2020年04月02日
柴又女子大生放火殺人事件
正式名称
柴又三丁目女子大生殺人・放火事件
柴又女子大生放火殺人事件
(しばまた じょしだいせいほうかさつじんじけん)
1996年9月9日(月曜日)に東京都葛飾区柴又で発生した放火殺人事件。警視庁による正式名称は「柴又三丁目女子大生殺人・放火事件」。
柴又放火当時の画像
事件概要
1996年9月9日(月曜日)午後4時半ごろ、
東京都葛飾区柴又3丁目の民家より火災が発生。約2時間後に消し止められ、焼け跡から上智大学4年生の女子大生の遺体が発見された。被害者の女子大生は2日後に海外留学を控えていた。遺体は口と両手を粘着テープで、両足をパンティーストッキングで縛られており、首を鋭利な刃物で刺されていたことから警察は殺人事件と断定。現場の状況や交友関係などから、顔見知りの犯行と思われた。
事件から10年経った2006年9月に、両足の縛り方が「からげ結び」という特殊な方法だったこと、現場に残されたマッチ箱の残留物から家族以外のDNAが発見されたことが公開された。
2014年9月に2階に遺体に掛けられていた布団に付着した血液から犯人と思われるDNA型が検出され、1階で発見されたマッチ箱に付着したDNA型とも一致したことが報道された。
事件の時系列
15:50 - 母親が仕事のために家を出る、この時、玄関に鍵はかけなかった。
16:15頃 - 近所の通行人によると火は出ていなかった。
16:35 - 出火。
16:39 - 隣家から119番通報。
(金町消防署から、はしご車など14〜15台が出動した。)
18:00頃 - 内部が全焼、ようやく火が消し止められる。
消防隊員が2階で被害者を発見、直ちに病院に搬送されたが、死亡が確認された。
様々な不審者の目撃情報
事件3日前の正午過ぎ、近くの数件の家に入り込んで追い返されたり、他人の家の門の前でライターをいじっていた男
前日午前5時頃、被害者宅近くの掲示板付近で「ふざけんな、ぶっ殺すぞ」と叫び軍歌を歌いながら自転車で走り去った男
当日
9時〜15時頃まで金町公園をうろついていた白い手袋の男
京成高砂駅で柴又3丁目はどこですかと道を尋ねてきた男
13時頃、被害者宅近くで主婦を尾行しライターをいじり体操していた男
16時頃、黒い傘をさし現場近くに立っていた男、これに似た男が当日朝に京成高砂付近で柴又3丁目への道を尋ねてきた男に似ていた
16時頃、被害者宅南側で自転車を乗り回していた男
16時半頃、雨の中傘もささずに柴又駅方向に走り去っていった白い手袋の男
→犯人は現場に指紋を残さないために軍手などを使っていた可能性があり、それと一致する。
目撃情報で最も有力なものが、事件前に雨の中傘もささずに被害者宅を見つめていた男
身長約160p
黒っぽいズボンに黄土色のレインコート
一見、ひ弱なサラリーマン風の30代後半とみられる男
警視庁ホームページにその男の似顔絵も出ているので見てもらいたい。
事件当日は朝から霧雨で15時過ぎ頃から雨足が激しくなっていた。
被害者の父は仕事で福島へ出張中、姉は仕事で、母もパートに行くため15:50頃に外出したため家には被害者1人となった。
被害者が母に「雨降っているけど自転車で行くの?」と声を掛けたのが最後の家族との会話となった。
母は長女が早番で仕事から間もなく帰ってくること、被害者が家にいたことから鍵を掛けずに外出したことを悔やんでいた。
16:15ではまだ家から炎は上がっておらず、16:35に出火、隣家が16:39に119番通報。
17時頃父が新白河から新幹線で帰ろうとしたときに会社から電話があり、自宅が火事になって娘が病院に運ばれていることを知らされ、病院に連絡をとったところ娘さんが亡くなったことを知った。
被害者は事件前日、学校の同級生とファミリーレストランで食事し、母に帰宅が遅れることを伝え事件当日朝に帰宅。
事件2日後にアメリカのシアトルの大学に留学するための荷造りも進めていた。
被害者は口と両手を粘着テープで縛られ、さらに両足をストッキングで縛られていた。
粘着テープは被害者宅の物ではなく、犯人が持ち込んだもので、テープには3種類の犬の毛が付着していた。被害者宅ではペットを飼ったことはなく、このことから犯人は犬を飼っていたか、犬のいる場所に出入りしていた者であった可能性が高い。
またストッキングの縛り方が「からげ結び」といわれるものであり、造園業、着物の着付け、古紙回収業などの仕事の経験がある者の犯行の可能性がある。
首を刃渡り8p以上、刃幅が2.5p〜3pの鋭利な刃物で首を6ヶ所刺されての失血死であった。首の傷は被害者の右側に集中し、深いものでは幅6p、深さ4pに達していた。
このことから犯人は左利きだった可能性も捨てきれない。
被害者の手に防御創がみられ激しく抵抗したことが窺える。その傷の上からテープが巻かれてあり、殺害後に縛られたとみられる。
被害者の気管からは「すす」が検出されず、殺害後に放火したとみられる。
犯人は仏壇にあったマッチで1階東側の六畳和室押入れ、1階のパソコン付近など計3ヶ所に火を点け、そのマッチ箱を母の化粧箱付近に置いたまま逃走した。
被害者には性的暴行を受けた形跡はなく、猥褻目的とは考えにくい。また被害者は明るい性格で人から恨まれるような人ではなかったという。
ただ、被害者に一方的に好意を寄せていた者によるストーカー的な犯行は考えられ得る。
母の証言から事件2週間前の8月下旬に被害者が帰り道に男につけられているので駅まで迎えに来て欲しいと電話を掛けてきて母が迎えに行ったことがあった。
2階の両親の寝室に父が出張から帰ってくるのに備えて母が敷いていた布団の上に横向きに寝かされ、夏物の掛け布団を頭から膝まで被せられ、布団の両端を体の下に挟み込む形になっていた。
被害者に布団を被せるのは、犯人が被害者に特別の思いを寄せていた時によく見られるものだという。
しかしストーカー犯行説も決め手に欠ける。
ただ、犯人が布団を被せたことで逆に被害者の遺体の損傷が激しくなかったという結果になった。
被害者の交遊関係も詳しく友人などに事情聴取されたが、有力な手がかりはつかめなかった。
被害者は母が外出する時はパジャマ姿だったのが、発見時にはTシャツに短パン姿だったこと。父のスリッパが1階ではなく2階にあったことから、被害者が顔見知りだった人を招き入れた可能性も考えられるが、単に買い物に行くつもりだけだったか、ただ普通に着替えただけかもしれない。
犯人は火を点ける目的は初めはなく、単純な物盗り目的で鍵を掛けずに母が外出したのを見計らって侵入したところ、被害者と鉢合わせになり顔を見られたために居直って、万一のために隠し持っていた刃物で殺害し、その証拠隠滅のためにマッチを探し出して火を放ち、慌ててマッチ箱を置いたまま逃走した可能性もある。
マッチ箱に手袋の跡と血液が付着していたが、このDNA型が遺体に掛けられていた布団に付着していた血液のDNA型に一致した。血液はA型の男のもので、被害者の家族以外のものであり、このDNAが犯人のものであることは間違いない。
被害者に抵抗された際に犯人自身手にケガをしたようである。
1階戸棚の父の財布から旧一万円札(聖徳太子)が無くなっており、犯人が家の中を物色中に被害者に顔を見られたため殺害、母が帰ってくるかもしれず他のものには手を付けずに慌てて火を放って逃走、柴又駅から電車でどこかに消えていった。
ストーカー犯行説より、このような物盗りの犯行の可能性が高いような気もしてきたが、あくまで捜査は見立てばかりではなく客観的証拠を第一にすべきではあろう。
一説によると、松戸の千葉大生O・Yさん殺害事件犯人で無期が確定した堅山辰美がこの柴又の事件の犯人ではないかとも言われているようだが、こればかりは決め付けはできない。
ただ疑いの余地は確かにある。ストッキングで縛り、金を奪って火を放つという手口が似ている。他にも強盗事件を起こしているが、被害者は若い女性が多い。
柴又で目撃された「ひ弱なサラリーマン風」に対し、堅山も細身。しかも成田に住んでいて、京成線で柴又と繋がってくる。
ただしこれはあくまで一部で囁かれている憶測に過ぎないので、客観的証拠に基づいていくのは言うまでもない。
ストーカーや怨恨より、行きずりの犯行だとすれば捜査も困難を極めるが、どんな些細なことでも構わないので、心当たりのある方は警視庁亀有警察署へご一報を。
犯人に繋がる有力な情報を提供された方には懸賞金800万円が支払われる。
柴又殺人事件当時の画像
柴又殺人取り壊し跡画像
座標:35.7580324679, 139.87325703
住所:東京都葛飾区柴又3−28−1
(犯行現場となった順子さんの自宅は全焼したが、事件を風化させたくないという家族の思いから、事件後1年以上、焼けた状態のままで残され、平成9年の12月にようやく取り壊された。跡地は遺族から東京消防庁金町消防署に無償提供され、現在そこは地元消防団の格納庫となり、「順子地蔵」が建立されている。)
順子地蔵画像
柴又女子大生放火殺人事件
被害者 小林順子さん
被害者と室内の様子
不審者目撃情報
母親の証言
柴又女子大生放火殺人事件画像
被害者と室内の様子
【異能の主婦】霊視
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