2020年03月03日
福島女性教員宅便槽内怪死事件
日時 1989年2月28日18時頃
場所 福島県田村郡都路村
村内の小学校に勤める女性教員Aさん(当時23才)は住まいとしている小学校に隣接した教員住宅に帰宅し、トイレに入って何気なく中を覗くと靴の
ようなものが見えるのを発見した。
(なぜか靴のうち一足が遺体の頭部付近に置いてあった。もう一足は自宅付近の土手で発見された。これだけでも充分怪しい話しである。)
驚きと恐怖で悲鳴をあげたAさんは慌てて外の汲み取り口へ周ると蓋が開いていて、中を覗くと人間の足が見えた。
この時点で覗きであると考えていたAさんは、すぐさま教員先生ほか同僚の教員を呼び、同僚の先生が警察へ通報した。
まず近くの駐在から警官が駆け付け、続いて村の消防団員と三春署員が相次いで到着する。
たが問題はここからである。
署員らは便槽から中の人物を引っ張りだそうとするが、狭くてどうしても出すことが出来ず、万策尽きた警察は最終的に土木会社に依頼して便槽の周りを重機で掘り起こし、
トイレ自体を破壊してどうにか便槽内の男を出すことが出来た。
(便槽は後にSさんの父親が復元して保存している)
便槽内の人物はすでに死亡していた。
すでに死後硬直の始まっていた遺体は真冬というのに上半身裸で、着ていた上着を胸に抱えて膝を折り、顔をやや左に傾けた形で固まっていた。
糞尿に塗られていた遺体はその場でホースで洗われ、さらに運ばれた消防団の詰所でもう一度洗われ、医師による検死が行われた。
検死の結果死因は「凍え兼胸部循環障害」と判定された。狭い場所で肺を圧迫され、さらに凍える気温のために凍死してしまったという見解である。
遺体には肘(ひじ)にすり傷がある程度で目立った外傷も無かった。争った形跡もなかった。
死後硬直の状況から2日も前の26日頃に死亡したものと思われた。
遺体の身元はすぐに判明した。現場から車で10分ほどの村内に住むSさん(26歳)だったからである。
警察はSさんが覗き目的で便槽内に浸入したものの便槽の狭さで出れなくなって凍死したものと判断した。
覗き目的の不名誉事故死として警察に処理されたこの事件だが、村内では当初から疑問を呈するこえが囁かれた。
死亡したSさんは村に両親と祖母の4人暮らし。スポーツと音楽が好きな好青年として有名であったからだ。
仕事は隣町の原発保守を行う会社で営業主任を勤めていて、村では青年会のレクリエーション担当部長として中心的存在。
明るく人望もあり、友人の結婚式では司会をよく頼まれ村の村長選挙では応援演説を頼まれるほどの存在だった。
そんなSさんが覗きをするために便槽に忍び込むとは考えられない、
彼を知る誰もがそう話していた。
しかもSさんの足取りが途絶えていたのは2日前の24日であり、父に「ちょっと出てくる」と言い残したきりSさんは家に帰ることはなかった。
Sさんの車は教員住宅近くの農協駐車場で、しかもカギを付けた状態で発見されている。
それに靴の片方が現場から離れた土手で発見されているのも不可解ですし、死亡推定日も26日。
2日も行方不明になった男がどうして覗きのために便槽にはいらなければならないのか。
そもそもSさんはその間何処でどうしていたというのだろうか?
この事件はSさんは誰かに殺されたという観点で
2つの仮説が根強く囁かれた続けている。
ひとつはSさんが応援演説を引き受けたという村長選挙である。
近年稀にみる激戦であった村長選挙は票を集めるために多額の現金が両陣営で飛び交ったという。
Sさんはその有りさまに失望し、途中から村長の応援を止めてしまったというのである。
狭い村の利権に絡んだ恨みを、Sさんは買っていたのではないかというのだ。
もうひとつの説は女性教員であるAさんとSさんはAさんの恋人を通じての知り合いであり、
場所 福島県田村郡都路村
村内の小学校に勤める女性教員Aさん(当時23才)は住まいとしている小学校に隣接した教員住宅に帰宅し、トイレに入って何気なく中を覗くと靴の
ようなものが見えるのを発見した。
(なぜか靴のうち一足が遺体の頭部付近に置いてあった。もう一足は自宅付近の土手で発見された。これだけでも充分怪しい話しである。)
驚きと恐怖で悲鳴をあげたAさんは慌てて外の汲み取り口へ周ると蓋が開いていて、中を覗くと人間の足が見えた。
この時点で覗きであると考えていたAさんは、すぐさま教員先生ほか同僚の教員を呼び、同僚の先生が警察へ通報した。
まず近くの駐在から警官が駆け付け、続いて村の消防団員と三春署員が相次いで到着する。
たが問題はここからである。
署員らは便槽から中の人物を引っ張りだそうとするが、狭くてどうしても出すことが出来ず、万策尽きた警察は最終的に土木会社に依頼して便槽の周りを重機で掘り起こし、
トイレ自体を破壊してどうにか便槽内の男を出すことが出来た。
(便槽は後にSさんの父親が復元して保存している)
便槽内の人物はすでに死亡していた。
すでに死後硬直の始まっていた遺体は真冬というのに上半身裸で、着ていた上着を胸に抱えて膝を折り、顔をやや左に傾けた形で固まっていた。
糞尿に塗られていた遺体はその場でホースで洗われ、さらに運ばれた消防団の詰所でもう一度洗われ、医師による検死が行われた。
検死の結果死因は「凍え兼胸部循環障害」と判定された。狭い場所で肺を圧迫され、さらに凍える気温のために凍死してしまったという見解である。
遺体には肘(ひじ)にすり傷がある程度で目立った外傷も無かった。争った形跡もなかった。
死後硬直の状況から2日も前の26日頃に死亡したものと思われた。
遺体の身元はすぐに判明した。現場から車で10分ほどの村内に住むSさん(26歳)だったからである。
警察はSさんが覗き目的で便槽内に浸入したものの便槽の狭さで出れなくなって凍死したものと判断した。
覗き目的の不名誉事故死として警察に処理されたこの事件だが、村内では当初から疑問を呈するこえが囁かれた。
死亡したSさんは村に両親と祖母の4人暮らし。スポーツと音楽が好きな好青年として有名であったからだ。
仕事は隣町の原発保守を行う会社で営業主任を勤めていて、村では青年会のレクリエーション担当部長として中心的存在。
明るく人望もあり、友人の結婚式では司会をよく頼まれ村の村長選挙では応援演説を頼まれるほどの存在だった。
そんなSさんが覗きをするために便槽に忍び込むとは考えられない、
彼を知る誰もがそう話していた。
しかもSさんの足取りが途絶えていたのは2日前の24日であり、父に「ちょっと出てくる」と言い残したきりSさんは家に帰ることはなかった。
Sさんの車は教員住宅近くの農協駐車場で、しかもカギを付けた状態で発見されている。
それに靴の片方が現場から離れた土手で発見されているのも不可解ですし、死亡推定日も26日。
2日も行方不明になった男がどうして覗きのために便槽にはいらなければならないのか。
そもそもSさんはその間何処でどうしていたというのだろうか?
この事件はSさんは誰かに殺されたという観点で
2つの仮説が根強く囁かれた続けている。
ひとつはSさんが応援演説を引き受けたという村長選挙である。
近年稀にみる激戦であった村長選挙は票を集めるために多額の現金が両陣営で飛び交ったという。
Sさんはその有りさまに失望し、途中から村長の応援を止めてしまったというのである。
狭い村の利権に絡んだ恨みを、Sさんは買っていたのではないかというのだ。
もうひとつの説は女性教員であるAさんとSさんはAさんの恋人を通じての知り合いであり、
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