2020年04月08日
霧積温泉女性殺人事件
【未解決事件】
【控訴時効成立】
群馬県松井田町霧積山24歳女性殺人事件
霧積温泉女性殺人事件
霧積山女性殺人事件
旧碓氷郡松井田町
最後の写真画像
霧積温泉女性殺人事件犯行現場の作業小屋写真画像
1972年(昭和47年)08月16日(水曜日)
霧積温泉女性殺人事件 群馬県松井田町
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月17日(木) 1面
工事現場に女性の死体
乱暴され殺さる 全身に数ヵ所の傷 他で殺し運ぶ? 霧積ダム
十六日午後五時ごろ、碓氷郡松井田町の霧積ダム建設現場付近の
小屋の中で、伊勢崎市昭和町、店員××××さん(二四)の
死体が発見されたと父親の同所、撚糸業××○○さん(五五)から
松井田署に届け出があった。
同署では現場に急行して調べたところ、××さんの死体は
工事現場付近の物置き小屋の中で頭を南にあお向けに倒れ、
着衣はノースリーブのブラウスに白スカートをつけ、スカートが
まくれているなど着衣の乱れがあるほか、死体の右腕に長さ
五センチ、幅三センチの切り傷があり、他にも左胸、首などに
多数の外傷が発見され、同署では殺人事件として本格的な捜査に
乗り出した。
捜索の父親が発見
××さんが死体で見つかった場所は国道十八号線、碓氷峠
カーブ3から霧積温泉方向に霧積川に沿って約七キロ入った地点、
林道から一段下がった数年前に堰堤(えんてい)工事に使った
作業小屋だった。
小屋は板張りで八畳と六畳の二間あり、××さんは八畳の間の
真ん中であお向けになって死んでいた。
死体は首の右と左腕、右手の三ヵ所に鋭利な刃物で刺したと
みられる傷があり、濃い紺のワンピース、白の運動ぐつをはいていた。
小屋の東側には出入り口があるが、西側の窓がこわされていた。
死体の傷に出血が少ないので、他の場所で殺されて乱暴されたあと
車で運び込まれたらしい。小屋に入る道路上に乗用車のタイヤ跡が
残っていた。
小屋の中には××さんが持っていたカメラ、ハンドバッグなどは
なかった。
同署の調べによると、××さんは十二日に東京都小金井市緑町にいる
実弟の銀行員△△さん(二二?)ら二人と同温泉に宿泊する予定だったが、
△△さんらの到着が遅れて一人で泊まった。翌十三日午前十時ごろ、
一人で旅館を出た。旅館の人が自動車で送るといったが、
「歩いて帰る」と松井田方面に向かい、消息を絶った。
××さんを発見した父親の○○さん(五五)は××さんの安否を
気づかって近所の人十人と”私設捜索隊”を組み、同温泉へ向かう途中、
十六日午後四時半ごろハエがむらがっている小屋を見つけ、
不審に思って中へ入ったところ、××さんが死んでいたという。
××さんの自宅では、帰宅予定の十四日になっても××さんが
帰らないため、家族が心配して姉の□□さん(二八)が同温泉に探しに行き、
さらに十六日になって○○さんが伊勢崎署に家出人捜索願いを出した。
××さんは無口で友人関係などあまりないが、きちょう面なので
これまで遅刻や無断欠勤はなく、職場では信頼されていた。
また、旅行ずきで、休みにはよく温泉などに出かけていた。
霧積川には四十五年秋から多目的の霧積ダムを建設しており、
約百人の作業員が働いているが、十二日から盆休みで工事現場には
いなかった。
同署は霧積温泉に現在泊まっている客八十人に話をきく一方、
すでに旅館を出た人や車ではいった人を調べているが、犯人像については
全く見当がついていない。現場は指紋採取のむずかしいところで、
捜査は難航している。
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月18日(金) 1面
霧積山女性殺人事件
変質者の犯行? 現場に地下タビ跡 残忍、二十数ヵ所に刺し傷
碓氷郡松井田町坂本の霧積川沿いの作業員小屋で惨殺された
伊勢崎市昭和町、ガソリン店員××××さん(二四)の殺人事件を
捜査している県警捜査一課、同鑑識課、松井田、伊勢崎の両署は十七日、
××さんが殺されていた小屋付近の現場検証を中心に、十二日夜に
宿泊した霧積温泉の旅館など××さんの行動を調べ、犯人との”接点”の
発見に努めた。しかし、同日の調べでは小屋に犯人のものとみられる
地下タビによる足跡と犯行時に使用したとみられる軍手で血を
つけたような手の跡が見つかっただけで、××さんの下腹部にも
刺しキズがあり猟奇的な事件から変質者の犯行とみて捜査は
その線にしぼって進められている。
なお、十七日夜、松井田署に 温井守夫 松井田署長を本部長とする
「霧積山女性殺人事件捜査本部」を設置した。
同日は捜査員約百人が動員され、松井田町内と××さんの実家のある
伊勢崎市内で捜査を行なった。××さんが十六日夕方、変わりはてた姿で
発見された小屋付近で鑑識課員らが検証したが、死体のあった南側の
八畳間の西の端に、××さんが持っていた手編みの白色帽子、カメラ、
紺色の布バッグ、旅行ブック、下着類など四十三品がブリキ板で
隠されていた。
また、入り口のある奥の六畳間には××さんの死体を引きずった
らしい血跡が約二メートルにわたってついており、室内と小屋の外には
地下タビの足跡と血のついた軍手による跡が数ヵ所残されていた。
このほか、同日の調べで、××さんは十二日夜、霧積温泉の
金湯館=※※※※さん(六九)経営=の二十八号室に一人で泊まり、
翌十三日朝、朝食のあと午前十時ごろ、同旅館の嫁の◎◎さん(二七)が
「マイクロバスに乗っていったらー」と呼びかけに対し、
「歩いて行きます」と答えて出発している。その後、午後二時ごろ、
旅館から約五キロ下った地点でブラブラ歩いている××さんを同じ旅館に
親子三人で泊まり午後帰った安中市内の人が出会い、車に乗っていくよう
声を掛けたが、××さんはここでも断っている。
これらの足取りから、捜査陣は群大での××さんの解剖の結果と
考え合わせるとこの直後に××さんは犯人と会ったものらしいと
みており、さらに一・五キロ下った小屋になんらかの方法で
連れ込まれたものとみられる。
犯人については、殺害の手口から地下タビをはいて刃渡り十センチ、
刃幅二・五センチの鋭利な刃物を持った男一人の単独犯行とみており、
捜査本部は十二日から十三日にかけて金湯館と同じく※※さんが経営する
霧積館に宿泊した客約二百人と、死体が発見された小屋の下流で建設中の
霧積ダムの工事関係者の身元を調べた。
その結果、宿泊客の大半は家族連れで、若い人たちのグループもいたが、
ハイキングで鼻曲山−軽井沢のコースを歩いている。また、工事関係者は
盆休みで十二日夜に富山県出身者がマイクロバス一台で、青森県出身者が
大型バス一台で帰郷、十三日には作業員たちの食事の世話をしている
●●さん(五九)、〒〒さん(五四)の夫婦たち九人が宿舎にいただけだった。
そのうえ、小屋に残されていた地下タビの足跡はダム工事現場で
作業員たちが使っているもの以外の製品であることから、
今までの調べではダム関係者には犯人はいないものとみている。
捜査本部では、今日十八日は機動隊員も出動させて霧積川や
山道沿線で××さんを殺害した凶器の発見や、さらに××さんを
目撃した人たちから詳しく話を聞くことにしている。
胸の傷が致命傷 ××さん解剖
殺害された××さんの遺体は十七日午前十時から約二時間にわたって
群大法医学部教室で古川研同大医学部助教授の執刀で解剖された。
死因は左胸の心臓に達する深さ八センチ、長さ五センチの傷が
直接の原因とみられ、出血多量で死んだ。
死亡推定時間は十三日昼から夕方にかけてとみられており、
同日午前十時ごろ、霧積温泉の旅館を出てまもなく殺されたらしい。
心臓の傷はアバラ骨三本を切るすさまじいもので、このほか下腹部など
全身にわたって二十数ヵ所の刺し傷や切り傷があり、鋭い刃物で
メッタ切りされていた。
(1面下のコラムもこの事件について述べていますが略)
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月18日(金) 9面
霧積山女性殺人事件 猟奇殺人に発展
計画的? 手袋使う 血まみれを引きずる
床板を真っ赤に染めたおびただしい血痕、犯人は残酷にも血の吹き
出している死体を六、七メートルほど引きずり回していた−。
伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員××さん(二四)が、霧積温泉近くの
造林小屋で殺されていた事件を捜査中の松井田署と県警捜査一課では、
十七日早朝から、現場検証を行なう一方、ダム工事関係者、温泉宿泊者など
からの聞き込み、被害者の身辺捜査など本格的な捜査に乗り出した。
しかし現在のところ、犯人割り出しの有力なキメ手はもちろん、
上半身に二十四ヵ所の刺し傷、切り傷がある文字通りの惨殺振りから
怨恨、痴情、流しいずれの犯行とも決めがたく、事件のナゾはますます
深まる気配さえ見せている。そこで××さんの足取り、目撃者の証言、
殺害状況などから事件のナゾを解明してみた…
××さんの行動
これまでの捜査から判明している××さんの足取りは、十二日
午前十時ごろ、霧積温泉に一−二泊の予定で父親の○○さんに
伊勢崎駅まで送られた−という事実を出発点に、単身行動ではあったが
××さんと接した人たちの証言から確実な日時を断定する”点”は
いくつか出ている。
十二日午後零時四十分ごろ、××さんは、松井田町にある霧積温泉の
出張所になっている▲▲さん宅を訪れた。一般の温泉客は横川駅から
旅館のマイクロバスを利用するのに、なぜ××さんは駅から約三キロもある
▲▲さん宅を訪れたか(しかも徒歩と思われる)。
ここで××さんは▲▲さんとこんな会話をしている。
「ここから霧積温泉までどのくらいかかりますか」
「三−四時間はかかります。ましてハイヒールでは無理です」
このため××さんはちかくの雑貨店でマップシューズを買った。しかし、
▲▲さんに説得されてマイクロを待つことにして、あがって一時間以上も
話し込んだ。
「どこからきたの」「伊勢崎です」「おばさんはわたしの学校時代の
担任の先生に似ている」
××さんは今月初めに出張所に電話で予約をしているのに、このことは
一言も触れず、名前もいわなかったという。さらに疑問なことは、
家族の話では××さんは同温泉にはこれまで二回行ったことがあるのに
初めての客のように装っていることだ。
同夜温泉の金湯館に一泊した××さんがここを出発したのは
翌十三日の午前十時ごろと見られている。(未確認)。そしてマイクロに
同乗することを断って歩いて帰路についたという。
午後二時前後、安中市内に住む親子三人づれのAさん一家が車で帰る途中、
死体発見現場から約一・五キロ手前を一人で歩いている××さんを認めて、
車に同乗するよう誘ったが、これも断った。事件発生当日とみられる
十三日に××さんを目撃したのはAさん一家だけで、いまのところ
この”点”を”線”に結びつけるものは何ひとつ出ていない。
犯人像は…
心臓部をえぐりロッ骨三本を切断した傷、長さ七センチに及ぶ
右頸部の切創、左手首を貫通した刺し傷−背中、臀部も含めて
上半身二十四ヵ所の生々しい傷口は殺人事件の中でもあまり
類をみない残酷さ。現場検証の結果から、犯人は北側の部屋で
××さんを殺害したもので、犯行現場と死体発見現場同一説が
強まっている。
犯人は何の目的か、血の吹き出ている××さんを約六、七メートルも
引きずって南側の部屋に移したようだ。このため、この間は血のりが
ベットリと本床にしみ込み、部屋の仕切り部分の腰板には、××さんを
いったん置いたのか多量の血痕が付着している。
さらに痛々しいのは、××さんが犯人の”魔手”から逃れようとしたために
刃物を握ったと見られる左手の”防御創”−これらのことを総合して
殺害時の状況を推理してみると、犯人はおそらく逃げまどう××さんを
メッタ切り、あたりかまわず突き刺し、最後のトドメで心臓部を
えぐったというまさに”狂気の殺人”といえるようだ。
これまでの捜査から犯人を特定するポイントとしてあがっているのは、
死体発見現場の造林小屋から採取できた犯人のものと思われる
「地下タビに似た足跡」数個と「血のついた手袋の痕跡」数個が
発見されたこと。
犯人が証拠隠滅を図って手袋をしていた−これが確実に裏付けられれば
捜査にとっては大きな前進。すくなくとも××さんとまったく面識がなく、
しかも通りすがりという”流し犯行説”はとり除くことができよう。
さらに犯人の犯行が計画的であったことを裏付ける要素として、現場の
造林小屋内部の状況、死体に二枚のトタンがかぶせてあったほか、
血痕の付着した床板、腰板すべての場所をトタンで覆い隠している。
また、××さんの所持品も「十時九分」を指して止まっていた腕時計など
四十数点をそっくり布袋に入れて隠し置いたことなどで、狂気の犯行後にとった
犯人の証拠隠滅行為はまさに冷静そのものの”殺人プロ”的な要素も
ないわけではない。
しかしまったく逆の推理も成り立つ。犯人は意外に小心者で、
××さんがひとりで山を下るのを見て乱暴しようと企てて造林小屋に連れ込んだ。
しかし激しい抵抗にあって思わず持っていた刃物で一突き、血潮が吹き出すのを
みて狂乱しメッタ突きにした。さらに暴行が成功しなかったことから
下腹部にも切りつけるという”猟奇殺人”へとエスカレートしていったことも
考えられる。
今後の捜査
犯人逮捕に結びつけるためには今後、捜査本部が解明しなければ
ならない点は非常に多い。
(1)犯行動機 (2)犯人は単独か複数犯か (3)車を使った犯行かどうか
(4)犯行現場と死体発見現場が同一かどうか−これらのナゾはすべて
同一捜査線上にあり、関連しあう疑問点ではあるが、ひとりで歩いていた
××さんの目撃者が意外に少ないということから捜査は早くも
難航のきざしを見せている。
現在、捜査本部が、解明の端緒としているのは、旅館の泊り客、
ダム関係作業人、民・国有林の下草刈り人、釣り人、ハイカーなどからの
聞き込みのほか、××さんの身辺捜査。さらに有力なキメ手となる
「地下たび」のメーカー割り出しと利用者の
キャッチ。とくに発見が急務とされているのは凶器と犯人が返り血を
浴びたために捨て去ったと見られる衣類がある。
これまでのところ、捜査の有力な決め手を欠いたまま長期化の様相を
見せているが、十七日に捜査本部が事情を聞いた関係者の中で証言が
あいまいな点のある者がいたようで、もしこの辺を突破口にして
事件の核心に触れることができれば意外に早期解決が望めそうな要素もある。
ハム交信で連絡 発見は私設捜索隊
××さんの遺体は父親の○○さん(五五)らで編成した”私設捜索隊”
十人によって発見されたが、この一報は同市昭和町、左官業▽▽さん(四二)の
ハム交信により現地から自宅で待機していた二男の$$君(十五)
=市立殖蓮中三年=に伝えられた。$$君はとぎれとぎれに聞こえる
父親の話の内容から、××さんが遺体で見つかったことを知り、
すぐ××さん宅にこのことを知らせた。
このことから、伊勢崎署は現地と連絡のうえ、松井田署員が現地に急行、
××さんの遺体確認となった。
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月19日(土) 7面
誰が撮ったこの写真 ナゾ秘めた五コマ 顔見知りの犯行か
霧積山中の造林小屋で、伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員
××さん(二四)が殺された事件を調べている松井田署、捜査本部では
十八日、新たな目撃者の発見や泊まり客、旅館関係者などからの
聞き込みなど前日に引き続いて基礎捜査を継続する一方、機動隊員
四十人を動員、犯人の遺留品捜索のため、現場付近七キロにわたって
検索を実施した。しかし、いぜんとして事件に直接結びつく有力な
手がかりは得られなかったが、××さんのカメラにはだれがとったのか、
本人のポーズ写真が残されており、事件解明に一歩前進した。
同日、捜査本部では、現場の造林小屋内に隠されていた××さんの
所持品を再点検、このうちカメラは××さんが帰路途中で、だれかに
撮影を頼んだとみられるものなど五コマをとらえていた。
このコマは「霧積館」から三百メートルほど上ったところにある
「忍の池」のえん堤付近で撮ったもの。このため、捜査本部では、
何かの理由で××さんと一緒になって撮影を頼まれた人が、事件発生当日の
十三日午後二時前後に安中市のAさんに目撃される時点まで、
空白になっている××さんの行動を解明する重要なカギをにぎっている
ものと見て、発見に全力をあげている。
一方、この日の捜査から、犯人割り出しの大きなポイントになると
見られていた「地下たび足跡」数個はかなり古いものとわかり、
足跡面からの捜査は振り出しにもどったようで、現在、犯人が現場に
残したもので確実なのは、死体や血痕を隠すために使用した
ブリキに付着している「血のついた手袋の痕跡」だけとなった。
捜査本部では、”××さんがだれかに写真を撮らせた”という
新しい事実から、これまでナゾとされていた空白の四時間
(午前十時ごろ、金湯館を出発してからAさんが目撃した午後二時ごろまで)
を解明する端緒をつかんだ。しかし、この事実は××さんがだれかと行動を
ともにした裏づけであり、事件は「顔見知りの犯行」説が有力になってきた
ともいえる。このため捜査本部では、
(1)××さんが旅館宿泊中に親しくなった人がいるかどうか
(2)××さんが友人と会う約束をした事実があるか
(3)事件当日、顔見知りの人が偶然に霧積温泉を訪れて××さんに出会ったか
どうか−
などについて捜査を始めた。
凶器は牛刀類? 現場捜索で発見できず
××さんの上半身に集中してメッタ突きした凶器は、十八日の現場付近の
捜索でも発見されなかった。とどめとなった左胸の長さ七・五センチ、
幅四センチ、心臓、肺臓を貫通した傷は、ロッ骨三本を切断するほどの
威力だった。
総計二十四ヵ所の傷跡から、捜査本部では凶器は”先端鋭利で
幅は二・五センチぐらい、長さは十センチを上回る”と推定している。
しかし、これに該当するものとしては柳葉包丁、登山ナイフ、
牛刀、料理用ナイフ類などいろいろあり、特定は困難だ。
ただ胸の傷跡のように一度刺して骨を切り、引っ張るときに
引き裂かれたような状況から、厚みのある相当上部なものでなければ
ならないし、持ち運びの容易な長さ、大きさという制限がある。
この点から肉厚が二・五−三ミリもあり、肉切り用として作られた
牛刀、これに類似するチャッパーナイフなどが考えられる。
刀身は小さいもので十二−十五センチ程度で、持ち運びや人目に
ふれない利点が大きい。
この種の包丁を扱っている刃物店の話では、牛刀類は料理店で
動物の骨をそぎ落とすのに使用される特殊のもので、買って行く人も
限られているようだ。
三百人が冥福 ××さんの告別式
(文章略)
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月20日(日) 11面
”最後の写真”は私が撮った 東京の釣り師名乗り きょう、くわしい状況を聞く
「新聞に出ていた殺人事件の被害者の写真はわたしが撮った」−霧積山殺人事件
捜査本部は、被害者の伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員
××さん(二四)のカメラから現像された”最後の写真”撮影者の
割り出しを急いでいたが、十九日夜、××さんに頼まれてシャッターを
押した−と都内に住む人が電話で名乗り出た。
撮影時間の特定と、××さんの帰路途中、”接点”を持った人の出現は
現在の捜査段階では重要なポイント。このため捜査本部では
きょう二十日、この人から当時の状況をくわしく聞く方針。
この人は東京都世田谷区下北沢×ノ×、××マンション内、
修理工☆☆さん(二二)で、同日午後八時半ごろ、上毛新聞社に
電話で名乗り出たもの。
☆☆さんの話によると、☆☆さんは十三日車で友だちと二人で
群馬県に釣りに来た。
碓氷郡松井田町横河のドライブイン「荻野屋」で霧積川がいいと教えられ、
霧積温泉に行き、同温泉の旅館の駐車場に車を置いて、忍の池の滝付近で
釣りをしていた。そこへ××さんと思われる女性がきて、
「ちょっとすいません、シャッターを切ってください」
と声をかけた。☆☆さんは「カメラには弱いので」といったん断ると、
女性は「シャッターを押すだけですから…」というので二回シャッターを
切ったという。
そこで別れた。時間ははっきりしないが昼過ぎだったと☆☆さんはいっている。
☆☆さんはその日車で帰京したが、きょう谷川岳に友だちと登山したあと、
県警に出向き、その当時の事情ともようを説明するという。
撮影者の判明により、旅館を出発してからの××さんの行動の中で
いぜんとして空白な時間帯はいよいよ犯行現場と見られる造林小屋付近の
わずかな時間にしぼられてきた。
××さんの最後の目撃者は午後二時十分ごろ、現場から一・五キロ手前で
車に乗るように呼びかけた安中市のHさん(五二)であることがこれまでの
捜査でわかっている。
このため、現場の小屋付近に来た××さんは、えん堤の池を見るため
道から一段さがった小屋に近寄ったところ、釣りか、山の下刈り、
ハイキング途中の犯人に声をかけられ、危険を感じて逃げようとしたところ、
小屋の中に連れ込まれ殺害されたものらしいとみている。
捜査本部では十三日午後、付近に約三十台の車が駐車していたことから、
今日二十日午前三時から現場近くで釣りの人を対象に、十三日に霧積川に
釣りに来たかどうか、来たのなら不審者に会わなかったかどうか調べ、
リストアップされていないものに捜査を広げることにしている。
しかし、これまでの捜査では××さんの一人歩きを目撃した人はいても、
××さんがだれかと連れだって複数行動をとっていたのを見たという
届け出はなく、いぜんとして犯人らしい者との”出会い”は捜査線上に
浮かんでいない。
このため、本部は松井田、安中周辺地域に有線放送を通じて
目撃した人の協力を訴える一方、さらに聞き込み、地取り捜査を徹底して
実施する方針。今後の捜査は第一段階ともいえる基礎捜査も間もなく終わる予定で、
この段階で犯人割り出しに直接結びつくような有力な手がかりが得られるかどうか、
第一のヤマ場にさしかかっている。
工事関係者は”シロ” 釣り人捜査などに重点移す
捜査本部(本部長・温井守夫 松井田署長)は十九日、××さんが殺害された
前夜に泊まった霧積温泉の旅館関係や宿泊人、ダム工事関係者、実家のある
伊勢崎での交友関係などを対象に捜査員九十人を動員して犯人逮捕への
足がかり捜査をした結果、温泉やダム工事、伊勢崎の知人などすべてが”
一応シロ”で、捜査本部では今日二十日以降、いままで捜査線上に
リストアップされていない釣り人、草刈り作業員、ハイカーなどに捜査重点を
移して全力をあげることを決めた。しかし、犯行のあったとみられる
十三日午後には霧積ダム工事現場から小屋をはさんで温泉の旅館まで
約六キロ間に釣り人のものらしい車が三十台前後駐車していたのが
確認されているが、所有者はほとんど判明していないので事件は早くも
難航する気配となってきた。
同日の調べでは、霧積温泉にある二軒の旅館に十二、十三日に宿泊した客は
××さんを含めて約三百人。大半が家族連れでその他若いグループが
数組あったがほとんど複数で行動しており、××さん殺害とは無関係。
また、旅館従業員たちも十三日は客が多かったこともあり、全員が旅館から
出ていない。
次にダム建設関係者は大半が盆休みで故郷に帰っていたので、
工事現場の宿舎には十数人しかいなかったが、ほとんど全員にアリバイがあった。
また、伊勢崎での知人もすでに××さんと親しかった高崎市内の電気製品
セールスマン(二九)や高校時代の同級生だった女の友人を含めた十三人について
調べたが全員疑わしいところはなかった。
このほか、十三日午後には殺人現場をはさんだ約六キロの山道に三十台の
釣り人の車が駐車されていたことが旅館宿泊客の証言から情報として
捜査本部に寄せられている。
殺しの現場で供養 ××さんの兄弟
(文章略)
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昭和47年8月17日(水) 毎日新聞
娘さん、殺される
山奥の作業小屋で
【高崎】十六日午後五時ごろ、群馬県碓氷郡松井田町坂本の霧積ダム建設工事現場
付近の作業小屋の中で、同県伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員、△△△△さん
(二四)=写真=が死んでいるのを探していた父親が見つけた。
松井田署の調べによると、両腕や肩、首など四ヵ所に刃物によるものとみられる切り傷
などがあった。下着も乱れており、同署は殺人事件とみて捜査を始めた。
△△さんは十二日午後二時ごろ、東京小金井市に住む弟の○○さん(二五)と
現地で落ち合う連絡をして、同ダムから約五キロ奥に入った霧積温泉に出かけた。
しかし、○○さんは都合が悪く旅行を中止。
△△さんは十三日午前十時ごろ、「一人で歩いて帰る」といって旅館を出たため、
父の撚糸業、井上××さん(五五)が十六日朝、伊勢崎署に捜索願を出すとともに、
家族や親類が総出で周辺を探していた。
現場は長野県境寄りで、国道18号線の松井田町坂本の旧宿場町から
霧積温泉へ向かう県道を約四キロ登った山奥。昨年秋から霧積川(碓氷川支流)で
霧積ダムの工事が始まり、県道沿いには飯場や作業場の小屋が点々としている。
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昭和47年8月17日(水) 朝日新聞
殺人か 女の死体 群馬県の山の小屋
十六日午後四時半ごろ、群馬県碓氷郡松井田町坂本の霧積温泉近くの
霧積ダムえん堤の工事小屋で、同県伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員
△△△△さん(二四)が死んでいるのを、父親の××さん(五五)らが見つけ、
松井田署に届けた。
死体の胸などに刃物でつけたキズがあり、乱暴された形跡があることから
群馬県警と同署は、殺人の疑いで捜査を始めた。
××さんの話だと、△△さんは十二日午後二時ごろ、会社を休んで
「霧積温泉へ行く。二泊くらいするかもしれない」
と家を出たまま行方不明になっており、十六日朝、××さんが伊勢崎署に
捜索願を出すとともに、近所の人たち十数人と同温泉一帯を捜していた。
△△さんの死体があった現場は、松井田町の国道18号から北へ六キロはいった
長野県境の霧積温泉へ向かう山道の途中。
工事小屋は無人で、近くでダム工事をしており、昼間は工事の作業員などもいる。
これまでの調べだと、△△さんは十二日は同温泉に一泊、十三日朝十時ごろ
「歩いて松井田町までくだる」
と一人で出かけたという。同温泉はふだんマイクロバスで松井田町まで
客を送迎しているが、山好きだった△△さんは、歩いておりることにしたのではないかと
みられている。
△△さんの死体は紫色のノースリーブのブラウスと白いスカートをつけたままだったが、
下着が乱れていた。
腕や胸、首などに刃物でつけたような切り傷、打撲傷が無数にあった。
また、家を出るとき紙袋に入れて持っていたカメラやハンドバッグ、現金などが
袋ごとなくなっていた。
工事小屋は間口四メートル、奥行き七メートルで△△さんは仰向けに倒れており、
現場の状況などから県警と松井田署では、よそで殺されてから運び込まれた疑いが
濃いとしている。
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別冊宝島Real053「迷宮入り!? 未解決殺人事件の真相」
このスレや懐かしニュース板でもたびたび話題になる本。
各事件についてプロファイリングをしているのがあの田宮元捜査一課長なので
最初はpgrしていたが、意外にも地に足のついた真面目な分析をしている。
「ワラビ採り殺人事件」と「霧積温泉女性客殺人事件」は圧巻。
田宮榮一元捜査一課長画像
被害女性の遺留品の中にカメラが残されており、
フィルムの最後の方に女性が一人で写っている写真が数枚あった。
女性は一人旅の筈だったので、写真を撮った人物は最後まで女性と
行動をともにした人物−つまり真犯人の可能性が高い。
そして、最後の写真は……。以下引用。
「警察から恵子ちゃんの持ち物が全部戻されたときに、
あたしも見せてもらったんです。その中にあの娘が最後に写っている
という写真があったんです。それが気味悪いのよ。笹やぶの中に
ボォーッと立ってるんだけど、足の途中から白い煙だか雲みたいなものが
出ていて、下の方が切れてるの。それに表情も生気がなくて、
まるで抜け殻みたいだった」
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最終更新:2009年11月27日 20:10
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【1972/08/16 霧積温泉女性殺人事件 群馬・松井田町】
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月17日(木) 1面
工事現場に女性の死体
乱暴され殺さる 全身に数ヵ所の傷 他で殺し運ぶ? 霧積ダム
十六日午後五時ごろ、碓氷郡松井田町の霧積ダム建設現場付近の
小屋の中で、伊勢崎市昭和町、店員××××さん(二四)の
死体が発見されたと父親の同所、撚糸業××○○さん(五五)から
松井田署に届け出があった。
同署では現場に急行して調べたところ、××さんの死体は
工事現場付近の物置き小屋の中で頭を南にあお向けに倒れ、
着衣はノースリーブのブラウスに白スカートをつけ、スカートが
まくれているなど着衣の乱れがあるほか、死体の右腕に長さ
五センチ、幅三センチの切り傷があり、他にも左胸、首などに
多数の外傷が発見され、同署では殺人事件として本格的な捜査に
乗り出した。
捜索の父親が発見
××さんが死体で見つかった場所は国道十八号線、碓氷峠
カーブ3から霧積温泉方向に霧積川に沿って約七キロ入った地点、
林道から一段下がった数年前に堰堤(えんてい)工事に使った
作業小屋だった。
小屋は板張りで八畳と六畳の二間あり、××さんは八畳の間の
真ん中であお向けになって死んでいた。
死体は首の右と左腕、右手の三ヵ所に鋭利な刃物で刺したと
みられる傷があり、濃い紺のワンピース、白の運動ぐつをはいていた。
小屋の東側には出入り口があるが、西側の窓がこわされていた。
死体の傷に出血が少ないので、他の場所で殺されて乱暴されたあと
車で運び込まれたらしい。小屋に入る道路上に乗用車のタイヤ跡が
残っていた。
小屋の中には××さんが持っていたカメラ、ハンドバッグなどは
なかった。
同署の調べによると、××さんは十二日に東京都小金井市緑町にいる
実弟の銀行員△△さん(二二?)ら二人と同温泉に宿泊する予定だったが、
△△さんらの到着が遅れて一人で泊まった。翌十三日午前十時ごろ、
一人で旅館を出た。旅館の人が自動車で送るといったが、
「歩いて帰る」と松井田方面に向かい、消息を絶った。
××さんを発見した父親の○○さん(五五)は××さんの安否を
気づかって近所の人十人と”私設捜索隊”を組み、同温泉へ向かう途中、
十六日午後四時半ごろハエがむらがっている小屋を見つけ、
不審に思って中へ入ったところ、××さんが死んでいたという。
××さんの自宅では、帰宅予定の十四日になっても××さんが
帰らないため、家族が心配して姉の□□さん(二八)が同温泉に探しに行き、
さらに十六日になって○○さんが伊勢崎署に家出人捜索願いを出した。
××さんは無口で友人関係などあまりないが、きちょう面なので
これまで遅刻や無断欠勤はなく、職場では信頼されていた。
また、旅行ずきで、休みにはよく温泉などに出かけていた。
霧積川には四十五年秋から多目的の霧積ダムを建設しており、
約百人の作業員が働いているが、十二日から盆休みで工事現場には
いなかった。
同署は霧積温泉に現在泊まっている客八十人に話をきく一方、
すでに旅館を出た人や車ではいった人を調べているが、犯人像については
全く見当がついていない。現場は指紋採取のむずかしいところで、
捜査は難航している。
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月18日(金) 1面
霧積山女性殺人事件
変質者の犯行? 現場に地下タビ跡 残忍、二十数ヵ所に刺し傷
碓氷郡松井田町坂本の霧積川沿いの作業員小屋で惨殺された
伊勢崎市昭和町、ガソリン店員××××さん(二四)の殺人事件を
捜査している県警捜査一課、同鑑識課、松井田、伊勢崎の両署は十七日、
××さんが殺されていた小屋付近の現場検証を中心に、十二日夜に
宿泊した霧積温泉の旅館など××さんの行動を調べ、犯人との”接点”の
発見に努めた。しかし、同日の調べでは小屋に犯人のものとみられる
地下タビによる足跡と犯行時に使用したとみられる軍手で血を
つけたような手の跡が見つかっただけで、××さんの下腹部にも
刺しキズがあり猟奇的な事件から変質者の犯行とみて捜査は
その線にしぼって進められている。
なお、十七日夜、松井田署に 温井守夫 松井田署長を本部長とする
「霧積山女性殺人事件捜査本部」を設置した。
同日は捜査員約百人が動員され、松井田町内と××さんの実家のある
伊勢崎市内で捜査を行なった。××さんが十六日夕方、変わりはてた姿で
発見された小屋付近で鑑識課員らが検証したが、死体のあった南側の
八畳間の西の端に、××さんが持っていた手編みの白色帽子、カメラ、
紺色の布バッグ、旅行ブック、下着類など四十三品がブリキ板で
隠されていた。
また、入り口のある奥の六畳間には××さんの死体を引きずった
らしい血跡が約二メートルにわたってついており、室内と小屋の外には
地下タビの足跡と血のついた軍手による跡が数ヵ所残されていた。
このほか、同日の調べで、××さんは十二日夜、霧積温泉の
金湯館=※※※※さん(六九)経営=の二十八号室に一人で泊まり、
翌十三日朝、朝食のあと午前十時ごろ、同旅館の嫁の◎◎さん(二七)が
「マイクロバスに乗っていったらー」と呼びかけに対し、
「歩いて行きます」と答えて出発している。その後、午後二時ごろ、
旅館から約五キロ下った地点でブラブラ歩いている××さんを同じ旅館に
親子三人で泊まり午後帰った安中市内の人が出会い、車に乗っていくよう
声を掛けたが、××さんはここでも断っている。
これらの足取りから、捜査陣は群大での××さんの解剖の結果と
考え合わせるとこの直後に××さんは犯人と会ったものらしいと
みており、さらに一・五キロ下った小屋になんらかの方法で
連れ込まれたものとみられる。
犯人については、殺害の手口から地下タビをはいて刃渡り十センチ、
刃幅二・五センチの鋭利な刃物を持った男一人の単独犯行とみており、
捜査本部は十二日から十三日にかけて金湯館と同じく※※さんが経営する
霧積館に宿泊した客約二百人と、死体が発見された小屋の下流で建設中の
霧積ダムの工事関係者の身元を調べた。
その結果、宿泊客の大半は家族連れで、若い人たちのグループもいたが、
ハイキングで鼻曲山−軽井沢のコースを歩いている。また、工事関係者は
盆休みで十二日夜に富山県出身者がマイクロバス一台で、青森県出身者が
大型バス一台で帰郷、十三日には作業員たちの食事の世話をしている
●●さん(五九)、〒〒さん(五四)の夫婦たち九人が宿舎にいただけだった。
そのうえ、小屋に残されていた地下タビの足跡はダム工事現場で
作業員たちが使っているもの以外の製品であることから、
今までの調べではダム関係者には犯人はいないものとみている。
捜査本部では、今日十八日は機動隊員も出動させて霧積川や
山道沿線で××さんを殺害した凶器の発見や、さらに××さんを
目撃した人たちから詳しく話を聞くことにしている。
胸の傷が致命傷 ××さん解剖
殺害された××さんの遺体は十七日午前十時から約二時間にわたって
群大法医学部教室で古川研同大医学部助教授の執刀で解剖された。
死因は左胸の心臓に達する深さ八センチ、長さ五センチの傷が
直接の原因とみられ、出血多量で死んだ。
死亡推定時間は十三日昼から夕方にかけてとみられており、
同日午前十時ごろ、霧積温泉の旅館を出てまもなく殺されたらしい。
心臓の傷はアバラ骨三本を切るすさまじいもので、このほか下腹部など
全身にわたって二十数ヵ所の刺し傷や切り傷があり、鋭い刃物で
メッタ切りされていた。
(1面下のコラムもこの事件について述べていますが略)
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月18日(金) 9面
霧積山女性殺人事件 猟奇殺人に発展
計画的? 手袋使う 血まみれを引きずる
床板を真っ赤に染めたおびただしい血痕、犯人は残酷にも血の吹き
出している死体を六、七メートルほど引きずり回していた−。
伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員××さん(二四)が、霧積温泉近くの
造林小屋で殺されていた事件を捜査中の松井田署と県警捜査一課では、
十七日早朝から、現場検証を行なう一方、ダム工事関係者、温泉宿泊者など
からの聞き込み、被害者の身辺捜査など本格的な捜査に乗り出した。
しかし現在のところ、犯人割り出しの有力なキメ手はもちろん、
上半身に二十四ヵ所の刺し傷、切り傷がある文字通りの惨殺振りから
怨恨、痴情、流しいずれの犯行とも決めがたく、事件のナゾはますます
深まる気配さえ見せている。そこで××さんの足取り、目撃者の証言、
殺害状況などから事件のナゾを解明してみた…
××さんの行動
これまでの捜査から判明している××さんの足取りは、十二日
午前十時ごろ、霧積温泉に一−二泊の予定で父親の○○さんに
伊勢崎駅まで送られた−という事実を出発点に、単身行動ではあったが
××さんと接した人たちの証言から確実な日時を断定する”点”は
いくつか出ている。
十二日午後零時四十分ごろ、××さんは、松井田町にある霧積温泉の
出張所になっている▲▲さん宅を訪れた。一般の温泉客は横川駅から
旅館のマイクロバスを利用するのに、なぜ××さんは駅から約三キロもある
▲▲さん宅を訪れたか(しかも徒歩と思われる)。
ここで××さんは▲▲さんとこんな会話をしている。
「ここから霧積温泉までどのくらいかかりますか」
「三−四時間はかかります。ましてハイヒールでは無理です」
このため××さんはちかくの雑貨店でマップシューズを買った。しかし、
▲▲さんに説得されてマイクロを待つことにして、あがって一時間以上も
話し込んだ。
「どこからきたの」「伊勢崎です」「おばさんはわたしの学校時代の
担任の先生に似ている」
××さんは今月初めに出張所に電話で予約をしているのに、このことは
一言も触れず、名前もいわなかったという。さらに疑問なことは、
家族の話では××さんは同温泉にはこれまで二回行ったことがあるのに
初めての客のように装っていることだ。
同夜温泉の金湯館に一泊した××さんがここを出発したのは
翌十三日の午前十時ごろと見られている。(未確認)。そしてマイクロに
同乗することを断って歩いて帰路についたという。
午後二時前後、安中市内に住む親子三人づれのAさん一家が車で帰る途中、
死体発見現場から約一・五キロ手前を一人で歩いている××さんを認めて、
車に同乗するよう誘ったが、これも断った。事件発生当日とみられる
十三日に××さんを目撃したのはAさん一家だけで、いまのところ
この”点”を”線”に結びつけるものは何ひとつ出ていない。
犯人像は…
心臓部をえぐりロッ骨三本を切断した傷、長さ七センチに及ぶ
右頸部の切創、左手首を貫通した刺し傷−背中、臀部も含めて
上半身二十四ヵ所の生々しい傷口は殺人事件の中でもあまり
類をみない残酷さ。現場検証の結果から、犯人は北側の部屋で
××さんを殺害したもので、犯行現場と死体発見現場同一説が
強まっている。
犯人は何の目的か、血の吹き出ている××さんを約六、七メートルも
引きずって南側の部屋に移したようだ。このため、この間は血のりが
ベットリと本床にしみ込み、部屋の仕切り部分の腰板には、××さんを
いったん置いたのか多量の血痕が付着している。
さらに痛々しいのは、××さんが犯人の”魔手”から逃れようとしたために
刃物を握ったと見られる左手の”防御創”−これらのことを総合して
殺害時の状況を推理してみると、犯人はおそらく逃げまどう××さんを
メッタ切り、あたりかまわず突き刺し、最後のトドメで心臓部を
えぐったというまさに”狂気の殺人”といえるようだ。
これまでの捜査から犯人を特定するポイントとしてあがっているのは、
死体発見現場の造林小屋から採取できた犯人のものと思われる
「地下タビに似た足跡」数個と「血のついた手袋の痕跡」数個が
発見されたこと。
犯人が証拠隠滅を図って手袋をしていた−これが確実に裏付けられれば
捜査にとっては大きな前進。すくなくとも××さんとまったく面識がなく、
しかも通りすがりという”流し犯行説”はとり除くことができよう。
さらに犯人の犯行が計画的であったことを裏付ける要素として、現場の
造林小屋内部の状況、死体に二枚のトタンがかぶせてあったほか、
血痕の付着した床板、腰板すべての場所をトタンで覆い隠している。
また、××さんの所持品も「十時九分」を指して止まっていた腕時計など
四十数点をそっくり布袋に入れて隠し置いたことなどで、狂気の犯行後にとった
犯人の証拠隠滅行為はまさに冷静そのものの”殺人プロ”的な要素も
ないわけではない。
しかしまったく逆の推理も成り立つ。犯人は意外に小心者で、
××さんがひとりで山を下るのを見て乱暴しようと企てて造林小屋に連れ込んだ。
しかし激しい抵抗にあって思わず持っていた刃物で一突き、血潮が吹き出すのを
みて狂乱しメッタ突きにした。さらに暴行が成功しなかったことから
下腹部にも切りつけるという”猟奇殺人”へとエスカレートしていったことも
考えられる。
今後の捜査
犯人逮捕に結びつけるためには今後、捜査本部が解明しなければ
ならない点は非常に多い。
(1)犯行動機 (2)犯人は単独か複数犯か (3)車を使った犯行かどうか
(4)犯行現場と死体発見現場が同一かどうか−これらのナゾはすべて
同一捜査線上にあり、関連しあう疑問点ではあるが、ひとりで歩いていた
××さんの目撃者が意外に少ないということから捜査は早くも
難航のきざしを見せている。
現在、捜査本部が、解明の端緒としているのは、旅館の泊り客、
ダム関係作業人、民・国有林の下草刈り人、釣り人、ハイカーなどからの
聞き込みのほか、××さんの身辺捜査。さらに有力なキメ手となる
「地下たび」のメーカー割り出しと利用者の
キャッチ。とくに発見が急務とされているのは凶器と犯人が返り血を
浴びたために捨て去ったと見られる衣類がある。
これまでのところ、捜査の有力な決め手を欠いたまま長期化の様相を
見せているが、十七日に捜査本部が事情を聞いた関係者の中で証言が
あいまいな点のある者がいたようで、もしこの辺を突破口にして
事件の核心に触れることができれば意外に早期解決が望めそうな要素もある。
ハム交信で連絡 発見は私設捜索隊
××さんの遺体は父親の○○さん(五五)らで編成した”私設捜索隊”
十人によって発見されたが、この一報は同市昭和町、左官業▽▽さん(四二)の
ハム交信により現地から自宅で待機していた二男の$$君(十五)
=市立殖蓮中三年=に伝えられた。$$君はとぎれとぎれに聞こえる
父親の話の内容から、××さんが遺体で見つかったことを知り、
すぐ××さん宅にこのことを知らせた。
このことから、伊勢崎署は現地と連絡のうえ、松井田署員が現地に急行、
××さんの遺体確認となった。
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月19日(土) 7面
誰が撮ったこの写真 ナゾ秘めた五コマ 顔見知りの犯行か
霧積山中の造林小屋で、伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員
××さん(二四)が殺された事件を調べている松井田署、捜査本部では
十八日、新たな目撃者の発見や泊まり客、旅館関係者などからの
聞き込みなど前日に引き続いて基礎捜査を継続する一方、機動隊員
四十人を動員、犯人の遺留品捜索のため、現場付近七キロにわたって
検索を実施した。しかし、いぜんとして事件に直接結びつく有力な
手がかりは得られなかったが、××さんのカメラにはだれがとったのか、
本人のポーズ写真が残されており、事件解明に一歩前進した。
同日、捜査本部では、現場の造林小屋内に隠されていた××さんの
所持品を再点検、このうちカメラは××さんが帰路途中で、だれかに
撮影を頼んだとみられるものなど五コマをとらえていた。
このコマは「霧積館」から三百メートルほど上ったところにある
「忍の池」のえん堤付近で撮ったもの。このため、捜査本部では、
何かの理由で××さんと一緒になって撮影を頼まれた人が、事件発生当日の
十三日午後二時前後に安中市のAさんに目撃される時点まで、
空白になっている××さんの行動を解明する重要なカギをにぎっている
ものと見て、発見に全力をあげている。
一方、この日の捜査から、犯人割り出しの大きなポイントになると
見られていた「地下たび足跡」数個はかなり古いものとわかり、
足跡面からの捜査は振り出しにもどったようで、現在、犯人が現場に
残したもので確実なのは、死体や血痕を隠すために使用した
ブリキに付着している「血のついた手袋の痕跡」だけとなった。
捜査本部では、”××さんがだれかに写真を撮らせた”という
新しい事実から、これまでナゾとされていた空白の四時間
(午前十時ごろ、金湯館を出発してからAさんが目撃した午後二時ごろまで)
を解明する端緒をつかんだ。しかし、この事実は××さんがだれかと行動を
ともにした裏づけであり、事件は「顔見知りの犯行」説が有力になってきた
ともいえる。このため捜査本部では、
(1)××さんが旅館宿泊中に親しくなった人がいるかどうか
(2)××さんが友人と会う約束をした事実があるか
(3)事件当日、顔見知りの人が偶然に霧積温泉を訪れて××さんに出会ったか
どうか−
などについて捜査を始めた。
凶器は牛刀類? 現場捜索で発見できず
××さんの上半身に集中してメッタ突きした凶器は、十八日の現場付近の
捜索でも発見されなかった。とどめとなった左胸の長さ七・五センチ、
幅四センチ、心臓、肺臓を貫通した傷は、ロッ骨三本を切断するほどの
威力だった。
総計二十四ヵ所の傷跡から、捜査本部では凶器は”先端鋭利で
幅は二・五センチぐらい、長さは十センチを上回る”と推定している。
しかし、これに該当するものとしては柳葉包丁、登山ナイフ、
牛刀、料理用ナイフ類などいろいろあり、特定は困難だ。
ただ胸の傷跡のように一度刺して骨を切り、引っ張るときに
引き裂かれたような状況から、厚みのある相当上部なものでなければ
ならないし、持ち運びの容易な長さ、大きさという制限がある。
この点から肉厚が二・五−三ミリもあり、肉切り用として作られた
牛刀、これに類似するチャッパーナイフなどが考えられる。
刀身は小さいもので十二−十五センチ程度で、持ち運びや人目に
ふれない利点が大きい。
この種の包丁を扱っている刃物店の話では、牛刀類は料理店で
動物の骨をそぎ落とすのに使用される特殊のもので、買って行く人も
限られているようだ。
三百人が冥福 ××さんの告別式
(文章略)
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月20日(日) 11面
”最後の写真”は私が撮った 東京の釣り師名乗り きょう、くわしい状況を聞く
「新聞に出ていた殺人事件の被害者の写真はわたしが撮った」−霧積山殺人事件
捜査本部は、被害者の伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員
××さん(二四)のカメラから現像された”最後の写真”撮影者の
割り出しを急いでいたが、十九日夜、××さんに頼まれてシャッターを
押した−と都内に住む人が電話で名乗り出た。
撮影時間の特定と、××さんの帰路途中、”接点”を持った人の出現は
現在の捜査段階では重要なポイント。このため捜査本部では
きょう二十日、この人から当時の状況をくわしく聞く方針。
この人は東京都世田谷区下北沢×ノ×、××マンション内、
修理工☆☆さん(二二)で、同日午後八時半ごろ、上毛新聞社に
電話で名乗り出たもの。
☆☆さんの話によると、☆☆さんは十三日車で友だちと二人で
群馬県に釣りに来た。
碓氷郡松井田町横河のドライブイン「荻野屋」で霧積川がいいと教えられ、
霧積温泉に行き、同温泉の旅館の駐車場に車を置いて、忍の池の滝付近で
釣りをしていた。そこへ××さんと思われる女性がきて、
「ちょっとすいません、シャッターを切ってください」
と声をかけた。☆☆さんは「カメラには弱いので」といったん断ると、
女性は「シャッターを押すだけですから…」というので二回シャッターを
切ったという。
そこで別れた。時間ははっきりしないが昼過ぎだったと☆☆さんはいっている。
☆☆さんはその日車で帰京したが、きょう谷川岳に友だちと登山したあと、
県警に出向き、その当時の事情ともようを説明するという。
撮影者の判明により、旅館を出発してからの××さんの行動の中で
いぜんとして空白な時間帯はいよいよ犯行現場と見られる造林小屋付近の
わずかな時間にしぼられてきた。
××さんの最後の目撃者は午後二時十分ごろ、現場から一・五キロ手前で
車に乗るように呼びかけた安中市のHさん(五二)であることがこれまでの
捜査でわかっている。
このため、現場の小屋付近に来た××さんは、えん堤の池を見るため
道から一段さがった小屋に近寄ったところ、釣りか、山の下刈り、
ハイキング途中の犯人に声をかけられ、危険を感じて逃げようとしたところ、
小屋の中に連れ込まれ殺害されたものらしいとみている。
捜査本部では十三日午後、付近に約三十台の車が駐車していたことから、
今日二十日午前三時から現場近くで釣りの人を対象に、十三日に霧積川に
釣りに来たかどうか、来たのなら不審者に会わなかったかどうか調べ、
リストアップされていないものに捜査を広げることにしている。
しかし、これまでの捜査では××さんの一人歩きを目撃した人はいても、
××さんがだれかと連れだって複数行動をとっていたのを見たという
届け出はなく、いぜんとして犯人らしい者との”出会い”は捜査線上に
浮かんでいない。
このため、本部は松井田、安中周辺地域に有線放送を通じて
目撃した人の協力を訴える一方、さらに聞き込み、地取り捜査を徹底して
実施する方針。今後の捜査は第一段階ともいえる基礎捜査も間もなく終わる予定で、
この段階で犯人割り出しに直接結びつくような有力な手がかりが得られるかどうか、
第一のヤマ場にさしかかっている。
工事関係者は”シロ” 釣り人捜査などに重点移す
捜査本部(本部長・温井守夫 松井田署長)は十九日、××さんが殺害された
前夜に泊まった霧積温泉の旅館関係や宿泊人、ダム工事関係者、実家のある
伊勢崎での交友関係などを対象に捜査員九十人を動員して犯人逮捕への
足がかり捜査をした結果、温泉やダム工事、伊勢崎の知人などすべてが”
一応シロ”で、捜査本部では今日二十日以降、いままで捜査線上に
リストアップされていない釣り人、草刈り作業員、ハイカーなどに捜査重点を
移して全力をあげることを決めた。しかし、犯行のあったとみられる
十三日午後には霧積ダム工事現場から小屋をはさんで温泉の旅館まで
約六キロ間に釣り人のものらしい車が三十台前後駐車していたのが
確認されているが、所有者はほとんど判明していないので事件は早くも
難航する気配となってきた。
同日の調べでは、霧積温泉にある二軒の旅館に十二、十三日に宿泊した客は
××さんを含めて約三百人。大半が家族連れでその他若いグループが
数組あったがほとんど複数で行動しており、××さん殺害とは無関係。
また、旅館従業員たちも十三日は客が多かったこともあり、全員が旅館から
出ていない。
次にダム建設関係者は大半が盆休みで故郷に帰っていたので、
工事現場の宿舎には十数人しかいなかったが、ほとんど全員にアリバイがあった。
また、伊勢崎での知人もすでに××さんと親しかった高崎市内の電気製品
セールスマン(二九)や高校時代の同級生だった女の友人を含めた十三人について
調べたが全員疑わしいところはなかった。
このほか、十三日午後には殺人現場をはさんだ約六キロの山道に三十台の
釣り人の車が駐車されていたことが旅館宿泊客の証言から情報として
捜査本部に寄せられている。
殺しの現場で供養 ××さんの兄弟
(文章略)
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昭和47年8月17日(水) 毎日新聞
娘さん、殺される
山奥の作業小屋で
【高崎】十六日午後五時ごろ、群馬県碓氷郡松井田町坂本の霧積ダム建設工事現場
付近の作業小屋の中で、同県伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員、△△△△さん
(二四)=写真=が死んでいるのを探していた父親が見つけた。
松井田署の調べによると、両腕や肩、首など四ヵ所に刃物によるものとみられる切り傷
などがあった。下着も乱れており、同署は殺人事件とみて捜査を始めた。
△△さんは十二日午後二時ごろ、東京小金井市に住む弟の○○さん(二五)と
現地で落ち合う連絡をして、同ダムから約五キロ奥に入った霧積温泉に出かけた。
しかし、○○さんは都合が悪く旅行を中止。
△△さんは十三日午前十時ごろ、「一人で歩いて帰る」といって旅館を出たため、
父の撚糸業、井上××さん(五五)が十六日朝、伊勢崎署に捜索願を出すとともに、
家族や親類が総出で周辺を探していた。
現場は長野県境寄りで、国道18号線の松井田町坂本の旧宿場町から
霧積温泉へ向かう県道を約四キロ登った山奥。昨年秋から霧積川(碓氷川支流)で
霧積ダムの工事が始まり、県道沿いには飯場や作業場の小屋が点々としている。
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昭和47年8月17日(水) 朝日新聞
殺人か 女の死体 群馬県の山の小屋
十六日午後四時半ごろ、群馬県碓氷郡松井田町坂本の霧積温泉近くの
霧積ダムえん堤の工事小屋で、同県伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員
△△△△さん(二四)が死んでいるのを、父親の××さん(五五)らが見つけ、
松井田署に届けた。
死体の胸などに刃物でつけたキズがあり、乱暴された形跡があることから
群馬県警と同署は、殺人の疑いで捜査を始めた。
××さんの話だと、△△さんは十二日午後二時ごろ、会社を休んで
「霧積温泉へ行く。二泊くらいするかもしれない」
と家を出たまま行方不明になっており、十六日朝、××さんが伊勢崎署に
捜索願を出すとともに、近所の人たち十数人と同温泉一帯を捜していた。
△△さんの死体があった現場は、松井田町の国道18号から北へ六キロはいった
長野県境の霧積温泉へ向かう山道の途中。
工事小屋は無人で、近くでダム工事をしており、昼間は工事の作業員などもいる。
これまでの調べだと、△△さんは十二日は同温泉に一泊、十三日朝十時ごろ
「歩いて松井田町までくだる」
と一人で出かけたという。同温泉はふだんマイクロバスで松井田町まで
客を送迎しているが、山好きだった△△さんは、歩いておりることにしたのではないかと
みられている。
△△さんの死体は紫色のノースリーブのブラウスと白いスカートをつけたままだったが、
下着が乱れていた。
腕や胸、首などに刃物でつけたような切り傷、打撲傷が無数にあった。
また、家を出るとき紙袋に入れて持っていたカメラやハンドバッグ、現金などが
袋ごとなくなっていた。
工事小屋は間口四メートル、奥行き七メートルで△△さんは仰向けに倒れており、
現場の状況などから県警と松井田署では、よそで殺されてから運び込まれた疑いが
濃いとしている。
-------------------------------------------------------------------------http://blog.goo.ne.jp/mikaiketu_2008/e/d418621a159f379296b8c7b2e6fa3b15
(こちらのリンクのほうが詳しいと思います↑)
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/occult/1252117790/
未解決事件スレ55
566 :本当にあった怖い名無し:2009/10/25(日) 22:07:57 ID:DSpUcqWK0
>>564
うちの本棚から探してきました。
もう持ってたらごめんね。
(略)
別冊宝島Real053「迷宮入り!? 未解決殺人事件の真相」
このスレや懐かしニュース板でもたびたび話題になる本。
各事件についてプロファイリングをしているのがあの田宮元捜査一課長なので
最初はpgrしていたが、意外にも地に足のついた真面目な分析をしている。
「ワラビ採り殺人事件」と「霧積温泉女性客殺人事件」は圧巻。
5枚の写真について…数字は枚数
@A泊まった金湯館の水車(旅館アルバイトに撮影してもらった)
B忍の池堰堤付近(ポーズをとっている)
…上毛新聞(1972.8.19)に〈誰が撮ったこの写真、ナゾを秘めた五コマ〉として掲載。
石田と名乗る男が「自分が撮影した」と名乗り出たが、実在しない人物だった(イタズラ?)
C金剛の滝(滝をバックに欄干にもたれかかっている)
…旅館の主人が証言
D笹やぶ…返却された写真を見た家族知人(捜索参加)の妻証言
「それが気味悪いのよ。笹やぶのなかにボォーッと立ってるんだけど。
脚の途中から白い煙だか雲みたいなものが出ていて、下の方が切れてるの。
それに表情も生気がなくて、まるで抜け殻みたいだった」
・@A以外は撮影者不明
・B→C→Dは旅館から殺害現場の小屋までの道順と重なる。
泉アキ写真画像
泉アキ 心霊実験1
質問
霧積山女性殺人事件の犯人は釣り人ですか?ダム工事の関係者ですか?
答え
釣り人の線が強いように思います。
あの場所で計画的な犯行は難しいでしょうから突発的な犯行と見て間違いないでしょうし、それを踏まえて考えると
・ナイフを携帯していたこと
・地下足袋
・東京人を装って最後の写真を撮ったのは自分との釣り人からの連絡
上2つは格好や持ち物からして釣り人であれば自然です
最後のは絶妙で、恐らくは写真を撮った&釣りをしていたというところだけは本当なのでしょう。写真を撮ったのが犯人でなければ本当に撮影した人が名乗り出てきたら厄介ですしね。嘘がばれます。
住所はデタラメ(新聞を見て電話したと話したらしいですが、東京から地方新聞は取らないでしょう)かつ単独での釣行。
写真を撮ってくれと言われ撮ったが欲情し、小屋へ連れ込むも激しい抵抗に合い、激昂したんだと思います。
掲示板より
【控訴時効成立】
群馬県松井田町霧積山24歳女性殺人事件
霧積温泉女性殺人事件
霧積山女性殺人事件
旧碓氷郡松井田町
最後の写真画像
霧積温泉女性殺人事件犯行現場の作業小屋写真画像
1972年(昭和47年)08月16日(水曜日)
霧積温泉女性殺人事件 群馬県松井田町
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月17日(木) 1面
工事現場に女性の死体
乱暴され殺さる 全身に数ヵ所の傷 他で殺し運ぶ? 霧積ダム
十六日午後五時ごろ、碓氷郡松井田町の霧積ダム建設現場付近の
小屋の中で、伊勢崎市昭和町、店員××××さん(二四)の
死体が発見されたと父親の同所、撚糸業××○○さん(五五)から
松井田署に届け出があった。
同署では現場に急行して調べたところ、××さんの死体は
工事現場付近の物置き小屋の中で頭を南にあお向けに倒れ、
着衣はノースリーブのブラウスに白スカートをつけ、スカートが
まくれているなど着衣の乱れがあるほか、死体の右腕に長さ
五センチ、幅三センチの切り傷があり、他にも左胸、首などに
多数の外傷が発見され、同署では殺人事件として本格的な捜査に
乗り出した。
捜索の父親が発見
××さんが死体で見つかった場所は国道十八号線、碓氷峠
カーブ3から霧積温泉方向に霧積川に沿って約七キロ入った地点、
林道から一段下がった数年前に堰堤(えんてい)工事に使った
作業小屋だった。
小屋は板張りで八畳と六畳の二間あり、××さんは八畳の間の
真ん中であお向けになって死んでいた。
死体は首の右と左腕、右手の三ヵ所に鋭利な刃物で刺したと
みられる傷があり、濃い紺のワンピース、白の運動ぐつをはいていた。
小屋の東側には出入り口があるが、西側の窓がこわされていた。
死体の傷に出血が少ないので、他の場所で殺されて乱暴されたあと
車で運び込まれたらしい。小屋に入る道路上に乗用車のタイヤ跡が
残っていた。
小屋の中には××さんが持っていたカメラ、ハンドバッグなどは
なかった。
同署の調べによると、××さんは十二日に東京都小金井市緑町にいる
実弟の銀行員△△さん(二二?)ら二人と同温泉に宿泊する予定だったが、
△△さんらの到着が遅れて一人で泊まった。翌十三日午前十時ごろ、
一人で旅館を出た。旅館の人が自動車で送るといったが、
「歩いて帰る」と松井田方面に向かい、消息を絶った。
××さんを発見した父親の○○さん(五五)は××さんの安否を
気づかって近所の人十人と”私設捜索隊”を組み、同温泉へ向かう途中、
十六日午後四時半ごろハエがむらがっている小屋を見つけ、
不審に思って中へ入ったところ、××さんが死んでいたという。
××さんの自宅では、帰宅予定の十四日になっても××さんが
帰らないため、家族が心配して姉の□□さん(二八)が同温泉に探しに行き、
さらに十六日になって○○さんが伊勢崎署に家出人捜索願いを出した。
××さんは無口で友人関係などあまりないが、きちょう面なので
これまで遅刻や無断欠勤はなく、職場では信頼されていた。
また、旅行ずきで、休みにはよく温泉などに出かけていた。
霧積川には四十五年秋から多目的の霧積ダムを建設しており、
約百人の作業員が働いているが、十二日から盆休みで工事現場には
いなかった。
同署は霧積温泉に現在泊まっている客八十人に話をきく一方、
すでに旅館を出た人や車ではいった人を調べているが、犯人像については
全く見当がついていない。現場は指紋採取のむずかしいところで、
捜査は難航している。
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月18日(金) 1面
霧積山女性殺人事件
変質者の犯行? 現場に地下タビ跡 残忍、二十数ヵ所に刺し傷
碓氷郡松井田町坂本の霧積川沿いの作業員小屋で惨殺された
伊勢崎市昭和町、ガソリン店員××××さん(二四)の殺人事件を
捜査している県警捜査一課、同鑑識課、松井田、伊勢崎の両署は十七日、
××さんが殺されていた小屋付近の現場検証を中心に、十二日夜に
宿泊した霧積温泉の旅館など××さんの行動を調べ、犯人との”接点”の
発見に努めた。しかし、同日の調べでは小屋に犯人のものとみられる
地下タビによる足跡と犯行時に使用したとみられる軍手で血を
つけたような手の跡が見つかっただけで、××さんの下腹部にも
刺しキズがあり猟奇的な事件から変質者の犯行とみて捜査は
その線にしぼって進められている。
なお、十七日夜、松井田署に 温井守夫 松井田署長を本部長とする
「霧積山女性殺人事件捜査本部」を設置した。
同日は捜査員約百人が動員され、松井田町内と××さんの実家のある
伊勢崎市内で捜査を行なった。××さんが十六日夕方、変わりはてた姿で
発見された小屋付近で鑑識課員らが検証したが、死体のあった南側の
八畳間の西の端に、××さんが持っていた手編みの白色帽子、カメラ、
紺色の布バッグ、旅行ブック、下着類など四十三品がブリキ板で
隠されていた。
また、入り口のある奥の六畳間には××さんの死体を引きずった
らしい血跡が約二メートルにわたってついており、室内と小屋の外には
地下タビの足跡と血のついた軍手による跡が数ヵ所残されていた。
このほか、同日の調べで、××さんは十二日夜、霧積温泉の
金湯館=※※※※さん(六九)経営=の二十八号室に一人で泊まり、
翌十三日朝、朝食のあと午前十時ごろ、同旅館の嫁の◎◎さん(二七)が
「マイクロバスに乗っていったらー」と呼びかけに対し、
「歩いて行きます」と答えて出発している。その後、午後二時ごろ、
旅館から約五キロ下った地点でブラブラ歩いている××さんを同じ旅館に
親子三人で泊まり午後帰った安中市内の人が出会い、車に乗っていくよう
声を掛けたが、××さんはここでも断っている。
これらの足取りから、捜査陣は群大での××さんの解剖の結果と
考え合わせるとこの直後に××さんは犯人と会ったものらしいと
みており、さらに一・五キロ下った小屋になんらかの方法で
連れ込まれたものとみられる。
犯人については、殺害の手口から地下タビをはいて刃渡り十センチ、
刃幅二・五センチの鋭利な刃物を持った男一人の単独犯行とみており、
捜査本部は十二日から十三日にかけて金湯館と同じく※※さんが経営する
霧積館に宿泊した客約二百人と、死体が発見された小屋の下流で建設中の
霧積ダムの工事関係者の身元を調べた。
その結果、宿泊客の大半は家族連れで、若い人たちのグループもいたが、
ハイキングで鼻曲山−軽井沢のコースを歩いている。また、工事関係者は
盆休みで十二日夜に富山県出身者がマイクロバス一台で、青森県出身者が
大型バス一台で帰郷、十三日には作業員たちの食事の世話をしている
●●さん(五九)、〒〒さん(五四)の夫婦たち九人が宿舎にいただけだった。
そのうえ、小屋に残されていた地下タビの足跡はダム工事現場で
作業員たちが使っているもの以外の製品であることから、
今までの調べではダム関係者には犯人はいないものとみている。
捜査本部では、今日十八日は機動隊員も出動させて霧積川や
山道沿線で××さんを殺害した凶器の発見や、さらに××さんを
目撃した人たちから詳しく話を聞くことにしている。
胸の傷が致命傷 ××さん解剖
殺害された××さんの遺体は十七日午前十時から約二時間にわたって
群大法医学部教室で古川研同大医学部助教授の執刀で解剖された。
死因は左胸の心臓に達する深さ八センチ、長さ五センチの傷が
直接の原因とみられ、出血多量で死んだ。
死亡推定時間は十三日昼から夕方にかけてとみられており、
同日午前十時ごろ、霧積温泉の旅館を出てまもなく殺されたらしい。
心臓の傷はアバラ骨三本を切るすさまじいもので、このほか下腹部など
全身にわたって二十数ヵ所の刺し傷や切り傷があり、鋭い刃物で
メッタ切りされていた。
(1面下のコラムもこの事件について述べていますが略)
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月18日(金) 9面
霧積山女性殺人事件 猟奇殺人に発展
計画的? 手袋使う 血まみれを引きずる
床板を真っ赤に染めたおびただしい血痕、犯人は残酷にも血の吹き
出している死体を六、七メートルほど引きずり回していた−。
伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員××さん(二四)が、霧積温泉近くの
造林小屋で殺されていた事件を捜査中の松井田署と県警捜査一課では、
十七日早朝から、現場検証を行なう一方、ダム工事関係者、温泉宿泊者など
からの聞き込み、被害者の身辺捜査など本格的な捜査に乗り出した。
しかし現在のところ、犯人割り出しの有力なキメ手はもちろん、
上半身に二十四ヵ所の刺し傷、切り傷がある文字通りの惨殺振りから
怨恨、痴情、流しいずれの犯行とも決めがたく、事件のナゾはますます
深まる気配さえ見せている。そこで××さんの足取り、目撃者の証言、
殺害状況などから事件のナゾを解明してみた…
××さんの行動
これまでの捜査から判明している××さんの足取りは、十二日
午前十時ごろ、霧積温泉に一−二泊の予定で父親の○○さんに
伊勢崎駅まで送られた−という事実を出発点に、単身行動ではあったが
××さんと接した人たちの証言から確実な日時を断定する”点”は
いくつか出ている。
十二日午後零時四十分ごろ、××さんは、松井田町にある霧積温泉の
出張所になっている▲▲さん宅を訪れた。一般の温泉客は横川駅から
旅館のマイクロバスを利用するのに、なぜ××さんは駅から約三キロもある
▲▲さん宅を訪れたか(しかも徒歩と思われる)。
ここで××さんは▲▲さんとこんな会話をしている。
「ここから霧積温泉までどのくらいかかりますか」
「三−四時間はかかります。ましてハイヒールでは無理です」
このため××さんはちかくの雑貨店でマップシューズを買った。しかし、
▲▲さんに説得されてマイクロを待つことにして、あがって一時間以上も
話し込んだ。
「どこからきたの」「伊勢崎です」「おばさんはわたしの学校時代の
担任の先生に似ている」
××さんは今月初めに出張所に電話で予約をしているのに、このことは
一言も触れず、名前もいわなかったという。さらに疑問なことは、
家族の話では××さんは同温泉にはこれまで二回行ったことがあるのに
初めての客のように装っていることだ。
同夜温泉の金湯館に一泊した××さんがここを出発したのは
翌十三日の午前十時ごろと見られている。(未確認)。そしてマイクロに
同乗することを断って歩いて帰路についたという。
午後二時前後、安中市内に住む親子三人づれのAさん一家が車で帰る途中、
死体発見現場から約一・五キロ手前を一人で歩いている××さんを認めて、
車に同乗するよう誘ったが、これも断った。事件発生当日とみられる
十三日に××さんを目撃したのはAさん一家だけで、いまのところ
この”点”を”線”に結びつけるものは何ひとつ出ていない。
犯人像は…
心臓部をえぐりロッ骨三本を切断した傷、長さ七センチに及ぶ
右頸部の切創、左手首を貫通した刺し傷−背中、臀部も含めて
上半身二十四ヵ所の生々しい傷口は殺人事件の中でもあまり
類をみない残酷さ。現場検証の結果から、犯人は北側の部屋で
××さんを殺害したもので、犯行現場と死体発見現場同一説が
強まっている。
犯人は何の目的か、血の吹き出ている××さんを約六、七メートルも
引きずって南側の部屋に移したようだ。このため、この間は血のりが
ベットリと本床にしみ込み、部屋の仕切り部分の腰板には、××さんを
いったん置いたのか多量の血痕が付着している。
さらに痛々しいのは、××さんが犯人の”魔手”から逃れようとしたために
刃物を握ったと見られる左手の”防御創”−これらのことを総合して
殺害時の状況を推理してみると、犯人はおそらく逃げまどう××さんを
メッタ切り、あたりかまわず突き刺し、最後のトドメで心臓部を
えぐったというまさに”狂気の殺人”といえるようだ。
これまでの捜査から犯人を特定するポイントとしてあがっているのは、
死体発見現場の造林小屋から採取できた犯人のものと思われる
「地下タビに似た足跡」数個と「血のついた手袋の痕跡」数個が
発見されたこと。
犯人が証拠隠滅を図って手袋をしていた−これが確実に裏付けられれば
捜査にとっては大きな前進。すくなくとも××さんとまったく面識がなく、
しかも通りすがりという”流し犯行説”はとり除くことができよう。
さらに犯人の犯行が計画的であったことを裏付ける要素として、現場の
造林小屋内部の状況、死体に二枚のトタンがかぶせてあったほか、
血痕の付着した床板、腰板すべての場所をトタンで覆い隠している。
また、××さんの所持品も「十時九分」を指して止まっていた腕時計など
四十数点をそっくり布袋に入れて隠し置いたことなどで、狂気の犯行後にとった
犯人の証拠隠滅行為はまさに冷静そのものの”殺人プロ”的な要素も
ないわけではない。
しかしまったく逆の推理も成り立つ。犯人は意外に小心者で、
××さんがひとりで山を下るのを見て乱暴しようと企てて造林小屋に連れ込んだ。
しかし激しい抵抗にあって思わず持っていた刃物で一突き、血潮が吹き出すのを
みて狂乱しメッタ突きにした。さらに暴行が成功しなかったことから
下腹部にも切りつけるという”猟奇殺人”へとエスカレートしていったことも
考えられる。
今後の捜査
犯人逮捕に結びつけるためには今後、捜査本部が解明しなければ
ならない点は非常に多い。
(1)犯行動機 (2)犯人は単独か複数犯か (3)車を使った犯行かどうか
(4)犯行現場と死体発見現場が同一かどうか−これらのナゾはすべて
同一捜査線上にあり、関連しあう疑問点ではあるが、ひとりで歩いていた
××さんの目撃者が意外に少ないということから捜査は早くも
難航のきざしを見せている。
現在、捜査本部が、解明の端緒としているのは、旅館の泊り客、
ダム関係作業人、民・国有林の下草刈り人、釣り人、ハイカーなどからの
聞き込みのほか、××さんの身辺捜査。さらに有力なキメ手となる
「地下たび」のメーカー割り出しと利用者の
キャッチ。とくに発見が急務とされているのは凶器と犯人が返り血を
浴びたために捨て去ったと見られる衣類がある。
これまでのところ、捜査の有力な決め手を欠いたまま長期化の様相を
見せているが、十七日に捜査本部が事情を聞いた関係者の中で証言が
あいまいな点のある者がいたようで、もしこの辺を突破口にして
事件の核心に触れることができれば意外に早期解決が望めそうな要素もある。
ハム交信で連絡 発見は私設捜索隊
××さんの遺体は父親の○○さん(五五)らで編成した”私設捜索隊”
十人によって発見されたが、この一報は同市昭和町、左官業▽▽さん(四二)の
ハム交信により現地から自宅で待機していた二男の$$君(十五)
=市立殖蓮中三年=に伝えられた。$$君はとぎれとぎれに聞こえる
父親の話の内容から、××さんが遺体で見つかったことを知り、
すぐ××さん宅にこのことを知らせた。
このことから、伊勢崎署は現地と連絡のうえ、松井田署員が現地に急行、
××さんの遺体確認となった。
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月19日(土) 7面
誰が撮ったこの写真 ナゾ秘めた五コマ 顔見知りの犯行か
霧積山中の造林小屋で、伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員
××さん(二四)が殺された事件を調べている松井田署、捜査本部では
十八日、新たな目撃者の発見や泊まり客、旅館関係者などからの
聞き込みなど前日に引き続いて基礎捜査を継続する一方、機動隊員
四十人を動員、犯人の遺留品捜索のため、現場付近七キロにわたって
検索を実施した。しかし、いぜんとして事件に直接結びつく有力な
手がかりは得られなかったが、××さんのカメラにはだれがとったのか、
本人のポーズ写真が残されており、事件解明に一歩前進した。
同日、捜査本部では、現場の造林小屋内に隠されていた××さんの
所持品を再点検、このうちカメラは××さんが帰路途中で、だれかに
撮影を頼んだとみられるものなど五コマをとらえていた。
このコマは「霧積館」から三百メートルほど上ったところにある
「忍の池」のえん堤付近で撮ったもの。このため、捜査本部では、
何かの理由で××さんと一緒になって撮影を頼まれた人が、事件発生当日の
十三日午後二時前後に安中市のAさんに目撃される時点まで、
空白になっている××さんの行動を解明する重要なカギをにぎっている
ものと見て、発見に全力をあげている。
一方、この日の捜査から、犯人割り出しの大きなポイントになると
見られていた「地下たび足跡」数個はかなり古いものとわかり、
足跡面からの捜査は振り出しにもどったようで、現在、犯人が現場に
残したもので確実なのは、死体や血痕を隠すために使用した
ブリキに付着している「血のついた手袋の痕跡」だけとなった。
捜査本部では、”××さんがだれかに写真を撮らせた”という
新しい事実から、これまでナゾとされていた空白の四時間
(午前十時ごろ、金湯館を出発してからAさんが目撃した午後二時ごろまで)
を解明する端緒をつかんだ。しかし、この事実は××さんがだれかと行動を
ともにした裏づけであり、事件は「顔見知りの犯行」説が有力になってきた
ともいえる。このため捜査本部では、
(1)××さんが旅館宿泊中に親しくなった人がいるかどうか
(2)××さんが友人と会う約束をした事実があるか
(3)事件当日、顔見知りの人が偶然に霧積温泉を訪れて××さんに出会ったか
どうか−
などについて捜査を始めた。
凶器は牛刀類? 現場捜索で発見できず
××さんの上半身に集中してメッタ突きした凶器は、十八日の現場付近の
捜索でも発見されなかった。とどめとなった左胸の長さ七・五センチ、
幅四センチ、心臓、肺臓を貫通した傷は、ロッ骨三本を切断するほどの
威力だった。
総計二十四ヵ所の傷跡から、捜査本部では凶器は”先端鋭利で
幅は二・五センチぐらい、長さは十センチを上回る”と推定している。
しかし、これに該当するものとしては柳葉包丁、登山ナイフ、
牛刀、料理用ナイフ類などいろいろあり、特定は困難だ。
ただ胸の傷跡のように一度刺して骨を切り、引っ張るときに
引き裂かれたような状況から、厚みのある相当上部なものでなければ
ならないし、持ち運びの容易な長さ、大きさという制限がある。
この点から肉厚が二・五−三ミリもあり、肉切り用として作られた
牛刀、これに類似するチャッパーナイフなどが考えられる。
刀身は小さいもので十二−十五センチ程度で、持ち運びや人目に
ふれない利点が大きい。
この種の包丁を扱っている刃物店の話では、牛刀類は料理店で
動物の骨をそぎ落とすのに使用される特殊のもので、買って行く人も
限られているようだ。
三百人が冥福 ××さんの告別式
(文章略)
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月20日(日) 11面
”最後の写真”は私が撮った 東京の釣り師名乗り きょう、くわしい状況を聞く
「新聞に出ていた殺人事件の被害者の写真はわたしが撮った」−霧積山殺人事件
捜査本部は、被害者の伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員
××さん(二四)のカメラから現像された”最後の写真”撮影者の
割り出しを急いでいたが、十九日夜、××さんに頼まれてシャッターを
押した−と都内に住む人が電話で名乗り出た。
撮影時間の特定と、××さんの帰路途中、”接点”を持った人の出現は
現在の捜査段階では重要なポイント。このため捜査本部では
きょう二十日、この人から当時の状況をくわしく聞く方針。
この人は東京都世田谷区下北沢×ノ×、××マンション内、
修理工☆☆さん(二二)で、同日午後八時半ごろ、上毛新聞社に
電話で名乗り出たもの。
☆☆さんの話によると、☆☆さんは十三日車で友だちと二人で
群馬県に釣りに来た。
碓氷郡松井田町横河のドライブイン「荻野屋」で霧積川がいいと教えられ、
霧積温泉に行き、同温泉の旅館の駐車場に車を置いて、忍の池の滝付近で
釣りをしていた。そこへ××さんと思われる女性がきて、
「ちょっとすいません、シャッターを切ってください」
と声をかけた。☆☆さんは「カメラには弱いので」といったん断ると、
女性は「シャッターを押すだけですから…」というので二回シャッターを
切ったという。
そこで別れた。時間ははっきりしないが昼過ぎだったと☆☆さんはいっている。
☆☆さんはその日車で帰京したが、きょう谷川岳に友だちと登山したあと、
県警に出向き、その当時の事情ともようを説明するという。
撮影者の判明により、旅館を出発してからの××さんの行動の中で
いぜんとして空白な時間帯はいよいよ犯行現場と見られる造林小屋付近の
わずかな時間にしぼられてきた。
××さんの最後の目撃者は午後二時十分ごろ、現場から一・五キロ手前で
車に乗るように呼びかけた安中市のHさん(五二)であることがこれまでの
捜査でわかっている。
このため、現場の小屋付近に来た××さんは、えん堤の池を見るため
道から一段さがった小屋に近寄ったところ、釣りか、山の下刈り、
ハイキング途中の犯人に声をかけられ、危険を感じて逃げようとしたところ、
小屋の中に連れ込まれ殺害されたものらしいとみている。
捜査本部では十三日午後、付近に約三十台の車が駐車していたことから、
今日二十日午前三時から現場近くで釣りの人を対象に、十三日に霧積川に
釣りに来たかどうか、来たのなら不審者に会わなかったかどうか調べ、
リストアップされていないものに捜査を広げることにしている。
しかし、これまでの捜査では××さんの一人歩きを目撃した人はいても、
××さんがだれかと連れだって複数行動をとっていたのを見たという
届け出はなく、いぜんとして犯人らしい者との”出会い”は捜査線上に
浮かんでいない。
このため、本部は松井田、安中周辺地域に有線放送を通じて
目撃した人の協力を訴える一方、さらに聞き込み、地取り捜査を徹底して
実施する方針。今後の捜査は第一段階ともいえる基礎捜査も間もなく終わる予定で、
この段階で犯人割り出しに直接結びつくような有力な手がかりが得られるかどうか、
第一のヤマ場にさしかかっている。
工事関係者は”シロ” 釣り人捜査などに重点移す
捜査本部(本部長・温井守夫 松井田署長)は十九日、××さんが殺害された
前夜に泊まった霧積温泉の旅館関係や宿泊人、ダム工事関係者、実家のある
伊勢崎での交友関係などを対象に捜査員九十人を動員して犯人逮捕への
足がかり捜査をした結果、温泉やダム工事、伊勢崎の知人などすべてが”
一応シロ”で、捜査本部では今日二十日以降、いままで捜査線上に
リストアップされていない釣り人、草刈り作業員、ハイカーなどに捜査重点を
移して全力をあげることを決めた。しかし、犯行のあったとみられる
十三日午後には霧積ダム工事現場から小屋をはさんで温泉の旅館まで
約六キロ間に釣り人のものらしい車が三十台前後駐車していたのが
確認されているが、所有者はほとんど判明していないので事件は早くも
難航する気配となってきた。
同日の調べでは、霧積温泉にある二軒の旅館に十二、十三日に宿泊した客は
××さんを含めて約三百人。大半が家族連れでその他若いグループが
数組あったがほとんど複数で行動しており、××さん殺害とは無関係。
また、旅館従業員たちも十三日は客が多かったこともあり、全員が旅館から
出ていない。
次にダム建設関係者は大半が盆休みで故郷に帰っていたので、
工事現場の宿舎には十数人しかいなかったが、ほとんど全員にアリバイがあった。
また、伊勢崎での知人もすでに××さんと親しかった高崎市内の電気製品
セールスマン(二九)や高校時代の同級生だった女の友人を含めた十三人について
調べたが全員疑わしいところはなかった。
このほか、十三日午後には殺人現場をはさんだ約六キロの山道に三十台の
釣り人の車が駐車されていたことが旅館宿泊客の証言から情報として
捜査本部に寄せられている。
殺しの現場で供養 ××さんの兄弟
(文章略)
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昭和47年8月17日(水) 毎日新聞
娘さん、殺される
山奥の作業小屋で
【高崎】十六日午後五時ごろ、群馬県碓氷郡松井田町坂本の霧積ダム建設工事現場
付近の作業小屋の中で、同県伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員、△△△△さん
(二四)=写真=が死んでいるのを探していた父親が見つけた。
松井田署の調べによると、両腕や肩、首など四ヵ所に刃物によるものとみられる切り傷
などがあった。下着も乱れており、同署は殺人事件とみて捜査を始めた。
△△さんは十二日午後二時ごろ、東京小金井市に住む弟の○○さん(二五)と
現地で落ち合う連絡をして、同ダムから約五キロ奥に入った霧積温泉に出かけた。
しかし、○○さんは都合が悪く旅行を中止。
△△さんは十三日午前十時ごろ、「一人で歩いて帰る」といって旅館を出たため、
父の撚糸業、井上××さん(五五)が十六日朝、伊勢崎署に捜索願を出すとともに、
家族や親類が総出で周辺を探していた。
現場は長野県境寄りで、国道18号線の松井田町坂本の旧宿場町から
霧積温泉へ向かう県道を約四キロ登った山奥。昨年秋から霧積川(碓氷川支流)で
霧積ダムの工事が始まり、県道沿いには飯場や作業場の小屋が点々としている。
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昭和47年8月17日(水) 朝日新聞
殺人か 女の死体 群馬県の山の小屋
十六日午後四時半ごろ、群馬県碓氷郡松井田町坂本の霧積温泉近くの
霧積ダムえん堤の工事小屋で、同県伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員
△△△△さん(二四)が死んでいるのを、父親の××さん(五五)らが見つけ、
松井田署に届けた。
死体の胸などに刃物でつけたキズがあり、乱暴された形跡があることから
群馬県警と同署は、殺人の疑いで捜査を始めた。
××さんの話だと、△△さんは十二日午後二時ごろ、会社を休んで
「霧積温泉へ行く。二泊くらいするかもしれない」
と家を出たまま行方不明になっており、十六日朝、××さんが伊勢崎署に
捜索願を出すとともに、近所の人たち十数人と同温泉一帯を捜していた。
△△さんの死体があった現場は、松井田町の国道18号から北へ六キロはいった
長野県境の霧積温泉へ向かう山道の途中。
工事小屋は無人で、近くでダム工事をしており、昼間は工事の作業員などもいる。
これまでの調べだと、△△さんは十二日は同温泉に一泊、十三日朝十時ごろ
「歩いて松井田町までくだる」
と一人で出かけたという。同温泉はふだんマイクロバスで松井田町まで
客を送迎しているが、山好きだった△△さんは、歩いておりることにしたのではないかと
みられている。
△△さんの死体は紫色のノースリーブのブラウスと白いスカートをつけたままだったが、
下着が乱れていた。
腕や胸、首などに刃物でつけたような切り傷、打撲傷が無数にあった。
また、家を出るとき紙袋に入れて持っていたカメラやハンドバッグ、現金などが
袋ごとなくなっていた。
工事小屋は間口四メートル、奥行き七メートルで△△さんは仰向けに倒れており、
現場の状況などから県警と松井田署では、よそで殺されてから運び込まれた疑いが
濃いとしている。
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別冊宝島Real053「迷宮入り!? 未解決殺人事件の真相」
このスレや懐かしニュース板でもたびたび話題になる本。
各事件についてプロファイリングをしているのがあの田宮元捜査一課長なので
最初はpgrしていたが、意外にも地に足のついた真面目な分析をしている。
「ワラビ採り殺人事件」と「霧積温泉女性客殺人事件」は圧巻。
田宮榮一元捜査一課長画像
被害女性の遺留品の中にカメラが残されており、
フィルムの最後の方に女性が一人で写っている写真が数枚あった。
女性は一人旅の筈だったので、写真を撮った人物は最後まで女性と
行動をともにした人物−つまり真犯人の可能性が高い。
そして、最後の写真は……。以下引用。
「警察から恵子ちゃんの持ち物が全部戻されたときに、
あたしも見せてもらったんです。その中にあの娘が最後に写っている
という写真があったんです。それが気味悪いのよ。笹やぶの中に
ボォーッと立ってるんだけど、足の途中から白い煙だか雲みたいなものが
出ていて、下の方が切れてるの。それに表情も生気がなくて、
まるで抜け殻みたいだった」
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未解決事件2chまとめ@Wiki 【1972 08 16 霧積温泉女性殺人事件 群馬・松井田町】
未解決事件2chまとめ@Wiki
16 霧積温泉女性殺人事件 群馬・松井田町】
最終更新:2009年11月27日 20:10
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【1972/08/16 霧積温泉女性殺人事件 群馬・松井田町】
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月17日(木) 1面
工事現場に女性の死体
乱暴され殺さる 全身に数ヵ所の傷 他で殺し運ぶ? 霧積ダム
十六日午後五時ごろ、碓氷郡松井田町の霧積ダム建設現場付近の
小屋の中で、伊勢崎市昭和町、店員××××さん(二四)の
死体が発見されたと父親の同所、撚糸業××○○さん(五五)から
松井田署に届け出があった。
同署では現場に急行して調べたところ、××さんの死体は
工事現場付近の物置き小屋の中で頭を南にあお向けに倒れ、
着衣はノースリーブのブラウスに白スカートをつけ、スカートが
まくれているなど着衣の乱れがあるほか、死体の右腕に長さ
五センチ、幅三センチの切り傷があり、他にも左胸、首などに
多数の外傷が発見され、同署では殺人事件として本格的な捜査に
乗り出した。
捜索の父親が発見
××さんが死体で見つかった場所は国道十八号線、碓氷峠
カーブ3から霧積温泉方向に霧積川に沿って約七キロ入った地点、
林道から一段下がった数年前に堰堤(えんてい)工事に使った
作業小屋だった。
小屋は板張りで八畳と六畳の二間あり、××さんは八畳の間の
真ん中であお向けになって死んでいた。
死体は首の右と左腕、右手の三ヵ所に鋭利な刃物で刺したと
みられる傷があり、濃い紺のワンピース、白の運動ぐつをはいていた。
小屋の東側には出入り口があるが、西側の窓がこわされていた。
死体の傷に出血が少ないので、他の場所で殺されて乱暴されたあと
車で運び込まれたらしい。小屋に入る道路上に乗用車のタイヤ跡が
残っていた。
小屋の中には××さんが持っていたカメラ、ハンドバッグなどは
なかった。
同署の調べによると、××さんは十二日に東京都小金井市緑町にいる
実弟の銀行員△△さん(二二?)ら二人と同温泉に宿泊する予定だったが、
△△さんらの到着が遅れて一人で泊まった。翌十三日午前十時ごろ、
一人で旅館を出た。旅館の人が自動車で送るといったが、
「歩いて帰る」と松井田方面に向かい、消息を絶った。
××さんを発見した父親の○○さん(五五)は××さんの安否を
気づかって近所の人十人と”私設捜索隊”を組み、同温泉へ向かう途中、
十六日午後四時半ごろハエがむらがっている小屋を見つけ、
不審に思って中へ入ったところ、××さんが死んでいたという。
××さんの自宅では、帰宅予定の十四日になっても××さんが
帰らないため、家族が心配して姉の□□さん(二八)が同温泉に探しに行き、
さらに十六日になって○○さんが伊勢崎署に家出人捜索願いを出した。
××さんは無口で友人関係などあまりないが、きちょう面なので
これまで遅刻や無断欠勤はなく、職場では信頼されていた。
また、旅行ずきで、休みにはよく温泉などに出かけていた。
霧積川には四十五年秋から多目的の霧積ダムを建設しており、
約百人の作業員が働いているが、十二日から盆休みで工事現場には
いなかった。
同署は霧積温泉に現在泊まっている客八十人に話をきく一方、
すでに旅館を出た人や車ではいった人を調べているが、犯人像については
全く見当がついていない。現場は指紋採取のむずかしいところで、
捜査は難航している。
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月18日(金) 1面
霧積山女性殺人事件
変質者の犯行? 現場に地下タビ跡 残忍、二十数ヵ所に刺し傷
碓氷郡松井田町坂本の霧積川沿いの作業員小屋で惨殺された
伊勢崎市昭和町、ガソリン店員××××さん(二四)の殺人事件を
捜査している県警捜査一課、同鑑識課、松井田、伊勢崎の両署は十七日、
××さんが殺されていた小屋付近の現場検証を中心に、十二日夜に
宿泊した霧積温泉の旅館など××さんの行動を調べ、犯人との”接点”の
発見に努めた。しかし、同日の調べでは小屋に犯人のものとみられる
地下タビによる足跡と犯行時に使用したとみられる軍手で血を
つけたような手の跡が見つかっただけで、××さんの下腹部にも
刺しキズがあり猟奇的な事件から変質者の犯行とみて捜査は
その線にしぼって進められている。
なお、十七日夜、松井田署に 温井守夫 松井田署長を本部長とする
「霧積山女性殺人事件捜査本部」を設置した。
同日は捜査員約百人が動員され、松井田町内と××さんの実家のある
伊勢崎市内で捜査を行なった。××さんが十六日夕方、変わりはてた姿で
発見された小屋付近で鑑識課員らが検証したが、死体のあった南側の
八畳間の西の端に、××さんが持っていた手編みの白色帽子、カメラ、
紺色の布バッグ、旅行ブック、下着類など四十三品がブリキ板で
隠されていた。
また、入り口のある奥の六畳間には××さんの死体を引きずった
らしい血跡が約二メートルにわたってついており、室内と小屋の外には
地下タビの足跡と血のついた軍手による跡が数ヵ所残されていた。
このほか、同日の調べで、××さんは十二日夜、霧積温泉の
金湯館=※※※※さん(六九)経営=の二十八号室に一人で泊まり、
翌十三日朝、朝食のあと午前十時ごろ、同旅館の嫁の◎◎さん(二七)が
「マイクロバスに乗っていったらー」と呼びかけに対し、
「歩いて行きます」と答えて出発している。その後、午後二時ごろ、
旅館から約五キロ下った地点でブラブラ歩いている××さんを同じ旅館に
親子三人で泊まり午後帰った安中市内の人が出会い、車に乗っていくよう
声を掛けたが、××さんはここでも断っている。
これらの足取りから、捜査陣は群大での××さんの解剖の結果と
考え合わせるとこの直後に××さんは犯人と会ったものらしいと
みており、さらに一・五キロ下った小屋になんらかの方法で
連れ込まれたものとみられる。
犯人については、殺害の手口から地下タビをはいて刃渡り十センチ、
刃幅二・五センチの鋭利な刃物を持った男一人の単独犯行とみており、
捜査本部は十二日から十三日にかけて金湯館と同じく※※さんが経営する
霧積館に宿泊した客約二百人と、死体が発見された小屋の下流で建設中の
霧積ダムの工事関係者の身元を調べた。
その結果、宿泊客の大半は家族連れで、若い人たちのグループもいたが、
ハイキングで鼻曲山−軽井沢のコースを歩いている。また、工事関係者は
盆休みで十二日夜に富山県出身者がマイクロバス一台で、青森県出身者が
大型バス一台で帰郷、十三日には作業員たちの食事の世話をしている
●●さん(五九)、〒〒さん(五四)の夫婦たち九人が宿舎にいただけだった。
そのうえ、小屋に残されていた地下タビの足跡はダム工事現場で
作業員たちが使っているもの以外の製品であることから、
今までの調べではダム関係者には犯人はいないものとみている。
捜査本部では、今日十八日は機動隊員も出動させて霧積川や
山道沿線で××さんを殺害した凶器の発見や、さらに××さんを
目撃した人たちから詳しく話を聞くことにしている。
胸の傷が致命傷 ××さん解剖
殺害された××さんの遺体は十七日午前十時から約二時間にわたって
群大法医学部教室で古川研同大医学部助教授の執刀で解剖された。
死因は左胸の心臓に達する深さ八センチ、長さ五センチの傷が
直接の原因とみられ、出血多量で死んだ。
死亡推定時間は十三日昼から夕方にかけてとみられており、
同日午前十時ごろ、霧積温泉の旅館を出てまもなく殺されたらしい。
心臓の傷はアバラ骨三本を切るすさまじいもので、このほか下腹部など
全身にわたって二十数ヵ所の刺し傷や切り傷があり、鋭い刃物で
メッタ切りされていた。
(1面下のコラムもこの事件について述べていますが略)
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月18日(金) 9面
霧積山女性殺人事件 猟奇殺人に発展
計画的? 手袋使う 血まみれを引きずる
床板を真っ赤に染めたおびただしい血痕、犯人は残酷にも血の吹き
出している死体を六、七メートルほど引きずり回していた−。
伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員××さん(二四)が、霧積温泉近くの
造林小屋で殺されていた事件を捜査中の松井田署と県警捜査一課では、
十七日早朝から、現場検証を行なう一方、ダム工事関係者、温泉宿泊者など
からの聞き込み、被害者の身辺捜査など本格的な捜査に乗り出した。
しかし現在のところ、犯人割り出しの有力なキメ手はもちろん、
上半身に二十四ヵ所の刺し傷、切り傷がある文字通りの惨殺振りから
怨恨、痴情、流しいずれの犯行とも決めがたく、事件のナゾはますます
深まる気配さえ見せている。そこで××さんの足取り、目撃者の証言、
殺害状況などから事件のナゾを解明してみた…
××さんの行動
これまでの捜査から判明している××さんの足取りは、十二日
午前十時ごろ、霧積温泉に一−二泊の予定で父親の○○さんに
伊勢崎駅まで送られた−という事実を出発点に、単身行動ではあったが
××さんと接した人たちの証言から確実な日時を断定する”点”は
いくつか出ている。
十二日午後零時四十分ごろ、××さんは、松井田町にある霧積温泉の
出張所になっている▲▲さん宅を訪れた。一般の温泉客は横川駅から
旅館のマイクロバスを利用するのに、なぜ××さんは駅から約三キロもある
▲▲さん宅を訪れたか(しかも徒歩と思われる)。
ここで××さんは▲▲さんとこんな会話をしている。
「ここから霧積温泉までどのくらいかかりますか」
「三−四時間はかかります。ましてハイヒールでは無理です」
このため××さんはちかくの雑貨店でマップシューズを買った。しかし、
▲▲さんに説得されてマイクロを待つことにして、あがって一時間以上も
話し込んだ。
「どこからきたの」「伊勢崎です」「おばさんはわたしの学校時代の
担任の先生に似ている」
××さんは今月初めに出張所に電話で予約をしているのに、このことは
一言も触れず、名前もいわなかったという。さらに疑問なことは、
家族の話では××さんは同温泉にはこれまで二回行ったことがあるのに
初めての客のように装っていることだ。
同夜温泉の金湯館に一泊した××さんがここを出発したのは
翌十三日の午前十時ごろと見られている。(未確認)。そしてマイクロに
同乗することを断って歩いて帰路についたという。
午後二時前後、安中市内に住む親子三人づれのAさん一家が車で帰る途中、
死体発見現場から約一・五キロ手前を一人で歩いている××さんを認めて、
車に同乗するよう誘ったが、これも断った。事件発生当日とみられる
十三日に××さんを目撃したのはAさん一家だけで、いまのところ
この”点”を”線”に結びつけるものは何ひとつ出ていない。
犯人像は…
心臓部をえぐりロッ骨三本を切断した傷、長さ七センチに及ぶ
右頸部の切創、左手首を貫通した刺し傷−背中、臀部も含めて
上半身二十四ヵ所の生々しい傷口は殺人事件の中でもあまり
類をみない残酷さ。現場検証の結果から、犯人は北側の部屋で
××さんを殺害したもので、犯行現場と死体発見現場同一説が
強まっている。
犯人は何の目的か、血の吹き出ている××さんを約六、七メートルも
引きずって南側の部屋に移したようだ。このため、この間は血のりが
ベットリと本床にしみ込み、部屋の仕切り部分の腰板には、××さんを
いったん置いたのか多量の血痕が付着している。
さらに痛々しいのは、××さんが犯人の”魔手”から逃れようとしたために
刃物を握ったと見られる左手の”防御創”−これらのことを総合して
殺害時の状況を推理してみると、犯人はおそらく逃げまどう××さんを
メッタ切り、あたりかまわず突き刺し、最後のトドメで心臓部を
えぐったというまさに”狂気の殺人”といえるようだ。
これまでの捜査から犯人を特定するポイントとしてあがっているのは、
死体発見現場の造林小屋から採取できた犯人のものと思われる
「地下タビに似た足跡」数個と「血のついた手袋の痕跡」数個が
発見されたこと。
犯人が証拠隠滅を図って手袋をしていた−これが確実に裏付けられれば
捜査にとっては大きな前進。すくなくとも××さんとまったく面識がなく、
しかも通りすがりという”流し犯行説”はとり除くことができよう。
さらに犯人の犯行が計画的であったことを裏付ける要素として、現場の
造林小屋内部の状況、死体に二枚のトタンがかぶせてあったほか、
血痕の付着した床板、腰板すべての場所をトタンで覆い隠している。
また、××さんの所持品も「十時九分」を指して止まっていた腕時計など
四十数点をそっくり布袋に入れて隠し置いたことなどで、狂気の犯行後にとった
犯人の証拠隠滅行為はまさに冷静そのものの”殺人プロ”的な要素も
ないわけではない。
しかしまったく逆の推理も成り立つ。犯人は意外に小心者で、
××さんがひとりで山を下るのを見て乱暴しようと企てて造林小屋に連れ込んだ。
しかし激しい抵抗にあって思わず持っていた刃物で一突き、血潮が吹き出すのを
みて狂乱しメッタ突きにした。さらに暴行が成功しなかったことから
下腹部にも切りつけるという”猟奇殺人”へとエスカレートしていったことも
考えられる。
今後の捜査
犯人逮捕に結びつけるためには今後、捜査本部が解明しなければ
ならない点は非常に多い。
(1)犯行動機 (2)犯人は単独か複数犯か (3)車を使った犯行かどうか
(4)犯行現場と死体発見現場が同一かどうか−これらのナゾはすべて
同一捜査線上にあり、関連しあう疑問点ではあるが、ひとりで歩いていた
××さんの目撃者が意外に少ないということから捜査は早くも
難航のきざしを見せている。
現在、捜査本部が、解明の端緒としているのは、旅館の泊り客、
ダム関係作業人、民・国有林の下草刈り人、釣り人、ハイカーなどからの
聞き込みのほか、××さんの身辺捜査。さらに有力なキメ手となる
「地下たび」のメーカー割り出しと利用者の
キャッチ。とくに発見が急務とされているのは凶器と犯人が返り血を
浴びたために捨て去ったと見られる衣類がある。
これまでのところ、捜査の有力な決め手を欠いたまま長期化の様相を
見せているが、十七日に捜査本部が事情を聞いた関係者の中で証言が
あいまいな点のある者がいたようで、もしこの辺を突破口にして
事件の核心に触れることができれば意外に早期解決が望めそうな要素もある。
ハム交信で連絡 発見は私設捜索隊
××さんの遺体は父親の○○さん(五五)らで編成した”私設捜索隊”
十人によって発見されたが、この一報は同市昭和町、左官業▽▽さん(四二)の
ハム交信により現地から自宅で待機していた二男の$$君(十五)
=市立殖蓮中三年=に伝えられた。$$君はとぎれとぎれに聞こえる
父親の話の内容から、××さんが遺体で見つかったことを知り、
すぐ××さん宅にこのことを知らせた。
このことから、伊勢崎署は現地と連絡のうえ、松井田署員が現地に急行、
××さんの遺体確認となった。
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月19日(土) 7面
誰が撮ったこの写真 ナゾ秘めた五コマ 顔見知りの犯行か
霧積山中の造林小屋で、伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員
××さん(二四)が殺された事件を調べている松井田署、捜査本部では
十八日、新たな目撃者の発見や泊まり客、旅館関係者などからの
聞き込みなど前日に引き続いて基礎捜査を継続する一方、機動隊員
四十人を動員、犯人の遺留品捜索のため、現場付近七キロにわたって
検索を実施した。しかし、いぜんとして事件に直接結びつく有力な
手がかりは得られなかったが、××さんのカメラにはだれがとったのか、
本人のポーズ写真が残されており、事件解明に一歩前進した。
同日、捜査本部では、現場の造林小屋内に隠されていた××さんの
所持品を再点検、このうちカメラは××さんが帰路途中で、だれかに
撮影を頼んだとみられるものなど五コマをとらえていた。
このコマは「霧積館」から三百メートルほど上ったところにある
「忍の池」のえん堤付近で撮ったもの。このため、捜査本部では、
何かの理由で××さんと一緒になって撮影を頼まれた人が、事件発生当日の
十三日午後二時前後に安中市のAさんに目撃される時点まで、
空白になっている××さんの行動を解明する重要なカギをにぎっている
ものと見て、発見に全力をあげている。
一方、この日の捜査から、犯人割り出しの大きなポイントになると
見られていた「地下たび足跡」数個はかなり古いものとわかり、
足跡面からの捜査は振り出しにもどったようで、現在、犯人が現場に
残したもので確実なのは、死体や血痕を隠すために使用した
ブリキに付着している「血のついた手袋の痕跡」だけとなった。
捜査本部では、”××さんがだれかに写真を撮らせた”という
新しい事実から、これまでナゾとされていた空白の四時間
(午前十時ごろ、金湯館を出発してからAさんが目撃した午後二時ごろまで)
を解明する端緒をつかんだ。しかし、この事実は××さんがだれかと行動を
ともにした裏づけであり、事件は「顔見知りの犯行」説が有力になってきた
ともいえる。このため捜査本部では、
(1)××さんが旅館宿泊中に親しくなった人がいるかどうか
(2)××さんが友人と会う約束をした事実があるか
(3)事件当日、顔見知りの人が偶然に霧積温泉を訪れて××さんに出会ったか
どうか−
などについて捜査を始めた。
凶器は牛刀類? 現場捜索で発見できず
××さんの上半身に集中してメッタ突きした凶器は、十八日の現場付近の
捜索でも発見されなかった。とどめとなった左胸の長さ七・五センチ、
幅四センチ、心臓、肺臓を貫通した傷は、ロッ骨三本を切断するほどの
威力だった。
総計二十四ヵ所の傷跡から、捜査本部では凶器は”先端鋭利で
幅は二・五センチぐらい、長さは十センチを上回る”と推定している。
しかし、これに該当するものとしては柳葉包丁、登山ナイフ、
牛刀、料理用ナイフ類などいろいろあり、特定は困難だ。
ただ胸の傷跡のように一度刺して骨を切り、引っ張るときに
引き裂かれたような状況から、厚みのある相当上部なものでなければ
ならないし、持ち運びの容易な長さ、大きさという制限がある。
この点から肉厚が二・五−三ミリもあり、肉切り用として作られた
牛刀、これに類似するチャッパーナイフなどが考えられる。
刀身は小さいもので十二−十五センチ程度で、持ち運びや人目に
ふれない利点が大きい。
この種の包丁を扱っている刃物店の話では、牛刀類は料理店で
動物の骨をそぎ落とすのに使用される特殊のもので、買って行く人も
限られているようだ。
三百人が冥福 ××さんの告別式
(文章略)
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月20日(日) 11面
”最後の写真”は私が撮った 東京の釣り師名乗り きょう、くわしい状況を聞く
「新聞に出ていた殺人事件の被害者の写真はわたしが撮った」−霧積山殺人事件
捜査本部は、被害者の伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員
××さん(二四)のカメラから現像された”最後の写真”撮影者の
割り出しを急いでいたが、十九日夜、××さんに頼まれてシャッターを
押した−と都内に住む人が電話で名乗り出た。
撮影時間の特定と、××さんの帰路途中、”接点”を持った人の出現は
現在の捜査段階では重要なポイント。このため捜査本部では
きょう二十日、この人から当時の状況をくわしく聞く方針。
この人は東京都世田谷区下北沢×ノ×、××マンション内、
修理工☆☆さん(二二)で、同日午後八時半ごろ、上毛新聞社に
電話で名乗り出たもの。
☆☆さんの話によると、☆☆さんは十三日車で友だちと二人で
群馬県に釣りに来た。
碓氷郡松井田町横河のドライブイン「荻野屋」で霧積川がいいと教えられ、
霧積温泉に行き、同温泉の旅館の駐車場に車を置いて、忍の池の滝付近で
釣りをしていた。そこへ××さんと思われる女性がきて、
「ちょっとすいません、シャッターを切ってください」
と声をかけた。☆☆さんは「カメラには弱いので」といったん断ると、
女性は「シャッターを押すだけですから…」というので二回シャッターを
切ったという。
そこで別れた。時間ははっきりしないが昼過ぎだったと☆☆さんはいっている。
☆☆さんはその日車で帰京したが、きょう谷川岳に友だちと登山したあと、
県警に出向き、その当時の事情ともようを説明するという。
撮影者の判明により、旅館を出発してからの××さんの行動の中で
いぜんとして空白な時間帯はいよいよ犯行現場と見られる造林小屋付近の
わずかな時間にしぼられてきた。
××さんの最後の目撃者は午後二時十分ごろ、現場から一・五キロ手前で
車に乗るように呼びかけた安中市のHさん(五二)であることがこれまでの
捜査でわかっている。
このため、現場の小屋付近に来た××さんは、えん堤の池を見るため
道から一段さがった小屋に近寄ったところ、釣りか、山の下刈り、
ハイキング途中の犯人に声をかけられ、危険を感じて逃げようとしたところ、
小屋の中に連れ込まれ殺害されたものらしいとみている。
捜査本部では十三日午後、付近に約三十台の車が駐車していたことから、
今日二十日午前三時から現場近くで釣りの人を対象に、十三日に霧積川に
釣りに来たかどうか、来たのなら不審者に会わなかったかどうか調べ、
リストアップされていないものに捜査を広げることにしている。
しかし、これまでの捜査では××さんの一人歩きを目撃した人はいても、
××さんがだれかと連れだって複数行動をとっていたのを見たという
届け出はなく、いぜんとして犯人らしい者との”出会い”は捜査線上に
浮かんでいない。
このため、本部は松井田、安中周辺地域に有線放送を通じて
目撃した人の協力を訴える一方、さらに聞き込み、地取り捜査を徹底して
実施する方針。今後の捜査は第一段階ともいえる基礎捜査も間もなく終わる予定で、
この段階で犯人割り出しに直接結びつくような有力な手がかりが得られるかどうか、
第一のヤマ場にさしかかっている。
工事関係者は”シロ” 釣り人捜査などに重点移す
捜査本部(本部長・温井守夫 松井田署長)は十九日、××さんが殺害された
前夜に泊まった霧積温泉の旅館関係や宿泊人、ダム工事関係者、実家のある
伊勢崎での交友関係などを対象に捜査員九十人を動員して犯人逮捕への
足がかり捜査をした結果、温泉やダム工事、伊勢崎の知人などすべてが”
一応シロ”で、捜査本部では今日二十日以降、いままで捜査線上に
リストアップされていない釣り人、草刈り作業員、ハイカーなどに捜査重点を
移して全力をあげることを決めた。しかし、犯行のあったとみられる
十三日午後には霧積ダム工事現場から小屋をはさんで温泉の旅館まで
約六キロ間に釣り人のものらしい車が三十台前後駐車していたのが
確認されているが、所有者はほとんど判明していないので事件は早くも
難航する気配となってきた。
同日の調べでは、霧積温泉にある二軒の旅館に十二、十三日に宿泊した客は
××さんを含めて約三百人。大半が家族連れでその他若いグループが
数組あったがほとんど複数で行動しており、××さん殺害とは無関係。
また、旅館従業員たちも十三日は客が多かったこともあり、全員が旅館から
出ていない。
次にダム建設関係者は大半が盆休みで故郷に帰っていたので、
工事現場の宿舎には十数人しかいなかったが、ほとんど全員にアリバイがあった。
また、伊勢崎での知人もすでに××さんと親しかった高崎市内の電気製品
セールスマン(二九)や高校時代の同級生だった女の友人を含めた十三人について
調べたが全員疑わしいところはなかった。
このほか、十三日午後には殺人現場をはさんだ約六キロの山道に三十台の
釣り人の車が駐車されていたことが旅館宿泊客の証言から情報として
捜査本部に寄せられている。
殺しの現場で供養 ××さんの兄弟
(文章略)
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昭和47年8月17日(水) 毎日新聞
娘さん、殺される
山奥の作業小屋で
【高崎】十六日午後五時ごろ、群馬県碓氷郡松井田町坂本の霧積ダム建設工事現場
付近の作業小屋の中で、同県伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員、△△△△さん
(二四)=写真=が死んでいるのを探していた父親が見つけた。
松井田署の調べによると、両腕や肩、首など四ヵ所に刃物によるものとみられる切り傷
などがあった。下着も乱れており、同署は殺人事件とみて捜査を始めた。
△△さんは十二日午後二時ごろ、東京小金井市に住む弟の○○さん(二五)と
現地で落ち合う連絡をして、同ダムから約五キロ奥に入った霧積温泉に出かけた。
しかし、○○さんは都合が悪く旅行を中止。
△△さんは十三日午前十時ごろ、「一人で歩いて帰る」といって旅館を出たため、
父の撚糸業、井上××さん(五五)が十六日朝、伊勢崎署に捜索願を出すとともに、
家族や親類が総出で周辺を探していた。
現場は長野県境寄りで、国道18号線の松井田町坂本の旧宿場町から
霧積温泉へ向かう県道を約四キロ登った山奥。昨年秋から霧積川(碓氷川支流)で
霧積ダムの工事が始まり、県道沿いには飯場や作業場の小屋が点々としている。
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昭和47年8月17日(水) 朝日新聞
殺人か 女の死体 群馬県の山の小屋
十六日午後四時半ごろ、群馬県碓氷郡松井田町坂本の霧積温泉近くの
霧積ダムえん堤の工事小屋で、同県伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員
△△△△さん(二四)が死んでいるのを、父親の××さん(五五)らが見つけ、
松井田署に届けた。
死体の胸などに刃物でつけたキズがあり、乱暴された形跡があることから
群馬県警と同署は、殺人の疑いで捜査を始めた。
××さんの話だと、△△さんは十二日午後二時ごろ、会社を休んで
「霧積温泉へ行く。二泊くらいするかもしれない」
と家を出たまま行方不明になっており、十六日朝、××さんが伊勢崎署に
捜索願を出すとともに、近所の人たち十数人と同温泉一帯を捜していた。
△△さんの死体があった現場は、松井田町の国道18号から北へ六キロはいった
長野県境の霧積温泉へ向かう山道の途中。
工事小屋は無人で、近くでダム工事をしており、昼間は工事の作業員などもいる。
これまでの調べだと、△△さんは十二日は同温泉に一泊、十三日朝十時ごろ
「歩いて松井田町までくだる」
と一人で出かけたという。同温泉はふだんマイクロバスで松井田町まで
客を送迎しているが、山好きだった△△さんは、歩いておりることにしたのではないかと
みられている。
△△さんの死体は紫色のノースリーブのブラウスと白いスカートをつけたままだったが、
下着が乱れていた。
腕や胸、首などに刃物でつけたような切り傷、打撲傷が無数にあった。
また、家を出るとき紙袋に入れて持っていたカメラやハンドバッグ、現金などが
袋ごとなくなっていた。
工事小屋は間口四メートル、奥行き七メートルで△△さんは仰向けに倒れており、
現場の状況などから県警と松井田署では、よそで殺されてから運び込まれた疑いが
濃いとしている。
-------------------------------------------------------------------------http://blog.goo.ne.jp/mikaiketu_2008/e/d418621a159f379296b8c7b2e6fa3b15
(こちらのリンクのほうが詳しいと思います↑)
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/occult/1252117790/
未解決事件スレ55
566 :本当にあった怖い名無し:2009/10/25(日) 22:07:57 ID:DSpUcqWK0
>>564
うちの本棚から探してきました。
もう持ってたらごめんね。
(略)
別冊宝島Real053「迷宮入り!? 未解決殺人事件の真相」
このスレや懐かしニュース板でもたびたび話題になる本。
各事件についてプロファイリングをしているのがあの田宮元捜査一課長なので
最初はpgrしていたが、意外にも地に足のついた真面目な分析をしている。
「ワラビ採り殺人事件」と「霧積温泉女性客殺人事件」は圧巻。
5枚の写真について…数字は枚数
@A泊まった金湯館の水車(旅館アルバイトに撮影してもらった)
B忍の池堰堤付近(ポーズをとっている)
…上毛新聞(1972.8.19)に〈誰が撮ったこの写真、ナゾを秘めた五コマ〉として掲載。
石田と名乗る男が「自分が撮影した」と名乗り出たが、実在しない人物だった(イタズラ?)
C金剛の滝(滝をバックに欄干にもたれかかっている)
…旅館の主人が証言
D笹やぶ…返却された写真を見た家族知人(捜索参加)の妻証言
「それが気味悪いのよ。笹やぶのなかにボォーッと立ってるんだけど。
脚の途中から白い煙だか雲みたいなものが出ていて、下の方が切れてるの。
それに表情も生気がなくて、まるで抜け殻みたいだった」
・@A以外は撮影者不明
・B→C→Dは旅館から殺害現場の小屋までの道順と重なる。
泉アキ写真画像
泉アキ 心霊実験1
質問
霧積山女性殺人事件の犯人は釣り人ですか?ダム工事の関係者ですか?
答え
釣り人の線が強いように思います。
あの場所で計画的な犯行は難しいでしょうから突発的な犯行と見て間違いないでしょうし、それを踏まえて考えると
・ナイフを携帯していたこと
・地下足袋
・東京人を装って最後の写真を撮ったのは自分との釣り人からの連絡
上2つは格好や持ち物からして釣り人であれば自然です
最後のは絶妙で、恐らくは写真を撮った&釣りをしていたというところだけは本当なのでしょう。写真を撮ったのが犯人でなければ本当に撮影した人が名乗り出てきたら厄介ですしね。嘘がばれます。
住所はデタラメ(新聞を見て電話したと話したらしいですが、東京から地方新聞は取らないでしょう)かつ単独での釣行。
写真を撮ってくれと言われ撮ったが欲情し、小屋へ連れ込むも激しい抵抗に合い、激昂したんだと思います。
掲示板より
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