所得に応じて何が適切な暇つぶしなのかが問題になる。
もちろん人殺しはいけないし、迫害、いじめに走るのもダメだろうが、究極のいじめ、暇つぶしが戦争であり、テロはその一つの手段でもあるのだろう。
池田信夫ブログより、
退屈の小さな哲学
2018/11/29 23:52
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/52022575.html
記事より、
・生活に追われていた民衆には、退屈する暇がなかった
・貴族や聖職者は暇だったが、退屈しなかった。人生は神の国に至る過程であり、いつも神に救われるように努力する必要があったからだ
・人々にそういう目的を与えるのが教会の仕事だった
・しかし民衆も豊かになると暇を持て余し、彼らが信仰を失うと人生は退屈になる。キルケゴールは「退屈はいっさいのわざわいの根源だ」と強調した
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