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2019年03月26日

無量義経(プロローグ)

徳行品第一

その時お釈迦様はマガダ国の都、王舎城の霊峰・霊鷲山に弟子の摩可迦葉(まかかしょう)、舎利弗(しゃりほつ)
ら徳高い出家の尊者2000人と共にありました。そこには文殊菩薩、観世音菩薩ら八万の菩薩たちがいまし
た。神々も、国王も、王子たちとその家来も民たちも、それぞれ眷属(けんぞく)百千万と参詣してお釈迦様の
御足に礼し、お釈迦様の周囲を百千も巡って香をたき、花を散じそれぞれの仏を供養してから一面に座しました

その時大荘厳菩薩がお釈迦様の御前に天草、天香を散じ天衣、宝珠などを上空から無数に降らしましたので
四面に雲のごとく集まり、お釈迦様に捧げられました。

また、神々の旗やのぼりは上空を覆い、天人たちは伎楽を演奏しておりました。そして皆一心に声を同じくしてお釈迦様を讃えたのでございます。

「多いなるお釈迦様には垢なく染なし、天・人・象・馬の調御師にして道風香一切に薫ず」


説法品第二

その時大荘厳菩薩が「我ら八万の菩薩は如来の法(教え)についてお尋ねしたいことがございます」と
お釈迦様に問いました。「はやく無上の悟りを成就したいと欲せば、どの法門を修行すべきでしょうか?」と

お釈迦様は菩薩らの問いに喜び「菩薩の道を行く者は無上の悟りに至ることができるその法門の名は無量義
である。」と答えられたのでございます。

人びとの性質、欲望が測りしれない無量であるがゆえに説法も無量であり、説法が無量なら義もまた無量
なのですよ。しかし万物は本来、無相(空)であるゆえにただ一法(一つの教え)から無量の義が生じる
のです。

さらにお釈迦様は次のように語りました

「私は、人々の性質が同じでないことを見て方便力をもってそれぞれに法を説くことに
 しました。私ははしめに鹿野園において四諦(苦、集、滅、道の真理)で仏法が衆生の迷いや悪を打ち破る
 さまを転じました。それは出家して声聞(仏の教えを聞く弟子のこと)の修行をする人のためでした。
 それから十二の因縁を説いたのは縁覚(修行者の性質)のためでした。次に菩薩の道をゆく者のために
 いろいろな大乗経典を説きました。けれども諸仏の不可思議甚深の境界は声聞、縁覚の二乗も菩薩も
 知ることができず、ただ仏と仏のみが究めています。ですからもしはやく無上菩提を願うならこの
 大乗無量義経を学ぶべきです。」

方便力
とは

人それぞれに教えを説く手立てのことです。その人の境遇や立場を思い、その人に相応しい手立てを選んで
教えを説くというのはとても難しいことですが、その人の幸せを願い正しい教えを適切に説くにはこの
法華経の教えを私たち自身が先ず学ぶことです。「人を思いやる」とはそこから始まるのです。ただ最後に
行きつくのは一乗・・・ただ一つの真理なのです。








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