩立像(重要文化財)
絹本着色釈迦三尊像(重要美術品)
地蔵来迎図(県有形文化財)
本尊真言:おん かかかびさんまえい そわか
ご詠歌:しげりつる鶴の林をしるべにて 大師ぞいます地蔵帝釈(たいしゃく)
納経印:当寺本尊、星谷寺、白衣背中の鶴亀の鶴印
本堂
概要
地元の人や遍路からは「お鶴さん」と呼ばれ親しまれているが、「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と並び称される阿波の難所の一つで、鶴林寺山(標高516.1 m)の山頂近くにあり、本堂の位置で比較すると標高495 m付近で八十八箇所中7番目、表参道は「へんろころがし」といわれる急傾斜の山道である。
山門と六角地蔵堂
歴史
寺伝によれば、延暦17年(798年)に桓武天皇の勅願によって空海(弘法大師)が開創。寺伝によれば、空海がこの山で修行中に雌雄の白鶴が杉の梢で小さな金の地蔵菩薩像を守護していた。空海はそれを見て、霊木に3尺(約90 cm)の地蔵菩薩を刻み、その胎内に鶴が守っていた1寸8分の地蔵像を納めて本尊として鶴林寺の寺名を定めた。境内の雰囲気が釈迦が説法をした霊鷲山に似ていることから山号にいただいたという。
平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇からの篤い帰依、源頼朝、源義経、徳島藩祖蜂須賀家政などからの信仰も受けて大いに栄えた。
本尊の伝承として、昔、猟師が猪を追って山に入り矢を放ち、たどって行くと本堂で地蔵菩薩の胸に矢がささり血を流していた。猟師は殺生を懺悔し仏門に入ったということから矢負いの地蔵と呼ばれ、本尊にはその傷が残っていると云われている。
山門の中の鶴
アクセス
鉄道
四国旅客鉄道(JR四国) 牟岐線 – 立江駅下車 (13.5 km)
バス
徳島バス 勝浦線(横瀬行) 「生名」下車 (3.4 km)
道路
一般道:徳島県道283号和食勝浦線 鶴峠から (1.9 km、徳島県道146号鶴林寺線)
遍路道:19番立江寺 --(4.0 km)-- 櫛渕町萱原 -(6.2 km)-- 勝浦町生名 --(1.3 km)-- 水呑大師 -(1.6 km)-- 20番
三重塔
所在地 徳島県勝浦郡勝浦町生名鷲ヶ尾14
位置 北緯33度54分49.9秒 東経134度30分20.2秒
山号 霊鷲山
院号 宝珠院
宗派 高野山真言宗
寺格 別格本山
本尊 地蔵菩薩
創建年 (伝)延暦17年(798年)
開基 桓武天皇(勅願)、空海(弘法大師)
正式名 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺
別称 お鶴さん
札所等 四国八十八箇所20番
文化財 木造地蔵菩薩立像(重要文化財)
絹本着色釈迦三尊像(重要美術品)
地蔵来迎図(県有形文化財)
2023年10月29日
笠森寺(かさもりじ)は、千葉県長生郡長南町笠森にある天台宗別格大本山の寺院
笠森寺(かさもりじ)は、千葉県長生郡長南町笠森にある天台宗別格大本山の寺院。坂東三十三観音第31番札所。
観音堂(重要文化財)
概要
寺伝によれば784年(延暦3年)に最澄(伝教大師)が楠の霊木で十一面観音菩薩を刻み安置し開基されたとされる古刹で、古来より巡礼の霊場として知られており、十一面観音像が本尊であることから「笠森観音」と通称される。
大岩の上にそびえる観音堂は、61本の柱で支えられた四方懸造と呼ばれる構造で、日本で唯一の特異な建築様式であり重要文化財である。1028年(長元元年)に後一条天皇の勅願で建立されたと伝えられているがその後焼失し、現在の建物は解体修理の際発見された墨書銘から1579年(天正7年)から1597年(慶長2年)の間の再建とされている。観音堂の 75段の階段を上がった回廊からは、四季それぞれに美しい房総の山々が眼下に眺められ、その景観は一見に価する。他にも重要文化財の鋳銅唐草文釣燈籠など多くの文化財も残されている。
また、笠森寺周辺の森林は、延暦年間の笠森寺草創当時より禁伐林として保護されてきたと伝えられる暖帯林の残存林であり「笠森寺自然林」として国の天然記念物に指定されている。高木層はスダジイを主体とし、多くのシダ類なども見られ、自然が保たれていることからニホンイタチ・ニホンアナグマ・ニホンリスなどの獣類、フクロウ・コノハズク・アカゲラ・ハイタカなどの鳥類やヒメハルゼミなどの昆虫も生息し、関東地方の残存林として特徴的である。
二天門
交通アクセス
鉄道
外房線(JR東日本)茂原駅下車 小湊鉄道バス牛久駅行「笠森」下車 徒歩5分
小湊鉄道 上総牛久駅下車 小湊鉄道バス茂原駅行「笠森」下車 徒歩5分
自動車
首都圏中央連絡自動車道 茂原長南ICより約7分(約5km)
拝観料・拝観時間
拝観料: 大人300円 小人100円
拝観時間: 4月〜9月 8:00〜16:30、10月〜3月 8:00〜16:00(雨天は閉堂)
観音堂の回廊
所在地 千葉県長生郡長南町笠森302
位置 北緯35度23分58.6秒 東経140度11分56.1秒
山号 大悲山
院号 楠光院
宗派 天台宗
寺格 別格大本山
本尊 十一面観音
創建年 伝・延暦3年(784年)
開基 伝・最澄
正式名 大悲山 楠光院 笠森寺
別称 笠森観音
札所等 坂東三十三観音第31番
文化財 観音堂・鋳銅唐草文釣燈籠(重要文化財)
観音堂(重要文化財)
概要
寺伝によれば784年(延暦3年)に最澄(伝教大師)が楠の霊木で十一面観音菩薩を刻み安置し開基されたとされる古刹で、古来より巡礼の霊場として知られており、十一面観音像が本尊であることから「笠森観音」と通称される。
大岩の上にそびえる観音堂は、61本の柱で支えられた四方懸造と呼ばれる構造で、日本で唯一の特異な建築様式であり重要文化財である。1028年(長元元年)に後一条天皇の勅願で建立されたと伝えられているがその後焼失し、現在の建物は解体修理の際発見された墨書銘から1579年(天正7年)から1597年(慶長2年)の間の再建とされている。観音堂の 75段の階段を上がった回廊からは、四季それぞれに美しい房総の山々が眼下に眺められ、その景観は一見に価する。他にも重要文化財の鋳銅唐草文釣燈籠など多くの文化財も残されている。
また、笠森寺周辺の森林は、延暦年間の笠森寺草創当時より禁伐林として保護されてきたと伝えられる暖帯林の残存林であり「笠森寺自然林」として国の天然記念物に指定されている。高木層はスダジイを主体とし、多くのシダ類なども見られ、自然が保たれていることからニホンイタチ・ニホンアナグマ・ニホンリスなどの獣類、フクロウ・コノハズク・アカゲラ・ハイタカなどの鳥類やヒメハルゼミなどの昆虫も生息し、関東地方の残存林として特徴的である。
二天門
交通アクセス
鉄道
外房線(JR東日本)茂原駅下車 小湊鉄道バス牛久駅行「笠森」下車 徒歩5分
小湊鉄道 上総牛久駅下車 小湊鉄道バス茂原駅行「笠森」下車 徒歩5分
自動車
首都圏中央連絡自動車道 茂原長南ICより約7分(約5km)
拝観料・拝観時間
拝観料: 大人300円 小人100円
拝観時間: 4月〜9月 8:00〜16:30、10月〜3月 8:00〜16:00(雨天は閉堂)
観音堂の回廊
所在地 千葉県長生郡長南町笠森302
位置 北緯35度23分58.6秒 東経140度11分56.1秒
山号 大悲山
院号 楠光院
宗派 天台宗
寺格 別格大本山
本尊 十一面観音
創建年 伝・延暦3年(784年)
開基 伝・最澄
正式名 大悲山 楠光院 笠森寺
別称 笠森観音
札所等 坂東三十三観音第31番
文化財 観音堂・鋳銅唐草文釣燈籠(重要文化財)
2023年10月28日
須佐神社(すさじんじゃ)は、島根県出雲市にある神社
須佐神社(すさじんじゃ)は、島根県出雲市にある神社である。須佐之男命の御魂を祀る古社。式内小社で、旧社格は国幣小社。出雲國神仏霊場第十八番。
須佐神社本殿
歴史
『出雲国風土記』に、須佐之男命が各地を開拓した後に当地に来て最後の開拓をし、「この国は良い国だから、自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたとの記述がある。古来須佐之男命の本宮とされた。社家の須佐氏は、大国主神の子の賀夜奈流美命を祖とすると伝える。
旧社地は神社の北方にある宮尾山にあったとされる。現社地は盆地のほぼ中央部にあり、中世の時点ではすでにこの地にあったと考えられる。
『出雲国風土記』に「須佐社」と記載されている。『延喜式神名帳』に「須佐神社」と記載され、小社に列している。中世には「十三所大明神」「大宮大明神」、近世には「須佐大宮」と称した。
明治4年(1871年)に延喜式に記載される「須佐神社」に改称し、明治5年(1872年)に郷社に列格し、翌明治6年(1873年)に県社に、明治33年(1900年)に国幣小社に昇格した。
境内入り口鳥居
拝殿
幣殿
祭神
主祭神
須佐之男命
配祀神
稲田比売命 - 須佐之男命の妻
足摩槌命 - 稲田比売命の親
手摩槌命 - 稲田比売命の親・須佐家の祖神
交通
出雲市駅から一畑バス「出雲須佐行き」に乗車し、須佐バス停で下車。徒歩3 km。
車利用の場合、境内横に駐車場十数台分あり。
所在地 島根県出雲市佐田町須佐730
主祭神 須佐之男命
社格等 式内社(小)
旧国幣小社
別表神社
本殿の様式 大社造
別名 須佐大宮
札所等 出雲國神仏霊場18番
例祭 4月18日
主な神事 念仏踊り
地図
北緯35度14分4.9秒 東経132度44分12.7秒
須佐神社本殿
歴史
『出雲国風土記』に、須佐之男命が各地を開拓した後に当地に来て最後の開拓をし、「この国は良い国だから、自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたとの記述がある。古来須佐之男命の本宮とされた。社家の須佐氏は、大国主神の子の賀夜奈流美命を祖とすると伝える。
旧社地は神社の北方にある宮尾山にあったとされる。現社地は盆地のほぼ中央部にあり、中世の時点ではすでにこの地にあったと考えられる。
『出雲国風土記』に「須佐社」と記載されている。『延喜式神名帳』に「須佐神社」と記載され、小社に列している。中世には「十三所大明神」「大宮大明神」、近世には「須佐大宮」と称した。
明治4年(1871年)に延喜式に記載される「須佐神社」に改称し、明治5年(1872年)に郷社に列格し、翌明治6年(1873年)に県社に、明治33年(1900年)に国幣小社に昇格した。
境内入り口鳥居
拝殿
幣殿
祭神
主祭神
須佐之男命
配祀神
稲田比売命 - 須佐之男命の妻
足摩槌命 - 稲田比売命の親
手摩槌命 - 稲田比売命の親・須佐家の祖神
交通
出雲市駅から一畑バス「出雲須佐行き」に乗車し、須佐バス停で下車。徒歩3 km。
車利用の場合、境内横に駐車場十数台分あり。
所在地 島根県出雲市佐田町須佐730
主祭神 須佐之男命
社格等 式内社(小)
旧国幣小社
別表神社
本殿の様式 大社造
別名 須佐大宮
札所等 出雲國神仏霊場18番
例祭 4月18日
主な神事 念仏踊り
地図
北緯35度14分4.9秒 東経132度44分12.7秒
2023年10月27日
観善寺(かんぜんじ)は、長崎県長崎市玉園町にある浄土真宗本願寺派の寺院
2023年10月26日
海龍王寺(かいりゅうおうじ)は、奈良県奈良市法華寺北町にある真言律宗の寺院
海龍王寺(かいりゅうおうじ)は、奈良県奈良市法華寺北町にある真言律宗の寺院。山号はなし。本尊は十一面観音。光明皇后の皇后宮(藤原不比等の邸宅跡)の北東隅に建てられたことから隅寺(すみでら)の別称がある。
本堂
歴史
海龍王寺は平城宮跡の東方、総国分尼寺として知られる法華寺の東北に隣接している。法華寺と海龍王寺のある一画は、かつては藤原不比等の邸宅であった。養老4年(720年)の不比等の死後、邸宅は娘の光明皇后が相続して皇后宮となり、天平17年(745年)にはこれが宮寺(のちの法華寺)となった。
海龍王寺は、『続日本紀』、正倉院文書などの奈良時代の記録では「隅寺」「隅院」「角寺」「角院」などと呼ばれている。正倉院文書では天平8年(736年)には「隅院」の存在が確認できる。「隅寺」とは、皇后宮(藤原不比等邸跡)の東北の隅にあったことから付けられた名称と言われている。「平城京の東北隅にあったため」と解説する資料が多いが、位置関係から見て妥当でない。
江戸時代には寺領が100石あったが明治時代に入ると没収され、神仏分離令のなかで東金堂も失われ、境内の荒廃も進み、長らく無住の時期が続いた。しかし、1953年(昭和28年)に住職が着任し、堂宇の修理、境内の整備が行われた。長らく奈良国立博物館に寄託されていた五重小塔も本来の安置場所である西金堂に戻された。
五重小塔
国宝。昭和二十六年六月九日、国宝十八号として指定。西金堂内に安置。相輪を含む総高4.01メートル(相輪を除く高さは2.85メートル)の小塔だが、工芸品ではなく「建造物」として国宝に指定されている。当初から屋内に安置されていたもの。木箱入り法華経2巻と垂木木口金物2個が国宝の附(つけたり)として指定されている。奈良市・元興寺(極楽坊)の五重小塔が内部構造も省略せず、屋外にある塔と同様に1つ1つの部材を組み上げて造られているのに対し、海龍王寺の小塔は箱状の構造物を積み上げ、組物などの細かい部材は外側から貼り付けたものである。しかし、様式的には元興寺小塔より古い8世紀前半頃のもので、細部様式が薬師寺の三重塔に類似しており、遺例の少ない奈良時代建築の様式を知るうえで重要である。
海龍王寺 五重小塔
アクセス
JR大和路線奈良駅・近鉄奈良駅より奈良交通バス(西大寺駅・航空自衛隊行き)「法華寺」下車すぐ
近鉄大和西大寺駅より奈良交通バス(JR奈良駅・白土町行き)「法華寺」下車すぐ
所在地 奈良県奈良市法華寺北町897
位置 北緯34度41分34.43秒 東経135度48分19.99秒
山号 なし
宗派 真言律宗
本尊 十一面観音(重要文化財)
創建年 伝・天平3年(731年)
開山 伝・玄ム
開基 光明皇后
別称 隅寺
札所等 大和北部八十八ヶ所霊場第19番
文化財 五重小塔(国宝)
西金堂、経蔵、木造文殊菩薩立像ほか(重要文化財)
絹本著色仏涅槃図(県指定有形文化財)
本堂
歴史
海龍王寺は平城宮跡の東方、総国分尼寺として知られる法華寺の東北に隣接している。法華寺と海龍王寺のある一画は、かつては藤原不比等の邸宅であった。養老4年(720年)の不比等の死後、邸宅は娘の光明皇后が相続して皇后宮となり、天平17年(745年)にはこれが宮寺(のちの法華寺)となった。
海龍王寺は、『続日本紀』、正倉院文書などの奈良時代の記録では「隅寺」「隅院」「角寺」「角院」などと呼ばれている。正倉院文書では天平8年(736年)には「隅院」の存在が確認できる。「隅寺」とは、皇后宮(藤原不比等邸跡)の東北の隅にあったことから付けられた名称と言われている。「平城京の東北隅にあったため」と解説する資料が多いが、位置関係から見て妥当でない。
江戸時代には寺領が100石あったが明治時代に入ると没収され、神仏分離令のなかで東金堂も失われ、境内の荒廃も進み、長らく無住の時期が続いた。しかし、1953年(昭和28年)に住職が着任し、堂宇の修理、境内の整備が行われた。長らく奈良国立博物館に寄託されていた五重小塔も本来の安置場所である西金堂に戻された。
五重小塔
国宝。昭和二十六年六月九日、国宝十八号として指定。西金堂内に安置。相輪を含む総高4.01メートル(相輪を除く高さは2.85メートル)の小塔だが、工芸品ではなく「建造物」として国宝に指定されている。当初から屋内に安置されていたもの。木箱入り法華経2巻と垂木木口金物2個が国宝の附(つけたり)として指定されている。奈良市・元興寺(極楽坊)の五重小塔が内部構造も省略せず、屋外にある塔と同様に1つ1つの部材を組み上げて造られているのに対し、海龍王寺の小塔は箱状の構造物を積み上げ、組物などの細かい部材は外側から貼り付けたものである。しかし、様式的には元興寺小塔より古い8世紀前半頃のもので、細部様式が薬師寺の三重塔に類似しており、遺例の少ない奈良時代建築の様式を知るうえで重要である。
海龍王寺 五重小塔
アクセス
JR大和路線奈良駅・近鉄奈良駅より奈良交通バス(西大寺駅・航空自衛隊行き)「法華寺」下車すぐ
近鉄大和西大寺駅より奈良交通バス(JR奈良駅・白土町行き)「法華寺」下車すぐ
所在地 奈良県奈良市法華寺北町897
位置 北緯34度41分34.43秒 東経135度48分19.99秒
山号 なし
宗派 真言律宗
本尊 十一面観音(重要文化財)
創建年 伝・天平3年(731年)
開山 伝・玄ム
開基 光明皇后
別称 隅寺
札所等 大和北部八十八ヶ所霊場第19番
文化財 五重小塔(国宝)
西金堂、経蔵、木造文殊菩薩立像ほか(重要文化財)
絹本著色仏涅槃図(県指定有形文化財)
2023年10月25日
御前埼灯台(おまえさきとうだい)は、静岡県御前崎市御前崎に立つ灯台
御前埼灯台(おまえさきとうだい)は、静岡県御前崎市御前崎に立つ灯台。日本の近代化産業遺産、日本の灯台50選に選ばれているほか、歴史的・文化的価値の高さから、Aランクの保存灯台に指定されている。なお地名は「御前崎(おまえざき)」だが、灯台名は「御前埼(おまえさき)」である。
概要
昔から遠州灘は航海の難所で、この沖の岩礁で座礁、難破する船も多かった。1635年(寛永12年)には江戸幕府により、御前崎に「見尾火燈明堂(みおびとうみょうどう)」が作られた。しかし1871年(明治4年)4月8日、江戸幕府が建造した軍艦が、岬の沖合のセイゴ根に座礁する事故が発生。洋式灯台の建設が急がれることとなった。
「灯台の父」と呼ばれる英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により1872年(明治5年)に起工、2年もの工期と2万5千円余り(当時の金額)の巨費を投じ、1874年(明治7年)5月1日に完成した。回転式の第1等フレネル式レンズ(フランス製)が日本で初めて使用された灯台でもある。
構造
白亜の塔形をしたレンガ造の大型灯台である。
付属施設として、無線方位信号所(レーマークビーコン)と御前埼灯台資料館が設置されている。
観光
一般公開されている参観灯台で、小学生以下は無料、中学生以上は300円の参観寄付金を支払うことで上まで登ることができ、灯台上からは太平洋を一望することが出来る。周辺は御前崎遠州灘県立自然公園に指定されている。
灯台周辺には御前崎グランドホテル、旅館潮見荘、民宿みつる、おまえざきユースホステルなどの宿泊施設がある。
交通
公共交通機関でアクセスする場合、静岡駅方面からは相良営業所まで、菊川駅方面からは浜岡営業所までしずてつジャストラインのバスで向かい、両営業所を発着する御前崎市の「自主運行バス」に乗り換え、御前崎海洋センターバス停で下車、徒歩5分。
2006年度末まではしずてつジャストラインにより、静岡駅から御前埼灯台行き直通バスが運行されていたが、廃止された。
航路標識番号
[国際標識番号] 2495[M6228]
位置 北緯34度35分45.0秒 東経138度13分32.6秒
所在地 静岡県御前崎市御前崎1581
塗色・構造 白色、塔形、レンガ造
レンズ 第3等大型フレネル式
灯質 Fl W 10s(単閃白光 毎10秒に1閃光)
実効光度 56万カンデラcd
光達距離 19.5海里(約36km)
明弧 221度から104度まで
塔高 22.47 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 54.00 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1874年(明治7年)5月1日
管轄 海上保安庁
第三管区海上保安本部
清水海上保安部
概要
昔から遠州灘は航海の難所で、この沖の岩礁で座礁、難破する船も多かった。1635年(寛永12年)には江戸幕府により、御前崎に「見尾火燈明堂(みおびとうみょうどう)」が作られた。しかし1871年(明治4年)4月8日、江戸幕府が建造した軍艦が、岬の沖合のセイゴ根に座礁する事故が発生。洋式灯台の建設が急がれることとなった。
「灯台の父」と呼ばれる英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により1872年(明治5年)に起工、2年もの工期と2万5千円余り(当時の金額)の巨費を投じ、1874年(明治7年)5月1日に完成した。回転式の第1等フレネル式レンズ(フランス製)が日本で初めて使用された灯台でもある。
構造
白亜の塔形をしたレンガ造の大型灯台である。
付属施設として、無線方位信号所(レーマークビーコン)と御前埼灯台資料館が設置されている。
観光
一般公開されている参観灯台で、小学生以下は無料、中学生以上は300円の参観寄付金を支払うことで上まで登ることができ、灯台上からは太平洋を一望することが出来る。周辺は御前崎遠州灘県立自然公園に指定されている。
灯台周辺には御前崎グランドホテル、旅館潮見荘、民宿みつる、おまえざきユースホステルなどの宿泊施設がある。
交通
公共交通機関でアクセスする場合、静岡駅方面からは相良営業所まで、菊川駅方面からは浜岡営業所までしずてつジャストラインのバスで向かい、両営業所を発着する御前崎市の「自主運行バス」に乗り換え、御前崎海洋センターバス停で下車、徒歩5分。
2006年度末まではしずてつジャストラインにより、静岡駅から御前埼灯台行き直通バスが運行されていたが、廃止された。
航路標識番号
[国際標識番号] 2495[M6228]
位置 北緯34度35分45.0秒 東経138度13分32.6秒
所在地 静岡県御前崎市御前崎1581
塗色・構造 白色、塔形、レンガ造
レンズ 第3等大型フレネル式
灯質 Fl W 10s(単閃白光 毎10秒に1閃光)
実効光度 56万カンデラcd
光達距離 19.5海里(約36km)
明弧 221度から104度まで
塔高 22.47 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 54.00 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1874年(明治7年)5月1日
管轄 海上保安庁
第三管区海上保安本部
清水海上保安部
2023年10月24日
常楽寺(じょうらくじ)は、滋賀県湖南市西寺にある天台宗系単立の寺院
常楽寺(じょうらくじ)は、滋賀県湖南市西寺にある天台宗系単立の寺院。山号は阿星山(あぼしさん)。本尊は千手観音。
同じ湖南市に所在する長寿寺の「東寺(ひがしでら)」に対して、「西寺(にしでら)」と呼ばれている。長寿寺、善水寺とともに湖南三山の1つに数えられる。1月中旬には祭事の鬼ばしりが行われる。近江西国三十三箇所観音霊場第1番札所。
歴史
創建の時期および事情については、史料が乏しく定かでない。寺伝では、和銅年間(708年 - 715年)に元明天皇の勅願により良弁によって創建されたとする。また長寿寺同様に紫香楽宮の鬼門を封じていたともいう。
延暦年間(782年 - 806年)に天台宗に改められ、平安時代から鎌倉時代にかけては長寿寺とともに歴代天皇の尊崇が厚く、阿星山五千坊と呼ばれるほどの天台仏教園を形成した。
延文5年(1360年)に火災によって伽藍が全焼するが、同年のうちに観慶らによって再興される。
元亀2年(1571年)6月から9月にかけて織田信長に反抗して野洲郡金森(現・守山市)に一向一揆勢が集結した際には、信長配下の佐久間信盛が当寺に本陣を置いた。また、常楽寺にあった宝徳4年(1452年)に建てられた仁王門は、豊臣秀吉により伏見城へ移築され、次いで慶長6年(1601年)に徳川家康によって園城寺(三井寺)へ再び移築され、園城寺の大門(重要文化財)となっている。
明治時代の神仏分離によって当寺の鎮守社であった三聖神社が独立している。
2022年(令和4年)に天台宗より離脱し、単立寺院となる。
文化財
国宝
本堂 附:厨子 1基
三重塔 附:丸瓦及び平瓦 各1個
アクセス
公共交通機関
JR草津線石部駅より湖南市コミュニティバスで西寺停留所下車、徒歩4分。
自動車
名神高速道路栗東ICより約15分。
駐車場
普通車30台、大型車5台
拝観情報
開門時間 - 10時から16時(閉門30分前に受付終了。秋の特別公開時は9時から開門)
拝観料 - 大人600円 高校生・中学生300円(小学生以下は無料)
(※秋の特別公開時以外は事前予約が必要)
所在地 滋賀県湖南市西寺6丁目5-1
位置 北緯34度59分24.45秒 東経136度2分54.84秒
山号 阿星山(あぼしさん)
宗旨 天台宗
宗派 単立
本尊 千手観音(秘仏、重要文化財)
創建年 伝・和銅年間(708年 - 715年)
開山 伝・良弁
開基 伝・元明天皇(勅願)
正式名 阿星山常楽寺
別称 西寺(にしでら)
札所等 近江西国三十三観音霊場第1番
びわ湖百八霊場第95番
湖南三山
文化財 本堂、三重塔(国宝)
絹本著色浄土曼荼羅図、絹本著色仏涅槃図、木造釈迦如来坐像ほか(重要文化財)
公式サイト 常楽寺公式ホームページ
同じ湖南市に所在する長寿寺の「東寺(ひがしでら)」に対して、「西寺(にしでら)」と呼ばれている。長寿寺、善水寺とともに湖南三山の1つに数えられる。1月中旬には祭事の鬼ばしりが行われる。近江西国三十三箇所観音霊場第1番札所。
歴史
創建の時期および事情については、史料が乏しく定かでない。寺伝では、和銅年間(708年 - 715年)に元明天皇の勅願により良弁によって創建されたとする。また長寿寺同様に紫香楽宮の鬼門を封じていたともいう。
延暦年間(782年 - 806年)に天台宗に改められ、平安時代から鎌倉時代にかけては長寿寺とともに歴代天皇の尊崇が厚く、阿星山五千坊と呼ばれるほどの天台仏教園を形成した。
延文5年(1360年)に火災によって伽藍が全焼するが、同年のうちに観慶らによって再興される。
元亀2年(1571年)6月から9月にかけて織田信長に反抗して野洲郡金森(現・守山市)に一向一揆勢が集結した際には、信長配下の佐久間信盛が当寺に本陣を置いた。また、常楽寺にあった宝徳4年(1452年)に建てられた仁王門は、豊臣秀吉により伏見城へ移築され、次いで慶長6年(1601年)に徳川家康によって園城寺(三井寺)へ再び移築され、園城寺の大門(重要文化財)となっている。
明治時代の神仏分離によって当寺の鎮守社であった三聖神社が独立している。
2022年(令和4年)に天台宗より離脱し、単立寺院となる。
文化財
国宝
本堂 附:厨子 1基
三重塔 附:丸瓦及び平瓦 各1個
アクセス
公共交通機関
JR草津線石部駅より湖南市コミュニティバスで西寺停留所下車、徒歩4分。
自動車
名神高速道路栗東ICより約15分。
駐車場
普通車30台、大型車5台
拝観情報
開門時間 - 10時から16時(閉門30分前に受付終了。秋の特別公開時は9時から開門)
拝観料 - 大人600円 高校生・中学生300円(小学生以下は無料)
(※秋の特別公開時以外は事前予約が必要)
所在地 滋賀県湖南市西寺6丁目5-1
位置 北緯34度59分24.45秒 東経136度2分54.84秒
山号 阿星山(あぼしさん)
宗旨 天台宗
宗派 単立
本尊 千手観音(秘仏、重要文化財)
創建年 伝・和銅年間(708年 - 715年)
開山 伝・良弁
開基 伝・元明天皇(勅願)
正式名 阿星山常楽寺
別称 西寺(にしでら)
札所等 近江西国三十三観音霊場第1番
びわ湖百八霊場第95番
湖南三山
文化財 本堂、三重塔(国宝)
絹本著色浄土曼荼羅図、絹本著色仏涅槃図、木造釈迦如来坐像ほか(重要文化財)
公式サイト 常楽寺公式ホームページ
2023年10月23日
田島神社(たしまじんじゃ)は、佐賀県唐津市呼子町(旧肥前国松浦郡呼子)の加部島にある神社
田島神社(たしまじんじゃ)は、佐賀県唐津市呼子町(旧肥前国松浦郡呼子)の加部島にある神社。地域は魏志倭人伝の中で倭国本土の最初の地として登場する末盧国にあたる。大陸への最も安全な渡海ルートの要所であり、上代以来中央政府の重用を受けてきた。古代においては「田島坐神社(たじまにゐますかみのやしろ)」として記録されている。肥前国唯一の名神大社で、肥前国一之宮と見られた時代もあった。明治時代の改新による旧社格は国幣中社。現在は神社本庁の別表神社。社紋は「桜紋」。山上憶良が歌に詠んだ松浦佐用姫ゆかりの神社。
祭神
祭神は次の5柱。主祭神の3柱は宗像大社祭神の宗像三女神に同じ姫神。宇佐神宮や久留米周辺、天山、背振山にも祀られるなど、有史以前からの北部九州土着の神とされる。田島神社では「田島三神」と総称し、中でも田心姫尊を中尊としている。
主祭神
田心姫尊
市杵島姫尊
湍津姫尊
配祀神
大山祇神
稚武王尊 - 日本武尊の子、仲哀天皇の弟。
文化財
重要文化財(国指定)
太刀 銘 備中国住人吉次(工芸品) - 鎌倉時代の作。1920年(大正9年)4月15日指定。
佐賀県指定文化財
天然記念物
加部島暖地性植物群落 - 田島神社社林を含む加部島一帯で指定。1974年(昭和49年)2月25日指定。
所在地 佐賀県唐津市呼子町加部島3965
位置 北緯33度33分21.0秒 東経129度53分26.0秒
主祭神 田心姫尊
市杵島姫尊
湍津姫尊
社格等 式内社(名神大)
旧国幣中社
別表神社
祭神
祭神は次の5柱。主祭神の3柱は宗像大社祭神の宗像三女神に同じ姫神。宇佐神宮や久留米周辺、天山、背振山にも祀られるなど、有史以前からの北部九州土着の神とされる。田島神社では「田島三神」と総称し、中でも田心姫尊を中尊としている。
主祭神
田心姫尊
市杵島姫尊
湍津姫尊
配祀神
大山祇神
稚武王尊 - 日本武尊の子、仲哀天皇の弟。
文化財
重要文化財(国指定)
太刀 銘 備中国住人吉次(工芸品) - 鎌倉時代の作。1920年(大正9年)4月15日指定。
佐賀県指定文化財
天然記念物
加部島暖地性植物群落 - 田島神社社林を含む加部島一帯で指定。1974年(昭和49年)2月25日指定。
所在地 佐賀県唐津市呼子町加部島3965
位置 北緯33度33分21.0秒 東経129度53分26.0秒
主祭神 田心姫尊
市杵島姫尊
湍津姫尊
社格等 式内社(名神大)
旧国幣中社
別表神社