2011年11月04日
青瓦台(チョンワデ)
青瓦台(チョンワデ)、ブルーハウスとも呼ばれている韓国の大統領官邸です^^ 韓国へ観光に来ると見学に行く人も多いかと思います。
さすがに大統領となるので周囲後警備は厳重で、入り口の道路でまず検問があり、入って来る車1台づつ止めて、中まで警察人が入ってきて確認をします。中に入っても、私服を着た警察官まで多くの警察官が警備にあたっっているの印象的です。官邸のすぐ近くまではけずに見るような形になります。。。
青瓦台(チョンワデ)は、青い瓦屋根の建物で、この屋根には一枚一枚焼いた瓦が約15万枚使われ、100年以上耐えられるものだとされているそうです。この本館の他にも大統領の記者会見が行われる場所である春秋館、外国からの来賓をもてなす迎賓館などの建物があり、それぞれの建物が韓国独特の雰囲気になっているそうです。また建物の他にも樹齢310年の松や歴代大統領が植樹した木が植えられた緑地園や噴水台や鳳凰像のあるむくげの丘などもあり、景色も楽しむことが出来ます。
場所は、ソウル市庁や鍾路(チョンノ)エリアなどのあるソウル中心部からちょうど北のほう、北岳山(プガクサン)を背にし、ソウルに残る古宮の中で最も大きな景福宮(キョンボックン)を正面に位置します。
1997年に故キム・テジュン(金大中)大統領が就任してから観光が可能になったそうです。
この場所は、もともと高麗時代に王族が住んだ地域であり、その後、李氏朝鮮王朝の太祖李成桂により作られた景福宮の一部だそです。日本統治下の1939年には朝鮮総督官邸が日本により建設され、朝鮮総督府官邸は1948年に大韓民国が成立すると、初代大統領李承晩(イスンマン)が官邸及び公邸として使用。当時は「景武台」(キョンムデ、けいぶだい)と呼ばれたそうです。
1960年に当時の大統領尹潽善(ユンボソン)が「青瓦台」と名称を変更。朴正煕(パクジョンヒ)政権下の1968年には、官邸が北朝鮮ゲリラに襲われる青瓦台襲撃未遂事件が起こって以後、民主化までの間、市販される地図から青瓦台は消されていそうです。
さすがに大統領となるので周囲後警備は厳重で、入り口の道路でまず検問があり、入って来る車1台づつ止めて、中まで警察人が入ってきて確認をします。中に入っても、私服を着た警察官まで多くの警察官が警備にあたっっているの印象的です。官邸のすぐ近くまではけずに見るような形になります。。。
青瓦台(チョンワデ)は、青い瓦屋根の建物で、この屋根には一枚一枚焼いた瓦が約15万枚使われ、100年以上耐えられるものだとされているそうです。この本館の他にも大統領の記者会見が行われる場所である春秋館、外国からの来賓をもてなす迎賓館などの建物があり、それぞれの建物が韓国独特の雰囲気になっているそうです。また建物の他にも樹齢310年の松や歴代大統領が植樹した木が植えられた緑地園や噴水台や鳳凰像のあるむくげの丘などもあり、景色も楽しむことが出来ます。
場所は、ソウル市庁や鍾路(チョンノ)エリアなどのあるソウル中心部からちょうど北のほう、北岳山(プガクサン)を背にし、ソウルに残る古宮の中で最も大きな景福宮(キョンボックン)を正面に位置します。
1997年に故キム・テジュン(金大中)大統領が就任してから観光が可能になったそうです。
この場所は、もともと高麗時代に王族が住んだ地域であり、その後、李氏朝鮮王朝の太祖李成桂により作られた景福宮の一部だそです。日本統治下の1939年には朝鮮総督官邸が日本により建設され、朝鮮総督府官邸は1948年に大韓民国が成立すると、初代大統領李承晩(イスンマン)が官邸及び公邸として使用。当時は「景武台」(キョンムデ、けいぶだい)と呼ばれたそうです。
1960年に当時の大統領尹潽善(ユンボソン)が「青瓦台」と名称を変更。朴正煕(パクジョンヒ)政権下の1968年には、官邸が北朝鮮ゲリラに襲われる青瓦台襲撃未遂事件が起こって以後、民主化までの間、市販される地図から青瓦台は消されていそうです。
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