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2020年06月04日

なにや

ややに

2020年04月18日

石井舞ちゃん失踪事件

【未解決事件】
【公訴時効成立】
石井舞ちゃん失踪事件
isimai01.JPG
石井舞ちゃん画像

日時 1991年(平成3年)7月24日
場所 福島県田村郡船引町

登場人物
石井賢一さん
当時37歳  舞ちゃんの父親
WS000003.JPG

石井ヨシ子さん
当時27歳 舞ちゃの母親
WS000004.JPG

玉川和弥さん
当時22歳  賢一さんの姪の彼氏
WS000000.JPG

石井直之
当時76歳  舞ちゃの祖父
石井ハル子 
当時66歳 舞ちゃんの祖母
WS000001.JPG

石井賢一さんの姪 舞ちゃんの叔母
当時17歳 郡山の実家に帰っていた為不在

母の友人の娘2人
石井賢人
当時6歳 舞ちゃんの弟
石井礼央
当時1歳 舞ちゃんの弟
WS000000.JPG


事件概要
舞ちゃんは前日から泊まりに来ていた
母の友人の娘2人や弟達と一緒に
外でプール遊びをしていた。

夕方になり従業員玉川和弥さんの部屋に集まり、
みんなでテレビゲームをして遊んでいたという。

家族によれば、
舞ちゃんは非常に上機嫌な様子
だったという。

夕食後
20時50分
日課の晩酌を終えた父賢一さんは、
息子2人と共に寝室入り就寝する。

21時
1階の自室でテレビをみていた祖父母
従業員玉川さんの部屋の電気が消えるのを確認する。

21時20分
祖父母はタクシーを使って、
町内のカラオケスナックに外出。
この時、1階玄関は施錠したとのこと。

21時30分
舞ちゃんと女の子2人は、
両親の隣の部屋で川の字となり就寝。

22時過ぎ
玉川さんは友人と会うために外出。
この時1階玄関は施錠しなかったとのこと。

22時30分
母ヨシ子さんは、2階玄関の施錠を再確認。
そのまま舞ちゃん達が寝ている部屋に行き、
机の電気を消し、
寝ている舞ちゃん達の
タオルケットを掛け直した。

これが舞ちゃんの最後の目撃となる。

その後、母ヨシ子さんが2階洗面所を使用中、
1階の玄関のデアが「バタン」と閉まる音がした為
外を見ていると、玉川さんが南の方向に向かって歩いていく姿が見えた。

コンビニでもいくんだるうと思い、
その時は特に気にしなかったという。

22時45分
母ヨシ子さんが入浴していると、
再び1階玄関のドアが「バタン」と
閉まる音がした。

そして、階段を登っていく足音、
ズボンの繊維が擦れるような音がしたとのこと。

この時、祖父母がカラオケに行っていることを、
知らなかったヨシ子さんは、
きっと祖父母だろうと思い、
気にも留めかなったという。

しかし、登る音はしたものの、

降りる音はしなかったとのこと。

深夜舞ちゃん達が寝ていた部屋の扉が開き、
女の子の一人が微かに目がさめる。

その際、「優しい声が聞こえた」
と後に母ヨシ子さんに話す。
※声の性別は諸説あり

23時
近隣住民が、石井家の近くの
電話ボックスの前で不審な白い車を目撃した。

故障者のようにボンネットを開けた状態で
エンジンをかけたまま停車しており、
翌朝には無くなっていたという。

近隣住民にはそのような車の所有者はおらず、

結局、持ち主不明の不審な車があった
という謎だけが残ることになった。

23時10分
母ヨシ子さんは家の全ての電気を消して、

父賢一さん息子2人が眠る寝室へ行き、床に就く。

しかし、1時間ほどは寝付くことが
出来ず起きていたとのこと。

7月25日
午前2時
カラオケスナックから帰宅した祖父母は、

1階玄関の鍵が開いていたことに気づき、
最度施錠をする。

玉川さんの部屋を確認すると、

玉川さんの姿が無かった為、

賢一さんを起こし、
「玉川さんが居ない」ことを伝えた。

しかし賢一さんに、
「心配するな。明日聞くから。」と言われ、

1階の自室に戻り、眠りについた。

4時20分
父賢一さんが起床。
朝食前に書類の整理をしようと、
隣の事務所へ向かった。

その際、閉まっているはずの
2階玄関の鍵が開いていることに気が付いた。

この時は、気にも留めなかった賢一さんだが、

胸騒ぎがして、約1時間後の

5時30分
自宅に戻る。

すると、ちょうど舞ちゃんと寝ていた女の子達が
部屋から出て来て、

「舞ちゃんがいないの」
と賢一さんに話した。

部屋を確認すると、
確かに舞ちゃんの姿が見当たらない。

賢一さんは、母ヨシ子さんや祖父母に
この事を伝え、

家族全員で家中を探し回ったが、
舞ちゃんはどこにもおらず、

着替えた形跡もなければ、
舞ちゃんの靴もそのまま残った
ままになっていた。

6時過ぎ
賢一さんは、警察に連絡。

6時30分
玉川さんが帰宅。

玉川さんの〜当日の怪しすぎる行動〜


玉川さんはもともと暴走族出身で、

賢一さんの姪が暴走族に出入りしていた際に
姪と知り合い、交際に発展。

姪の紹介で、賢一さんの会社で
住み込みで勤務するようになった。

普段からシンナーを吸う習慣があるなど

素行の悪さは賢一さんも気になっており

たびたび玉川さんを咎めることがあったという。

このことから、賢一さんとは
あまり良好な関係ではなかったと推測出来る。

玉川さんの当日の様子について


玉川さんは、22時過ぎに友人に会う為に、
郡山市に出かけている。

そこから帰宅するまでの、
一連の行動について時系列で整理する。

まず、22時過ぎに出掛けるも、

着替える為に、一旦石井家に帰ってきている。

その後、5〜10分して再び外出している。

この際、1階玄関の施錠はしなかった。

友人に電話をするために、
石井家の南側にある電話ボックスへ向かう。

母ヨシ子さんが2階窓から目撃した玉川さん
というのは、おそらくこの場面だと考えられる。

電話ボックスから帰ってきた玉川さんは
車で郡山市へ出掛けようとするが、

バッテリーが上がっており
エンジンがかからなかった。

しばらく周辺をぶらついた後、

駅の通りの自販機でジュースを買って飲み、

再度、石井家に戻り、エンジンをかけようとしたが
やはりかからなかった。

ちなみに、賢一さんによれば、
玉川さんの車は以前からバッテリーが上がっており、

普段はもっぱら会社の車を使用していたとのこと。

なぜ、この日は自分の車を使おうとしたのだろうか?

23時頃、船引駅へ向かうも、
すでに終電が終わっており、

タクシーを拾い郡山へ向かった。

23時40分頃、郡山駅に着き友人を待つが、
数時間待っても友人は現れなかった。

これについて、警察がその友人を聴取した際、

そもそも友人は、
会う約束をしていなかった事が判明。

7月25日
午前2時頃
仕方無く、デパートのベンチで一夜を明かす事にした。

この時、デパートの客引きが
玉川さんを目撃したという証言があるが、

警察は、玉川さんとこの客引きの関係を調べたのだろうか?

疑問が残る。

5時48分
郡山駅で始発に乗る。

6時23分
船引駅到着。

6時30分過ぎ
石井家に着いた玉川さんは、
仕事まで一寝入りしようとする。

時系列で見てもわかる通り

舞ちゃんがいなくなって家中大騒ぎとなってる間

玉川さんの姿も見当たらないとなれば、
玉川さんが何か関わってるに違いない。

と思われるのは当然である。

しかも玉川さんの証言にいくつもの疑問点や
矛盾点がる。

さらに、実際の目撃証言は
タクシーで郡山市へむかったということと、

デパートの客引きに目撃されたという事だけであり、

実際郡山市でどのような行動をしていたのか、
目撃した人物はいない。

極めて怪しい人物と言わざるを得ない。

警察の捜査

父賢一さんの通報を受けて、

誘拐の可能性が濃厚であることから、
福島県警と三春警察署は捜査本部を設置し、
捜査を開始。

やはり玉川さんは
もっとも怪しい人物として警察に連行された。

約2週間に渡り拘留され、
事情聴取を受ける事になる。

7月26日
舞ちゃんの顔写真も公開された。

警察官を含めて、地元消防団やPTA関係者など、

事件発生から1ヶ月で延べ3900人の捜査員を投入し、

捜索箇所は、自宅から半径6Kmを重点に、

家屋、山林、池、沼、マンホール、河川、工事現場
防火用水、トイレなど、6370箇所以上に及んだ。

聞き込み捜査は一般市民2500人、
業者などの関係者約490人、通行車両250台、
通行人約50人に上る。

これら大規模な捜査を行ったものの、
失踪に関する有力な手がかりを得ることは出来なかった。

警察の捜査で重要なポイントがある。

それは警察犬を投入した際、
1階の玄関先で立ち止ったということである。


これは、舞ちゃんは車によって連れ去られた
という事を意味していた。

また、現場から石井家に住む人物以外の指紋や
足跡は発見されなかったとの事。

さらに、1階と2階の入り口からは
外部から侵入した形跡もなかった。

そのことから警察は、玉川さんに加えて
内情に詳しい犯行との見方を強め、

両親や祖父母などの身内の犯行も視野に入れて
いくことになったのである。

事件考察

この事件では車で誘拐の線が強いので
姪は当時17歳であり警察では除外している。

この事件では共犯者がいる可能性がある

玉川さん犯人説
※22時30分以降〜6時半までのアリバイが殆どない

※また普段会社の車を使用しているのに、自分の車バッテリーが上がっているのを知っていて
自分の車を使用としたのか?

※友人に会うと言いながら、友人は会う約束はしていないと供述。

※24日姪と旅行にいく約束のはずが、賢一さんに急遽仕事と入れられた事。
(嫌な気持ちになったのではないであろうか?)

※公衆電話で友人に電話したといっているが、
本当はどこに電話したのであろうか?

※警察から保釈された後
恋人の姪に対してみんなの探しているところに
舞ちゃんはいないと発言していた。

※奇跡のトビラ、テレビのチカラでの時
時が来たら真実を話しますと不可解な事を言っていた。

疑念が深まる

玉川さんの動向

22時過ぎ 

玉川さんが石井家を出発

22時30分頃 

母が玉川さんが南の方向へ歩くのを見る。

22時45分頃 

母が玄関の閉まる音・階段を登る音
繊維が擦れる音を聞く。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
誰?家族以外?
玉川さんだと船引駅まで
向かうことは可能。

23時頃
玉川さんが船引駅でタクシーに乗る。

賢一さん宅から船引駅まで約6分で行ける。

22時45分玉川さんが石井家に戻って
舞ちゃんを誘拐する。

23時玉川さん、船引駅でタクシーに乗る。

警察犬の捜査からも、共犯者がいた可能性が高い。

なお2階リビングの床は場所によって

2020年04月16日

佐久間奈々さん行方不明掲示板


名無しさん@お腹いっぱい。2016/11/20(日) 04:36:27.96ID:s0qH9IFe>>4>>216
1991年(平成3年)10月26日(土曜日)
中学では中間試験の終了日で部活も休みだった。

佐久間奈々さんの家(アパート)で女友達3人(合計4人)でお泊り会をしようということになった。
奈々さんの母親は夜間、千葉市内のスナックに勤めに出ていて、夕方から夜まで不在だった。

10月27日午前0時頃になってお腹が空いてきたので夜食を買いに行くことになった。
大宮台に当時一見しかコンビニがなく夜の23時に閉まっていたので、
やむなく約4.3キロ離れた小倉台のコンビニまで自転車で出かけることになった。

道幅はあるものの暗く人通りのない道を女子たちは北上して何事もなく小倉台のコンビニにたどり着いた。

午前1時ごろ、買い物を終えて大宮台の自宅に帰る途中
国道126号線の坂月町交差点を渡り、そこから260メートルほど行ったあたりの多部田町付近の路上で、
奈々さんの自転車が道に落ちた木の枝につまづき、転倒した。

その時だった
後ろから歩いてきた一人の男が奈々さんらを追い越し、数メートル行ったところで止まった。
男は「お前ら、何やってんだ」といいながらポケットに両手を入れ、風を切りながら近づいてきた。

男は巧みに補導員を装い、『こんなところで何をしているんだ。16歳未満の者が保護者同伴なしに夜11時を過ぎて出歩くのは犯罪だ。普通なら警察に連絡するが、話を聞くだけで許してやる。お前が代表でついてこい』と言い佐久間奈々さんを指名した。

やむなく奈々さんは男の後に続き、小道へと足を踏み出した。

男「お前たちは早く帰れ!」

女友達「あの・・・、奈々の自転車は・・・」

男「あとでトラックで運んでやる!」

これが奈々さんと女子らを断ち切る、最後の一言となった。

そう命じられた3人の女友達は奈々さんのアパートまで戻ったが、
鍵を持ってなかったので、外で奈々さんの帰りを待ったという。

当時、奈々さんは母親と祖母の3人暮らしだったが、
深夜だっためにチャイムを鳴らすのをためらったのかもしれない。

約一時間半が経過して、心配になってきたのか、

「誘拐されたのかも」

と話し合っているところに偶然、
同じ中学の男子生徒2名が通りかかった。

男子らにこれまでの経緯を話してみると、
「おかしい」ということになった。

そこでそれぞれの親に連絡をした。

連絡を受けた親たちは、手分けして奈々さんを探したが、
奈々さんは見つからず、
午前4時20分、千葉県警察東署に届け出た。

2020年04月11日

下村まなみちゃん行方不明事件




Screenshot_20200411-175139~2.png
下村まなみちゃん画像

〒501-5301
岐阜県郡上市高鷲町ひるがの4714−2
ひるがの高原キャンプ場


事件の概要
2009年7月24日(金)午前7時半頃─
郡上市高鷲(たかす)町のひるがの高原キャンプ場で、学校行事の野外授業として同施設を訪れていた愛知県常滑西小学校5年の『下村まなみちゃん』(当時10歳)が、4人1グループで場内の遊歩道を散策中、行方が分からなくなった。まなみちゃんは、当時身長120cm、体重20kgと小柄で体も弱く、普段の学校生活においても、教員や同級生のバックアップを必要としていた。後日、テレビ番組に出演した母・益代さんによれば、まなみちゃんはダウン症を患っていたという。

まなみちゃんは、前日の23日から3日間の予定で、同校5年の恒例行事である野外授業として、児童85人と校長・教員ら数名と共に、隣県のひるがの高原キャンプ場を泊まりがけで訪れていた。

2日目の24日午前7時半頃、この日の夜に予定されていた「肝試し」の下見のため、まなみちゃんは同級生の女の子3人と一緒に出かけた。最後にまなみちゃんを目撃した澤田広彰校長(当時49歳)の証言よると、午前8時を回る少し前、まなみちゃんら4人は遊歩道にある林道のカーブに立っていた校長の前を通過。この時まなみちゃんは、同じグループの女の子3人から随分と遅れて歩いていたという。その姿を見て心配になった校長は、しばらくしてグループの後を追う。しかしその直後、引き返してきた女の子たちから、「まなみちゃんの姿が見えなくなった」とを知らされる。まなみちゃんが校長の前を通ってから、わずか10分足らずだった。

林道は、道なりに歩けば出発点の広場に戻るコース。最後の目撃場所周辺は、アスファルトで舗装された林道。東側の斜面は、 大人でも登れないようながけが広がっている。 西側に小川があるものの、当時はおぼれるような水深ではなかった。

その後、教員らが付近を捜す見も見つからず警察に通報。失踪の通報を学校から受けた岐阜県警は、すぐに同施設の捜索を開始する。約15万平米もあるキャンプ場全体には数百人もの捜査員が動員され、7日間で県警、市消防、ボランティアなど延べ約1700人を投入し、懸命の捜索を続けた。郡上警察署は、まなみちゃんが道に迷ってうずくまっている可能性があるとみて、 最後の目撃場所付近を中心に捜索を開始。当日は一般の宿泊客がなく、 不審者などの目撃情報がないことから、その後もキャンプ場周辺を区域割りし、ローラー作戦を行った。やぶの中や林道の奥、周辺の建物、小川の中。重機でがけを崩し土の中までも捜索したが、その甲斐もなく、まなみちゃん本人はおろか、彼女の所持していた物さえ一切発見されなかった。

同市の各地でツキノワグマの出没も目撃されていたことから、事件発生当初は「クマに襲われたのではないか?」との予想もなされた。しかしながら、警察の捜索で衣服や靴などが発見されていないことから、その可能性は極めて低いとみられている。現状で最も可能性が高いと考えられているのは、何者かが彼女をさらったとする誘拐説だ。その場合、偶発的にその場に出くわした人物、もしくは、同日に野外授業が行われることを知っていた人間が前夜〜早朝にかけて施設に潜入し、グループから遅れて歩くまなみちゃんを発見し、拉致したということになる。しかし、誰の目にも留まらないように小学5年生の女の子を連れ去ることが可能か、など疑問は多く残る。

2020年04月08日

霧積温泉女性殺人事件

【未解決事件】
【控訴時効成立】
群馬県松井田町霧積山24歳女性殺人事件
霧積温泉女性殺人事件
霧積山女性殺人事件
旧碓氷郡松井田町
Screenshot_20200408-125122~2.png
最後の写真画像


Screenshot_20200409-130339~2.png
霧積温泉女性殺人事件犯行現場の作業小屋写真画像

1972年(昭和47年)08月16日(水曜日)
霧積温泉女性殺人事件 群馬県松井田町
------------------------------------
Screenshot_20200408-133500~2.png

上毛新聞 昭和47年(1972)8月17日(木) 1面
工事現場に女性の死体
乱暴され殺さる 全身に数ヵ所の傷 他で殺し運ぶ? 霧積ダム

 十六日午後五時ごろ、碓氷郡松井田町の霧積ダム建設現場付近の
小屋の中で、伊勢崎市昭和町、店員××××さん(二四)の
死体が発見されたと父親の同所、撚糸業××○○さん(五五)から
松井田署に届け出があった。
同署では現場に急行して調べたところ、××さんの死体は
工事現場付近の物置き小屋の中で頭を南にあお向けに倒れ、
着衣はノースリーブのブラウスに白スカートをつけ、スカートが
まくれているなど着衣の乱れがあるほか、死体の右腕に長さ
五センチ、幅三センチの切り傷があり、他にも左胸、首などに
多数の外傷が発見され、同署では殺人事件として本格的な捜査に
乗り出した。

捜索の父親が発見
 ××さんが死体で見つかった場所は国道十八号線、碓氷峠
カーブ3から霧積温泉方向に霧積川に沿って約七キロ入った地点、
林道から一段下がった数年前に堰堤(えんてい)工事に使った
作業小屋だった。
 小屋は板張りで八畳と六畳の二間あり、××さんは八畳の間の
真ん中であお向けになって死んでいた。
 死体は首の右と左腕、右手の三ヵ所に鋭利な刃物で刺したと
みられる傷があり、濃い紺のワンピース、白の運動ぐつをはいていた。
 小屋の東側には出入り口があるが、西側の窓がこわされていた。
死体の傷に出血が少ないので、他の場所で殺されて乱暴されたあと
車で運び込まれたらしい。小屋に入る道路上に乗用車のタイヤ跡が
残っていた。
 小屋の中には××さんが持っていたカメラ、ハンドバッグなどは
なかった。
 同署の調べによると、××さんは十二日に東京都小金井市緑町にいる
実弟の銀行員△△さん(二二?)ら二人と同温泉に宿泊する予定だったが、
△△さんらの到着が遅れて一人で泊まった。翌十三日午前十時ごろ、
一人で旅館を出た。旅館の人が自動車で送るといったが、
「歩いて帰る」と松井田方面に向かい、消息を絶った。
 ××さんを発見した父親の○○さん(五五)は××さんの安否を
気づかって近所の人十人と”私設捜索隊”を組み、同温泉へ向かう途中、
十六日午後四時半ごろハエがむらがっている小屋を見つけ、
不審に思って中へ入ったところ、××さんが死んでいたという。
 ××さんの自宅では、帰宅予定の十四日になっても××さんが
帰らないため、家族が心配して姉の□□さん(二八)が同温泉に探しに行き、
さらに十六日になって○○さんが伊勢崎署に家出人捜索願いを出した。
 ××さんは無口で友人関係などあまりないが、きちょう面なので
これまで遅刻や無断欠勤はなく、職場では信頼されていた。
また、旅行ずきで、休みにはよく温泉などに出かけていた。
 霧積川には四十五年秋から多目的の霧積ダムを建設しており、
約百人の作業員が働いているが、十二日から盆休みで工事現場には
いなかった。
 同署は霧積温泉に現在泊まっている客八十人に話をきく一方、
すでに旅館を出た人や車ではいった人を調べているが、犯人像については
全く見当がついていない。現場は指紋採取のむずかしいところで、
捜査は難航している。
------------------------------------
Screenshot_20200408-153639~2.png


上毛新聞 昭和47年(1972)8月18日(金) 1面
霧積山女性殺人事件
変質者の犯行? 現場に地下タビ跡 残忍、二十数ヵ所に刺し傷

 碓氷郡松井田町坂本の霧積川沿いの作業員小屋で惨殺された
伊勢崎市昭和町、ガソリン店員××××さん(二四)の殺人事件を
捜査している県警捜査一課、同鑑識課、松井田、伊勢崎の両署は十七日、
××さんが殺されていた小屋付近の現場検証を中心に、十二日夜に
宿泊した霧積温泉の旅館など××さんの行動を調べ、犯人との”接点”の
発見に努めた。しかし、同日の調べでは小屋に犯人のものとみられる
地下タビによる足跡と犯行時に使用したとみられる軍手で血を
つけたような手の跡が見つかっただけで、××さんの下腹部にも
刺しキズがあり猟奇的な事件から変質者の犯行とみて捜査は
その線にしぼって進められている。
なお、十七日夜、松井田署に 温井守夫 松井田署長を本部長とする
「霧積山女性殺人事件捜査本部」を設置した。

 同日は捜査員約百人が動員され、松井田町内と××さんの実家のある
伊勢崎市内で捜査を行なった。××さんが十六日夕方、変わりはてた姿で
発見された小屋付近で鑑識課員らが検証したが、死体のあった南側の
八畳間の西の端に、××さんが持っていた手編みの白色帽子、カメラ、
紺色の布バッグ、旅行ブック、下着類など四十三品がブリキ板で
隠されていた。
 また、入り口のある奥の六畳間には××さんの死体を引きずった
らしい血跡が約二メートルにわたってついており、室内と小屋の外には
地下タビの足跡と血のついた軍手による跡が数ヵ所残されていた。
 このほか、同日の調べで、××さんは十二日夜、霧積温泉の
金湯館=※※※※さん(六九)経営=の二十八号室に一人で泊まり、
翌十三日朝、朝食のあと午前十時ごろ、同旅館の嫁の◎◎さん(二七)が
「マイクロバスに乗っていったらー」と呼びかけに対し、
「歩いて行きます」と答えて出発している。その後、午後二時ごろ、
旅館から約五キロ下った地点でブラブラ歩いている××さんを同じ旅館に
親子三人で泊まり午後帰った安中市内の人が出会い、車に乗っていくよう
声を掛けたが、××さんはここでも断っている。
 これらの足取りから、捜査陣は群大での××さんの解剖の結果と
考え合わせるとこの直後に××さんは犯人と会ったものらしいと
みており、さらに一・五キロ下った小屋になんらかの方法で
連れ込まれたものとみられる。
 犯人については、殺害の手口から地下タビをはいて刃渡り十センチ、
刃幅二・五センチの鋭利な刃物を持った男一人の単独犯行とみており、
捜査本部は十二日から十三日にかけて金湯館と同じく※※さんが経営する
霧積館に宿泊した客約二百人と、死体が発見された小屋の下流で建設中の
霧積ダムの工事関係者の身元を調べた。
 その結果、宿泊客の大半は家族連れで、若い人たちのグループもいたが、
ハイキングで鼻曲山−軽井沢のコースを歩いている。また、工事関係者は
盆休みで十二日夜に富山県出身者がマイクロバス一台で、青森県出身者が
大型バス一台で帰郷、十三日には作業員たちの食事の世話をしている
●●さん(五九)、〒〒さん(五四)の夫婦たち九人が宿舎にいただけだった。
そのうえ、小屋に残されていた地下タビの足跡はダム工事現場で
作業員たちが使っているもの以外の製品であることから、
今までの調べではダム関係者には犯人はいないものとみている。
 捜査本部では、今日十八日は機動隊員も出動させて霧積川や
山道沿線で××さんを殺害した凶器の発見や、さらに××さんを
目撃した人たちから詳しく話を聞くことにしている。

胸の傷が致命傷 ××さん解剖
 殺害された××さんの遺体は十七日午前十時から約二時間にわたって
群大法医学部教室で古川研同大医学部助教授の執刀で解剖された。
 死因は左胸の心臓に達する深さ八センチ、長さ五センチの傷が
直接の原因とみられ、出血多量で死んだ。
 死亡推定時間は十三日昼から夕方にかけてとみられており、
同日午前十時ごろ、霧積温泉の旅館を出てまもなく殺されたらしい。
心臓の傷はアバラ骨三本を切るすさまじいもので、このほか下腹部など
全身にわたって二十数ヵ所の刺し傷や切り傷があり、鋭い刃物で
メッタ切りされていた。

(1面下のコラムもこの事件について述べていますが略)
--------------------------------
Screenshot_20200408-160751~2.png

上毛新聞 昭和47年(1972)8月18日(金) 9面
霧積山女性殺人事件 猟奇殺人に発展
計画的? 手袋使う 血まみれを引きずる

 床板を真っ赤に染めたおびただしい血痕、犯人は残酷にも血の吹き
出している死体を六、七メートルほど引きずり回していた−。
伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員××さん(二四)が、霧積温泉近くの
造林小屋で殺されていた事件を捜査中の松井田署と県警捜査一課では、
十七日早朝から、現場検証を行なう一方、ダム工事関係者、温泉宿泊者など
からの聞き込み、被害者の身辺捜査など本格的な捜査に乗り出した。
 しかし現在のところ、犯人割り出しの有力なキメ手はもちろん、
上半身に二十四ヵ所の刺し傷、切り傷がある文字通りの惨殺振りから
怨恨、痴情、流しいずれの犯行とも決めがたく、事件のナゾはますます
深まる気配さえ見せている。そこで××さんの足取り、目撃者の証言、
殺害状況などから事件のナゾを解明してみた…

××さんの行動
 これまでの捜査から判明している××さんの足取りは、十二日
午前十時ごろ、霧積温泉に一−二泊の予定で父親の○○さんに
伊勢崎駅まで送られた−という事実を出発点に、単身行動ではあったが
××さんと接した人たちの証言から確実な日時を断定する”点”は
いくつか出ている。
 十二日午後零時四十分ごろ、××さんは、松井田町にある霧積温泉の
出張所になっている▲▲さん宅を訪れた。一般の温泉客は横川駅から
旅館のマイクロバスを利用するのに、なぜ××さんは駅から約三キロもある
▲▲さん宅を訪れたか(しかも徒歩と思われる)。
ここで××さんは▲▲さんとこんな会話をしている。
「ここから霧積温泉までどのくらいかかりますか」
「三−四時間はかかります。ましてハイヒールでは無理です」
 このため××さんはちかくの雑貨店でマップシューズを買った。しかし、
▲▲さんに説得されてマイクロを待つことにして、あがって一時間以上も
話し込んだ。
「どこからきたの」「伊勢崎です」「おばさんはわたしの学校時代の
担任の先生に似ている」
 ××さんは今月初めに出張所に電話で予約をしているのに、このことは
一言も触れず、名前もいわなかったという。さらに疑問なことは、
家族の話では××さんは同温泉にはこれまで二回行ったことがあるのに
初めての客のように装っていることだ。
 同夜温泉の金湯館に一泊した××さんがここを出発したのは
翌十三日の午前十時ごろと見られている。(未確認)。そしてマイクロに
同乗することを断って歩いて帰路についたという。
午後二時前後、安中市内に住む親子三人づれのAさん一家が車で帰る途中、
死体発見現場から約一・五キロ手前を一人で歩いている××さんを認めて、
車に同乗するよう誘ったが、これも断った。事件発生当日とみられる
十三日に××さんを目撃したのはAさん一家だけで、いまのところ
この”点”を”線”に結びつけるものは何ひとつ出ていない。

犯人像は…
 心臓部をえぐりロッ骨三本を切断した傷、長さ七センチに及ぶ
右頸部の切創、左手首を貫通した刺し傷−背中、臀部も含めて
上半身二十四ヵ所の生々しい傷口は殺人事件の中でもあまり
類をみない残酷さ。現場検証の結果から、犯人は北側の部屋で
××さんを殺害したもので、犯行現場と死体発見現場同一説が
強まっている。
犯人は何の目的か、血の吹き出ている××さんを約六、七メートルも
引きずって南側の部屋に移したようだ。このため、この間は血のりが
ベットリと本床にしみ込み、部屋の仕切り部分の腰板には、××さんを
いったん置いたのか多量の血痕が付着している。
さらに痛々しいのは、××さんが犯人の”魔手”から逃れようとしたために
刃物を握ったと見られる左手の”防御創”−これらのことを総合して
殺害時の状況を推理してみると、犯人はおそらく逃げまどう××さんを
メッタ切り、あたりかまわず突き刺し、最後のトドメで心臓部を
えぐったというまさに”狂気の殺人”といえるようだ。
 これまでの捜査から犯人を特定するポイントとしてあがっているのは、
死体発見現場の造林小屋から採取できた犯人のものと思われる
「地下タビに似た足跡」数個と「血のついた手袋の痕跡」数個が
発見されたこと。
 犯人が証拠隠滅を図って手袋をしていた−これが確実に裏付けられれば
捜査にとっては大きな前進。すくなくとも××さんとまったく面識がなく、
しかも通りすがりという”流し犯行説”はとり除くことができよう。
さらに犯人の犯行が計画的であったことを裏付ける要素として、現場の
造林小屋内部の状況、死体に二枚のトタンがかぶせてあったほか、
血痕の付着した床板、腰板すべての場所をトタンで覆い隠している。
また、××さんの所持品も「十時九分」を指して止まっていた腕時計など
四十数点をそっくり布袋に入れて隠し置いたことなどで、狂気の犯行後にとった
犯人の証拠隠滅行為はまさに冷静そのものの”殺人プロ”的な要素も
ないわけではない。
 しかしまったく逆の推理も成り立つ。犯人は意外に小心者で、
××さんがひとりで山を下るのを見て乱暴しようと企てて造林小屋に連れ込んだ。
しかし激しい抵抗にあって思わず持っていた刃物で一突き、血潮が吹き出すのを
みて狂乱しメッタ突きにした。さらに暴行が成功しなかったことから
下腹部にも切りつけるという”猟奇殺人”へとエスカレートしていったことも
考えられる。

今後の捜査
 犯人逮捕に結びつけるためには今後、捜査本部が解明しなければ
ならない点は非常に多い。
(1)犯行動機 (2)犯人は単独か複数犯か (3)車を使った犯行かどうか
(4)犯行現場と死体発見現場が同一かどうか−これらのナゾはすべて
同一捜査線上にあり、関連しあう疑問点ではあるが、ひとりで歩いていた
××さんの目撃者が意外に少ないということから捜査は早くも
難航のきざしを見せている。
 現在、捜査本部が、解明の端緒としているのは、旅館の泊り客、
ダム関係作業人、民・国有林の下草刈り人、釣り人、ハイカーなどからの
聞き込みのほか、××さんの身辺捜査。さらに有力なキメ手となる
「地下たび」のメーカー割り出しと利用者の
キャッチ。とくに発見が急務とされているのは凶器と犯人が返り血を
浴びたために捨て去ったと見られる衣類がある。
 これまでのところ、捜査の有力な決め手を欠いたまま長期化の様相を
見せているが、十七日に捜査本部が事情を聞いた関係者の中で証言が
あいまいな点のある者がいたようで、もしこの辺を突破口にして
事件の核心に触れることができれば意外に早期解決が望めそうな要素もある。

ハム交信で連絡 発見は私設捜索隊
 ××さんの遺体は父親の○○さん(五五)らで編成した”私設捜索隊”
十人によって発見されたが、この一報は同市昭和町、左官業▽▽さん(四二)の
ハム交信により現地から自宅で待機していた二男の$$君(十五)
=市立殖蓮中三年=に伝えられた。$$君はとぎれとぎれに聞こえる
父親の話の内容から、××さんが遺体で見つかったことを知り、
すぐ××さん宅にこのことを知らせた。
 このことから、伊勢崎署は現地と連絡のうえ、松井田署員が現地に急行、
××さんの遺体確認となった。

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上毛新聞 昭和47年(1972)8月19日(土) 7面
誰が撮ったこの写真 ナゾ秘めた五コマ 顔見知りの犯行か

 霧積山中の造林小屋で、伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員
××さん(二四)が殺された事件を調べている松井田署、捜査本部では
十八日、新たな目撃者の発見や泊まり客、旅館関係者などからの
聞き込みなど前日に引き続いて基礎捜査を継続する一方、機動隊員
四十人を動員、犯人の遺留品捜索のため、現場付近七キロにわたって
検索を実施した。しかし、いぜんとして事件に直接結びつく有力な
手がかりは得られなかったが、××さんのカメラにはだれがとったのか、
本人のポーズ写真が残されており、事件解明に一歩前進した。

 同日、捜査本部では、現場の造林小屋内に隠されていた××さんの
所持品を再点検、このうちカメラは××さんが帰路途中で、だれかに
撮影を頼んだとみられるものなど五コマをとらえていた。
このコマは「霧積館」から三百メートルほど上ったところにある
「忍の池」のえん堤付近で撮ったもの。このため、捜査本部では、
何かの理由で××さんと一緒になって撮影を頼まれた人が、事件発生当日の
十三日午後二時前後に安中市のAさんに目撃される時点まで、
空白になっている××さんの行動を解明する重要なカギをにぎっている
ものと見て、発見に全力をあげている。
 一方、この日の捜査から、犯人割り出しの大きなポイントになると
見られていた「地下たび足跡」数個はかなり古いものとわかり、
足跡面からの捜査は振り出しにもどったようで、現在、犯人が現場に
残したもので確実なのは、死体や血痕を隠すために使用した
ブリキに付着している「血のついた手袋の痕跡」だけとなった。
 捜査本部では、”××さんがだれかに写真を撮らせた”という
新しい事実から、これまでナゾとされていた空白の四時間
(午前十時ごろ、金湯館を出発してからAさんが目撃した午後二時ごろまで)
を解明する端緒をつかんだ。しかし、この事実は××さんがだれかと行動を
ともにした裏づけであり、事件は「顔見知りの犯行」説が有力になってきた
ともいえる。このため捜査本部では、
(1)××さんが旅館宿泊中に親しくなった人がいるかどうか
(2)××さんが友人と会う約束をした事実があるか
(3)事件当日、顔見知りの人が偶然に霧積温泉を訪れて××さんに出会ったか
どうか−
などについて捜査を始めた。


凶器は牛刀類? 現場捜索で発見できず
 ××さんの上半身に集中してメッタ突きした凶器は、十八日の現場付近の
捜索でも発見されなかった。とどめとなった左胸の長さ七・五センチ、
幅四センチ、心臓、肺臓を貫通した傷は、ロッ骨三本を切断するほどの
威力だった。
 総計二十四ヵ所の傷跡から、捜査本部では凶器は”先端鋭利で
幅は二・五センチぐらい、長さは十センチを上回る”と推定している。
 しかし、これに該当するものとしては柳葉包丁、登山ナイフ、
牛刀、料理用ナイフ類などいろいろあり、特定は困難だ。
ただ胸の傷跡のように一度刺して骨を切り、引っ張るときに
引き裂かれたような状況から、厚みのある相当上部なものでなければ
ならないし、持ち運びの容易な長さ、大きさという制限がある。
 この点から肉厚が二・五−三ミリもあり、肉切り用として作られた
牛刀、これに類似するチャッパーナイフなどが考えられる。
刀身は小さいもので十二−十五センチ程度で、持ち運びや人目に
ふれない利点が大きい。
 この種の包丁を扱っている刃物店の話では、牛刀類は料理店で
動物の骨をそぎ落とすのに使用される特殊のもので、買って行く人も
限られているようだ。

三百人が冥福 ××さんの告別式
(文章略)
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月20日(日) 11面
”最後の写真”は私が撮った 東京の釣り師名乗り きょう、くわしい状況を聞く
 「新聞に出ていた殺人事件の被害者の写真はわたしが撮った」−霧積山殺人事件

捜査本部は、被害者の伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員
××さん(二四)のカメラから現像された”最後の写真”撮影者の
割り出しを急いでいたが、十九日夜、××さんに頼まれてシャッターを
押した−と都内に住む人が電話で名乗り出た。
撮影時間の特定と、××さんの帰路途中、”接点”を持った人の出現は
現在の捜査段階では重要なポイント。このため捜査本部では
きょう二十日、この人から当時の状況をくわしく聞く方針。
 
 この人は東京都世田谷区下北沢×ノ×、××マンション内、
修理工☆☆さん(二二)で、同日午後八時半ごろ、上毛新聞社に
電話で名乗り出たもの。
 ☆☆さんの話によると、☆☆さんは十三日車で友だちと二人で
群馬県に釣りに来た。
碓氷郡松井田町横河のドライブイン「荻野屋」で霧積川がいいと教えられ、
霧積温泉に行き、同温泉の旅館の駐車場に車を置いて、忍の池の滝付近で
釣りをしていた。そこへ××さんと思われる女性がきて、
「ちょっとすいません、シャッターを切ってください」
と声をかけた。☆☆さんは「カメラには弱いので」といったん断ると、
女性は「シャッターを押すだけですから…」というので二回シャッターを
切ったという。
 そこで別れた。時間ははっきりしないが昼過ぎだったと☆☆さんはいっている。
 ☆☆さんはその日車で帰京したが、きょう谷川岳に友だちと登山したあと、
県警に出向き、その当時の事情ともようを説明するという。
 撮影者の判明により、旅館を出発してからの××さんの行動の中で
いぜんとして空白な時間帯はいよいよ犯行現場と見られる造林小屋付近の
わずかな時間にしぼられてきた。
××さんの最後の目撃者は午後二時十分ごろ、現場から一・五キロ手前で
車に乗るように呼びかけた安中市のHさん(五二)であることがこれまでの
捜査でわかっている。
 このため、現場の小屋付近に来た××さんは、えん堤の池を見るため
道から一段さがった小屋に近寄ったところ、釣りか、山の下刈り、
ハイキング途中の犯人に声をかけられ、危険を感じて逃げようとしたところ、
小屋の中に連れ込まれ殺害されたものらしいとみている。
 捜査本部では十三日午後、付近に約三十台の車が駐車していたことから、
今日二十日午前三時から現場近くで釣りの人を対象に、十三日に霧積川に
釣りに来たかどうか、来たのなら不審者に会わなかったかどうか調べ、
リストアップされていないものに捜査を広げることにしている。
 しかし、これまでの捜査では××さんの一人歩きを目撃した人はいても、
××さんがだれかと連れだって複数行動をとっていたのを見たという
届け出はなく、いぜんとして犯人らしい者との”出会い”は捜査線上に
浮かんでいない。
 このため、本部は松井田、安中周辺地域に有線放送を通じて
目撃した人の協力を訴える一方、さらに聞き込み、地取り捜査を徹底して
実施する方針。今後の捜査は第一段階ともいえる基礎捜査も間もなく終わる予定で、
この段階で犯人割り出しに直接結びつくような有力な手がかりが得られるかどうか、
第一のヤマ場にさしかかっている。


工事関係者は”シロ” 釣り人捜査などに重点移す
 捜査本部(本部長・温井守夫 松井田署長)は十九日、××さんが殺害された
前夜に泊まった霧積温泉の旅館関係や宿泊人、ダム工事関係者、実家のある
伊勢崎での交友関係などを対象に捜査員九十人を動員して犯人逮捕への
足がかり捜査をした結果、温泉やダム工事、伊勢崎の知人などすべてが”
一応シロ”で、捜査本部では今日二十日以降、いままで捜査線上に
リストアップされていない釣り人、草刈り作業員、ハイカーなどに捜査重点を
移して全力をあげることを決めた。しかし、犯行のあったとみられる
十三日午後には霧積ダム工事現場から小屋をはさんで温泉の旅館まで
約六キロ間に釣り人のものらしい車が三十台前後駐車していたのが
確認されているが、所有者はほとんど判明していないので事件は早くも
難航する気配となってきた。
 同日の調べでは、霧積温泉にある二軒の旅館に十二、十三日に宿泊した客は
××さんを含めて約三百人。大半が家族連れでその他若いグループが
数組あったがほとんど複数で行動しており、××さん殺害とは無関係。
また、旅館従業員たちも十三日は客が多かったこともあり、全員が旅館から
出ていない。
 次にダム建設関係者は大半が盆休みで故郷に帰っていたので、
工事現場の宿舎には十数人しかいなかったが、ほとんど全員にアリバイがあった。
また、伊勢崎での知人もすでに××さんと親しかった高崎市内の電気製品
セールスマン(二九)や高校時代の同級生だった女の友人を含めた十三人について
調べたが全員疑わしいところはなかった。
 このほか、十三日午後には殺人現場をはさんだ約六キロの山道に三十台の
釣り人の車が駐車されていたことが旅館宿泊客の証言から情報として
捜査本部に寄せられている。

殺しの現場で供養 ××さんの兄弟
(文章略)
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昭和47年8月17日(水) 毎日新聞
娘さん、殺される
 山奥の作業小屋で
【高崎】十六日午後五時ごろ、群馬県碓氷郡松井田町坂本の霧積ダム建設工事現場
付近の作業小屋の中で、同県伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員、△△△△さん
(二四)=写真=が死んでいるのを探していた父親が見つけた。
松井田署の調べによると、両腕や肩、首など四ヵ所に刃物によるものとみられる切り傷
などがあった。下着も乱れており、同署は殺人事件とみて捜査を始めた。
 △△さんは十二日午後二時ごろ、東京小金井市に住む弟の○○さん(二五)と
現地で落ち合う連絡をして、同ダムから約五キロ奥に入った霧積温泉に出かけた。
しかし、○○さんは都合が悪く旅行を中止。
△△さんは十三日午前十時ごろ、「一人で歩いて帰る」といって旅館を出たため、
父の撚糸業、井上××さん(五五)が十六日朝、伊勢崎署に捜索願を出すとともに、
家族や親類が総出で周辺を探していた。
 現場は長野県境寄りで、国道18号線の松井田町坂本の旧宿場町から
霧積温泉へ向かう県道を約四キロ登った山奥。昨年秋から霧積川(碓氷川支流)で
霧積ダムの工事が始まり、県道沿いには飯場や作業場の小屋が点々としている。
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昭和47年8月17日(水) 朝日新聞
殺人か 女の死体 群馬県の山の小屋
 十六日午後四時半ごろ、群馬県碓氷郡松井田町坂本の霧積温泉近くの
霧積ダムえん堤の工事小屋で、同県伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員
△△△△さん(二四)が死んでいるのを、父親の××さん(五五)らが見つけ、
松井田署に届けた。
死体の胸などに刃物でつけたキズがあり、乱暴された形跡があることから
群馬県警と同署は、殺人の疑いで捜査を始めた。
 ××さんの話だと、△△さんは十二日午後二時ごろ、会社を休んで
「霧積温泉へ行く。二泊くらいするかもしれない」
と家を出たまま行方不明になっており、十六日朝、××さんが伊勢崎署に
捜索願を出すとともに、近所の人たち十数人と同温泉一帯を捜していた。
 △△さんの死体があった現場は、松井田町の国道18号から北へ六キロはいった
長野県境の霧積温泉へ向かう山道の途中。
工事小屋は無人で、近くでダム工事をしており、昼間は工事の作業員などもいる。
 これまでの調べだと、△△さんは十二日は同温泉に一泊、十三日朝十時ごろ
「歩いて松井田町までくだる」
と一人で出かけたという。同温泉はふだんマイクロバスで松井田町まで
客を送迎しているが、山好きだった△△さんは、歩いておりることにしたのではないかと
みられている。
 △△さんの死体は紫色のノースリーブのブラウスと白いスカートをつけたままだったが、
下着が乱れていた。
腕や胸、首などに刃物でつけたような切り傷、打撲傷が無数にあった。
 また、家を出るとき紙袋に入れて持っていたカメラやハンドバッグ、現金などが
袋ごとなくなっていた。
 工事小屋は間口四メートル、奥行き七メートルで△△さんは仰向けに倒れており、
現場の状況などから県警と松井田署では、よそで殺されてから運び込まれた疑いが
濃いとしている。

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別冊宝島Real053「迷宮入り!? 未解決殺人事件の真相」
このスレや懐かしニュース板でもたびたび話題になる本。
各事件についてプロファイリングをしているのがあの田宮元捜査一課長なので
最初はpgrしていたが、意外にも地に足のついた真面目な分析をしている。
ワラビ採り殺人事件」と「霧積温泉女性客殺人事件」は圧巻。
Screenshot_20200408-183925~2.png
田宮榮一元捜査一課長画像

被害女性の遺留品の中にカメラが残されており、
フィルムの最後の方に女性が一人で写っている写真が数枚あった。
女性は一人旅の筈だったので、写真を撮った人物は最後まで女性と
行動をともにした人物−つまり真犯人の可能性が高い。

そして、最後の写真は……。以下引用。

「警察から恵子ちゃんの持ち物が全部戻されたときに、
あたしも見せてもらったんです。その中にあの娘が最後に写っている
という写真があったんです。それが気味悪いのよ。笹やぶの中に
ボォーッと立ってるんだけど、足の途中から白い煙だか雲みたいなものが
出ていて、下の方が切れてるの。それに表情も生気がなくて、
まるで抜け殻みたいだった」

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未解決事件2chまとめ@Wiki 【1972 08 16 霧積温泉女性殺人事件 群馬・松井田町】
未解決事件2chまとめ@Wiki

16 霧積温泉女性殺人事件 群馬・松井田町】
最終更新:2009年11月27日 20:10

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【1972/08/16 霧積温泉女性殺人事件 群馬・松井田町】

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上毛新聞 昭和47年(1972)8月17日(木) 1面
工事現場に女性の死体
乱暴され殺さる 全身に数ヵ所の傷 他で殺し運ぶ? 霧積ダム

 十六日午後五時ごろ、碓氷郡松井田町の霧積ダム建設現場付近の
小屋の中で、伊勢崎市昭和町、店員××××さん(二四)の
死体が発見されたと父親の同所、撚糸業××○○さん(五五)から
松井田署に届け出があった。
同署では現場に急行して調べたところ、××さんの死体は
工事現場付近の物置き小屋の中で頭を南にあお向けに倒れ、
着衣はノースリーブのブラウスに白スカートをつけ、スカートが
まくれているなど着衣の乱れがあるほか、死体の右腕に長さ
五センチ、幅三センチの切り傷があり、他にも左胸、首などに
多数の外傷が発見され、同署では殺人事件として本格的な捜査に
乗り出した。

捜索の父親が発見
 ××さんが死体で見つかった場所は国道十八号線、碓氷峠
カーブ3から霧積温泉方向に霧積川に沿って約七キロ入った地点、
林道から一段下がった数年前に堰堤(えんてい)工事に使った
作業小屋だった。
 小屋は板張りで八畳と六畳の二間あり、××さんは八畳の間の
真ん中であお向けになって死んでいた。
 死体は首の右と左腕、右手の三ヵ所に鋭利な刃物で刺したと
みられる傷があり、濃い紺のワンピース、白の運動ぐつをはいていた。
 小屋の東側には出入り口があるが、西側の窓がこわされていた。
死体の傷に出血が少ないので、他の場所で殺されて乱暴されたあと
車で運び込まれたらしい。小屋に入る道路上に乗用車のタイヤ跡が
残っていた。
 小屋の中には××さんが持っていたカメラ、ハンドバッグなどは
なかった。
 同署の調べによると、××さんは十二日に東京都小金井市緑町にいる
実弟の銀行員△△さん(二二?)ら二人と同温泉に宿泊する予定だったが、
△△さんらの到着が遅れて一人で泊まった。翌十三日午前十時ごろ、
一人で旅館を出た。旅館の人が自動車で送るといったが、
「歩いて帰る」と松井田方面に向かい、消息を絶った。
 ××さんを発見した父親の○○さん(五五)は××さんの安否を
気づかって近所の人十人と”私設捜索隊”を組み、同温泉へ向かう途中、
十六日午後四時半ごろハエがむらがっている小屋を見つけ、
不審に思って中へ入ったところ、××さんが死んでいたという。
 ××さんの自宅では、帰宅予定の十四日になっても××さんが
帰らないため、家族が心配して姉の□□さん(二八)が同温泉に探しに行き、
さらに十六日になって○○さんが伊勢崎署に家出人捜索願いを出した。
 ××さんは無口で友人関係などあまりないが、きちょう面なので
これまで遅刻や無断欠勤はなく、職場では信頼されていた。
また、旅行ずきで、休みにはよく温泉などに出かけていた。
 霧積川には四十五年秋から多目的の霧積ダムを建設しており、
約百人の作業員が働いているが、十二日から盆休みで工事現場には
いなかった。
 同署は霧積温泉に現在泊まっている客八十人に話をきく一方、
すでに旅館を出た人や車ではいった人を調べているが、犯人像については
全く見当がついていない。現場は指紋採取のむずかしいところで、
捜査は難航している。
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月18日(金) 1面
霧積山女性殺人事件
変質者の犯行? 現場に地下タビ跡 残忍、二十数ヵ所に刺し傷

 碓氷郡松井田町坂本の霧積川沿いの作業員小屋で惨殺された
伊勢崎市昭和町、ガソリン店員××××さん(二四)の殺人事件を
捜査している県警捜査一課、同鑑識課、松井田、伊勢崎の両署は十七日、
××さんが殺されていた小屋付近の現場検証を中心に、十二日夜に
宿泊した霧積温泉の旅館など××さんの行動を調べ、犯人との”接点”の
発見に努めた。しかし、同日の調べでは小屋に犯人のものとみられる
地下タビによる足跡と犯行時に使用したとみられる軍手で血を
つけたような手の跡が見つかっただけで、××さんの下腹部にも
刺しキズがあり猟奇的な事件から変質者の犯行とみて捜査は
その線にしぼって進められている。
なお、十七日夜、松井田署に 温井守夫 松井田署長を本部長とする
「霧積山女性殺人事件捜査本部」を設置した。

 同日は捜査員約百人が動員され、松井田町内と××さんの実家のある
伊勢崎市内で捜査を行なった。××さんが十六日夕方、変わりはてた姿で
発見された小屋付近で鑑識課員らが検証したが、死体のあった南側の
八畳間の西の端に、××さんが持っていた手編みの白色帽子、カメラ、
紺色の布バッグ、旅行ブック、下着類など四十三品がブリキ板で
隠されていた。
 また、入り口のある奥の六畳間には××さんの死体を引きずった
らしい血跡が約二メートルにわたってついており、室内と小屋の外には
地下タビの足跡と血のついた軍手による跡が数ヵ所残されていた。
 このほか、同日の調べで、××さんは十二日夜、霧積温泉の
金湯館=※※※※さん(六九)経営=の二十八号室に一人で泊まり、
翌十三日朝、朝食のあと午前十時ごろ、同旅館の嫁の◎◎さん(二七)が
「マイクロバスに乗っていったらー」と呼びかけに対し、
「歩いて行きます」と答えて出発している。その後、午後二時ごろ、
旅館から約五キロ下った地点でブラブラ歩いている××さんを同じ旅館に
親子三人で泊まり午後帰った安中市内の人が出会い、車に乗っていくよう
声を掛けたが、××さんはここでも断っている。
 これらの足取りから、捜査陣は群大での××さんの解剖の結果と
考え合わせるとこの直後に××さんは犯人と会ったものらしいと
みており、さらに一・五キロ下った小屋になんらかの方法で
連れ込まれたものとみられる。
 犯人については、殺害の手口から地下タビをはいて刃渡り十センチ、
刃幅二・五センチの鋭利な刃物を持った男一人の単独犯行とみており、
捜査本部は十二日から十三日にかけて金湯館と同じく※※さんが経営する
霧積館に宿泊した客約二百人と、死体が発見された小屋の下流で建設中の
霧積ダムの工事関係者の身元を調べた。
 その結果、宿泊客の大半は家族連れで、若い人たちのグループもいたが、
ハイキングで鼻曲山−軽井沢のコースを歩いている。また、工事関係者は
盆休みで十二日夜に富山県出身者がマイクロバス一台で、青森県出身者が
大型バス一台で帰郷、十三日には作業員たちの食事の世話をしている
●●さん(五九)、〒〒さん(五四)の夫婦たち九人が宿舎にいただけだった。
そのうえ、小屋に残されていた地下タビの足跡はダム工事現場で
作業員たちが使っているもの以外の製品であることから、
今までの調べではダム関係者には犯人はいないものとみている。
 捜査本部では、今日十八日は機動隊員も出動させて霧積川や
山道沿線で××さんを殺害した凶器の発見や、さらに××さんを
目撃した人たちから詳しく話を聞くことにしている。

胸の傷が致命傷 ××さん解剖
 殺害された××さんの遺体は十七日午前十時から約二時間にわたって
群大法医学部教室で古川研同大医学部助教授の執刀で解剖された。
 死因は左胸の心臓に達する深さ八センチ、長さ五センチの傷が
直接の原因とみられ、出血多量で死んだ。
 死亡推定時間は十三日昼から夕方にかけてとみられており、
同日午前十時ごろ、霧積温泉の旅館を出てまもなく殺されたらしい。
心臓の傷はアバラ骨三本を切るすさまじいもので、このほか下腹部など
全身にわたって二十数ヵ所の刺し傷や切り傷があり、鋭い刃物で
メッタ切りされていた。

(1面下のコラムもこの事件について述べていますが略)
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月18日(金) 9面
霧積山女性殺人事件 猟奇殺人に発展
計画的? 手袋使う 血まみれを引きずる

 床板を真っ赤に染めたおびただしい血痕、犯人は残酷にも血の吹き
出している死体を六、七メートルほど引きずり回していた−。
伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員××さん(二四)が、霧積温泉近くの
造林小屋で殺されていた事件を捜査中の松井田署と県警捜査一課では、
十七日早朝から、現場検証を行なう一方、ダム工事関係者、温泉宿泊者など
からの聞き込み、被害者の身辺捜査など本格的な捜査に乗り出した。
 しかし現在のところ、犯人割り出しの有力なキメ手はもちろん、
上半身に二十四ヵ所の刺し傷、切り傷がある文字通りの惨殺振りから
怨恨、痴情、流しいずれの犯行とも決めがたく、事件のナゾはますます
深まる気配さえ見せている。そこで××さんの足取り、目撃者の証言、
殺害状況などから事件のナゾを解明してみた…

××さんの行動
 これまでの捜査から判明している××さんの足取りは、十二日
午前十時ごろ、霧積温泉に一−二泊の予定で父親の○○さんに
伊勢崎駅まで送られた−という事実を出発点に、単身行動ではあったが
××さんと接した人たちの証言から確実な日時を断定する”点”は
いくつか出ている。
 十二日午後零時四十分ごろ、××さんは、松井田町にある霧積温泉の
出張所になっている▲▲さん宅を訪れた。一般の温泉客は横川駅から
旅館のマイクロバスを利用するのに、なぜ××さんは駅から約三キロもある
▲▲さん宅を訪れたか(しかも徒歩と思われる)。
ここで××さんは▲▲さんとこんな会話をしている。
「ここから霧積温泉までどのくらいかかりますか」
「三−四時間はかかります。ましてハイヒールでは無理です」
 このため××さんはちかくの雑貨店でマップシューズを買った。しかし、
▲▲さんに説得されてマイクロを待つことにして、あがって一時間以上も
話し込んだ。
「どこからきたの」「伊勢崎です」「おばさんはわたしの学校時代の
担任の先生に似ている」
 ××さんは今月初めに出張所に電話で予約をしているのに、このことは
一言も触れず、名前もいわなかったという。さらに疑問なことは、
家族の話では××さんは同温泉にはこれまで二回行ったことがあるのに
初めての客のように装っていることだ。
 同夜温泉の金湯館に一泊した××さんがここを出発したのは
翌十三日の午前十時ごろと見られている。(未確認)。そしてマイクロに
同乗することを断って歩いて帰路についたという。
午後二時前後、安中市内に住む親子三人づれのAさん一家が車で帰る途中、
死体発見現場から約一・五キロ手前を一人で歩いている××さんを認めて、
車に同乗するよう誘ったが、これも断った。事件発生当日とみられる
十三日に××さんを目撃したのはAさん一家だけで、いまのところ
この”点”を”線”に結びつけるものは何ひとつ出ていない。

犯人像は…
 心臓部をえぐりロッ骨三本を切断した傷、長さ七センチに及ぶ
右頸部の切創、左手首を貫通した刺し傷−背中、臀部も含めて
上半身二十四ヵ所の生々しい傷口は殺人事件の中でもあまり
類をみない残酷さ。現場検証の結果から、犯人は北側の部屋で
××さんを殺害したもので、犯行現場と死体発見現場同一説が
強まっている。
犯人は何の目的か、血の吹き出ている××さんを約六、七メートルも
引きずって南側の部屋に移したようだ。このため、この間は血のりが
ベットリと本床にしみ込み、部屋の仕切り部分の腰板には、××さんを
いったん置いたのか多量の血痕が付着している。
さらに痛々しいのは、××さんが犯人の”魔手”から逃れようとしたために
刃物を握ったと見られる左手の”防御創”−これらのことを総合して
殺害時の状況を推理してみると、犯人はおそらく逃げまどう××さんを
メッタ切り、あたりかまわず突き刺し、最後のトドメで心臓部を
えぐったというまさに”狂気の殺人”といえるようだ。
 これまでの捜査から犯人を特定するポイントとしてあがっているのは、
死体発見現場の造林小屋から採取できた犯人のものと思われる
「地下タビに似た足跡」数個と「血のついた手袋の痕跡」数個が
発見されたこと。
 犯人が証拠隠滅を図って手袋をしていた−これが確実に裏付けられれば
捜査にとっては大きな前進。すくなくとも××さんとまったく面識がなく、
しかも通りすがりという”流し犯行説”はとり除くことができよう。
さらに犯人の犯行が計画的であったことを裏付ける要素として、現場の
造林小屋内部の状況、死体に二枚のトタンがかぶせてあったほか、
血痕の付着した床板、腰板すべての場所をトタンで覆い隠している。
また、××さんの所持品も「十時九分」を指して止まっていた腕時計など
四十数点をそっくり布袋に入れて隠し置いたことなどで、狂気の犯行後にとった
犯人の証拠隠滅行為はまさに冷静そのものの”殺人プロ”的な要素も
ないわけではない。
 しかしまったく逆の推理も成り立つ。犯人は意外に小心者で、
××さんがひとりで山を下るのを見て乱暴しようと企てて造林小屋に連れ込んだ。
しかし激しい抵抗にあって思わず持っていた刃物で一突き、血潮が吹き出すのを
みて狂乱しメッタ突きにした。さらに暴行が成功しなかったことから
下腹部にも切りつけるという”猟奇殺人”へとエスカレートしていったことも
考えられる。

今後の捜査
 犯人逮捕に結びつけるためには今後、捜査本部が解明しなければ
ならない点は非常に多い。
(1)犯行動機 (2)犯人は単独か複数犯か (3)車を使った犯行かどうか
(4)犯行現場と死体発見現場が同一かどうか−これらのナゾはすべて
同一捜査線上にあり、関連しあう疑問点ではあるが、ひとりで歩いていた
××さんの目撃者が意外に少ないということから捜査は早くも
難航のきざしを見せている。
 現在、捜査本部が、解明の端緒としているのは、旅館の泊り客、
ダム関係作業人、民・国有林の下草刈り人、釣り人、ハイカーなどからの
聞き込みのほか、××さんの身辺捜査。さらに有力なキメ手となる
「地下たび」のメーカー割り出しと利用者の
キャッチ。とくに発見が急務とされているのは凶器と犯人が返り血を
浴びたために捨て去ったと見られる衣類がある。
 これまでのところ、捜査の有力な決め手を欠いたまま長期化の様相を
見せているが、十七日に捜査本部が事情を聞いた関係者の中で証言が
あいまいな点のある者がいたようで、もしこの辺を突破口にして
事件の核心に触れることができれば意外に早期解決が望めそうな要素もある。

ハム交信で連絡 発見は私設捜索隊
 ××さんの遺体は父親の○○さん(五五)らで編成した”私設捜索隊”
十人によって発見されたが、この一報は同市昭和町、左官業▽▽さん(四二)の
ハム交信により現地から自宅で待機していた二男の$$君(十五)
=市立殖蓮中三年=に伝えられた。$$君はとぎれとぎれに聞こえる
父親の話の内容から、××さんが遺体で見つかったことを知り、
すぐ××さん宅にこのことを知らせた。
 このことから、伊勢崎署は現地と連絡のうえ、松井田署員が現地に急行、
××さんの遺体確認となった。
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月19日(土) 7面
誰が撮ったこの写真 ナゾ秘めた五コマ 顔見知りの犯行か

 霧積山中の造林小屋で、伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員
××さん(二四)が殺された事件を調べている松井田署、捜査本部では
十八日、新たな目撃者の発見や泊まり客、旅館関係者などからの
聞き込みなど前日に引き続いて基礎捜査を継続する一方、機動隊員
四十人を動員、犯人の遺留品捜索のため、現場付近七キロにわたって
検索を実施した。しかし、いぜんとして事件に直接結びつく有力な
手がかりは得られなかったが、××さんのカメラにはだれがとったのか、
本人のポーズ写真が残されており、事件解明に一歩前進した。

 同日、捜査本部では、現場の造林小屋内に隠されていた××さんの
所持品を再点検、このうちカメラは××さんが帰路途中で、だれかに
撮影を頼んだとみられるものなど五コマをとらえていた。
このコマは「霧積館」から三百メートルほど上ったところにある
「忍の池」のえん堤付近で撮ったもの。このため、捜査本部では、
何かの理由で××さんと一緒になって撮影を頼まれた人が、事件発生当日の
十三日午後二時前後に安中市のAさんに目撃される時点まで、
空白になっている××さんの行動を解明する重要なカギをにぎっている
ものと見て、発見に全力をあげている。
 一方、この日の捜査から、犯人割り出しの大きなポイントになると
見られていた「地下たび足跡」数個はかなり古いものとわかり、
足跡面からの捜査は振り出しにもどったようで、現在、犯人が現場に
残したもので確実なのは、死体や血痕を隠すために使用した
ブリキに付着している「血のついた手袋の痕跡」だけとなった。
 捜査本部では、”××さんがだれかに写真を撮らせた”という
新しい事実から、これまでナゾとされていた空白の四時間
(午前十時ごろ、金湯館を出発してからAさんが目撃した午後二時ごろまで)
を解明する端緒をつかんだ。しかし、この事実は××さんがだれかと行動を
ともにした裏づけであり、事件は「顔見知りの犯行」説が有力になってきた
ともいえる。このため捜査本部では、
(1)××さんが旅館宿泊中に親しくなった人がいるかどうか
(2)××さんが友人と会う約束をした事実があるか
(3)事件当日、顔見知りの人が偶然に霧積温泉を訪れて××さんに出会ったか
どうか−
などについて捜査を始めた。


凶器は牛刀類? 現場捜索で発見できず
 ××さんの上半身に集中してメッタ突きした凶器は、十八日の現場付近の
捜索でも発見されなかった。とどめとなった左胸の長さ七・五センチ、
幅四センチ、心臓、肺臓を貫通した傷は、ロッ骨三本を切断するほどの
威力だった。
 総計二十四ヵ所の傷跡から、捜査本部では凶器は”先端鋭利で
幅は二・五センチぐらい、長さは十センチを上回る”と推定している。
 しかし、これに該当するものとしては柳葉包丁、登山ナイフ、
牛刀、料理用ナイフ類などいろいろあり、特定は困難だ。
ただ胸の傷跡のように一度刺して骨を切り、引っ張るときに
引き裂かれたような状況から、厚みのある相当上部なものでなければ
ならないし、持ち運びの容易な長さ、大きさという制限がある。
 この点から肉厚が二・五−三ミリもあり、肉切り用として作られた
牛刀、これに類似するチャッパーナイフなどが考えられる。
刀身は小さいもので十二−十五センチ程度で、持ち運びや人目に
ふれない利点が大きい。
 この種の包丁を扱っている刃物店の話では、牛刀類は料理店で
動物の骨をそぎ落とすのに使用される特殊のもので、買って行く人も
限られているようだ。

三百人が冥福 ××さんの告別式
(文章略)
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上毛新聞 昭和47年(1972)8月20日(日) 11面
”最後の写真”は私が撮った 東京の釣り師名乗り きょう、くわしい状況を聞く
 「新聞に出ていた殺人事件の被害者の写真はわたしが撮った」−霧積山殺人事件

捜査本部は、被害者の伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員
××さん(二四)のカメラから現像された”最後の写真”撮影者の
割り出しを急いでいたが、十九日夜、××さんに頼まれてシャッターを
押した−と都内に住む人が電話で名乗り出た。
撮影時間の特定と、××さんの帰路途中、”接点”を持った人の出現は
現在の捜査段階では重要なポイント。このため捜査本部では
きょう二十日、この人から当時の状況をくわしく聞く方針。
 
 この人は東京都世田谷区下北沢×ノ×、××マンション内、
修理工☆☆さん(二二)で、同日午後八時半ごろ、上毛新聞社に
電話で名乗り出たもの。
 ☆☆さんの話によると、☆☆さんは十三日車で友だちと二人で
群馬県に釣りに来た。
碓氷郡松井田町横河のドライブイン「荻野屋」で霧積川がいいと教えられ、
霧積温泉に行き、同温泉の旅館の駐車場に車を置いて、忍の池の滝付近で
釣りをしていた。そこへ××さんと思われる女性がきて、
「ちょっとすいません、シャッターを切ってください」
と声をかけた。☆☆さんは「カメラには弱いので」といったん断ると、
女性は「シャッターを押すだけですから…」というので二回シャッターを
切ったという。
 そこで別れた。時間ははっきりしないが昼過ぎだったと☆☆さんはいっている。
 ☆☆さんはその日車で帰京したが、きょう谷川岳に友だちと登山したあと、
県警に出向き、その当時の事情ともようを説明するという。
 撮影者の判明により、旅館を出発してからの××さんの行動の中で
いぜんとして空白な時間帯はいよいよ犯行現場と見られる造林小屋付近の
わずかな時間にしぼられてきた。
××さんの最後の目撃者は午後二時十分ごろ、現場から一・五キロ手前で
車に乗るように呼びかけた安中市のHさん(五二)であることがこれまでの
捜査でわかっている。
 このため、現場の小屋付近に来た××さんは、えん堤の池を見るため
道から一段さがった小屋に近寄ったところ、釣りか、山の下刈り、
ハイキング途中の犯人に声をかけられ、危険を感じて逃げようとしたところ、
小屋の中に連れ込まれ殺害されたものらしいとみている。
 捜査本部では十三日午後、付近に約三十台の車が駐車していたことから、
今日二十日午前三時から現場近くで釣りの人を対象に、十三日に霧積川に
釣りに来たかどうか、来たのなら不審者に会わなかったかどうか調べ、
リストアップされていないものに捜査を広げることにしている。
 しかし、これまでの捜査では××さんの一人歩きを目撃した人はいても、
××さんがだれかと連れだって複数行動をとっていたのを見たという
届け出はなく、いぜんとして犯人らしい者との”出会い”は捜査線上に
浮かんでいない。
 このため、本部は松井田、安中周辺地域に有線放送を通じて
目撃した人の協力を訴える一方、さらに聞き込み、地取り捜査を徹底して
実施する方針。今後の捜査は第一段階ともいえる基礎捜査も間もなく終わる予定で、
この段階で犯人割り出しに直接結びつくような有力な手がかりが得られるかどうか、
第一のヤマ場にさしかかっている。


工事関係者は”シロ” 釣り人捜査などに重点移す
 捜査本部(本部長・温井守夫 松井田署長)は十九日、××さんが殺害された
前夜に泊まった霧積温泉の旅館関係や宿泊人、ダム工事関係者、実家のある
伊勢崎での交友関係などを対象に捜査員九十人を動員して犯人逮捕への
足がかり捜査をした結果、温泉やダム工事、伊勢崎の知人などすべてが”
一応シロ”で、捜査本部では今日二十日以降、いままで捜査線上に
リストアップされていない釣り人、草刈り作業員、ハイカーなどに捜査重点を
移して全力をあげることを決めた。しかし、犯行のあったとみられる
十三日午後には霧積ダム工事現場から小屋をはさんで温泉の旅館まで
約六キロ間に釣り人のものらしい車が三十台前後駐車していたのが
確認されているが、所有者はほとんど判明していないので事件は早くも
難航する気配となってきた。
 同日の調べでは、霧積温泉にある二軒の旅館に十二、十三日に宿泊した客は
××さんを含めて約三百人。大半が家族連れでその他若いグループが
数組あったがほとんど複数で行動しており、××さん殺害とは無関係。
また、旅館従業員たちも十三日は客が多かったこともあり、全員が旅館から
出ていない。
 次にダム建設関係者は大半が盆休みで故郷に帰っていたので、
工事現場の宿舎には十数人しかいなかったが、ほとんど全員にアリバイがあった。
また、伊勢崎での知人もすでに××さんと親しかった高崎市内の電気製品
セールスマン(二九)や高校時代の同級生だった女の友人を含めた十三人について
調べたが全員疑わしいところはなかった。
 このほか、十三日午後には殺人現場をはさんだ約六キロの山道に三十台の
釣り人の車が駐車されていたことが旅館宿泊客の証言から情報として
捜査本部に寄せられている。

殺しの現場で供養 ××さんの兄弟
(文章略)
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昭和47年8月17日(水) 毎日新聞
娘さん、殺される
 山奥の作業小屋で
【高崎】十六日午後五時ごろ、群馬県碓氷郡松井田町坂本の霧積ダム建設工事現場
付近の作業小屋の中で、同県伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員、△△△△さん
(二四)=写真=が死んでいるのを探していた父親が見つけた。
松井田署の調べによると、両腕や肩、首など四ヵ所に刃物によるものとみられる切り傷
などがあった。下着も乱れており、同署は殺人事件とみて捜査を始めた。
 △△さんは十二日午後二時ごろ、東京小金井市に住む弟の○○さん(二五)と
現地で落ち合う連絡をして、同ダムから約五キロ奥に入った霧積温泉に出かけた。
しかし、○○さんは都合が悪く旅行を中止。
△△さんは十三日午前十時ごろ、「一人で歩いて帰る」といって旅館を出たため、
父の撚糸業、井上××さん(五五)が十六日朝、伊勢崎署に捜索願を出すとともに、
家族や親類が総出で周辺を探していた。
 現場は長野県境寄りで、国道18号線の松井田町坂本の旧宿場町から
霧積温泉へ向かう県道を約四キロ登った山奥。昨年秋から霧積川(碓氷川支流)で
霧積ダムの工事が始まり、県道沿いには飯場や作業場の小屋が点々としている。
-------------------------------------------------------------------------
昭和47年8月17日(水) 朝日新聞
殺人か 女の死体 群馬県の山の小屋
 十六日午後四時半ごろ、群馬県碓氷郡松井田町坂本の霧積温泉近くの
霧積ダムえん堤の工事小屋で、同県伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員
△△△△さん(二四)が死んでいるのを、父親の××さん(五五)らが見つけ、
松井田署に届けた。
死体の胸などに刃物でつけたキズがあり、乱暴された形跡があることから
群馬県警と同署は、殺人の疑いで捜査を始めた。
 ××さんの話だと、△△さんは十二日午後二時ごろ、会社を休んで
「霧積温泉へ行く。二泊くらいするかもしれない」
と家を出たまま行方不明になっており、十六日朝、××さんが伊勢崎署に
捜索願を出すとともに、近所の人たち十数人と同温泉一帯を捜していた。
 △△さんの死体があった現場は、松井田町の国道18号から北へ六キロはいった
長野県境の霧積温泉へ向かう山道の途中。
工事小屋は無人で、近くでダム工事をしており、昼間は工事の作業員などもいる。
 これまでの調べだと、△△さんは十二日は同温泉に一泊、十三日朝十時ごろ
「歩いて松井田町までくだる」
と一人で出かけたという。同温泉はふだんマイクロバスで松井田町まで
客を送迎しているが、山好きだった△△さんは、歩いておりることにしたのではないかと
みられている。
 △△さんの死体は紫色のノースリーブのブラウスと白いスカートをつけたままだったが、
下着が乱れていた。
腕や胸、首などに刃物でつけたような切り傷、打撲傷が無数にあった。
 また、家を出るとき紙袋に入れて持っていたカメラやハンドバッグ、現金などが
袋ごとなくなっていた。
 工事小屋は間口四メートル、奥行き七メートルで△△さんは仰向けに倒れており、
現場の状況などから県警と松井田署では、よそで殺されてから運び込まれた疑いが
濃いとしている。
-------------------------------------------------------------------------http://blog.goo.ne.jp/mikaiketu_2008/e/d418621a159f379296b8c7b2e6fa3b15
(こちらのリンクのほうが詳しいと思います↑)

http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/occult/1252117790/
未解決事件スレ55

566 :本当にあった怖い名無し:2009/10/25(日) 22:07:57 ID:DSpUcqWK0
>>564
うちの本棚から探してきました。
もう持ってたらごめんね。
(略)
別冊宝島Real053「迷宮入り!? 未解決殺人事件の真相」
このスレや懐かしニュース板でもたびたび話題になる本。
各事件についてプロファイリングをしているのがあの田宮元捜査一課長なので
最初はpgrしていたが、意外にも地に足のついた真面目な分析をしている。
「ワラビ採り殺人事件」と「霧積温泉女性客殺人事件」は圧巻。



5枚の写真について…数字は枚数
@A泊まった金湯館の水車(旅館アルバイトに撮影してもらった)
B忍の池堰堤付近(ポーズをとっている)
 …上毛新聞(1972.8.19)に〈誰が撮ったこの写真、ナゾを秘めた五コマ〉として掲載。
  石田と名乗る男が「自分が撮影した」と名乗り出たが、実在しない人物だった(イタズラ?)
C金剛の滝(滝をバックに欄干にもたれかかっている)
 …旅館の主人が証言
D笹やぶ…返却された写真を見た家族知人(捜索参加)の妻証言
 「それが気味悪いのよ。笹やぶのなかにボォーッと立ってるんだけど。
  脚の途中から白い煙だか雲みたいなものが出ていて、下の方が切れてるの。
  それに表情も生気がなくて、まるで抜け殻みたいだった」

・@A以外は撮影者不明
・B→C→Dは旅館から殺害現場の小屋までの道順と重なる。


Screenshot_20200409-113639~2.png

泉アキ写真画像


泉アキ 心霊実験1

質問
霧積山女性殺人事件の犯人は釣り人ですか?ダム工事の関係者ですか?

答え
釣り人の線が強いように思います。
あの場所で計画的な犯行は難しいでしょうから突発的な犯行と見て間違いないでしょうし、それを踏まえて考えると

・ナイフを携帯していたこと
・地下足袋
・東京人を装って最後の写真を撮ったのは自分との釣り人からの連絡

上2つは格好や持ち物からして釣り人であれば自然です
最後のは絶妙で、恐らくは写真を撮った&釣りをしていたというところだけは本当なのでしょう。写真を撮ったのが犯人でなければ本当に撮影した人が名乗り出てきたら厄介ですしね。嘘がばれます。

住所はデタラメ(新聞を見て電話したと話したらしいですが、東京から地方新聞は取らないでしょう)かつ単独での釣行。

写真を撮ってくれと言われ撮ったが欲情し、小屋へ連れ込むも激しい抵抗に合い、激昂したんだと思います。

掲示板より

2020年04月07日

村瀬均

Screenshot_20200407-185901~2.png
村瀬均裁判官画像

松戸女子大生殺害放火事件

松戸女子大生殺害放火事件
(まつど じょしだいせいさつがいほうかじけん)
2009年(平成21年)10月22日に
千葉県松戸市松戸のマンション2階で発生した殺人放火事件。

事件概要
2009年10月、千葉県松戸市のマンション2階で火災が発生し、焼け跡からこの部屋に住む千葉大学園芸学部4年の女子大生が全裸のまま遺体で見つかった。遺体を調べた結果、刃物による傷があったため、殺人事件として警察は捜査。その結果、事件後に現金自動預け払い機の防犯カメラから女子大生のカードで現金2万円を引き出す男の姿が映っていた。警察はこの男の洗い出しを進め、すでに別の強盗・強姦事件で逮捕されていた住所不定・無職の男が強盗殺人並びに現住建造物放火などの容疑で逮捕された。被告は1984年と2002年にそれぞれ強盗や強姦事件により懲役7年の判決を受けて、2009年9月に刑務所を出所してからわずか1か月半だった。強盗傷害などと合わせて起訴された。

その後、2011年6月の千葉地裁の裁判員裁判にて、千葉県松戸市で被告が被害者のマンション宅に侵入して包丁を突き付けて現金約5000円とキャッシュカードを脅し取り、胸を刺すなどして刺殺した後に証拠隠滅のため22日に火を放ったと認定。争点となった殺意についても強い力で殺意をもって胸を刺したとした。検察側の求刑通り死刑判決が下された。波床昌則裁判長は判決理由について、「犯行態様は執拗で冷酷非情、結果も重大である。出所後も数多くの犯罪を重ねており、被告の更生の可能性は著しく低い。また、(弁護側の死刑回避の主張に対して)死亡した被害者が1人であっても、極刑を回避する決定的な理由にならない」とした[1][2]。また、被告が「命を以て償いたい」と話していたにも関わらず、証言が証拠と食い違い真実が述べられておらず反省が認められないとも述べた。裁判員裁判で、殺人の前科のない被告に、1人の殺人で死刑判決が出たのは初めて。

村井宏彰主任弁護人などの弁護側は死刑判決を不服として即日控訴した。2013年10月8日、東京高等裁判所で一審が破棄され、無期懲役の判決が下された。これについて村瀬均裁判長は「計画性が無く、1人殺害の強盗殺人事件で死刑となった例が無い」との判断を示した。裁判員裁判の死刑判決が控訴審で破棄されたのは2例目となる[3]。検察と弁護側双方が上告するも、2015年2月3日に上告棄却により無期懲役判決が確定した。同日には本件と別の事件1件の無期懲役判決も確定している。

2020年04月06日

柴又女子大生放火殺人事件【異能の主婦】霊視

【異能の主婦】霊視
異能の主婦とは?
並外れた霊感と透視能力で数多の人を救ってきた、異能の主婦と呼ばれる

地元でも知る人ぞ知る霊能力者の女性がいるらしい。

過去に幾度も未解決事件の透視を行い、犯人の似顔絵を描いてきた。

柴又女子大生放火殺人事件(上智大学女子大生殺人事件)の透視

Screenshot_20200406-172512~2.png

異能の主婦透視
「突然すみません。このところ、毎晩私の枕元に女子大生が立つんです。

自分は21年前に東京の柴又で殺された上智大生だと。彼女の声があまりに強烈なもので、私もうなされてしまって…」

「その上智大生はまだ現世を彷徨さまよっていて、“犯人を捕まえてください”と叫んでいました。

自分の声が聞こえる人を探して、私の所に来たようです。

犯人の特徴も詳しく話していました。とても悲痛な声でした」

「犯人は女装家だ、と言うんです。電車の中と教会でその人物に会ったことがあったようです。

犯行時、犯人の爪には赤いマニキュアが塗ってあった、と。

今も犯人は存命で、女装した格好で繁華街に遊びに行くこともあると、無念そうに訴えていました」

犯人像 女装した格好で繁華街に遊びに行く 茶色のウィッグで目はアイプチ

「犯人は女装家だ、と言うんです...」

Screenshot_20200406-194846~2.png


柴又女子大生放火殺人事件
被害者 小林順子さん 


母親の証言

柴又女子大生放火殺人事件画像

被害者と室内の様子

柴又女子大生放火殺人事件TOP

コロナウイルス 4医師・看護師感染を完全に防ぐ

4医師・看護師感染を完全に防ぐ
Screenshot_20200406-161113~2.png

保育器画像


保育器のようにして患者と医師・看護師の
感染を完全に防ぐ必要がある。

新型コロナウイルス 1 PCR検査の充実

新型コロナウイルス
1 RPC検査の充実
Screenshot_20200406-135007~2.png
森三中黒沢かずこ画像

病院に受診した際に
味覚がない症状がでていたのに
PCR検査を受けさせてもらえず
引き延ばされた。
医療崩壊が間近と思われる。

森三中黒沢かずこさんは
自分で自粛して仕事も断ったことは
すごくよい判断をされたと思いました。 

もしこのような状態だと
医療は予想以上に
崩壊の危険がある。

この打開策としては
自衛隊に医療専門の部隊を
作ってみてはどうかと思います。

なぜかと言うと医官もいることと
それに特化した人員が確保できる。

PCR検査も各駐屯地24時間体制で
出来ると思います。

また車両も運転手と患者を分けれるので
輸送しやすい。

ある意味私はコロナ戦争と思います。

また自衛隊では駐屯地に宿舎があります。
病人が泊まるベッドもある程度確保出来ます。
食事の供給も容易である。

2 ベッド数の確保
3 医療従事者の確保

このことで上も解決出来ました。

新型コロナウイルスTOP
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