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2019年06月10日

妙法蓮華経(本編)その11

見宝塔本第十一

そのとき、金銀他様々の宝玉に輝く塔が地面から湧き出して霊鷲山上の空中に高くそびえました。そして塔から「讃えよ、讃えよ。。。お釈迦様が妙法蓮華経を説かれたことを。お釈迦様が説かれたことはまさに真理なり」と声が響きました。

それは多宝如来の塔でした。はるかな過去の世に一人の菩薩が「もし仏とならば入滅の後、十方国土のいずれにても法華経が説かれるところに我が塔廟を現じよう。そして法華経が真の教えであることを証明する者となろう」と誓願を立てて修行し多宝如来となったのです。そして入滅のとき「我が遺骨を分かつことなく全身を塔に納めよ」と弟子たちに命じました。

この如来の力と誓願によって法華経が説かれているところに塔が出現し、空中にそびえて「讃えよ、讃えよ」と声を発するのです。その塔の扉が開かれると中に多宝如来が座しておりました。

そして多宝如来は宝塔の中の座の半分をあけてお釈迦様に呼びかけました。「お釈迦様、どうぞこの座に」おつきください」と

こうして人々は宝塔に二人の如来が並んで座した姿を仰ぐことができたのです。そればかりかお釈迦様は人々を空中に引き上げ、虚空の高みの仏の近くに置かれました。そしてお釈迦様は人々に告げました。

「あなた方の中で、この娑婆世界において妙法蓮華経を説き広める者は誰であろうか?今、その人の時が近づいています。私はまもなく入滅します。私はその人に妙法蓮華経をゆだねたいと望みます」と





妙法蓮華経(本編)その10

法師品第十

それからお釈迦様は「妙法蓮華経を聞いて心に喜びを生じる者があるならば、その人は阿耨多羅三藐三菩提(無上のさとり)を得るでしょう」と誰もが仏になれると説かれました。

「法華経の一字一句でも心に持ち(受持)、目で読み(読)、暗唱し(誦)、説き広め(解説)、写経(書写)し、この五つの行いにおいて仏道に生きる者でありなさい。」と

法華経を読誦する人は如来の威光を自らの威光とし、如来の尊厳をもって自身を厳かで立派にする人です。その人は如来が人々の中に遣わす使者なのです。

お釈迦様はまた、このように語りました。高原穿しょくの例です。

私の滅後においてこの経を受持し人々のために法を説く者は如来の衣に包まれて保護されます。どこにおいても妙法蓮華経を受持、読誦、解説、書写して、その経巻のあるところに塔を建てなさい。美しく大きく塔を築きなさい。塔は仏の遺骨を納めて建立するだけのものと考えてはなりません。なぜなら妙法蓮華経が如来の全身なのですから、その塔の中に如来がおられるのです。在家であれ出家であれ菩薩の道をゆこうとしているのに、もし法華経を見ることも聞くこともなければ、その人はまだ無上の悟りから遠く離れてゆきます。逆に法華経を見、聞き、信受する人は無上のさとり(阿耨多羅三藐三菩提)が近いと知りなさい。

たとえば、高原の荒れ野で水を求めて土を掘る人がいたとしましょう。地を掘っても乾いた土が出てくるだけなら、まだ水は遠いと思うでしょう。けれども湿った土があれば水は近いと思い泥が出てくるようになれば、必ず水を得られると確信するでしょう。

菩薩の道も同じです。もし法華経を聞くことも学ぶこともなければ、無上のさとりは遠くにあると思います。しかし、法華経に出会えばそれは近くにあると確信できるのです。なぜなら菩薩の無常の悟りは皆、この妙法蓮華経から生じるのですから。

私の滅後に法華経を説き広めようと願うときは、如来の室に入り、如来の衣を身につけ、如来の席に座って人々に法華経を説かなければなりません。

如来の部屋は人びとを哀れむ心、すなわち大いなる慈悲の心です。如来の衣とは耐え忍んで常に心柔らかであること、すなわち柔和忍辱の心(腹を立てない心)です。如来の座とは全て空であること、すなわち、どんなものも互いに関わり合いながら常に変化しているという万物の真理です。

それらにおいて心ゆるがず人々に法華経を説き伝えなさい。しかしこの経は諸仏秘要(諸仏が秘匿してきた法)です。みだりに人に授けてはなりません。この経は如来の現在(釈迦在世の時)でさえ怨み嫉みが多いのです。まして如来の滅後には様々な苦難があるでしょう。もし法華経を説いて人々からののしられ、刀で斬りつけられ、棒で殴られ、石や物を投げつけられても仏を念じて耐え忍びなさい。千万億の世界において私の身体は堅固であり仏の威力をもって護衛の武士を出現させます。諸仏が護念したもうゆえにその人は多くの人々を喜びに導くことができます。





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