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2020年03月23日

横山ゆかりちゃん失踪事件

【未解決事件】
横山ゆかりちゃん失踪・行方不明事件
Screenshot_20200407-194320~2.png

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横山ゆかりちゃん画像

Screenshot_20200405-220745~2.png
パチンコパチトピア画像
座標:36.2600407051, 139.374786246
住所:群馬県太田市高林東町1594 
パチトピアの店内
(現・パーラーフレンド)

 平成8年(1996年)7月7日午後に発生した横山ゆかりちゃん行方不明事件の現場です。正式な事件名は太田市高林地内パチンコ店における幼女略取誘拐容疑事件。
 現場は当時、パチトピアという名前のパチンコ店でしたが、現在は店名がドバット太田南店に変わっています。

 平成8年(1996年)7月7日午前10時半ごろ、両親に連れられて妹(7カ月)と共にパチトピアに来店した横山ゆかりちゃん(4)の姿が、午後1時50分ごろに見えなくなったことに気付いた母が、父に伝えて周囲を捜索。
 ゆかりちゃんが見つからなかったことから近くの交番へ駆け込みましたが警察官が不在だったため、交番の電話から午後2時10分ごろに太田署に通報しました。
 次女は母が背中に背負ったままでしたが、ゆかりちゃんは両親がパチンコをしている間、店内を散策したり、出入口付近の長椅子に座っていました。
 父は午後1時40分ごろ、長椅子に座っているゆかりちゃんを確認しています。
 ゆかりちゃんはその後、母のところへ来て、「・・・のおじちゃんがいるよ」と伝えましたが、店内の騒音にかき消されてよく聞き取れず、母はゆかりちゃん「付いて行っちゃだめよ。ちゃんと座っていてね」と伝えていました。

 警察が店内の防犯カメラを確認したところ、午後1時27分ごろに店内に入って来た男が、午後1時33分ごろ、ゆかりちゃんが座っていた長椅子の右隣に座って煙草を吸いつつ、ゆかりちゃんに話しかけている様子が映っていました。
 男は右手で3回外を指さした後、午後1時42分ごろ席を立っていなくなりました。
 ゆかりちゃんはこの後、母の元へ行き「・・・のおじちゃんがいる」と伝えています。
 ゆかりちゃんは午後1時45分ごろ、出口へと向かっている姿も映っていましたが、出入口付近は防犯カメラの資格となっていたため、ゆかりちゃんや男が出口から出た様子などは映っていませんでした。
 しかし警察は、この男がゆかりちゃんを連れ去ったとみて、捜査を続けています。

 不審な男の特徴は、身長158センチくらいで、年齢は30歳から50歳くらい。服装は白いシャツに背中にハの字のように白い線が入ったジャンバーを羽織り、ニッカズボン様のズボン、サンダル様の靴、白いラインの入った帽子、サングラス姿。体を揺らすようなガニ股で歩いているのが大きな特徴です。

 行方不明になったゆかりちゃんの特徴は、おでこが広くて耳が大きく、お腹の左側に楕円形のアザがあります。

 この事件は犯人の特定に至っていない未解決事件です。

 公的懸賞金(捜査特別報奨金)の対象になっており、提供した情報の検挙等への寄与の度合いに応じて、有力情報には上限600万円の報奨金が支払われます。
                 
群馬県警察太田警察署 
0276−33−0110

福島万弥 殺害事件1979年8月3日(金)
長谷部有美殺害事件1984年11月17日(土)
大沢朋子 殺害事件1987年9月15日(火)
松田真美 殺害事件1990年5月12日(土)
横山ゆかり失踪事件1996年7月7日(日)

松田真美ちゃん殺害事件(足利事件)

松田真美ちゃん殺害事件
足利事件とも言う。
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松田真美ちゃん画像

1990年(平成2年)5月12日、栃木県足利市にあるパチンコ店の駐車場から女児が行方不明になり、翌13日朝、近くの渡良瀬川の河川敷で、女児の遺体が発見された、殺人・死体遺棄事件。

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渡良瀬川付近画像



松田真実ちゃんを殺害した真犯人は、今も社会のどこかに息を潜めているわけだが、実は事件発生前から真実ちゃんが連れ去られたパチンコ店の周囲で不審な男の姿が目撃されていた。事件発生の前日にも、パチンコ店に隣接する幼稚園の周りを身長165センチほど、丸顔、無精ひげを生やして作業ズボンをはいた男がうろついているのが目撃されている。この男は1年ほど前にも幼稚園を訪れて、園内を覗きこんでいたという。

真実ちゃんは殺害当日の午後6時半頃にパチンコ店を訪れ、父親がパチンコに興じているところを何者かによって連れ去られた。パチンコ店からほど近い渡良瀬川の河川敷で、40代の中年の男と幼女が歩いている姿を、ゴルフをしていた男性が目撃している。おそらく、この人物こそが真実ちゃんと犯人の男なのだろう。この男は、パチンコ店に現れた男と同一人物なのか。


パチンコ店で起こった事件。
長谷部有美ちゃん殺害事件
1984年11月、栃木県足利市で、5歳女児がパチンコ店から行方不明となる。 1986年3月、自宅から1.7km離れた畑の土中から白骨死体として発見された。

足利事件で冤罪になった菅谷氏
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菅谷氏画像


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福島万弥 殺害事件1979年8月3日(金)
長谷部有美殺害事件1984年11月17日(土)
大沢朋子 殺害事件1987年9月15日(火)
松田真美 殺害事件1990年5月12日(土)
横山ゆかり失踪事件1996年7月7日(日)

北関東連続幼女誘拐殺人事件

大沢朋子ちゃん殺害事件

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事件概要
1987(S62)年9月15日(敬老の日)
群馬県尾島町亀岡に住む町立小学校2年の大沢朋子ちゃん(8)行方不明。翌1988年11月27日自宅から2km離れた同町の前小屋の利根川河川敷で白骨遺体発見。 高崎市の功明ちゃん誘拐事件の翌日発生。午前11時ごろ子猫を抱いて自宅近くの尾島公園に。午後11時半ごろ((注)午前の間違いだろう)に公園から600m離れた町道を朋子ちゃんが自転車を押した男に連れられて歩いているのを同級生や町民が目撃。Tシャツにスカートでサンダル履き。子猫は抱いていなかった。男の特徴は30歳前後でやせ形。髪はぼさぼさで白髪交じり。自転車は前かごがついていないタイプ

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長谷部有美ちゃん殺害事件

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1984年11月17日(土)の夕方、

栃木県足利市大久保町の会社員・長谷部秀夫さん(当時40歳)の長女で

私立旭幼稚園に通う長谷部有美ちゃん(当時5歳)が、

両親と一緒に来ていたパチンコ店で両親が目を離した隙に行方不明になった。



長谷部秀夫さんは、

17日午後3時過ぎから妻のHさんと足利市山川町のパチンコ店「大宇宙」でパチンコをしていた。

長女の有美ちゃんと長男のM君(当時4歳)も一緒に来ており、

長谷部さん夫婦がパチンコをしている間、2人は店内で遊んでいた。



同日午後5時頃、

Hさんがコーヒーを飲もうと同店出入り口付近にある自動販売機に行くと、

有美ちゃんは一人で店の外に居て、ドアのガラス越しにニコニコしてHさんに答えていたが、

それから約10分後、Hさんが有美ちゃんを捜すと、姿が見えなくなっていた。

このため長谷部さん夫婦は、店の周辺を捜し、

東へ約3km離れた自宅までの通り道を捜したが見つからないため、

午後9時、栃木県警足利警察署毛野駐在所に捜索願を出した。



同署は直ちに署員70人を招集、足利市消防本部にも協力を求め消防団員ら70人、

地元山川町の住民や長谷部さんが住んでいる近所の人たち約200人が出て

有美ちゃんの捜索を開始。

翌18日午前2時まで、パチンコ店周辺にある空き家、倉庫、

転落事故の危険のある側溝、堀などを検索すると共に、

目撃者捜しの聞き込みを行なった。

また、同署が警察犬を使って捜したところ、

有美ちゃんの足取りは現場から北方の長林寺方面へ行く道で

約400mのところでプッツリと途絶えていることがわかった。



18日も午前7時から前夜と同様の体制でパチンコ店を中心に1kmの範囲を徹底捜索。

午後は足利署員がパチンコ店の北方の山狩りも実施したが有美ちゃんは発見できず、

同日午後6時で打ち切られた。

一昼夜以上を経過しているにも拘らず何の連絡も無いことから、

同署は、迷子の線は揺らぎ、変質者に連れ去られたなど、

何らかの事件に巻き込まれた可能性が強くなったと判断した。



有美ちゃんは身長約108cm。

おかっぱ頭で、失踪時には胸に白いラインの入った薄紫色のセーターを着て、

兎の絵の付いた青色のスカートを穿いていた。

靴は漫画『アラレちゃん』の絵入りのズック。

普段は口数が極めて少なく、独りで出歩くような子供ではなかった。



有美ちゃんが失踪したパチンコ店は、

国鉄両毛線足利駅から約2km東の旧国道50号沿い。

周辺は住宅地だが、北側は山に囲まれ、山の麓には長林寺がある。

パチンコ店の一軒おいて東側はスーパーマーケット。

長谷部さんの自宅は、パチンコ店から旧国道50号を

更に佐野寄りに約3km行った新興住宅地の一角にある。

パチンコ店には、長谷部さんはバイクで、妻と長男と有美ちゃんはバスで来ていた。



Y・T足利署長は18日午後6時過ぎから記者会見し、

「期待したいのは単なる迷子であってくれればということだが、

変質者に連れ去られたなど、あらゆる事態を想定、

捜査本部は置かないが“準本部体制”で3日間は徹底してパチンコ店周辺1kmの捜査を行う」

と話した。



翌19日の捜索は午前9時から始まり、パチンコ店の裏手(北側)の山と山の麓のため池を重点に、

パチンコ店の周辺1kmの範囲で行なった。

山狩りには警察官、消防団員、幼稚園の父母ら100人が当たり、

シノ竹が繁った藪の中を掻き分けるようにして広い範囲を捜索したが、成果は無かった。



また、転落したことなども考えて、

パチンコ店から直線距離で約500m北方の「長林寺ため池」と、

約1.2km北方のマリンパレス跡南側の「百間ため池」(大沼田町)の検索も行なった。

足利消防署員、県警機動隊員が池にゴムボートを浮かべて水中を竹竿で捜したが、

有美ちゃんは見つからなかった。



一方、県警捜査一課の応援を得てパチンコ店の出入り客、

パチンコ店の一軒隣にあるスーパーの買い物客らからの聞き込みを行い、

買い物客の主婦数人が

「17日午後5時半頃、パチンコ店の外で有美ちゃんらしい女の子を見かけた」

という情報を得たが、有美ちゃん発見の手掛かりとなる有力な証言は無かった。



行方不明から丸二昼夜が経つというのに

期待された一般市民からの情報提供は一件も無く、

有美ちゃんが行動できるとみられるパチンコ店周辺1kmの範囲はこの3日間

くまなく捜しているにも拘らず有美ちゃんを発見できなかったことから、

足利署は、迷子や事故ではなく、変質者が連れ去ったなど事件に巻き込まれたとの見方を更に強めた。



19日の山狩りを主体とした大捜索には

有美ちゃんが通っていた旭幼稚園(大沼田町)の同級生の父母40人も協力した。

「警察や消防の人たちが一生懸命やってくれているのだから」

というI・C園長の呼び掛けに、強制ではないにも拘らず、

わざわざ仕事を休んだ父親も含む40人が集まった。

大半は30代の若い母親であり、これといった道が無い一面竹薮の山を捜索するのは大変だったが、

「同じ子を持つ母親として人ごととは思えない…」

と、ジーパンやトレパン姿で手に棒を持ち、警察官や消防団員らと一緒に捜索を続けた。



捜索に当たっている人たちの間では、

5年前(1979年)の8月3日、足利市通り五丁目の会社員・福島譲さんの長女・万弥ちゃん(当時5歳)が

自宅隣の八雲神社の境内に一人で遊びに行ったまま行方不明となり、

6日後に同市田中町の渡良瀬川河原の草むらでリュック詰めの遺体で見つかった

「万弥ちゃん事件」を連想する人も多く、有美ちゃんの安否を気遣った。



翌20日は、パチンコ店の南側の河川敷を重点的に捜索を行なった。

袋川には足利署員70人が、渡良瀬川の田中橋下流には県警機動隊員30人が動員され、

冷たい雨が降る中、草むらなどを捜した。



足利消防署員、幼稚園の父母、長谷部さんの会社の同僚ら130人は、

パチンコ店を挟んで助戸町から大久保町まで約6kmの旧国道50号沿いの空き家、側溝など

転落の恐れのある危険箇所を捜索したが、有美ちゃんは発見できなかった。



足利署は有美ちゃんの捜索と併せて県警捜査二課の応援を得て

パチンコ店の客、一軒隣のスーパーの買い物客、周辺住民の聞き込みを行なったが、情報は少なく、

有美ちゃんの足取りは「パチンコ店の外、出入り口付近で遊んでいた」にとどまり、

肝心な「その後」の消息はわからなかった。



同署は20日夕、捜査会議を開き、21日以降は捜索隊の規模を縮小、

聞き込みによる目撃者探しに全力を挙げることを決めた。

福島万弥ちゃん殺害事件

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1979年8月3日(金)正午頃、

栃木県足利市通り五丁目の会社員・福島譲さん(当時25歳)の長女・福島万弥ちゃん(当時5歳)は、

自宅に隣接する八雲神社の境内に一人で遊びに行ったまま行方不明となった。
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栃木県足利市通五丁目八雲神社-下宮 画像


失踪直前の同日正午過ぎ、昼食のためにバイクで帰宅した父親の譲さんが

自宅脇の八雲神社で遊んでいる万弥ちゃんを見かけて声を掛けた他、

午後1時頃には、紺色のトレーニングパンツを穿いた25歳前後の職人風の男と一緒に

境内の石の上に座ってジュースを飲んでいる万弥ちゃんを

近くに住む老女(当時88歳)が目撃していた。



また、午後1時10分頃には、八雲神社の隣にある織姫公民館の職員、M・Yさん(当時39歳)が

二階ホールテラスの落ち葉を掃除しようとテラスに出た際、

神社本殿南西側の社務所前で万弥ちゃんが同年齢くらいの子供と

地面に絵を描いているのを目撃。



更に、午後2時30分頃には、八雲神社から200メートルほど離れた同市通り四丁目の市道を

上半身が裸の5歳くらいの男の子と手を取り合い「これから泊まりに行くの」と話しながら

渡良瀬川方面に向かって駆けて行く万弥ちゃんの姿を

中華料理店「中央軒食堂」の店員、A・Sさん(当時24歳)が出前から戻ってくるときに目撃しており、

この中央軒食堂の10メートルほど北側にある「通り四丁目児童公園」でも、

小学1年生の女児2人が、はっきりした時間はわからないが、午後1時過ぎに、

万弥ちゃんと「上半身裸の男の子」が一緒に遊んでいるところを目撃していた。

この通り四丁目地内は母親のまり子さんの実家に近く、

万弥ちゃんは日頃から一人でこの付近には遊びに来ていた。



そして、上記の中央軒食堂から700メートル離れた男浅間山の麓に住む

同市T町×丁目の会社員、O・Tさん(当時51歳)は、同日午後2時30分から3時までの間に、

山を登っていく5歳くらいの男の子と女の子の後ろ姿を目撃した。

(但し、後ろ姿だけなので万弥ちゃんであるという確認は取れなかった)



母親の福島まり子さん(当時24歳)が同日午後1時30分頃に

八雲神社を見に行ったところ、万弥ちゃんの姿は見当たらず、

このときは、まり子さんは「近所に遊びに行ったもの」と思い帰宅したが、

午後6時になっても万弥ちゃんが帰ってこないため騒ぎになり、

近所を捜すと共に午後8時に帰宅した父親の譲さんが午後8時50分過ぎに

栃木県警足利警察署に捜索願を提出した。



捜索願を受理した足利署は署員50人を動員し、足利消防署員の応援も求めて

八雲神社を中心に付近一帯の捜索を翌4日午前3時過ぎまで行ったが、

手掛かりが全く無いため、いったん捜索を打ち切り、夜明けを待って署員を更に増員して再開。

しかし、万弥ちゃんの行方はわからなかった。



足利署は事件と事故の両面から考え、

同5日には県警捜査一課(同9日からは県警機動隊も)に応援を求めて署員100人を動員し、

連日、織姫山一帯や渡良瀬川をはじめ市内全般での捜索と聞き込みを続け、

更には、チラシを5万枚作り、市内や近県に配布して協力を呼び掛けたが

手掛かりになる情報は全く無く、捜査は暗礁に乗り上げた。



また、警察は、失踪当日に万弥ちゃんと一緒にいるのが目撃された

「25歳前後のトレパンを穿いた男」と、

「5歳くらいの上半身裸の男の子」が

事件のカギを握っていると見て、この2人の割り出しに全力を注いだが、

やはり、有力な情報は得られなかった。



(後の捜査で、万弥ちゃんは、失踪する前日の8月2日、

同市通り四丁目に住む友人のA子ちゃん(当時5歳)に

「ボーイフレンドを紹介する」と言って、男の子を引き合わせていたことが判明した。

しかし、A子ちゃんに現場周辺の同年代の男の子たちを会わせて確認しても、

A子ちゃんが8月2日に会った男の子はいなかった)



一方、福島さん方の親類や知人は「万弥ちゃん捜しに全力を尽くそう」と、

市内伊勢町の駐車場事務所を借りて民間の「対策本部」を設置。

警察と並行して独自の捜索を続け、チラシや新聞のコピー、

万弥ちゃんが行方不明になった日に履いていたのと同じサンダルの写真を手に、

手掛かりを見つけるべく市内各所を必死に聞き歩いた。



失踪から6日後の1979年8月9日(木)午後2時40分頃、

福島さん宅から2キロメートル離れた渡良瀬川河川敷内の背丈2メートルもある草むらの中で、

万弥ちゃんは、カーキ色のズックで作られた古い登山用リュックサックに

パンツ一枚の状態で「エビ型」に体を折り曲げられて詰め込まれた腐乱死体で発見された。



同日早朝から渡良瀬川右岸の緑橋−岩井山間の河川敷を捜索していた

足利署のT・N警部補とT・T巡査の2人が、田中橋の下流約400メートルにある雑木林で

遺留されていたリュックサックを発見、近付いたところ異臭がし、

口が少し開いていたために覗いたところ、幼児の両足首が見えたのだ。



足利署が県警捜査一課と同鑑識課の応援を得て調べた結果、

行方不明になっている万弥ちゃんに間違いないとして

父親の譲さんを現場に同行して確認してもらったところ、

「顔は崩れていてよくわからないが、頭の髪型から万弥に間違いない」

と、自分の娘であることを認めたため、

遺体をリュックサックごと宇都宮市の国立栃木病院に運び、

午後9時頃、K警察医の執刀で解剖を行い、死因を究明した。



司法解剖の結果、万弥ちゃんの遺体には外傷が無く、死因は窒息死とわかった。

また、遺体は死後6日前後が経過していると見られ、

犯人は万弥ちゃんを殺害したあと、

遺体をリュックサックに詰め込んで遺棄したものと推定された。

長谷部有美ちゃん殺害事件
北関東連続幼女誘拐殺人事件

2020年03月22日

北関東連続幼女誘拐殺人事件

北関東連続幼女誘拐殺人事件
(きたかんとうれんぞくようじょゆうかいさつじんじけん)は、
1979年(昭和54年)以降、栃木県と群馬県で発生している誘拐および殺人事件。冤罪事件となった足利事件も含まれている。

事件経緯

・1979年8月3日(金) 福島万弥ちゃん殺害事件(当時5歳。遺体発見は同9日)

・1984年11月17日(土) 長谷部有美ちゃん殺害事件(当時5歳。遺体発見は1986年3月8日)


1979年(昭和54年)以降、4件の女児誘拐殺人事件と関連が疑われる1件の女児連れ去り事件(失踪事件)が栃木県と群馬県の県境、半径20キロ以内で発生しており、これら5事件まとめて「北関東連続幼女誘拐殺人事件」とされている。また、5つの事件はいずれも現在の群馬県太田市および栃木県足利市のどちらかで発生しているが、そのうち足利市内を流れる渡良瀬川周辺で遺体が発見された3事件は「足利連続幼女誘拐殺人事件」ともされている。


佐藤智広失踪事件

佐藤智広(さとうともひろ)
失踪事件、行方不明事件
北海道旭川市
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佐藤智広くんが失踪した経緯
日時 2012年(平成24年)
   1月15日21時30分頃
前日1月14日の夜、2歳上のお姉さんと
テレビのチャンネル争いで喧嘩をして
しまいました。

結局その喧嘩は収集つかなくなり、
智広くんは家の壁に穴を空けたり、
自分の好きなゲーム機
(任天堂DS)を壊してしまったそうです。

その後、行方不明になった当日15日の夜、
仕事から帰宅した母親の舞さんが、
智広くんが壊したゲーム機を発見し、
智広くんに問いただしたそうです。

それが口論となり、母親も智広くんも興奮して、
「俺の金で買ったものをどうしようと勝手だろ」と言い放ったそうです。

(そのゲーム機は智広くんがお小遣いを
 貯めて買ったそうです。)

それから智広くんは一度自分の部屋に
戻ったそうなんですが、部屋の中から
なにやら物を叩いたり蹴ったりしていた
との事。

しばらくすると智広くんは無言で出て来ると
薄手のダウンジャケットを羽織り、
家を出て行ってしまったようです。

それがちょうど2012年1月15日21時30分頃

それから今まで戻ることなく
行方不明のままに。

まさかそれから二度と帰ってこないなんて想像できないですし、
中学一年生の男の子です。
母親の舞さんはとても後悔した事でしょう。

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場所 北海道旭川市緑が丘
生年月日 1993年9月13日
当時   中学1年生(13歳)
中学校 北海道教育大学付属旭川中学校
名前 佐藤智広(さとうともひろ)
身長 165cm
体重 50kg
特徴 眉間の間にアザがある

2020年03月21日

恵庭OL殺人事件

【 遺体の状況 】
被害者の遺体はタオルようの布で目隠しされ、全身が炭化し、背中も焼けて筋肉が露出し、内臓まで一部炭化していた。しかし、右前腕部・右手首・左前腕部の一部の表皮は燃焼・炭化せず、軽い火傷状態の健常皮膚が見られた。
姿勢は仰向けで両脚を開き、「くの字」に曲げられていた。右腕は背中の下で左腕は身体の上に出てボクサー型の状態だった。遺体発見当日の3月17日、北海道新聞の夕刊は「後ろ手に縛られた痕跡があった」と報道した。
【 確定判決(控訴審)が有罪認定の根拠とした間接事実 】
@ 大越の車両から勤務先女子更衣室の被害者のロッカーキーが発見された。
A 被害者の携帯電話の移動方向と大越の移動方向が一致している。
B 大越が事件の直前に灯油(10ℓ)を購入している。
C 大越の車両のタイヤに、高熱によって出来たと推定される損傷があった。
D 大越に土地勘のある場所(自宅近くの森)から被害者の遺留品残焼物が発見された。
E 大越には被害者殺害の動機が存在する(交際相手との三角関係)。
F 大越は被害者の遺体が焼損された時刻頃(逮捕状では午後11時15分頃)、遺体発見現場付近にいた。
G 大越以外の会社の同僚に犯人の可能性のあるものは存在しない。
【 本件証拠構造の脆弱性 】
(1) 本件は直接証拠も自白も無く、死体焼損に使われた燃料が灯油であるか否かの科学的特定もできていない事案であるが、確定判決は「大越は、事件前夜に灯油10ℓを購入し、その灯油を捨てて再購入したなど不可解な供述をしていて供述には信用性がない。したがって、被害者殺害後予め購入していた灯油10ℓで遺体を焼いた可能性が高い。」として有罪認定を行った。これに対して弁護団は、上記間接事実を各論駁すると共に、特に次の4点を根拠に無罪を主張した。
@ 10ℓの灯油の燃焼では、本件遺体のような全身の炭化と内臓の熱変化・炭化は不可能である。
A 現場には大越の足跡・タイヤ痕・タイヤ損傷の原因とされた290℃の高温になるような鉄片は発見されず、殺害場所とされた大越の車両内にも犯行の痕跡が全くない。
B 大越は現場から車で22〜25分のガソリンスタンドに午後11時30分43秒に立ち寄っており、アリバイがある。
C 現場付近で事件発生時刻頃、2台の車が目撃されており、本件犯行との関係性は大きい。
(2) 本件の特徴は、8つの間接事実の証拠構造が脆弱で、「灯油10ℓの燃焼では本件遺体のような熱変化・炭化状態になることは不可能」「大越にはアリバイがある」ことが認められれば、上記間接証拠の証拠価値は全く無意味となる証拠構造である。
【 再審請求のポイント 】
・灯油10ℓで遺体を燃焼した場合、本件遺体のような9sの体重減少と内臓の熱変化・炭化状態は、燃焼学上、生じ得ない。
・灯油だけを使用して燃焼した場合、本件遺体の状態になるには少なくとも54.7ℓの灯油と2.4時間の時間を要する。
・放火時刻に関する目撃証人の証言内容は、発火直後の火炎の客観的な拡大状況と明らかに矛盾していて信用性に乏しい。したがって、大越にはアリバイが成立する。
・遺体は両手を後ろ手に縛られた状態で、死後焼却されている。

2020年03月18日

恵庭OL殺人事件 ポリタンク

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ちょっと重要なのかもしれないので
記載しておきます。
検察側が大越の灯油について
調べてましたが肝心の現場に使用された
灯油の購入先はどこだったでしょうか?
これは調べてなかったとは
言えない話しだと思われる。

被害者の遺留品が捨てられ燃やされていた場所の至近に
タバコの吸殻が落ちていたこと。
(これは調べているか?)

続きはこちら

2020年03月17日

恵庭OL殺人事件

恵庭OL殺人事件
事件発生場所 北海道恵庭市近郊
事件発生日時 2000年3月16日21時30分ごろ−23時5分ごろ

犯人 大越美奈子(当時29歳)日本通運契約社員 早来町栄町109在住
被害者 橋向香(当時24歳)日本通運契約社員 苫小牧市美沢102在住
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被害者 右側の大柄の女性が、
橋向香さん(当時24才)
加害者 左側小柄な優しそうな女性が、
大越美奈子さん(当時29)


手段 被害者の頸部を何らかの方法で圧迫し窒息死させ、路上で死体に灯油をかけて焼損
動機 交際していた男性が被害者に心移りして交際を始めたのを逆恨みしたため

2000年3月に北海道恵庭市で発生した殺人事件。

2000年3月17日午前8時頃、恵庭市の人気のない農道の路上に焼死体があるのを幼稚園バスの運転手が発見した。
遺体はタオルのようなもので目隠しされ、
後ろ手に縛られており完全に炭化していた。
死因は頚部圧迫による窒息死で、
絞殺後に灯油をかけられたものと見られた
(確定判決では、
犯行時刻は3月16日の午後9時半から
11時5分頃とされている)。

この焼死体は苫小牧市在住で千歳市に勤務する女性従業員(当時24歳)の遺体と判明。
女性従業員は3月16日に同僚と退社して午後8時半頃に自宅に電話した後は行方不明となっていた。
女性従業員の家族によって3月17日午後1時頃に捜索願が出され、同日午後3時頃に勤務先2階の女子更衣室ロッカーから女性従業員の携帯電話が見つかっていた。

同年5月、恋愛問題のもつれによる
犯行として、同僚の女性大越が逮捕・起訴された。

以下の状況証拠をどう判断するかが焦点となった(札幌高等裁判所判決参照)。

被害者が大越の恋人と交際を始めた後から被害者への度重なる無言電話の受信記録があったが、
事件直後に無言電話にまつわる受信記録が無くなったのは事件直前に大越の恋人が被害者と交際を始めたのを妬んだ大越による可能性が高いこと
被害者のロッカーの鍵が大越の車内で発見されたこと
死亡後も生存偽装工作目的で
勤務先と恋人に宛てて発信されていた被害者の携帯電話の電波発信記録が大越の足取りにほぼ一致する一方で他の従業員の足取りでは該当者がいないこと
死亡後も生存偽装工作目的に勤務先を除けば特定個人としては唯一被害者の恋人に宛てて発信されていることについて、
恋人の電話番号は被害者の携帯電話の着信履歴には残っておらず、被害者の携帯電話のメモリダイヤルには恋人の自宅及び携帯電話を含めて計45件の電話番号が登録されていたが、
勤務先以外の送信先を選ぶ際にメモリダイヤルに45件登録されている中から適当に選んだ電話番号が唯一の特定個人である恋人宛ての送信先に偶然になったとはおよそ考えられず、
犯人は恋人の電話番号を知っていたか、
メモリダイヤルでわざわざ恋人の名前を入力して電話番号を呼び出すかして意識して恋人宛てに発信をしたとされ、
犯人が恋人と特別な関わりや思いのある人物である可能性が高いこと。
死亡後も発信されていた被害者の携帯電話が部外者の入りにくい会社2階女子更衣室内のネームプレートがない被害者のロッカーに戻されたのは会社の女性従業員である可能性が高いこと
大越が事件当日にタンク入り灯油10リットル分を
購入して事件後に再び灯油を購入していること
再び灯油を購入した理由に関する
大越の証言が父親や同僚の証言と食い違うとその都度証言が変遷したこと
(たしか車に買った灯油をトランクに入れてたが灯油ぽりタンクごと捨てた)
どこに捨てたかはわからない
書いてなかった。重要

大越の車の左前輪タイヤに高熱の物体に触れて溶けた跡があったこと
大越の車の助手席のマットに灯油の成分があること
犯行現場とされるXの車内に被害者の血痕や毛髪が確認されなかったこと
遺体発見現場でXの靴跡やタイヤ痕は見つかっていないこと
(この場合だと検察側は他のタイヤ痕や靴跡があるのを隠匿してる。裁判では不利な証拠は提出しなくても良いことになっている。)

遺体の状態が男性による強姦殺人の可能性を示唆する要素があると
弁護団が主張していたところ、検死における司法解剖で強姦の有無を調べられなかったこと
(これも検察側が調べたが提出はしてない可能性がある。)

被害者のロッカーの鍵が大越の車内から発見されたのであれば、それが検察に押収されると同時に大越に対して押収品目録書が交付されるはずであるが、大越は受領した記憶がない。後日大越の自宅が家宅捜索された時に大越のバッグの中に目録書があったが、伊東は検察が偽装工作をして、押収書も家宅捜索の時に検察が忍ばせたのではないか、と見立てている。
大越の車の傷については、死体の発見場所と道路の位置関係から炎の熱によるものではありえない。
大越は短指症で右手の握力が極端に弱く、被害者の殺害、遺体焼却の過程で自車、遺体周辺に跡を残さないことは不可能である。
犯行時刻は逮捕状では11時15分、Xがガソリンスタンドに立ち寄った時刻はビデオテープから11時30分であったにもかかわらず、起訴状では前者は11時、後者はレシートから11時36分とされていた。実証実験では、現場からガソリンスタンドまで15分で移動するためには、街路灯もない凍結した夜道を時速100kmで走らねばならない。再審請求棄却では「アリバイが成立する可能性が一応はある」としながら「やはりそうではない可能性もある」とした。
11時20分頃、現場で2台の車が止まっていた目撃証言がある。その時車越しに赤い光(炎)が見えたというが、第一審判決では「(無関係な第三者が)不審火をゴミ焼きと誤認して、単に傍観していたと思われる」と推認した。
被害者遺体を扱った納棺業者は、弁護人への供述で「灯油を何回もかけて時間をかけてじっくり焼いた」可能性がある(10リットルの灯油で火をつけ、直ちにガソリンスタンドへ車を飛ばしたとは思われない)と語った。別の目撃証言でも、燃え続けていた炎が11時42分頃に烈しくなった(その時刻に燃料が継ぎ足された)とされているが、再審請求棄却では「皮下脂肪が溶け出せば不可能とは言えない」「上部の微粒子による反射部分も含めて大きな炎を見たと言っている可能性もある」としている

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