2020年03月23日
福島万弥ちゃん殺害事件
1979年8月3日(金)正午頃、
栃木県足利市通り五丁目の会社員・福島譲さん(当時25歳)の長女・福島万弥ちゃん(当時5歳)は、
自宅に隣接する八雲神社の境内に一人で遊びに行ったまま行方不明となった。
栃木県足利市通五丁目八雲神社-下宮 画像
失踪直前の同日正午過ぎ、昼食のためにバイクで帰宅した父親の譲さんが
自宅脇の八雲神社で遊んでいる万弥ちゃんを見かけて声を掛けた他、
午後1時頃には、紺色のトレーニングパンツを穿いた25歳前後の職人風の男と一緒に
境内の石の上に座ってジュースを飲んでいる万弥ちゃんを
近くに住む老女(当時88歳)が目撃していた。
また、午後1時10分頃には、八雲神社の隣にある織姫公民館の職員、M・Yさん(当時39歳)が
二階ホールテラスの落ち葉を掃除しようとテラスに出た際、
神社本殿南西側の社務所前で万弥ちゃんが同年齢くらいの子供と
地面に絵を描いているのを目撃。
更に、午後2時30分頃には、八雲神社から200メートルほど離れた同市通り四丁目の市道を
上半身が裸の5歳くらいの男の子と手を取り合い「これから泊まりに行くの」と話しながら
渡良瀬川方面に向かって駆けて行く万弥ちゃんの姿を
中華料理店「中央軒食堂」の店員、A・Sさん(当時24歳)が出前から戻ってくるときに目撃しており、
この中央軒食堂の10メートルほど北側にある「通り四丁目児童公園」でも、
小学1年生の女児2人が、はっきりした時間はわからないが、午後1時過ぎに、
万弥ちゃんと「上半身裸の男の子」が一緒に遊んでいるところを目撃していた。
この通り四丁目地内は母親のまり子さんの実家に近く、
万弥ちゃんは日頃から一人でこの付近には遊びに来ていた。
そして、上記の中央軒食堂から700メートル離れた男浅間山の麓に住む
同市T町×丁目の会社員、O・Tさん(当時51歳)は、同日午後2時30分から3時までの間に、
山を登っていく5歳くらいの男の子と女の子の後ろ姿を目撃した。
(但し、後ろ姿だけなので万弥ちゃんであるという確認は取れなかった)
母親の福島まり子さん(当時24歳)が同日午後1時30分頃に
八雲神社を見に行ったところ、万弥ちゃんの姿は見当たらず、
このときは、まり子さんは「近所に遊びに行ったもの」と思い帰宅したが、
午後6時になっても万弥ちゃんが帰ってこないため騒ぎになり、
近所を捜すと共に午後8時に帰宅した父親の譲さんが午後8時50分過ぎに
栃木県警足利警察署に捜索願を提出した。
捜索願を受理した足利署は署員50人を動員し、足利消防署員の応援も求めて
八雲神社を中心に付近一帯の捜索を翌4日午前3時過ぎまで行ったが、
手掛かりが全く無いため、いったん捜索を打ち切り、夜明けを待って署員を更に増員して再開。
しかし、万弥ちゃんの行方はわからなかった。
足利署は事件と事故の両面から考え、
同5日には県警捜査一課(同9日からは県警機動隊も)に応援を求めて署員100人を動員し、
連日、織姫山一帯や渡良瀬川をはじめ市内全般での捜索と聞き込みを続け、
更には、チラシを5万枚作り、市内や近県に配布して協力を呼び掛けたが
手掛かりになる情報は全く無く、捜査は暗礁に乗り上げた。
また、警察は、失踪当日に万弥ちゃんと一緒にいるのが目撃された
「25歳前後のトレパンを穿いた男」と、
「5歳くらいの上半身裸の男の子」が
事件のカギを握っていると見て、この2人の割り出しに全力を注いだが、
やはり、有力な情報は得られなかった。
(後の捜査で、万弥ちゃんは、失踪する前日の8月2日、
同市通り四丁目に住む友人のA子ちゃん(当時5歳)に
「ボーイフレンドを紹介する」と言って、男の子を引き合わせていたことが判明した。
しかし、A子ちゃんに現場周辺の同年代の男の子たちを会わせて確認しても、
A子ちゃんが8月2日に会った男の子はいなかった)
一方、福島さん方の親類や知人は「万弥ちゃん捜しに全力を尽くそう」と、
市内伊勢町の駐車場事務所を借りて民間の「対策本部」を設置。
警察と並行して独自の捜索を続け、チラシや新聞のコピー、
万弥ちゃんが行方不明になった日に履いていたのと同じサンダルの写真を手に、
手掛かりを見つけるべく市内各所を必死に聞き歩いた。
失踪から6日後の1979年8月9日(木)午後2時40分頃、
福島さん宅から2キロメートル離れた渡良瀬川河川敷内の背丈2メートルもある草むらの中で、
万弥ちゃんは、カーキ色のズックで作られた古い登山用リュックサックに
パンツ一枚の状態で「エビ型」に体を折り曲げられて詰め込まれた腐乱死体で発見された。
同日早朝から渡良瀬川右岸の緑橋−岩井山間の河川敷を捜索していた
足利署のT・N警部補とT・T巡査の2人が、田中橋の下流約400メートルにある雑木林で
遺留されていたリュックサックを発見、近付いたところ異臭がし、
口が少し開いていたために覗いたところ、幼児の両足首が見えたのだ。
足利署が県警捜査一課と同鑑識課の応援を得て調べた結果、
行方不明になっている万弥ちゃんに間違いないとして
父親の譲さんを現場に同行して確認してもらったところ、
「顔は崩れていてよくわからないが、頭の髪型から万弥に間違いない」
と、自分の娘であることを認めたため、
遺体をリュックサックごと宇都宮市の国立栃木病院に運び、
午後9時頃、K警察医の執刀で解剖を行い、死因を究明した。
司法解剖の結果、万弥ちゃんの遺体には外傷が無く、死因は窒息死とわかった。
また、遺体は死後6日前後が経過していると見られ、
犯人は万弥ちゃんを殺害したあと、
遺体をリュックサックに詰め込んで遺棄したものと推定された。
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