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2020年03月15日

城丸君事件

1984年(昭和59年)
1月10日(火)9時35分ころ、

北海道札幌市豊平区に住む城丸隆さんの自宅の電話が鳴り響いた。
この時期は北海道地区はまだ小学校も冬休みのため、
たまたま自宅にいた城丸隆さんの次男
城丸秀徳くん(当時9歳)がその電話に出た。
一緒に自宅にいた城丸くんの母親は朝食の支度をし、父親はリビングでくつろいでいた。その時の様子を振り返り、城丸くんは友達と会話をしている様子ではなく、
時折「はい、はい。」と返事をしており、年上の大人と会話していたようだったと証言している。城丸くんはその電話が終わると
「出かけてくる」と言い、
母親がどこに行くのかを聞くと城丸くんは次のように答えたという。
「ワタナベさんのお母さんが、
僕の物を知らないうちに借りた。
それを返したいと言って、
来てくれと言うんだ。
函館に行くと言っている。
車で来るから道で渡してくれる。
「それを取りに行く」
「100mくらい離れたところに、おばさんが持ってきてくれる」
この城丸くんの話を聞いた父親、母親、長女(当時13歳)、長男(当時12歳)も話が理解がでなかった。城丸くんは玄関で既に長靴を履き始めていた。
母親が上着も着けず家から出ようとした為、防寒具を着用させる。
そのとき城丸くんの母親は不安を覚え、
長男に後を追わせた。
城丸くんの行方が分からなくなったのは
「二楽荘」というアパート付近である。
城丸くんの兄の証言によれば
「二楽荘」付近で左折する姿が見えたという。
黒線の方角には城丸くんの自宅があり、
角には当時のままの公園が残されている。
Screenshot_20200315-152043~2.png
札幌「二楽荘」付近の画像

城丸くんの母親と長男は近所を探したが、城丸くんを見つけることができずその日の昼12時30分ころ、父親に相談して警察に届けることにした。連絡を受けた警察官が付近を捜索すると、意外にもすぐに城丸くんの目撃者が見つかった。「二楽荘」というアパートの住人で「工藤加寿子」という女性が城丸くんの最後の目撃者であった。この女性は城丸くんに「ワタナベさんに家を尋ねられ、隣の家がワタナベさん宅であることを教えた」と答えている。その後は知らないという。警察は公開捜査に切り替えて捜査を行ったが、のちに逮捕された工藤加寿子は裁判にて「無罪」の判決が言い渡されている。この事件は検察が起訴したにもかかわらず「無罪」となり、「黙秘権」にも注目が集まった特異な事件であった。

< 関係者/登場人物 >
【失踪者の父】 城丸隆
       (じょうまるたかし)
       (当時54歳)
       (会社経営)
【失踪者の母】 氏名年齢不明
【長女】 氏名不明
    (当時13歳、中学1年生)
【長男】 氏名不明
    (当時12歳、小学6年生)
【次男】 城丸秀徳くん
【重要参考人】 工藤加寿子
       (くどうかずこ)
       (当時28歳)
【重要参考人の娘】 氏名不明
         (当時2歳)

< 失踪者/被害者情報 >
【氏名】 城丸秀徳
    (じょうまるひでのり)
【性別】 男性
【年齢】 当時9歳
    (当時・札幌市立西岡
         小学校4年生)
【身長】 145cm前後
【体重】 30kg前後
【血液型】 不明
【生年月日】 1975年(昭和50年)月日不明
【当時の住居】 北海道札幌市豊平区
        福住1条1丁目
【最寄駅】 札幌市営東豊線「福住駅」

< 重要参考人情報 >
【氏名】 工藤加寿子(くどうかずこ)
【性別】 女性
【当時の年齢】 29歳
【身長】 167cm
【体重】 50kg前後
【血液型】B型

【生年月日】
 1955年(昭和30年)月日不明

【職業】 
当時無職
(事件の数ヵ月前までススキノ高級クラブのホステス)

【出生地】 
北海道新冠郡新冠町節婦町
(ほっかいどうにいかっぷぐんにいかっぷまちせっぷちょう)出身

【学歴】 
北海道新冠郡新冠町立小学校卒業、
同新冠町立中学校卒業

【当時の住居】 
北海道札幌市豊平区福住1条1丁目9-21 「二楽荘」(現在は「アールベル」という名称に変更されている)

【最寄駅】 札幌市営東豊線「福住駅」

[事件経緯]
(時系列)
1. 1984年(昭和59年)1月10日(火)9時35分ころ、城丸隆さん宅の固定電話が鳴り響きリビングにいた秀徳くんが電話に出た。父親と母親、長男もリビングにいたが、母親は丁度そのころ朝食の仕度をしていた。

2. 電話に出た城丸くんは母親に電話を代わることなくそのまま応対を続け、年上の相手と話している様子で「はい、はい。わかりました」と答え、電話を切った。電話の声は女性だったという。
※母親と長男の証言による。

3. その様子を見て不審に思った母が城丸くんに誰からの電話だったのかを尋ねると「ワタナベのお母さんが僕の物を知らないうちに借りたそうだ。それを僕に返したいと言っている。函館に行くと言っているから、それを取りに行ってくる」と城丸くんは答えたという。
※母親と長男の証言による。

4. それを聞いた母も長男も事情が理解できず混乱しているうちに、城丸くんは「ちょっと出かけてくる」と言い自宅玄関で長靴を履き始めていた。城丸くんは母に着ていくように言われた防寒具を着込み、そのまま玄関を出て歩いて行った。
※母親と長男の証言による。

城丸君事件続き

2020年03月11日

ファイアビー チャカ2

日本航空123便墜落事故

ネット上ではファイアビーとチャカ2が
123便を撃墜したと書いてますが
ファイアビーとチャカ2を搭載する
訓練支援艦の「あずま」は8月12日に呉港にいたことによってこれは違うのでは。
また捕捉で訓練機、模擬弾はわかりやすくオレンジ色になっている。


ファイアビー・チャカ2png

SSM−1

日本航空123便墜落事故
Screenshot_20200311-152753~2.png


2020年03月09日

日本航空123便墜落事故

Screenshot_20200315-221821~2.png
護衛艦 まつゆき画像

護衛艦「まつゆき」には、艦対空ミサイル「短SAMシースパロー装置」が搭
載されています。1985年8月12日に「まつゆき」は相模湾・伊豆沖で試運航中で
あったのですが、当然、ミサイルの発射実験とその誘導レーダーの操作、命中について
のテスト訓練をやっているはずです。したがって、そういう飛行物体が民間航空路に迷
い込む可能性はゼロではないのです。
 しかし、爆薬の入っていない巡航ミサイルが「まつゆき」から打ち上げられたのか、
内陸部の車両発射台から打ち上げられたのか、もしくは航空機から発射されたのかは、
わかっていないのです。巡航ミサイルであれば、自衛隊の東富士演習場から打ち上げら
れ、富士山を迂回して、相模湾上空でJAL123便に遭遇するということも、十分考
えられるのです。
 ボイスレコーダなどの分析記録によると、操縦クルーや乗客の一部がその謎の飛行物
体を目撃しているフシがあるのです。事故調査委員会はそういう事実も知ったうえで、
あくまで圧力隔壁破損が垂直尾翼破壊の原因であることで通してしまったのですからよ
ほど外部からの飛行物体の存在を隠したかったのでしょう。

2020年03月08日

日本航空123便墜落事故

Screenshot_20200309-152141~2.png


日本航空123便墜落事故(にほんこうくう123びんついらくじこ)は、1985年(昭和60年)8月12日午後6時56分30秒、東京・羽田空港発、大阪・伊丹空港行の同社定期便だったJAL123便が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(標高1,565メートル、通称:御巣鷹の尾根)へ墜落した事故。飛行中に機体後部の圧力隔壁が破損、垂直尾翼と補助動力装置が脱落し、油圧操縦システムも全喪失、操縦不能に陥り迷走飛行の末、墜落した。1978年(昭和53年)に伊丹空港で起きた同機の「尻もち事故」の際、機体の製造会社である米国ボーイングが実施した不適切な修理が原因とされる。

2020年03月07日

長岡京ワラビ採り殺人事件

長岡京殺人事件
長岡京ワラビ採り殺人事件
京都長岡ワラビ採り殺人事件
長岡京2主婦殺害事件とも呼ばれる。

1979年(昭和54年)5月23日(水曜日)に京都府長岡京市の山中で主婦2名が殺害された事件。
Screenshot_20200307-155046~3.png


有力な情報も得られないまま捜査は難航し、
1994年(平成6年)5月24日に公訴時効が成立した。

事件の概要
1979年(昭和54年)5月23日(水曜日)
長岡京市内にあるスーパーマーケットいずみや
現在「イズミヤ」、阪急京都線「長岡天神駅」から南へ約200メートルの場所に位置する

Screenshot_20200307-222401~2.png
スーパーマーケット イズミヤ画像

でパートをしていた主婦2人が、開店前の午前6時〜午前10時まで、生鮮食料品を売り場に並べる仕事に携わっていた。
仕事後、近くの山の竹林にワラビ採りに行ったまま消息不明となり、2日後の25日、
山頂付近で遺体となって発見された。

Screenshot_20200307-190811~2.png

直接の死因は
明石英子さん(当時43歳)が絞殺、
水野恵子さん(当時32歳)が刺殺。
2人のリュックには、それぞれ空の弁当箱、採ったワラビ、財布が入ったままであった。検死の結果、死亡時刻はどちらも正午過ぎから午後2時半頃までと判明。

どちらも金を奪われた形跡はなかったが、
明石英子の衣服のポケットから、

Screenshot_20200307-164910~2.png
実際に残されていたメモの画像

オワレている たすけて下さい 
この男の人わるい人

と鉛筆で走り書きをした、勤務先のスーパーのレシート(日付は事件当日より2日前)が発見されたが、どちらの荷物にも衣服のポケットにもこの鉛筆がなかった。後日の捜索で、殺害現場から少し離れたところで芯の先端だけが見つかっているが、鉛筆そのものは見つからなかった。

主婦A・・・(43歳)全身約30箇所の皮下出血、手拳や蹴り上げられたような跡があった。
左右計9本の肋骨が折れ、肝臓が破裂していた。
Aさんはシャツに乱れはあったものの、下半身の衣類はちゃんと着ていたが、体液が検出された。首を両手で絞められたことによる窒息死だった。


主婦B・・・(32歳)は約50箇所の皮下出血、手拳や蹴り上げられたような跡があった。
0型の血液型と特定された体毛が付着していた。
胸を刺傷した事による失血死。
胸には肋骨を切断して、心臓から肺にまで達する包丁が突き刺さったままだった。
Bさんは発見当時、下半身の下着やストッキングが引き裂かれて、ジーパンや靴が遺体近くに散乱しており、性的暴行を受けた可能性も示唆していたが体液は検出されなかった。
遺体のアキレス腱は切断されており、逃亡できない状況を作られていた。

犯行現場は、殺された主婦たちのように、ピクニックがてら山菜採りに地元の人が訪れているようなところだったが、犯行発生前から木や竹が生い茂り、昼間でも薄暗いところが多く、レイプ事件も発生していた。遺留品は主婦Bの遺体に突き刺さっていた包丁1本のみで指紋は検出されず、販売ルートも解明されずじまいだった。そして、有力な手がかりも得られないまま、1994年5月24日に公訴時効が成立した。

不審な人物の目撃情報

・長岡京市内に住む少年Aが、犯行時間内に駆け足で下山するところを目撃されており重要参考人となるも、実は犯行当日は一日中、別の場所にいたことが判明した。
彼が空手を習っていて、よく山にサイクリングにきていることを知っている人物からの目撃情報だった。

・主婦らが山に入った10分後、25歳から30歳の男性二人組が目撃されていたが、身元判明できず。

・事件の前年同時期にワラビ採りをしていた主婦に声をかけた、40〜45歳くらい、身長170cmのねずみ色の作業着を着た男が、長さ30cmくらいの包丁を持ち、奥さん、ワラビ採れますか」と声をかけたとのことだが、似顔絵を製作して捜査を進めるが身元判明できず。
Screenshot_20200307-201301~2.png


事件のその後のもう一つの殺人事件

この『長岡京殺人事件』は被害者は2名ということで捜査は進められていたと思うのです。

目にする記事なども主婦2人が山でワラビ採りをしていて、被害に遭った事件。

ところが実は詳細は違っていたみたいで、ワラビ採りに山に入った主婦は実は3人いたそうです。

もう一人の主婦(主婦C)は先に一人で下山していて事件に巻き込まれなかったそうです。

しかし警察は主婦Cが事件に巻き込まれないように、この事実は公表しなかったそうです。

ところがこの『長岡京殺人事件』から5年後に、主婦Cは同じ市で首や背中をメッタ刺しにされた上、布団に包まれた状態で火を点けられて殺害されたそうです。

Screenshot_20200307-183723~2.png

第二の殺人事件の警察記者会見では、最初の殺人事件と主婦Cとの関係はまったく言及されず、マスコミ関係の人物から報道協定についての証言は一切得られてもいないそうなので、今となると都市伝説にもなっている話だそうです。

ただ、残された血液型はO型で右足の第二指が突出していることが判明していて、この事件も同様に未解決事件となっているそうです。

2020年03月03日

福島女性教員宅便槽内怪死事件

日時 1989年2月28日18時頃
場所 福島県田村郡都路村
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村内の小学校に勤める女性教員Aさん(当時23才)は住まいとしている小学校に隣接した教員住宅に帰宅し、トイレに入って何気なく中を覗くと靴の
ようなものが見えるのを発見した。
(なぜか靴のうち一足が遺体の頭部付近に置いてあった。もう一足は自宅付近の土手で発見された。これだけでも充分怪しい話しである。)

驚きと恐怖で悲鳴をあげたAさんは慌てて外の汲み取り口へ周ると蓋が開いていて、中を覗くと人間の足が見えた。

この時点で覗きであると考えていたAさんは、すぐさま教員先生ほか同僚の教員を呼び、同僚の先生が警察へ通報した。

まず近くの駐在から警官が駆け付け、続いて村の消防団員と三春署員が相次いで到着する。
たが問題はここからである。

署員らは便槽から中の人物を引っ張りだそうとするが、狭くてどうしても出すことが出来ず、万策尽きた警察は最終的に土木会社に依頼して便槽の周りを重機で掘り起こし、
トイレ自体を破壊してどうにか便槽内の男を出すことが出来た。

(便槽は後にSさんの父親が復元して保存している)

便槽内の人物はすでに死亡していた。
すでに死後硬直の始まっていた遺体は真冬というのに上半身裸で、着ていた上着を胸に抱えて膝を折り、顔をやや左に傾けた形で固まっていた。

糞尿に塗られていた遺体はその場でホースで洗われ、さらに運ばれた消防団の詰所でもう一度洗われ、医師による検死が行われた。

検死の結果死因は「凍え兼胸部循環障害」と判定された。狭い場所で肺を圧迫され、さらに凍える気温のために凍死してしまったという見解である。

遺体には肘(ひじ)にすり傷がある程度で目立った外傷も無かった。争った形跡もなかった。

死後硬直の状況から2日も前の26日頃に死亡したものと思われた。

遺体の身元はすぐに判明した。現場から車で10分ほどの村内に住むSさん(26歳)だったからである。

警察はSさんが覗き目的で便槽内に浸入したものの便槽の狭さで出れなくなって凍死したものと判断した。

覗き目的の不名誉事故死として警察に処理されたこの事件だが、村内では当初から疑問を呈するこえが囁かれた。

死亡したSさんは村に両親と祖母の4人暮らし。スポーツと音楽が好きな好青年として有名であったからだ。

仕事は隣町の原発保守を行う会社で営業主任を勤めていて、村では青年会のレクリエーション担当部長として中心的存在。

明るく人望もあり、友人の結婚式では司会をよく頼まれ村の村長選挙では応援演説を頼まれるほどの存在だった。
そんなSさんが覗きをするために便槽に忍び込むとは考えられない、
彼を知る誰もがそう話していた。

しかもSさんの足取りが途絶えていたのは2日前の24日であり、父に「ちょっと出てくる」と言い残したきりSさんは家に帰ることはなかった。

Sさんの車は教員住宅近くの農協駐車場で、しかもカギを付けた状態で発見されている。

それに靴の片方が現場から離れた土手で発見されているのも不可解ですし、死亡推定日も26日。

2日も行方不明になった男がどうして覗きのために便槽にはいらなければならないのか。

そもそもSさんはその間何処でどうしていたというのだろうか?

この事件はSさんは誰かに殺されたという観点で
2つの仮説が根強く囁かれた続けている。

ひとつはSさんが応援演説を引き受けたという村長選挙である。
近年稀にみる激戦であった村長選挙は票を集めるために多額の現金が両陣営で飛び交ったという。

Sさんはその有りさまに失望し、途中から村長の応援を止めてしまったというのである。

狭い村の利権に絡んだ恨みを、Sさんは買っていたのではないかというのだ。

もうひとつの説は女性教員であるAさんとSさんはAさんの恋人を通じての知り合いであり、

2020年03月01日

山梨県道志村女児行方不明



2019年9月21日(令和元年)
山梨県道志村にある「椿荘オートキャンプ場」
千葉県成田市小学1年生
小倉美咲ちゃん(7歳)が行方不明となった。

Screenshot_20200301-201906~2.png
小倉美咲さんの家族が作った情報提供を呼び掛けるチラシ(家族提供)

Screenshot_20200301-195930~2.png

小倉美咲ちゃんが行方不明になった経緯を
10月1日に家族が明らかにしてます。

21日午前9時一部サークルのメンバーが先に到着

午後0時15分 小倉家(母親のとも子さん、長女、次女美咲さん)が到着(父親の雅さんは当日仕事が遅くまであり、翌日から合流予定でした。)

13時 グループで昼食に天ぷらそばを食べ、その後、子供たち12人でテントを張ったキャンプ場の
南の森で遊ぶ

15時35分 先におやつのチョコバナナを食べ終えた子供9人が遊びに行く

15時40分 美咲ちゃんが後を追いかけるように遊びに行く

15時50分 大人が子供たちを迎えに行く

16時 美咲ちゃんがいないので、父母たちが周辺を探しはじめ、山にも登りはじめる

16時17分 グループLINE(ライン)を使って連絡しながら探索を開始。テント内なども確認

16時35分 テントの中を再確認

17時 日没が近づいてくるので警察に連絡を入れる。美咲ちゃんがいなくなったことを父親の雅さんに連絡

17時49分 キャンプ場にライトを取りに戻る

18時1分 警察が到着。とも子さんが事情を聴かれる。その他の大人は継続して周辺を探索。
男親たちは車で周辺を探索

20時 子供を寝かせた後に大人は継続して周辺を探索

22時 警察、消防が当日の探索終了

22日午前1時半仕事を切り上げてきた雅さんが到着。雅さん、とも子さん、友人で周辺を探索

3時 探索
概要を終了



キャンプ初日、小倉さん一家は正午過ぎにキャンプ場に到着。美咲ちゃんの父親は仕事の関係で翌日に合流する予定で、初日はとも子さん、美咲ちゃん、姉の3人で訪れていたという。

午後3時40分ごろに美咲ちゃんが子どもたちの後を追いかけ遊びに行き、10分後の午後3時50分には大人たちが迎えに行った。さらにその10分後の午後4時ごろには、美咲ちゃんがいないことに気付いて、付近の捜索を始めている。

美咲ちゃんの姿が最後に確認されてから、わずか20分足らずの間に行方が分からなくなっていることになる。

母親とも子さんが公開したメモ
13時(9月21日)
グループでお昼に天ぷらそばを食べて、その後子どもたち12人でテントを張ったサイト横の南の森で遊ぶ

15時35分
先におやつのチョコバナナを食べ終えた子ども9人が遊びに行く

15時40分
美咲ちゃんが後を追いかけるように遊びに行く

15時50分
子どもたちを迎えに大人が迎えに行く

16時
美咲ちゃんがいないので、父母たちが周辺を探し始め、山にも登り始める


美咲ちゃんの姿が見えなくなったことから午後5時に警察に連絡。
父親にもこのことが伝えられ、警察や他の大人たちが捜索したが….

【とも子さんが公開したメモ】
22時
警察、消防、当日の捜索終了

深夜1時30分(ここから9月22日)
仕事を切り上げて移動してきた父到着。到着後、父、母、友人とで周辺を捜索

深夜3時
捜索を終了

一緒にキャンプしたのは、子育てサークルで知り合った家族ぐるみの友達。

タグ:小倉美咲
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