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2023年11月07日
西蓮寺(さいれんじ)は、茨城県行方市西蓮寺にある天台宗の寺院
西蓮寺(さいれんじ)は、茨城県行方市西蓮寺にある天台宗の寺院。山号は尸羅度山。院号は曼珠院。本尊は薬師如来。俗に常陸の高野山ともいわれる。山門(仁王門)と相輪橖は国の重要文化財、木造薬師如来坐像は茨城県指定有形文化財である。また、境内の面積は1万6000平方メートルあり、県指定天然記念物である樹齢1000年以上といわれる2本の大イチョウのほか、サクラ・スギ・シイの巨木が茂っている。

西蓮寺の仁王門(山門)
歴史
この寺は、782年(延暦元年)に桓武天皇の勅願により天台宗の僧で最澄の弟子である最仙によって創建されたと伝えられ、中世から近世にかけて、末寺30余カ寺を有して寺運は興隆し天台宗の中心的な寺院のひとつとなった。鎌倉時代中期、比叡山の無動寺から慶弁阿闍梨が来て七堂伽藍を造営し、京都の曼殊院の門跡忠尋大僧正が、乱を逃れてこの西蓮寺に来てとどまり、曼殊院の額を山門に掲げたと伝えられる。境内に建つ相輪橖は日本三相輪橖のひとつで、慶弁が元寇の役で勝利したことを記念して、信者の浄財によって建立したと伝えられている。江戸時代には江戸幕府から朱印状を与えられていた。1883年(明治16年)の火災により、本堂・薬師堂などを焼失したが、山門(1543年(天文12年)建立)と相輪橖(1287年(弘安10年)建立)は焼失を免れた。現在の本堂・常行堂・鐘楼・客殿などは、火災後の再建によるものである。

西蓮寺(茨城県行方市)の相輪橖(そうりんとう)

西蓮寺の薬師堂(茨城県行方市)
所在地 茨城県行方市西蓮寺504
位置 北緯36度4分18.3秒 東経140度26分20.9秒
山号 尸羅度山
宗旨 天台宗
本尊 薬師如来
札所等 関東地蔵霊場65番札所、関東薬師霊場78番札所、常陸七福神(寿老人)

西蓮寺の仁王門(山門)
歴史
この寺は、782年(延暦元年)に桓武天皇の勅願により天台宗の僧で最澄の弟子である最仙によって創建されたと伝えられ、中世から近世にかけて、末寺30余カ寺を有して寺運は興隆し天台宗の中心的な寺院のひとつとなった。鎌倉時代中期、比叡山の無動寺から慶弁阿闍梨が来て七堂伽藍を造営し、京都の曼殊院の門跡忠尋大僧正が、乱を逃れてこの西蓮寺に来てとどまり、曼殊院の額を山門に掲げたと伝えられる。境内に建つ相輪橖は日本三相輪橖のひとつで、慶弁が元寇の役で勝利したことを記念して、信者の浄財によって建立したと伝えられている。江戸時代には江戸幕府から朱印状を与えられていた。1883年(明治16年)の火災により、本堂・薬師堂などを焼失したが、山門(1543年(天文12年)建立)と相輪橖(1287年(弘安10年)建立)は焼失を免れた。現在の本堂・常行堂・鐘楼・客殿などは、火災後の再建によるものである。

西蓮寺(茨城県行方市)の相輪橖(そうりんとう)

西蓮寺の薬師堂(茨城県行方市)
所在地 茨城県行方市西蓮寺504
位置 北緯36度4分18.3秒 東経140度26分20.9秒
山号 尸羅度山
宗旨 天台宗
本尊 薬師如来
札所等 関東地蔵霊場65番札所、関東薬師霊場78番札所、常陸七福神(寿老人)
2023年11月06日
大円寺(だいえんじ)は、青森県南津軽郡大鰐町の大鰐温泉郷にある高野山真言宗の寺院
大円寺(だいえんじ)は、青森県南津軽郡大鰐町の大鰐温泉郷にある高野山真言宗の寺院である。通称は「大鰐の大日様」。

歴史
寺伝によると、本尊の大日如来は奈良時代に阿闍羅山の大安国寺に安置されたとされる。大安国寺は当地でオオアネと読まれ、地名「大鰐」の起源ともいわれている。
のちに大安国寺は衰退し、本尊の大日如来は鎌倉時代建久2年(1191年)に阿闍羅山千坊と称された神岡山の高伯寺に移された。
その後、江戸時代慶安3年(1650年)、津軽藩三代藩主津軽信義により高伯寺と本尊大日如来は現在地に移され、以来江戸時代末まで津軽藩主家の庇護を受けることになる。
明治4年、神仏分離の際、弘前市から大円寺が移り、寺号を高伯寺から大円寺に改め、現在に至る。
文化財
重要文化財(国指定)
木造阿弥陀如来坐像 - 像高233cm、鎌倉時代。寺伝大日如来坐像。大正9年(1920年)に当時の古社寺保存法に基づき国宝(旧国宝、現行法の重要文化財に相当)に指定。

御詠歌
大聖の 慈悲にすがりて 阿闍羅山 昔も今も めざす大日
交通アクセス
JR奥羽本線・弘南鉄道大鰐線 大鰐温泉駅 徒歩10分
所在地 青森県南津軽郡大鰐町蔵館字村岡12
位置 北緯40度31分18.5秒 東経140度34分21.8秒
山号 神岡山(じんごうざん)
宗旨 古義真言宗
宗派 高野山真言宗
本尊 大日如来、不動明王
正式名 神岡山大圓寺
別称 大鰐の大日様、除不動尊
札所等 東北三十六不動尊霊場第十四番札所
文化財 木造阿弥陀如来坐像(重要文化財)

歴史
寺伝によると、本尊の大日如来は奈良時代に阿闍羅山の大安国寺に安置されたとされる。大安国寺は当地でオオアネと読まれ、地名「大鰐」の起源ともいわれている。
のちに大安国寺は衰退し、本尊の大日如来は鎌倉時代建久2年(1191年)に阿闍羅山千坊と称された神岡山の高伯寺に移された。
その後、江戸時代慶安3年(1650年)、津軽藩三代藩主津軽信義により高伯寺と本尊大日如来は現在地に移され、以来江戸時代末まで津軽藩主家の庇護を受けることになる。
明治4年、神仏分離の際、弘前市から大円寺が移り、寺号を高伯寺から大円寺に改め、現在に至る。
文化財
重要文化財(国指定)
木造阿弥陀如来坐像 - 像高233cm、鎌倉時代。寺伝大日如来坐像。大正9年(1920年)に当時の古社寺保存法に基づき国宝(旧国宝、現行法の重要文化財に相当)に指定。

御詠歌
大聖の 慈悲にすがりて 阿闍羅山 昔も今も めざす大日
交通アクセス
JR奥羽本線・弘南鉄道大鰐線 大鰐温泉駅 徒歩10分
所在地 青森県南津軽郡大鰐町蔵館字村岡12
位置 北緯40度31分18.5秒 東経140度34分21.8秒
山号 神岡山(じんごうざん)
宗旨 古義真言宗
宗派 高野山真言宗
本尊 大日如来、不動明王
正式名 神岡山大圓寺
別称 大鰐の大日様、除不動尊
札所等 東北三十六不動尊霊場第十四番札所
文化財 木造阿弥陀如来坐像(重要文化財)
2023年11月05日
土田家住宅(つちだけじゅうたく)は、秋田県由利本荘市矢島町にある古民家
土田家住宅(つちだけじゅうたく)は、秋田県由利本荘市矢島町にある古民家。江戸時代、17世紀に建てられた当時の農家の住宅(民家)である。1973年(昭和48年)2月23日に国の重要文化財(建造物)に指定された。

概要
土田家は木曽義仲の臣、根井行親を祖とすると伝える旧家である。本住宅の建築年代は不明だが、延宝6年(1678年)に没した初代が建てたと伝わり、構造技法からも17世紀の建築とみられる。後世の民家のように差物(せいの高い鴨居)を用いず、クリ材の柱が一間ごとに立つ。
東側に山一つ隔てた羽後町に、形式の似た鈴木家住宅がある。土田家住宅は、鈴木家住宅と共に秋田県下の民家では最古の部類に属する貴重な遺例である。
茅葺屋根の主屋は江戸時代、17世紀後半の建物で、昭和59年7月から1年半にわたり解体修理が行われ、当初の古材を再用し、17世紀後半頃に近い姿に復元された。

構造形式
桁行19.7m、梁間10.6m / 中門 桁行1.7m、梁間6.6m
寄棟造、茅葺
住宅は正面向かって右手約3分の1を土間、残り3分の2を床上部とする。床上部は整形四間取りで、土間寄りの正面側をチャノマ、裏をウチザ、上手の正面側をシモザシキ、裏をカミザシキとする。
解体修理の結果、シモザシキの手前には座敷中門が突出していたことが判明した。座敷中門は3間の長さに突出していたが、復元のために資料が少ないため、1間分の形式復元にとどめられている。秋田県地方では、江戸時代後期には本屋から馬屋中門と座敷中門を突出させた両中門造の民家が建てられたが、土田家住宅は座敷中門のみを有する稀有な例である。馬屋中門の発生以前に、座敷中門のみを有する形式が先行していたことが判明した点で、本住宅は学術的に貴重なものである。

見学情報
見学
毎週 火、木、日曜日午前9時〜午後4時
見学料/ 高校生以上・・・200円
アクセス
鉄道 由利高原鉄道矢島駅下車 徒歩20分(タクシー5分)
バス 羽後交通 本荘〜笹子線 新町交差点下車徒歩10分
自家用車 由利本荘市内より30分

所在地 秋田県由利本荘市矢島町元町字相庭館9番地
位置 北緯39度13分25秒 東経140度8分54秒
類型 農家家屋
形式・構造 寄棟造、茅葺
延床面積 桁行19.7m、梁間10.6m[1]
建築年 17世紀
文化財 国の重要文化財

概要
土田家は木曽義仲の臣、根井行親を祖とすると伝える旧家である。本住宅の建築年代は不明だが、延宝6年(1678年)に没した初代が建てたと伝わり、構造技法からも17世紀の建築とみられる。後世の民家のように差物(せいの高い鴨居)を用いず、クリ材の柱が一間ごとに立つ。
東側に山一つ隔てた羽後町に、形式の似た鈴木家住宅がある。土田家住宅は、鈴木家住宅と共に秋田県下の民家では最古の部類に属する貴重な遺例である。
茅葺屋根の主屋は江戸時代、17世紀後半の建物で、昭和59年7月から1年半にわたり解体修理が行われ、当初の古材を再用し、17世紀後半頃に近い姿に復元された。

構造形式
桁行19.7m、梁間10.6m / 中門 桁行1.7m、梁間6.6m
寄棟造、茅葺
住宅は正面向かって右手約3分の1を土間、残り3分の2を床上部とする。床上部は整形四間取りで、土間寄りの正面側をチャノマ、裏をウチザ、上手の正面側をシモザシキ、裏をカミザシキとする。
解体修理の結果、シモザシキの手前には座敷中門が突出していたことが判明した。座敷中門は3間の長さに突出していたが、復元のために資料が少ないため、1間分の形式復元にとどめられている。秋田県地方では、江戸時代後期には本屋から馬屋中門と座敷中門を突出させた両中門造の民家が建てられたが、土田家住宅は座敷中門のみを有する稀有な例である。馬屋中門の発生以前に、座敷中門のみを有する形式が先行していたことが判明した点で、本住宅は学術的に貴重なものである。

見学情報
見学
毎週 火、木、日曜日午前9時〜午後4時
見学料/ 高校生以上・・・200円
アクセス
鉄道 由利高原鉄道矢島駅下車 徒歩20分(タクシー5分)
バス 羽後交通 本荘〜笹子線 新町交差点下車徒歩10分
自家用車 由利本荘市内より30分

所在地 秋田県由利本荘市矢島町元町字相庭館9番地
位置 北緯39度13分25秒 東経140度8分54秒
類型 農家家屋
形式・構造 寄棟造、茅葺
延床面積 桁行19.7m、梁間10.6m[1]
建築年 17世紀
文化財 国の重要文化財
2023年11月04日
阿岸本誓寺(あぎしほんしょうじ)は石川県輪島市門前町にある浄土真宗大谷派の寺院
阿岸本誓寺(あぎしほんしょうじ)は石川県輪島市門前町にある浄土真宗大谷派の寺院である。

阿岸本誓寺(石川県輪島市)山門。
沿革
創建年は不明だが、古くは真言宗松岡寺であった。文永5年(1268年)、善了法師が如信上人(親鸞の孫、本願寺第2世)に帰依したことで正式に真宗に改宗し「阿岸本誓寺」に改称した。
永享8年(1436年)に本願寺7世存如上人が、聖人影像に裏書を覚える。
慶長15年(1610年)に加賀藩前田家の庇護のもと鳳至郡106ヶ寺を統轄する「触頭」となった。能登真宗教団最有力寺院として位置付ける。
天保10年(1839年)に関白左大臣二条治孝公息女五百姫(いほひめ)、本誓寺24世に入嫁する
嘉永3年(1850年)に二条家の位牌所となる。
エピソード
室町時代には能登地方での一向一揆の拠点となった。
15世紀中ごろは大陸文化の玄関口であった能登の要所になり、織田信長が出陣した石山合戦では、能登門徒と本願寺の中継基地の機能を果たすようになり、能登における真宗の拠点として行った。
現在の本堂・山門・鐘楼・鼓楼は越後から招いた棟梁と約1万人の大工により13年に及ぶ大がかりで、完成したのは寛政4年(1792年)だった。
同本堂は岩手県の正法寺本堂・山形県の出羽三山神社三神合祭殿と並んで「日本3大茅葺き屋根」の一つである。

阿岸本誓寺(石川県輪島市)。茅葺屋根の本堂。県指定有形文化財。
所在地 石川県輪島市門前町南カ26
位置 北緯37度15分14.3秒 東経136度43分52.7秒
山号 新巻山
宗旨 浄土真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
開山 1268年以前
正式名 真宗大谷派新巻山本誓寺
文化財 本堂、阿岸本誓寺文書 石川県指定文化財
阿岸小菊桜 石川県指定天然記念物

阿岸本誓寺(石川県輪島市)山門。
沿革
創建年は不明だが、古くは真言宗松岡寺であった。文永5年(1268年)、善了法師が如信上人(親鸞の孫、本願寺第2世)に帰依したことで正式に真宗に改宗し「阿岸本誓寺」に改称した。
永享8年(1436年)に本願寺7世存如上人が、聖人影像に裏書を覚える。
慶長15年(1610年)に加賀藩前田家の庇護のもと鳳至郡106ヶ寺を統轄する「触頭」となった。能登真宗教団最有力寺院として位置付ける。
天保10年(1839年)に関白左大臣二条治孝公息女五百姫(いほひめ)、本誓寺24世に入嫁する
嘉永3年(1850年)に二条家の位牌所となる。
エピソード
室町時代には能登地方での一向一揆の拠点となった。
15世紀中ごろは大陸文化の玄関口であった能登の要所になり、織田信長が出陣した石山合戦では、能登門徒と本願寺の中継基地の機能を果たすようになり、能登における真宗の拠点として行った。
現在の本堂・山門・鐘楼・鼓楼は越後から招いた棟梁と約1万人の大工により13年に及ぶ大がかりで、完成したのは寛政4年(1792年)だった。
同本堂は岩手県の正法寺本堂・山形県の出羽三山神社三神合祭殿と並んで「日本3大茅葺き屋根」の一つである。

阿岸本誓寺(石川県輪島市)。茅葺屋根の本堂。県指定有形文化財。
所在地 石川県輪島市門前町南カ26
位置 北緯37度15分14.3秒 東経136度43分52.7秒
山号 新巻山
宗旨 浄土真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
開山 1268年以前
正式名 真宗大谷派新巻山本誓寺
文化財 本堂、阿岸本誓寺文書 石川県指定文化財
阿岸小菊桜 石川県指定天然記念物
2023年11月03日
池田八幡神社(いけだはちまんじんじゃ)は、長野県北安曇郡池田町に鎮座する神社
池田八幡神社(いけだはちまんじんじゃ)は、長野県北安曇郡池田町に鎮座する神社である。

歴史
池田町区(池田宿)の産土神である。天正年間に山城国石清水八幡宮(男山八幡宮)から勧請されたとされている。現在の八幡神社は、池田二丁目にかつてあった九頭龍社(くずりゅうしゃ)を合祀した後、明治41年11月13日の神社合併令により同一丁目にあった十二神社(じゅうにじんじゃ)を合祀している。 昭和21年以前は八幡社と称していたが、同年2月に勅命第70号が発令され、宗教法人となった。その際社名も八幡神社と改められた。

主祭神
八幡神社の誉田別命(ほんだわけのみこと)、十二神社の埴安比売命(はにやすひめのみこと)、九頭龍社の九頭龍神の3柱である。
境内
本社殿と相殿として十二社社殿がある。
また、池田学問所の初代師匠である杉山巣雲の寿碑(頼山陽揮毫)や、毎年9月23日の例大祭において町内で曳き廻わす8台の舞台を格納する倉庫、そして奉納相撲のための土俵(2021年3月2日未明の強風で倒壊したが、同年9月に屋根を支える柱を鉄骨に強化して再建)がある。
アクセス
所在地: 〒399-8601 長野県北安曇郡池田町池田3204
JR東日本大糸線北細野駅から 車で5分
JR東日本篠ノ井線明科駅から 車で17分

歴史
池田町区(池田宿)の産土神である。天正年間に山城国石清水八幡宮(男山八幡宮)から勧請されたとされている。現在の八幡神社は、池田二丁目にかつてあった九頭龍社(くずりゅうしゃ)を合祀した後、明治41年11月13日の神社合併令により同一丁目にあった十二神社(じゅうにじんじゃ)を合祀している。 昭和21年以前は八幡社と称していたが、同年2月に勅命第70号が発令され、宗教法人となった。その際社名も八幡神社と改められた。

主祭神
八幡神社の誉田別命(ほんだわけのみこと)、十二神社の埴安比売命(はにやすひめのみこと)、九頭龍社の九頭龍神の3柱である。
境内
本社殿と相殿として十二社社殿がある。
また、池田学問所の初代師匠である杉山巣雲の寿碑(頼山陽揮毫)や、毎年9月23日の例大祭において町内で曳き廻わす8台の舞台を格納する倉庫、そして奉納相撲のための土俵(2021年3月2日未明の強風で倒壊したが、同年9月に屋根を支える柱を鉄骨に強化して再建)がある。
アクセス
所在地: 〒399-8601 長野県北安曇郡池田町池田3204
JR東日本大糸線北細野駅から 車で5分
JR東日本篠ノ井線明科駅から 車で17分
2023年11月02日
常楽寺(じょうらくじ)は、富山県富山市婦中町千里にある高野山真言宗の寺院
常楽寺(じょうらくじ)は、富山県富山市婦中町千里にある高野山真言宗の寺院。山号は法界山(ほっかいさん)。本尊は大日如来 。

本堂
歴史
大宝2年(702年)の創建と伝え、仁寿2年(852年) 円仁が来訪して、寺号を常楽寺とし、二重塔を建立し、千体地蔵を安置したという。
室町時代末期 長尾景虎(上杉謙信)の兵乱で伽藍が焼失。しかし、宿坊であった末寺に避難した菩薩像が百姓の仁蔵に「我々を常楽寺に還してくれ」と夢告し、村を挙げて白布を敷き送って再建したと伝えられる。寛永年間(1624 - 1644年)、富山藩によって再興された。
文化財
重要文化財
木造聖観音菩薩立像 - 平安時代中期の作。大正15年(1926年)に重要文化財(当時の国宝)に指定。
木造十一面観音菩薩立像 - 平安時代中期の作。大正15年(1926年)に重要文化財(当時の国宝)に指定。
交通アクセス
JR千里駅から車で5分
所在地 富山県富山市婦中町千里6522
位置 北緯36度37分49.1秒 東経137度6分58.6秒
山号 法界山
宗旨 高野山真言宗
本尊 大日如来
札所等 北陸三十三ヵ所観音霊場 第29番
文化財 木造聖観音菩薩立像、木造十一面観音菩薩立像(重要文化財)

本堂
歴史
大宝2年(702年)の創建と伝え、仁寿2年(852年) 円仁が来訪して、寺号を常楽寺とし、二重塔を建立し、千体地蔵を安置したという。
室町時代末期 長尾景虎(上杉謙信)の兵乱で伽藍が焼失。しかし、宿坊であった末寺に避難した菩薩像が百姓の仁蔵に「我々を常楽寺に還してくれ」と夢告し、村を挙げて白布を敷き送って再建したと伝えられる。寛永年間(1624 - 1644年)、富山藩によって再興された。
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文化財
重要文化財
木造聖観音菩薩立像 - 平安時代中期の作。大正15年(1926年)に重要文化財(当時の国宝)に指定。
木造十一面観音菩薩立像 - 平安時代中期の作。大正15年(1926年)に重要文化財(当時の国宝)に指定。
交通アクセス
JR千里駅から車で5分
所在地 富山県富山市婦中町千里6522
位置 北緯36度37分49.1秒 東経137度6分58.6秒
山号 法界山
宗旨 高野山真言宗
本尊 大日如来
札所等 北陸三十三ヵ所観音霊場 第29番
文化財 木造聖観音菩薩立像、木造十一面観音菩薩立像(重要文化財)
2023年11月01日
三佛寺(さんぶつじ)は、鳥取県東伯郡三朝町にある天台宗の仏教寺院
三佛寺(さんぶつじ)は、鳥取県東伯郡三朝町にある天台宗の仏教寺院。山号は三徳山(みとくさん)。国宝投入堂を有する。

三仏寺 本堂
概要
開山は慶雲3年(706年)に役行者が修験道の行場として開いたとされ、その後、慈覚大師円仁により嘉祥2年(849年)に本尊釈迦如来・阿弥陀如来・大日如来の三仏が安置されたとされる。
鳥取県のほぼ中央に位置する三徳山(標高900m)に境内を持ち、古くは山全体を境内としていた山岳寺院である。中腹の標高470mにある投入堂(なげいれどう)の通称で広く知られる奥院の建物は、垂直に切り立った絶壁の窪みに建てられた他に類を見ない建築物で、国宝に指定されている。また、三徳山は昭和9年(1934年)7月7日に国の史跡及び名勝に指定された。
2015年4月24日には日本遺産の最初の18件の一つとして「六根清浄と六感治癒の地〜日本一危ない国宝鑑賞と世界屈指のラドン泉〜 」のタイトルで認定された。

境内
境内は、石段など一般的な参道によりアクセス可能な山下区域と、滑落事故の前歴を有する険しい一本の登山道(行者道)によってのみアクセス可能な山上区域とに実質分かれている。
山下区域
宿坊:皆成院(かいじょういん)・正善院(しょうぜんいん)・輪光院(りんこういん)
宝物殿:投入堂に安置されていた蔵王権現像などを展示。
本堂【県保護文化財】:本尊は秘仏の阿弥陀如来立像
宿入橋(しくいりばし)
山上区域
役行者石像
野際稲荷(十一面観音堂)祠【県保護文化財】
文殊堂【重要文化財】:懸造で中にははいれないが、手摺の無い縁台を周回できる(脱履物で右回り)。
地蔵堂【重要文化財】:上記堂より少し小さいが、同様。
鐘楼【県保護文化財】
納経堂(祠)【重要文化財】
観音堂【県保護文化財】
元結掛堂(もとゆいかけどう)祠【県保護文化財】
不動堂(祠)【県保護文化財】
投入堂・愛染堂【国宝】
山上区域への進入は「8時から15時まで」とされており、当該時間帯以外はもちろんのこと、冬季(12月〜翌年3月)および荒天時には進入禁止となる。
駐車場:約400m東に離れた県道21号脇に無料大駐車場あり。

皆成院

正善院

文殊堂
交通アクセス
JR山陰本線 倉吉駅からバス「上吉原」方面行きで40分、「三徳山寺前」下車
拝観は有料(冬季は登山はできない。4月1日の法要を経て登山可能となる)。
所在地 鳥取県東伯郡三朝町三徳1010
位置 北緯35度23分57.5秒 東経133度57分20.7秒
山号 三徳山(みとくさん)
宗派 天台宗
本尊 釈迦如来
阿弥陀如来
大日如来
創建年 (伝)嘉祥2年(849年)
開山 役行者
開基 (伝)慈覚大師
正式名 三徳山 三佛寺
札所等 中国三十三観音霊場第31番(三佛寺)
伯耆観音霊場第29番(三佛寺)
百八観音霊場第36番(三佛寺)
中国四十九薬師第43番(皆成院)
文化財 奥院投入堂(国宝)
文殊堂、地蔵堂、納経堂ほか(重要文化財)
三徳山(史跡・名勝)

三仏寺 本堂
概要
開山は慶雲3年(706年)に役行者が修験道の行場として開いたとされ、その後、慈覚大師円仁により嘉祥2年(849年)に本尊釈迦如来・阿弥陀如来・大日如来の三仏が安置されたとされる。
鳥取県のほぼ中央に位置する三徳山(標高900m)に境内を持ち、古くは山全体を境内としていた山岳寺院である。中腹の標高470mにある投入堂(なげいれどう)の通称で広く知られる奥院の建物は、垂直に切り立った絶壁の窪みに建てられた他に類を見ない建築物で、国宝に指定されている。また、三徳山は昭和9年(1934年)7月7日に国の史跡及び名勝に指定された。
2015年4月24日には日本遺産の最初の18件の一つとして「六根清浄と六感治癒の地〜日本一危ない国宝鑑賞と世界屈指のラドン泉〜 」のタイトルで認定された。

境内
境内は、石段など一般的な参道によりアクセス可能な山下区域と、滑落事故の前歴を有する険しい一本の登山道(行者道)によってのみアクセス可能な山上区域とに実質分かれている。
山下区域
宿坊:皆成院(かいじょういん)・正善院(しょうぜんいん)・輪光院(りんこういん)
宝物殿:投入堂に安置されていた蔵王権現像などを展示。
本堂【県保護文化財】:本尊は秘仏の阿弥陀如来立像
宿入橋(しくいりばし)
山上区域
役行者石像
野際稲荷(十一面観音堂)祠【県保護文化財】
文殊堂【重要文化財】:懸造で中にははいれないが、手摺の無い縁台を周回できる(脱履物で右回り)。
地蔵堂【重要文化財】:上記堂より少し小さいが、同様。
鐘楼【県保護文化財】
納経堂(祠)【重要文化財】
観音堂【県保護文化財】
元結掛堂(もとゆいかけどう)祠【県保護文化財】
不動堂(祠)【県保護文化財】
投入堂・愛染堂【国宝】
山上区域への進入は「8時から15時まで」とされており、当該時間帯以外はもちろんのこと、冬季(12月〜翌年3月)および荒天時には進入禁止となる。
駐車場:約400m東に離れた県道21号脇に無料大駐車場あり。
皆成院
正善院

文殊堂
交通アクセス
JR山陰本線 倉吉駅からバス「上吉原」方面行きで40分、「三徳山寺前」下車
拝観は有料(冬季は登山はできない。4月1日の法要を経て登山可能となる)。
所在地 鳥取県東伯郡三朝町三徳1010
位置 北緯35度23分57.5秒 東経133度57分20.7秒
山号 三徳山(みとくさん)
宗派 天台宗
本尊 釈迦如来
阿弥陀如来
大日如来
創建年 (伝)嘉祥2年(849年)
開山 役行者
開基 (伝)慈覚大師
正式名 三徳山 三佛寺
札所等 中国三十三観音霊場第31番(三佛寺)
伯耆観音霊場第29番(三佛寺)
百八観音霊場第36番(三佛寺)
中国四十九薬師第43番(皆成院)
文化財 奥院投入堂(国宝)
文殊堂、地蔵堂、納経堂ほか(重要文化財)
三徳山(史跡・名勝)
2023年10月31日
大前神社(おおさきじんじゃ)は栃木県真岡市にある神社
大前神社(おおさきじんじゃ)は栃木県真岡市にある神社。式内社。旧社格は県社。

祭神
福の神「だいこく様」(大国主大神)
その御子神「えびす様」(事代主大神)
配祀神として天照皇大御神、八百万の神
氏子崇敬者から中古より「大前さま」「大前大権現」と呼ばれ、今日も古老は「権現さま」、多くは「大前さま」の名で親しまれている。
歴史
延喜式内大前神社の鎮座する聖地「大前(おおさき)」は、古代の口碑に「神代の霊地」と伝わる。大前という由来は、神地境内隣接の北地にかつて「芳賀沼」が存在し、その大突端に位置することから大前(崎)神社と称されたものである。神護景雲年中(767年 - 770年)に社殿が再建されており、一千五百有余年の歴史を持つ。平安期には、常陸国坂東の東叡山黒子千妙寺の末寺を別当寺として祀り、本社は神仏習合により薬師如来を配していた。また、承平5年(935年)平将門は承平天慶の乱を興すに至り、大前神社にて合戦勝利の祈願をし、勤行を五行川の御手洗に為したと伝わっている。中世、坂東の荒武者「紀清両党」の芳賀氏は、本社東に若色城を、次いで大前神社南に御前城を築き、22代芳賀十郎清原高定に至るまで大前神社社領守護職を兼ねた。
かつて例大祭には、「頭(とう)」と唱え、猪鹿の頭を供えた故事が伝えられており、神饌には鹿肉と鹿頭を献じたという。現在も、例大祭では鹿肉が神饌として供えられる。また、拝殿大床天井には三尾の神使の鯉が描かれ、拝殿天井には昇竜に権化した姿が描かれている。本殿にも、雌雄の鯉と琴音仙人の鯉が彫られている。神使の鯉にちなんで、心願が成就すると元気な鯉を神前に奉納し、祓いを受け御神酒を注ぎ、五行川に放流する風習が伝えられている。
なお、境内地には「日本一えびす様大前恵比寿神社」が鎮座している。
2013年(平成25年)11月9日、東日本大震災により解体を余儀なくされた第二鳥居が県内杉材にて再建された。また、第62回神宮式年遷宮の記念行事で本殿裏側に鎮座する摂社・末社の整備事業が行われた。中でも末社の足尾山神社は、日本で最初の二輪車・バイクの交通安全を願う神社として鎮座しており、毎年県内外より月800人から1,000人のライダーが参拝している。
2017年(平成29年)には御造替1250年を迎え、額殿や神楽殿、社務所等の移築改修工事等の記念事業を推進している。同年2月3日の大節分祭・追儺式から三鬼(前鬼・後鬼・百目鬼)に加えて、古式の祭儀に則って方相氏が加わった。
2018年(平成30年)12月25日付けで大前神社本殿・幣殿及び拝殿が国の重要文化財に指定された。

文化財
重要文化財(国指定)
本殿 - 江戸時代中期(1707年)の建立。桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝一間、銅板葺。組物の龍彫刻のほか,柱や壁の幾何学意匠の地紋彫など,随所を秀逸かつ先駆的な手法で飾り,関東地方における装飾建築普及の萌芽を示している。平成30年(2018年)12月25日指定。
幣殿及び拝殿 - 江戸時代中期の建立。拝殿、桁行正面三間、背面五間、梁間三間、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風付、銅板葺。幣殿、桁行二間、梁間一間、寄棟造、銅板葺。正面の向拝まわりで彫刻を多用し,屋根に千鳥破風を飾るなど,華やかな拝所空間を演出している。平成30年(2018年)12月25日指定。

交通
最寄駅:真岡鐵道「北真岡駅」より徒歩15分
北関東自動車道 真岡I.Cより約10分
JR石橋駅から関東バス「石橋駅・真岡車庫」系統にて約35分 「真岡車庫」下車徒歩20分
JR宇都宮駅から関東バス「宇都宮東武〜真岡営業所」方面行きで約1時間 「大前神社前」下車すぐ
駐車場:有り
所在地 栃木県真岡市東郷937
位置 北緯36度26分57.1秒 東経140度01分33.2秒
主祭神 大國主大神
事代主大神
社格等 式内社(小)
旧県社
創建 神護景雲年間(767年 - 770年)
本殿の様式 入母屋造
例祭 11月9日・10日

祭神
福の神「だいこく様」(大国主大神)
その御子神「えびす様」(事代主大神)
配祀神として天照皇大御神、八百万の神
氏子崇敬者から中古より「大前さま」「大前大権現」と呼ばれ、今日も古老は「権現さま」、多くは「大前さま」の名で親しまれている。
歴史
延喜式内大前神社の鎮座する聖地「大前(おおさき)」は、古代の口碑に「神代の霊地」と伝わる。大前という由来は、神地境内隣接の北地にかつて「芳賀沼」が存在し、その大突端に位置することから大前(崎)神社と称されたものである。神護景雲年中(767年 - 770年)に社殿が再建されており、一千五百有余年の歴史を持つ。平安期には、常陸国坂東の東叡山黒子千妙寺の末寺を別当寺として祀り、本社は神仏習合により薬師如来を配していた。また、承平5年(935年)平将門は承平天慶の乱を興すに至り、大前神社にて合戦勝利の祈願をし、勤行を五行川の御手洗に為したと伝わっている。中世、坂東の荒武者「紀清両党」の芳賀氏は、本社東に若色城を、次いで大前神社南に御前城を築き、22代芳賀十郎清原高定に至るまで大前神社社領守護職を兼ねた。
かつて例大祭には、「頭(とう)」と唱え、猪鹿の頭を供えた故事が伝えられており、神饌には鹿肉と鹿頭を献じたという。現在も、例大祭では鹿肉が神饌として供えられる。また、拝殿大床天井には三尾の神使の鯉が描かれ、拝殿天井には昇竜に権化した姿が描かれている。本殿にも、雌雄の鯉と琴音仙人の鯉が彫られている。神使の鯉にちなんで、心願が成就すると元気な鯉を神前に奉納し、祓いを受け御神酒を注ぎ、五行川に放流する風習が伝えられている。
なお、境内地には「日本一えびす様大前恵比寿神社」が鎮座している。
2013年(平成25年)11月9日、東日本大震災により解体を余儀なくされた第二鳥居が県内杉材にて再建された。また、第62回神宮式年遷宮の記念行事で本殿裏側に鎮座する摂社・末社の整備事業が行われた。中でも末社の足尾山神社は、日本で最初の二輪車・バイクの交通安全を願う神社として鎮座しており、毎年県内外より月800人から1,000人のライダーが参拝している。
2017年(平成29年)には御造替1250年を迎え、額殿や神楽殿、社務所等の移築改修工事等の記念事業を推進している。同年2月3日の大節分祭・追儺式から三鬼(前鬼・後鬼・百目鬼)に加えて、古式の祭儀に則って方相氏が加わった。
2018年(平成30年)12月25日付けで大前神社本殿・幣殿及び拝殿が国の重要文化財に指定された。

文化財
重要文化財(国指定)
本殿 - 江戸時代中期(1707年)の建立。桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝一間、銅板葺。組物の龍彫刻のほか,柱や壁の幾何学意匠の地紋彫など,随所を秀逸かつ先駆的な手法で飾り,関東地方における装飾建築普及の萌芽を示している。平成30年(2018年)12月25日指定。
幣殿及び拝殿 - 江戸時代中期の建立。拝殿、桁行正面三間、背面五間、梁間三間、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風付、銅板葺。幣殿、桁行二間、梁間一間、寄棟造、銅板葺。正面の向拝まわりで彫刻を多用し,屋根に千鳥破風を飾るなど,華やかな拝所空間を演出している。平成30年(2018年)12月25日指定。

交通
最寄駅:真岡鐵道「北真岡駅」より徒歩15分
北関東自動車道 真岡I.Cより約10分
JR石橋駅から関東バス「石橋駅・真岡車庫」系統にて約35分 「真岡車庫」下車徒歩20分
JR宇都宮駅から関東バス「宇都宮東武〜真岡営業所」方面行きで約1時間 「大前神社前」下車すぐ
駐車場:有り
所在地 栃木県真岡市東郷937
位置 北緯36度26分57.1秒 東経140度01分33.2秒
主祭神 大國主大神
事代主大神
社格等 式内社(小)
旧県社
創建 神護景雲年間(767年 - 770年)
本殿の様式 入母屋造
例祭 11月9日・10日
2023年10月30日
鶴林寺(かくりんじ)は、徳島県勝浦郡勝浦町にある高野山真言宗の寺院
鶴林寺(かくりんじ)は、徳島県勝浦郡勝浦町にある高野山真言宗の寺院。山号は霊鷲山(りょうじゅさん)、院号は宝珠院(ほうじゅいん)と号する。本尊は地蔵菩薩。四国八十八箇所第二十番札所。
本尊真言:おん かかかびさんまえい そわか
ご詠歌:しげりつる鶴の林をしるべにて 大師ぞいます地蔵帝釈(たいしゃく)
納経印:当寺本尊、星谷寺、白衣背中の鶴亀の鶴印

本堂
概要
地元の人や遍路からは「お鶴さん」と呼ばれ親しまれているが、「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と並び称される阿波の難所の一つで、鶴林寺山(標高516.1 m)の山頂近くにあり、本堂の位置で比較すると標高495 m付近で八十八箇所中7番目、表参道は「へんろころがし」といわれる急傾斜の山道である。

山門と六角地蔵堂
歴史
寺伝によれば、延暦17年(798年)に桓武天皇の勅願によって空海(弘法大師)が開創。寺伝によれば、空海がこの山で修行中に雌雄の白鶴が杉の梢で小さな金の地蔵菩薩像を守護していた。空海はそれを見て、霊木に3尺(約90 cm)の地蔵菩薩を刻み、その胎内に鶴が守っていた1寸8分の地蔵像を納めて本尊として鶴林寺の寺名を定めた。境内の雰囲気が釈迦が説法をした霊鷲山に似ていることから山号にいただいたという。
平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇からの篤い帰依、源頼朝、源義経、徳島藩祖蜂須賀家政などからの信仰も受けて大いに栄えた。
本尊の伝承として、昔、猟師が猪を追って山に入り矢を放ち、たどって行くと本堂で地蔵菩薩の胸に矢がささり血を流していた。猟師は殺生を懺悔し仏門に入ったということから矢負いの地蔵と呼ばれ、本尊にはその傷が残っていると云われている。

山門の中の鶴
アクセス
鉄道
四国旅客鉄道(JR四国) 牟岐線 – 立江駅下車 (13.5 km)
バス
徳島バス 勝浦線(横瀬行) 「生名」下車 (3.4 km)
道路
一般道:徳島県道283号和食勝浦線 鶴峠から (1.9 km、徳島県道146号鶴林寺線)
遍路道:19番立江寺 --(4.0 km)-- 櫛渕町萱原 -(6.2 km)-- 勝浦町生名 --(1.3 km)-- 水呑大師 -(1.6 km)-- 20番

三重塔
所在地 徳島県勝浦郡勝浦町生名鷲ヶ尾14
位置 北緯33度54分49.9秒 東経134度30分20.2秒
山号 霊鷲山
院号 宝珠院
宗派 高野山真言宗
寺格 別格本山
本尊 地蔵菩薩
創建年 (伝)延暦17年(798年)
開基 桓武天皇(勅願)、空海(弘法大師)
正式名 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺
別称 お鶴さん
札所等 四国八十八箇所20番
文化財 木造地蔵菩薩立像(重要文化財)
絹本着色釈迦三尊像(重要美術品)
地蔵来迎図(県有形文化財)
本尊真言:おん かかかびさんまえい そわか
ご詠歌:しげりつる鶴の林をしるべにて 大師ぞいます地蔵帝釈(たいしゃく)
納経印:当寺本尊、星谷寺、白衣背中の鶴亀の鶴印

本堂
概要
地元の人や遍路からは「お鶴さん」と呼ばれ親しまれているが、「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と並び称される阿波の難所の一つで、鶴林寺山(標高516.1 m)の山頂近くにあり、本堂の位置で比較すると標高495 m付近で八十八箇所中7番目、表参道は「へんろころがし」といわれる急傾斜の山道である。

山門と六角地蔵堂
歴史
寺伝によれば、延暦17年(798年)に桓武天皇の勅願によって空海(弘法大師)が開創。寺伝によれば、空海がこの山で修行中に雌雄の白鶴が杉の梢で小さな金の地蔵菩薩像を守護していた。空海はそれを見て、霊木に3尺(約90 cm)の地蔵菩薩を刻み、その胎内に鶴が守っていた1寸8分の地蔵像を納めて本尊として鶴林寺の寺名を定めた。境内の雰囲気が釈迦が説法をした霊鷲山に似ていることから山号にいただいたという。
平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇からの篤い帰依、源頼朝、源義経、徳島藩祖蜂須賀家政などからの信仰も受けて大いに栄えた。
本尊の伝承として、昔、猟師が猪を追って山に入り矢を放ち、たどって行くと本堂で地蔵菩薩の胸に矢がささり血を流していた。猟師は殺生を懺悔し仏門に入ったということから矢負いの地蔵と呼ばれ、本尊にはその傷が残っていると云われている。

山門の中の鶴
アクセス
鉄道
四国旅客鉄道(JR四国) 牟岐線 – 立江駅下車 (13.5 km)
バス
徳島バス 勝浦線(横瀬行) 「生名」下車 (3.4 km)
道路
一般道:徳島県道283号和食勝浦線 鶴峠から (1.9 km、徳島県道146号鶴林寺線)
遍路道:19番立江寺 --(4.0 km)-- 櫛渕町萱原 -(6.2 km)-- 勝浦町生名 --(1.3 km)-- 水呑大師 -(1.6 km)-- 20番

三重塔
所在地 徳島県勝浦郡勝浦町生名鷲ヶ尾14
位置 北緯33度54分49.9秒 東経134度30分20.2秒
山号 霊鷲山
院号 宝珠院
宗派 高野山真言宗
寺格 別格本山
本尊 地蔵菩薩
創建年 (伝)延暦17年(798年)
開基 桓武天皇(勅願)、空海(弘法大師)
正式名 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺
別称 お鶴さん
札所等 四国八十八箇所20番
文化財 木造地蔵菩薩立像(重要文化財)
絹本着色釈迦三尊像(重要美術品)
地蔵来迎図(県有形文化財)
2023年10月29日
笠森寺(かさもりじ)は、千葉県長生郡長南町笠森にある天台宗別格大本山の寺院
笠森寺(かさもりじ)は、千葉県長生郡長南町笠森にある天台宗別格大本山の寺院。坂東三十三観音第31番札所。

観音堂(重要文化財)
概要
寺伝によれば784年(延暦3年)に最澄(伝教大師)が楠の霊木で十一面観音菩薩を刻み安置し開基されたとされる古刹で、古来より巡礼の霊場として知られており、十一面観音像が本尊であることから「笠森観音」と通称される。
大岩の上にそびえる観音堂は、61本の柱で支えられた四方懸造と呼ばれる構造で、日本で唯一の特異な建築様式であり重要文化財である。1028年(長元元年)に後一条天皇の勅願で建立されたと伝えられているがその後焼失し、現在の建物は解体修理の際発見された墨書銘から1579年(天正7年)から1597年(慶長2年)の間の再建とされている。観音堂の 75段の階段を上がった回廊からは、四季それぞれに美しい房総の山々が眼下に眺められ、その景観は一見に価する。他にも重要文化財の鋳銅唐草文釣燈籠など多くの文化財も残されている。
また、笠森寺周辺の森林は、延暦年間の笠森寺草創当時より禁伐林として保護されてきたと伝えられる暖帯林の残存林であり「笠森寺自然林」として国の天然記念物に指定されている。高木層はスダジイを主体とし、多くのシダ類なども見られ、自然が保たれていることからニホンイタチ・ニホンアナグマ・ニホンリスなどの獣類、フクロウ・コノハズク・アカゲラ・ハイタカなどの鳥類やヒメハルゼミなどの昆虫も生息し、関東地方の残存林として特徴的である。

二天門
交通アクセス
鉄道
外房線(JR東日本)茂原駅下車 小湊鉄道バス牛久駅行「笠森」下車 徒歩5分
小湊鉄道 上総牛久駅下車 小湊鉄道バス茂原駅行「笠森」下車 徒歩5分
自動車
首都圏中央連絡自動車道 茂原長南ICより約7分(約5km)
拝観料・拝観時間
拝観料: 大人300円 小人100円
拝観時間: 4月〜9月 8:00〜16:30、10月〜3月 8:00〜16:00(雨天は閉堂)

観音堂の回廊
所在地 千葉県長生郡長南町笠森302
位置 北緯35度23分58.6秒 東経140度11分56.1秒
山号 大悲山
院号 楠光院
宗派 天台宗
寺格 別格大本山
本尊 十一面観音
創建年 伝・延暦3年(784年)
開基 伝・最澄
正式名 大悲山 楠光院 笠森寺
別称 笠森観音
札所等 坂東三十三観音第31番
文化財 観音堂・鋳銅唐草文釣燈籠(重要文化財)

観音堂(重要文化財)
概要
寺伝によれば784年(延暦3年)に最澄(伝教大師)が楠の霊木で十一面観音菩薩を刻み安置し開基されたとされる古刹で、古来より巡礼の霊場として知られており、十一面観音像が本尊であることから「笠森観音」と通称される。
大岩の上にそびえる観音堂は、61本の柱で支えられた四方懸造と呼ばれる構造で、日本で唯一の特異な建築様式であり重要文化財である。1028年(長元元年)に後一条天皇の勅願で建立されたと伝えられているがその後焼失し、現在の建物は解体修理の際発見された墨書銘から1579年(天正7年)から1597年(慶長2年)の間の再建とされている。観音堂の 75段の階段を上がった回廊からは、四季それぞれに美しい房総の山々が眼下に眺められ、その景観は一見に価する。他にも重要文化財の鋳銅唐草文釣燈籠など多くの文化財も残されている。
また、笠森寺周辺の森林は、延暦年間の笠森寺草創当時より禁伐林として保護されてきたと伝えられる暖帯林の残存林であり「笠森寺自然林」として国の天然記念物に指定されている。高木層はスダジイを主体とし、多くのシダ類なども見られ、自然が保たれていることからニホンイタチ・ニホンアナグマ・ニホンリスなどの獣類、フクロウ・コノハズク・アカゲラ・ハイタカなどの鳥類やヒメハルゼミなどの昆虫も生息し、関東地方の残存林として特徴的である。

二天門
交通アクセス
鉄道
外房線(JR東日本)茂原駅下車 小湊鉄道バス牛久駅行「笠森」下車 徒歩5分
小湊鉄道 上総牛久駅下車 小湊鉄道バス茂原駅行「笠森」下車 徒歩5分
自動車
首都圏中央連絡自動車道 茂原長南ICより約7分(約5km)
拝観料・拝観時間
拝観料: 大人300円 小人100円
拝観時間: 4月〜9月 8:00〜16:30、10月〜3月 8:00〜16:00(雨天は閉堂)

観音堂の回廊
所在地 千葉県長生郡長南町笠森302
位置 北緯35度23分58.6秒 東経140度11分56.1秒
山号 大悲山
院号 楠光院
宗派 天台宗
寺格 別格大本山
本尊 十一面観音
創建年 伝・延暦3年(784年)
開基 伝・最澄
正式名 大悲山 楠光院 笠森寺
別称 笠森観音
札所等 坂東三十三観音第31番
文化財 観音堂・鋳銅唐草文釣燈籠(重要文化財)