2013年07月23日
向日市から嵐山へ(その2)
より大きな地図で 淳和天皇御火葬所から北へ を表示
b.淳和(ジュンナ)天皇が火葬されたと言われている森の前に佇んで(タタズンデ=立ち止まって)いるわけですが、
a.そういえば、タケノコ丘の上にも、桓武天皇の皇后さまが眠られてるなあ、
b.桓武天皇と言えば平城京から平安京へ都を移した天皇っすね、
a.奥さんの方は平安京の出来る直前、ここ向日市で息を引き取られたそうや、
b.じゃあ、この近くで、
a.そう、長岡京っていう、平安京のプロトタイプ(=試作モデル)がここ向日市にあったんや、
「長岡京、プロトタイプの京都かな」、
b.試しに作ったけど、うまく行かなかったのか、
a.わずか10年足らずやったけど、当初は本気でここ向日市(ムコウシ)に都(ミヤコ)を作る計画だったらしい、
b.だけど、長岡京と言えば、南どなりに長岡京市があるけど、
a.名前はそうなんやけど、じっさいの長岡京は向日市にあったんや、
b.なんか、ややこしいなあ、
a.そんなわけで、ありふれた住宅街に天皇陵がポツンとあったりする、
b.しかし、ここも家が多いっすね、ただ、阪急沿線よりも、歴史ある集落が主役のようだなあ、
a.竹林の丘がすぐそばにあるし、そこからほんの少しだけ自然の気配もただよってくる、
b.ほんじゃあ、今回もそれとなく嵐山へ向けて、淳和(ジュンナ)天皇火葬所から北へ進みましょう、
a.よりクルマの来ない道を選びつつ、
b.この畑、何か変わってますね、農家じゃないような、
a.京都大学の研究施設やなあ、正確には「農学研究科栽培植物起源学分野物集女分室」、
b.うーん、これだけ漢字ならぶと、かなり威圧感ありますねえ、落語に使えそうな、
a.「アホの来るとこやないで」、って言われてるようや、
b.でも、ウェブにはひとつ面白いエピソードが紹介されてます、
a.「エジプト考古学で有名な早稲田大学の吉村作治先生が2001年秋、ここへ来られて、古代エジプトの麦酒につかうエンマー小麦の種を持ち帰って、三年後、その古代酒を復活させる」か、
b.その古代小麦をつかったビールが、少量ながら黄桜酒造から売り出されてるそうです、
a.エジプトの大河にちなんで「ホワイトナイル」、古代エジプトと向日市がコムギつながりか、
「向日市(ムコウシ)で古代エジプトビールかな」、
b.そんな京大の研究施設をすぎると、今まで無かったほど幅のある新道が行く手を阻(ハバ)んでおります、
a.10年前くらいから家や畑をどかして大工事の末にようやく完成した東西を結ぶ大通り、
b.あの「いろは呑龍(ドンリュウ)トンネル」も、この地下に埋まってるのか、
a.西に洛西ニュータウンがあるので、渋滞緩和のために必要だったんだなあ、きっと、
b.ところで、これを渡って道なりですと、またもやクルマだらけの物集女街道に合流、ゲームオーバーになりますが、
a.それはいかん、しかし道のチョイス(=選択肢)が少ない、かなり狭い路地を通って、北の道を使おう、
b.ここはすこし高台になっていて、物集女街道やホームセンターも見晴らせます、
a.このホームセンターも10年ほど前はゴルフの打ちっ放しだったなあ、
b.次の突き当たりは、
a.より左寄り、タケノコ丘にそって北上しよう、
b.ああココでようやく向日市(ムコウシ)も終わって、京都市西京区に入ります、嵐山もだんだん近づいてきました、
a.さっそく京都市の市営団地が丘の斜面にずらっと並んでる、
b.その先にも一戸建ての住宅がびっしり建て込んでます、
a.そんな中、不意に現れる広場が、樫原(カタギハラ)廃寺跡、子供たちのちょうどいい遊び場は古代遺跡だったりする、
(グーグル画像検索でお借りしました)
b.巨大な塔でも建っていたのか、大きな八角形の土台が中央に、
a.寺の名前も分からんようだけど、1967年、住宅地を造成する時、たまたま見つかったそうで、
b.そういえば、ただの草地も残ってますね、発掘調査前で立ち入り禁止か、
a.すぐ北に三宮神社もあるし、なんとなく平和な気分になれる空間だなあ、
b.それでわざわざ自転車降りて、この公園の中を歩いてるわけか、
a.このあたりは少し先に山陰街道、今で言う国道9号線が走っていて、昔は宿場もあって、大変にぎわったそうや、
b.きっと古代から、人がたえず行き交ってたんすね、
a.それできっと、こんな大きな寺院も大勢の人々を集めて大いに栄えてたんやろなあ、長岡京なんか出来るはるか以前から、
「古代には巨大寺院の住宅地」、
「新町の土地を均せば遺跡かな」、