弁護士が儲けたいだけではないのか?
Yahoo!より、
請求棄却に声詰まらせ落胆 強制不妊訴訟の原告女性
5/28(火) 20:41配信 産経新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190528-00000596-san-soci
記事より、
・旧優生保護法(昭和23年〜平成8年)下で不妊手術を強制されたとして被害者が国に損害賠償を求めた訴訟で、28日の仙台地裁判決は、立法措置を講じなかった国会の違法性を否定した。「このまま人生が闇に葬られる」。被害回復の道を司法に求めた被害者には、落胆が広がった。
「原告らの請求をいずれも棄却する」。主文を読み上げる裁判長の声に、法廷は重い空気に包まれた。地裁前で「不当判決」の文字が掲げられると、集まった支援者は絶句した。
「国に謝罪してもらいたい。国には誠意のある対応をしてほしい」。原告の1人で、仙台市内で暮らす飯塚淳子さん(仮名、73)は、判決後の記者会見で声を詰まらせた。
宮城県沿岸部で昭和21年、7人きょうだいの長女として生まれた。16歳のときから県内で住み込みで働き始めたが、「職親(しょくおや)」(知的障害者を預かり、指導訓練を行う従事者)に連れられて訪れた診療所で「精神薄弱」と診断された。その後、旧法に基づく不妊手術を強いられた。
「全く何も知らされないまま手術を受けさせられた。いつ、麻酔をかけられたかも分からない。気がつくと手術は終わっていた」。当時の記憶で覚えているのは、のどを潤すために水を飲もうとした際、看護師に手で制されたことだけだった。
20代で結婚。知人を通じて養子縁組を結び、「息子」もできた。家族とドライブに出かけ、釣りにも行った。果物狩りをしたことも、飯塚さんにとっては思い出深い出来事の一つだ。
ただ、現実は厳しかった。「子供を産めない」ということを引け目に感じ、不妊手術を受けたことを夫に告白すると、夫は飯塚さんの元を去っていった。結婚の回数は通算で3回を数えた。
「このまま人生が闇に葬られては困る」。そんな思いを胸に、20年ほど前から東京や大阪で講演会を行い、体験を語ってきた。不妊手術を受けた当時の資料を1人で調べると、手術を受ける必要がなかったことも知った。
飯塚さんは判決が言い渡されると、裁判長の言葉をメモしていた手を止め、うつむいた。
「同じ年代の人々とは違う人生を歩んできた。今、裁判を起こそうが何をしようが、人生は返ってこない。できることなら16歳に戻って幸せな人生を謳歌(おうか)したい」。飯塚さんはそう語気を強めた。
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