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みっきいナムナム
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2019年05月04日

妙法蓮華経(本編)その2




方便品第二

そのとき、お釈迦様は弟子たちの長老である舎利弗(しゃりほつ)に語りました。

「仏の知恵は深く、その知恵の門はくぐることも信じることも難しいものです。ただ、仏と仏のみが諸方の実相(万物の真実)を見極めているのです」と、真実において人も事物も

  1. 如是相=その相(姿)のようにあります
  2. 如是性=その性(性質)のようにあります
  3. 如是体=その体(形)のようにあります
  4. 如是力=その力(能力)のようにあります
  5. 如是作=その作(作用)のようにあります
  6. 如是因=その因(過去の由来)のようにあります
  7. 如是縁=その縁(置かれた状況)のようにあります
  8. 如是果=その果(現在の結果)のようにあります
  9. 如是報=その報(未来のあり方)のようにあります
  10. 如是本末究竟等=全ては究極において平等で、その平等のままにあります


しかしながら、よく修行に励んで阿羅漢(出家の聖者)の境地に達した声聞、縁覚(仏の教えに寄らない者たち)でも真実を知ることはできません。菩薩の道をゆく者でも仏の知恵をおしはかることさえできません

それでお釈迦様は「これ以上のことを語れば、かえって心を閉ざす者もいます。もはや説くことをやめます」と集まった人々に告げました。それを聞いて悟ったと思い込んでいる増上慢(思い上がった者たち)が立ち去っていきました。敬いを受けるべき優婆塞、優婆夷(在家の男女)に不信の者がいます。この者たちは自身の欠点に愛着を持つゆえに真実(本当の自分の姿)を恐れて逃げ出し、ここには教えに心が開かれた者だけが残ったのです。そこでお釈迦様は説法を願う舎利弗の願いを受け入れ再び教えを説きました。


諸仏は一大事の因縁ゆえに世に現れます。諸仏は衆生(全て命あるもの)に仏知見を開き、人々に清浄な境地を得させたいと望んで世に出現するからです。諸仏は衆生に仏の知見を示したいと望んで世に出現します。諸仏は仏の知見を悟らせたいと望むゆえに世に出現します。諸仏は衆生を仏の知見の道に入らしめたいと望むゆえに世に出現します。諸仏はただ、この一大事の因縁ゆえに世に現れるのです。そして無量の方便(手だて)を用いてそれぞれに教えを説いても、それはただ一つの大きな乗り物、すなわち一つの仏乗に導くためです。

仏を供養する者は塔をたて,様々な宝玉をもって清らかに飾り仏を供養しなさい
石の塔、木の塔、煉瓦の塔、どのような材でも塔をたて仏に敬いを捧げなさい
もし荒野にあるときは土の塔でもよいのです。子供が砂遊びで造った塔のようなものでもよいのです
仏の姿を像に造って心を捧げなさい。金銀ほか様々な宝玉をもって、あるいは銅、鉄などの金属、木材、泥、漆の布などに仏の人相を描いて仏像を造り人にもそれを勧めなさい。その人びとには仏の道が成就されています。子どもが戯れに草や木の枝で描いた仏像でも、指の爪で掻き描いた仏像でもよいのです。その人びとは祈りの心を呼びさまし慈悲の心に目覚めて仏の道を成就し、数知れね人びとを菩薩の道に導く者となります。
塔あるいは仏像、仏画に香や花を捧げ、敬いの心をもって祈りなさい。鼓を打ち、角笛を吹き、笙や琵琶など管弦の楽の音と高らかな讃歌の声をもって仏を讃えなさい。

もし心から仏を讃えることができない人でも、たとえ一本の花でも仏の像に捧げるならその人は無数の仏に出会えるのです。ただ手を合わせ頭を少し下げるだけでもその人は無量の諸仏の祝福を得るでしょう。たとえ散乱の心であっても仏の塔に入り一度でも祈りの声を発するならばすでに清らかな幸福にあります。過去と現在の諸仏もしくは如来の滅後でも、この経を聞くことがあれば既に仏道の成就にあるのです。しかし六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天道)に生を受けた者たちは徳の少ない貧弱な心のために生きるか死ぬかの険しい道をますます険しく踏み入り、まるで牛が尾を愛するように迷いと欲望を離れられずにいます。(これを六道輪廻
といいます)。

偽りは信じやすく正しいことは見ようとしません。私がかつて悟りに達したときそのことを深く悲しみました。そのとき梵天や帝釈天などの神々が法輪を転がすことを求めたけれども、無知に覆われている人々をどのように導けるでしょうか?私は過去の諸仏に思念を向けました。そして諸仏が方便(手立て)の力をもって全ての衆生を導いたように私も三乗の教えを示しあなたがた一人ひとりに説いていこうと決意しました。

今、仏の子らを見るに仏の道を求める者は千万億(無量)の多くに達し敬いの心をもって私の下に参集しています。それゆえ私はこの念(おもい)をなしました。

私が世に出たのは仏の遠く深い教えを説くためである。今がその時である。私は方便を捨てて無上道(一つしかない道)を開きます。仏の言葉を聞いて心に喜びを持ち、一言の祈りでも捧げるならばそれは過去・現在・未来の三世の諸仏に及びます。そして自ら仏に成ることができるのです。疑うことなく仏を目指しなさい。



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