他の人に屋号ごと事業継承する手もあったというのだから、それを実現しなかったのはあまりにももったいない。
事業継承ではなく、ノウハウを売ればよく、逆に、屋号は使わないということで、次の代に味そのものではなくとも、エッセンスを引き継いでほしいものだ。
看板は守ったままでも伝統は引き継ぐことが可能だろう。
看板を使わないなら、女将もそこまで頑固にならなくてもいいのではないか?
1階には精肉販売店で、こちらを継続するのならば、肉の仕入れには問題がないのだから・・・
Yahoo!より、
博多の名店、71年の歴史に幕 すき焼きの「中洲ちんや」 別れ惜しむ常連客、“平成の歌姫”もファンだった
7/22(月) 9:49配信 西日本新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190722-00010001-nishinpc-soci
記事より、
福岡市・中洲にある、すき焼きの老舗「中洲ちんや」が27日で71年の歴史に幕を下ろす
2代目経営者で、10代の頃から店に立ち続けた古賀人美さん(71)が「もう十分やり切った」と引退を決意
九州産の黒毛和牛を使ったすき焼きや洋食は、国内外の多くのファンに愛された
ちんやは1948年、古賀さんの両親が中洲に精肉店を開いたのが始まり。50年ごろには精肉店を残しつつ、すき焼きや洋食を提供する現在のスタイルになっていたという。看板メニューは、細かくさしの入った牛肉が特徴的なすき焼き。ステーキや焼き肉定食を提供する1階の洋食店も、昼時のサラリーマンたちの舌をうならせてきた。
味以外にも名物がある。お客さんの目の前ですき焼きを調理する、かっぽう着姿の仲居さんらとの触れ合いだ。古賀さんは「私たちは誰にも変わらない対応を大事にした。だから、親子孫の3代で通った人たちもいるんだ」と振り返る。有名歌手や大物俳優の姿も珍しくなかった。昨年引退した、あの「平成の歌姫」も店のファンだった−と、複数の常連客は明かす。
他の人に屋号ごと事業継承する手もあったが「他人がちんやを変えていくのは、きっと耐えられないと思った」。自分と同じ年に生まれた店は家族も同然、わが身のようでもあった。
「古賀さんは若手を見つけては『ご飯を食べていき』と声を掛け、ごちそうしてくれた。まさに中洲のゴッドマザーだった」。山笠期間中の13日は20人の男衆が店の前に集まり、古賀さんに泣きながら感謝の言葉を述べた。15日には追い山を終えた中洲流の男衆が店前で集合写真を撮った。
参考)日経電子版
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO38097100S8A121C1000001/
跡取りはいないというのが、店を継承しない理由のようだ。
精肉店も閉店なのかもしれない。
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