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2020年04月01日

城丸君事件

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5. 慌てた母は長男に心配なので付いていくように頼み、長男は急いで城丸くんの後を追いかけた。前日に降った雪道を小走りに走っていく城丸くんを見つけてその後を追いかけたが、「二楽荘」というアパートの辺りで左に曲がるのを確認した後、見失ってしまった。
※長男の証言による。
※長男は視力が悪く、左折したかどうかは定かではない。

6. 城丸くんを見失い困り果てた長男は「二楽荘」の周辺を捜したが見つけることは出来なかった。周辺を歩き回り、「二楽荘」の隣りに「ワタナベ」という表札を発見し、母に報告するためそのまま自宅に帰った。
※長男の証言による。

7. 帰宅した長男からの報告を聞いた母親が長男と「二楽荘」周辺まで行き、隣りの「ワタナベ」さん宅の前でしばらく城丸くんを待つが、いつまで経っても出て来ないため二人は玄関のチャイムを鳴らして尋ねてみることにした。「ワタナベ」さん宅から出てきたのは当時高校三年生の娘で、話を聞くとその娘が言うには「そのような子はうちには来ていない」と答えたという。また、「ワタナベ」さん宅の両親は二人ともその日は朝から外出しており、そのような電話はかけていないという。
※「ワタナベ」家の娘の証言による。

8. 母と長男はそのあと更に周辺を捜したが城丸くんを見つけることはできず、父親に連絡して相談したあとお昼の12時ころ北海道警察豊平警察署に捜索願を提出した。

9. 依頼を受けた豊平警察署は周辺地域への聞き込みを開始したところ、意外にもすぐに城丸くんの目撃者が現れた。城丸くんの行方が分からなくなった「二楽荘」の二階の1号室に住むススキノの高級クラブホステス・工藤加寿子という女性で、当時2歳になる娘と二人暮らしをしており夫とは前年に離婚したばかりであった。

10. 工藤加寿子の証言によると「午前10時前ころに外の空気を吸いに出たところ、小学生くらいの男の子が近づいて来て『ワタナベさんのお家を知りませんか?階段を上った二階にあると聞いています』と尋ねられた。」という。そこで「隣りにワタナベさんという家があるので、そこのお家じゃないの?」と答えると、城丸くんは「ありがとうございます」と言って立ち去ったという。城丸くんを見届けて自分もアパートの中に入ったと証言している。
※通りかかった近所の小学生が城丸くんが二楽荘の階段を上っていく姿を見かけたと証言している。

11. 豊平警察署は「二楽荘」の隣りのワタナベ家に事情聴取をしたが、そこの女子高生の娘が同じ証言をするだけであり、任意でワタナベ家の家宅捜索も行ったが城丸くんも見つからず、関連するような証拠も発見することができなかった。

12. 1984年(昭和59年)1月14日(土)から城丸くんの本格的な公開捜査が開始されたが、城丸くんの行方は全く手掛かりがなく「城丸くんの失踪」という形で終結した。なお、城丸くんに「ワタナベ」家の場所を尋ねられたという工藤加寿子にも徹底的な捜査が行われたが証拠もなく事件は迷宮入りするかと思われた。

13. 城丸くん失踪から2年後の1986年(昭和61年)5月に、お見合いをし北海道樺戸郡新十津川町の自営業(農業)を営んでいる「和歌寿美雄(わかすみお)」さん(当時35歳)と再婚した。

14. 年の瀬も迫った1987年(昭和63年)12月30日(水)午前3時ころ、和歌さん宅から突然出火し、家屋が炎に包まれた。母屋が全焼し、焼け跡から和歌さんの焼死体が発見された。工藤加寿子と一人娘は逃げて無事であった。
※消防が到着し、火災が収まったのは火災から約2時間後の明け方午前5時ころであった。

15. 和歌さん宅が全焼してから約半年後の1987年(昭和63年)6月に、寿美雄さんの義理の兄が焼け残った納屋の片付けをしていたときに棚に置かれている一つのポリ袋に目がとまった。ポリ袋を開けてみたところ、中には茶色に変色した人骨のようなものが入っていた。

16. 寿美雄さんの結婚に当初から反対し、工藤加寿子の放火を強く疑っていた義理の兄はその人骨のようなものを警察に届け出た。
※寿美雄さんの義理の兄の証言によれば寿美雄さん宅の放火だけではなく、別の事件も犯しているのではと考えたという。

17. この当時のDNA鑑定技術では寿美雄さんの義理の兄が発見した人骨が誰であるかを特定することはできなかったが「火葬された子供の人骨」であることが判明した。警察は工藤加寿子に事情を聴いたが「そのようなものは知らない」との回答であった。警察のよる事情聴取は3日間続いたが、それ以外は一切黙秘を続け、決定的な証拠もないことから検察は起訴を断念し工藤加寿子は釈放された。

18. その後、工藤加寿子は北海道静内郡静内町(現・北海道日高郡新ひだか町)に移り住み、そこで三度目の結婚をするがその結婚も長くは続かず離婚している。
※静内町は2006年(平成18年)3月31日(金)に、三石町と合併し「新ひだか町」となっている。

19. ところが時効まで2ヵ月を切った1998年(平成10年)11月に、和歌さんの義理の兄から届けられた人骨が「城丸秀徳」くんと断定され、15日(日)ついに豊平警察は工藤加寿子の逮捕に踏み切った。
※逮捕された工藤加寿子は当時43歳であった。

20. 1998年(平成10年)12月7日(月)、北海道地方検察庁は工藤加寿子を「殺人罪」で起訴した。
※殺人罪の公訴時効まで1ヵ月だった。
※情況証拠は多数あったが、殺害方法は不詳のままでの立件であった。

21. しかしながら、ようやく起訴にこぎつけたものの裁判は難航することになる。DNA鑑定の結果、人骨は城丸くんであることが判明したが「死因」の特定ができなかったため、工藤加寿子の殺意を認定することもできなかった。つまり工藤加寿子を「殺人罪」(殺意をもって人を殺める)で起訴することは不可能であった。

22. 公判が開始されてから工藤加寿子は完全黙秘を貫き「お答えすることは何もございません」という回答を繰り返すだけであった。
※このフレーズは400回以上繰り返されたという。

23. そして2001年(平成13年)5月30日(水)10時、札幌地方裁判所五号法廷にて佐藤学裁判長は工藤加寿子に「無罪」の判決を言い渡した。
※検察の求刑は「無期懲役」であった。

24. この一審の判決を不当であるとして検察はすぐに控訴したが、2002年(平成14年)3月19日(火)、札幌高等裁判所にて門野博(かどのひろし)裁判長は控訴を棄却した。検察は同月28日(木)に上告を断念し、この瞬間、工藤加寿子の「無罪」が確定した。

25. 同年5月2日(木)、工藤加寿子は札幌地方裁判所に対し拘束されていた928日分の日当および弁護士費用の合計1160万円の支払いを求め提訴した。
※工藤加寿子は刑事補償法第4条に基づく一日当たりの最高額「一万二千五百円」を請求した。

26. 同年11月18日(月)、札幌地方裁判所は補償金として1178万円の支払を決定した。
※内訳は「刑事補償金」として928万円、弁護士費用がら250万円であった。これで工藤加寿子の「完全犯罪」が成立した。

(関連情報)
● 城丸くんの両親、長男も「ワタナベ」という姓の知り合い、親戚、友達に心当たりはないという。
※城丸家の証言による。
● 城丸くんの自宅と工藤加寿子が当時住んでいた「二楽荘」とは距離にして約100mしか離れていなかった。
● 工藤加寿子と城丸くんは顔見知りであった。
※工藤加寿子と城丸家の証言による。
● 城丸くんの父親は株式会社Aと株式会社Bの代表取締役を務め、家屋が建てられていた敷地は約120坪あり、家屋は約50坪の鉄筋コンクリート2階建であった。
● また城丸家は銀行に5000万円乃至6000万円の預貯金があった。車はポルシェクーペ、BMW、クラシックカーのモーガンの計3台を所有していた。
● 城丸くんの失踪当日朝8時ころから自宅横の空き地でミニスキーで遊んでいた当時小学3年生と小学5年生の二人が城丸くんが「二楽荘」方面へ歩いていく姿を目撃していた。
※城丸くんの服装はフードの付いた紺色のアノラックを着て、長靴を履いていたと証言している。
● 城丸くん失踪当時、工藤加寿子は700〜800万円程の借金があった。
● 工藤加寿子は城丸くん失踪事件のあった同じ月の26日(木)に同じ豊平区内の別のアパートに引っ越し、ほぼ同時期に生活保護を申請している。
● 工藤加寿子は1983年(昭和57年)に東京上野のショーパブ経営者と結婚して一人娘がいたが、翌年に離婚をして北海道に戻って来ていた。その一人娘は自分が引き取っていた。
● 当時、工藤加寿子は東京上野のキャバレーにホステスとして勤めていたころ、常連客から495万の借金をしてた。それを返済せずに、北海道に逃げ帰っていた。
● また、工藤加寿子は1983年(昭和58年)12月10日(土)まで勤めていた札幌のクラブには42万9442円の借金があった。
※この札幌のクラブへの返済期限は1984年(昭和59年)1月10日(火)迄であった。
● その他、工藤加寿子はA東京本社に49万4173円と4万0982円の借金があり、同池袋支店には28万円の借金があり、B株式会社には47万0919円の借金があり、Cには105万1600円の借金があり、Dには50万円の借金があり、Eには3万3000円の借金があり、同僚のホステスから5万円の借金がそれぞれあった。
※総額830万円の借金があった。支払期限が迫っている金額は650万円であった。
※当時、工藤加寿子にお金を出してくれるスポンサーの存在も確認されているがその人物は工藤加寿子の借金の肩代わりを拒否している。
● 豊平警察署は城丸くんの父親が会社社長であり資産家でもあるため、「身代金目的の誘拐」と考え城丸宅にて逆探知機を設置し、犯人からのコンタクトをに供えていた。
※豊平警察署の証言による。
● 工藤加寿子は和歌寿美雄さんとの結婚は二度目の結婚であったが、寿美雄さんは初婚であった。お見合いの席で寿美雄さんが一方的に一目惚れをしての結婚であった。
※農家の手伝いは一切しなくてもよいという条件であった。
● 和歌寿美雄さんの身内や親族は工藤加寿子との結婚には強く反対していたが、和歌さんが押し切る形で結婚した。
※これまで農業一筋の男性と長年水商売で夜の仕事をしていた派手好きの女性がうまくいくとは誰も思わなかったという。
● 和歌寿美雄さんにはおよそ2億円もの高額な生命保険がかけられていた。受取人は工藤加寿子であった。
● 工藤加寿子は結婚時の約束通り、農家の手伝いは一切行わずパチンコ店に通う日々であった。
※和歌さんの親族の証言による。
● 工藤加寿子は一人娘を連れて札幌へ遊びに行き一週間も自宅を空けることもあった。
※和歌さんの親族の証言による。
● 和歌さんと工藤加寿子は同じ家屋の中で生活していたが、工藤加寿子は一階、和歌さんは二階で生活し床を一緒にすることはなかったという。
※和歌さんの親族の証言による。
● 和歌寿美雄さんは生前、義理の兄に「自分は工藤加寿子に殺されるかもしれない」と話していたという。
※和歌さんの義理の兄の証言による。
● 北海道地方検察庁が工藤加寿子を「殺人罪」で起訴したときにはすでに「死体遺棄罪(3年)」「死体損壊罪(3年)」「未成年者略取罪(5年)」「過失致死罪(5年)」「傷害致死罪(7年)」は公訴時効が成立していた。
※「殺人罪」意外では工藤加寿子を起訴できない状況に追い込まれていた。
● 北海道地方検察庁は工藤加寿子を「殺害動機」には触れず、「殺害方法」は不詳として起訴した。
● 2016年(平成28年)版の法務省による「犯罪白書」によれば、裁判確定人員は33万3755人、無罪は88人であった。つまり、99.97%が有罪となる計算である。
平成28年「犯罪白書」
< 疑問点/不明点 >
● 城丸家の電話が鳴り、城丸くんが電話で応対しているのを見ていた家族全員(父親、母親、長女、長男)が城丸くんの様子が不自然だったと証言している。
● 城丸くんの兄が後をおって駆けて来るのを確認すると、城丸くんは追い付かれないように更にスピードを上げて走り出したという。
※兄の証言による。
● 工藤加寿子の城丸くん殺害の動機が明確ではない。
● 工藤加寿子の城丸くんの殺害方法が明確ではない。
● 身代金目的の誘拐であったとすれば、なぜ工藤加寿子は城丸宅に脅迫電話や身代金要求の電話をしなかったのか。
● 城丸くんの失踪事件の当日、工藤加寿子はその日の夕方から夜にかけて大きな段ボール箱を運び出している姿が目撃されている。その段ボールは親族の家に運ばれた。
● その段ボールは二人目の結婚相手である和歌寿美雄さんの新十津川町の農家で焼却処分している。
※近隣の住人はおかしな匂いがしていたことを記憶している。
● 事件当日、工藤加寿子が段ボール箱を親戚の家に搬出することができたのは、たまたま義理の姉が車で迎えに来てくれたからであった。
※工藤加寿子は自動車免許は取得していなかった。
● 工藤加寿子は男児用の学習机やライオンのベッドカバーを買ったり、毎日正座をして仏壇に手を合わせていたという。
● 1984年(昭和59年)1月26日(木)、豊平警察署は工藤加寿子宅にて「ルミノール検査」を実施したが、血痕の反応は無かった。
※豊平警察署の発表による。
● 和歌寿美雄さん宅から出火した際、深夜未明の出火であるにもかかわらず、寝間着姿ではなく化粧、ヘアスタイルのセット、外出着、ロングブーツを履いていた。一人娘も同様であった。
● 緊急事態であるにもかかわらず、工藤加寿子は自宅から119番通報ではなく300m離れた民家に助けを呼びに行き、呼び鈴を押して家主が出てくるまで冷静に待っていた。
※すぐ隣の隣家は素通りし遠く離れた民家まで行っている。
● 火災時に運び出された荷物には和歌寿美雄さんの荷物は一つもなく、自分と娘のものばかりであった。
※預金通帳、保険証書はしっかりと運び出されていた。
● 出火原因が特定出来なかった。
● 豊平警察署は保険金目的の放火と考え、保険会社も保険金の支払を拒否すると、工藤加寿子は保険金の請求を断念している。
● 1988年(昭和63年)8月4日(木)、豊平警察署は捜査の参考として工藤加寿子を「ポリグラフ検査」にかけたところ、特定の質問の場合に強い特異反応を示していたという。
※「ポリグラフ検査」(所謂、嘘発見器)での検査結果を根拠に、直ちに工藤加寿子による犯行と断定することは極めて困難である。

< 工藤加寿子容疑者の生い立ち >
◆ 本件の容疑者である「工藤加寿子」は1955年(昭和30年)に北海道新冠郡新冠町節婦町の漁村に生まれ、中学を卒業まで地元で生活をしていた。
◆ 工藤加寿子の実家はそれほど裕福とは言えず、どちらかと言うと生活は苦しかったという。
◆ 工藤加寿子には兄と姉がいた。
◆ 中学を卒業して「集団就職」で上京し、都内の紡績工場に就職したがすぐに退職し、北海道に戻り登別温泉のホテルの売店店員として勤め始めた。
※1970年(昭和45年)ころまでは、地方から上京し大都市圏に就職する所謂「集団就職」の名残がまだあった。
◆ 19歳からは水商売を転々とする生活であった。
◆ 工藤加寿子の顔写真は公開されていない。

< その他 >
◆ 2002年(平成14年)3月31日(日)、佐藤学裁判官が札幌地裁統括判事を依願退職した。
・2000年「恵庭OL殺人事件」の第一回公判を担当。
※e-hoki[裁判官検索]佐藤学
佐藤学裁判官
◆ 2010年(平成22年)2月5日(金)、門野博裁判官が東京高裁部総括判事を依願退職した。
・2006年「名張ぶどう酒事件」の再審請求審において検察側の異議申し立てで再審開始決定を取り消す決定をする。
・2008年「ルーシー・ブラックマンさん事件」の被告に対する控訴審において一審判決(全面無罪)を破棄し、一部有罪とする判決を下す。
※e-hoki[裁判官検索]門野博
門野博裁判官
◆ 札幌高等裁判所での判決の際、裁判長は門野博氏であったが、他は二名は「宮森輝雄」裁判官と「小野博道」裁判官であった。
◆ 工藤加寿子の弁護人は、主任弁護人「笹森学」氏(札幌弁護士会)、弁護人「三木明」氏(札幌弁護士会)であった。
◆ 2001年(平成13年)12月30日(日)、和歌寿美雄さんが焼死体で発見された事件で、殺人と建造物等放火の疑いがもたれていた工藤加寿子の公訴時効が成立した。
◆ 城丸秀徳くんの遺族は工藤加寿子への民事訴訟による賠償請求を断念している。

< 工藤加寿子の判決 >
● 2001年(平成13年)5月30日(水)、札幌地方裁判所(裁判長:佐藤学)は「被告人が重大な犯罪によって死亡させた疑いが強いが、死因が特定できず、明確な動機も認められないことなどから、殺意があったとするには疑いが残る」と工藤に無罪を言い渡した。
※検察の求刑は「無期懲役」であった。
※検察は控訴した。
● 2002年(平成14年)3月19日(火)、札幌高等裁判所(裁判長:門野博)は「殺意をもって死亡させたと認めることに合理的な疑問が残る」として控訴を棄却した。
※検察は上告を断念した。

(判決要旨)
一、「和歌寿美雄」さん方敷地内の南側納屋等において発見された人骨片は「城丸秀徳」くんのものと認定することができる。

二、 第三者がこれらの被告人の行為ないし「城丸秀徳」くんの死亡に関与したことをうかがわせる状況はないから、「城丸秀徳」くんを電話で呼び出した者は「工藤加寿子」であると認定できる。

三、 被告人が当日電話でAを呼び出し、Aが被告人方に赴いたと考えられる同日午前9時40分すぎころから被告人が被告人方から段ボール箱を運び出した夕刻までの間に、被告人が、被告人方において,その手段や方法は特定できないものの、Aの死につながる為に及んだと認定することができる。

四、「工藤加寿子」の自白も目撃供述もなく、死体も焼損されているため「城丸秀徳」くんの死因を特定することができず、その犯行態様を確定することができないのであって、「工藤加寿子」がAの死亡につながる行為に及び、「城丸秀徳」くんを死亡させていると認められるとしても,このことから直ちに、「工藤加寿子」が殺意をもって「城丸秀徳」くんを死亡させたとの結論を導き出すことはできない。

五、「工藤加寿子」が「城丸秀徳」くんと顔見知りではなかったかということをうかがわせる事情もあることを考慮すると、被告人が身代金目的で「城丸秀徳」くんを呼び出したと認定することはできない。また、「城丸秀徳」くんを殺害する明確な動機も認めることができない。

六、 本件においては、「工藤加寿子」が何らかの行為によって「城丸秀徳」くんを死亡させたこと、その後においても、長期間にわたり「城丸秀徳」くんの死体を保管したり、焼損した骨を隠し置いていたこと、昭和63年当時の任意取調べにおいて本件との関わりをほのめかす言動をしていたことが認められ、このような事情からすれば、状況的に見て、被告人が重大な犯罪により「城丸秀徳」くんを死亡させた疑いが強いということができるが、その反面、「城丸秀徳」くんの死因が特定できない上、「城丸秀徳」くんを死亡させる原因となった実行行為も認定できないこと、「工藤加寿子」が電話で「城丸秀徳」くんを呼び出した目的の解明が困難であり、それが身代金目的であったとはいえないこと、「工藤加寿子」に「城丸秀徳」くん殺害の明確な動機が認められないこと等に照らすと、「工藤加寿子」が、殺意をもって「城丸秀徳」くんを死亡させたと認定するには、なお合理的な疑いが残る。

< 考察 >
本件に関しては警察、検察、裁判所それぞれ工藤加寿子が「何らかの方法によって」城丸くんを殺害したことに疑いはないと認めている。
あり余る程の「情況証拠」は揃ってはいるが、但し工藤加寿子に「殺意の有無」「殺害動機」「殺害方法」「城丸くんの死因」が明らかではなく、特に「殺意の有無」は工藤加寿子が黙秘を貫いている以上、明らかになることは期待できず「殺人罪」を認めることは出来ないというもの。
公開されている「判決文要旨」をよく読むと、裁判所は工藤加寿子による城丸くんの殺害を認めており、殺害の動機と死因が特定できないことを理由に「無罪」としている。工藤加寿子が、@城丸くんを誘い出したことA殺害したことB焼却処分したことC遺骨を持っていたこと、それぞれ裁判所は認めているが、それならばどれだけの証拠を揃えれば「合理的な疑いがない」と言えるのか理解に苦しむ。「殺人」が立証される場合の証拠の十分性に問題があるのではないかと思う。
しかしながら「被告人が黙秘権を行使したとしても被告人の不利益になることはない」という刑事裁判の基本原則を確認したという点においては意味のある判決であったとも言える。

ところで「憲法39条」と「刑事訴訟法198条2項」の二つを主な根拠として、被疑者・被告人の黙秘権は保障されている。この黙秘権を行使したもう一つの有名な事件として「和歌山毒入りカレー殺人事件」の林真須美被告である。この事件の場合は「死刑」を宣告されている。

< 補記 >
[ 憲法39条 ]
何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない。

[ 刑事訴訟法198条2項 ]
前項の取調に際しては、被疑者に対し、あらかじめ、自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げなければならない。

城丸君初動捜査に関して
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