つまり、いつ大地震がどこで起こるなど誰も言えないのだ。
できることは大地震でも大丈夫な家に住むこと。
それができないとすれば、せめて木造住宅という大地震ですぐに壊れるような建物の場合は1階で寝ることはやめて、2階でねることだろう。
建物は壊れても人が死ななければよい。
被害よりも死なないことにこだわることが大切だ。
Yahoo!より、
地震“予測”研究が岐路に 「いつ起こるか明言できない」学者の苦悩
4/16(火) 11:02配信 西日本新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190416-00010004-nishinpc-sctch
記事より、
・阪神大震災や東日本大震災、熊本地震など大きな被害を伴う震災が相次ぎ、予知や予測を目指してきた日本の地震研究が岐路に立たされている。発生時期や規模、場所を事前に特定する技術は確立されていない。「今の科学の知見では予知、予測は幻想だ」という厳しい意見もあり、研究成果をどう防災に生かすのか、地震学者の苦悩は深い。
・日本では一部の研究者が地震予知実現の重要性を訴え、政府が1965年度から地震予知計画を開始、90年代後半までに約2千億円を投入した。78年には静岡県沖の東海地震を想定し、気象庁の予知情報を受けて首相が警戒宣言を出し、交通規制などを行うと規定した大規模地震対策特別措置法まで施行された。しかし、これまでに予知ができた事例は一度もない。
・ゲラー氏が地震予測の最大の弊害だと考えるのは、政府の予測地図で危険とされていない地域が「安全」と誤解されかねない点だ。ゲラー氏は「南海トラフや首都直下型などの危険性ばかりが叫ばれ、それ以外の地域で地震が起きれば『想定外』で済まされる。日本はどこでも不意打ち地震が起こりうるので、全国で満遍なく災害対策を行うべきだ」と話している
本当に大地震が発生する日本ではあてにならない予知に頼るのは危険だ。
いつ、どこで地震が起きても人が死なない対策は、意外に簡単にできるものだ。
そうしたものに金をかけたほうがはるかに良い。
地震学者は苦悩するというのだが、本当に苦悩しているのか?
大切なのは死なないことだ。無駄な金を予知に使っている余裕はない。
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