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2018年05月29日

光の巻 第8帖

何によらず不足ありたら、Θの前に来て不足申して、心カラリと晴らされよ、どんなことでも聞くだけは聞いてやるぞ、不足あると曇り出るぞ、曇り出ると、身魂曇るから、身魂苦しくなりて天地曇るから、遠慮いらん、この方に不足申せよ、この方親であるから不足一応は聞いてやるぞ。気晴らしてカラリとなって天地に働けよ、心の富士晴れるぞ、始めの岩戸開けるぞ。
早呑(の)み込み大怪我の元、じっくりと繰り返し繰り返し神示読めよ、神示肚の肚に入れよ、神示が元ざぞ、今度は昔からの苦労のかたまり、生き魂でないと御用難しいぞ。世のたとえ出て来るぞ。Θが人の口使うて言わせてあるのぢゃぞ。Θ国は神力受けねば立ちては行けんぞ、Θなくして神力ないぞ、Θなくなれば丸潰れざぞ。
まわりに動く集団(まどい)早う作れよ。数で決めようとするから数に引かれて悪となるのぞ、数に引かれて困らんよう気つけよ。この神示解くのはタマでないと、少しでも曇りあったら解けんぞ。悪に見せて善行わなならんことあるぞ。この行なかなかざぞ。
この世の鬼平らげるぞよ。鬼なき世となりけるのざぞ、わかりたか。キリストの取次さん、仏の取次さん、今のうちに改心結構ぞ、丸潰れ近づいて御座るに気づかんのか。
同じ名のΘ二つあるぞ。人民三つ四つにも拝んで御座るぞ、文出すもよいなれど、神示読むのが先ざぞ。Θ第一ざぞと申してあろうが。暫し待て、世界の文出す時来るぞ。アワの様な今の文何にもならんぞ、時待てと申してあろうがな、この巻から謄写もならんぞ、時来るまで写して皆に分け取らせよ。
七月の二十七日、ひつ九のか三。三年の立て替えぞ。


「世のたとえ出て来るぞ。Θが人の口使うて言わせてあるのぢゃぞ。」
人の言動の中に「世のたとえ」が出て来るようです。世界の動きを見ていると、自国第一主義が蔓延しているようです。これが、「世のたとえ」なのでしょうか。

「Θ国は神力受けねば立ちては行けんぞ、Θなくして神力ないぞ、Θなくなれば丸潰れざぞ。」
日本には、正神の力が絶対に必要で、神心を持つ民の存在が重要だということです。

「数で決めようとするから数に引かれて悪となるのぞ、数に引かれて困らんよう気つけよ。」
民主主義では多数決が原則ですから、政治的に重要な決定は数をもとになされますが、数に頼り過ぎるとそれ故に「悪」と見做されることもあります。やはり、少数意見の人にも丁寧に説明して理解を得るという努力が必要ということでしょう。また、皆が正しい判断ができるような環境の構築も必要と思われます。

「悪に見せて善行わなならんことあるぞ。この行なかなかざぞ。」
時には、一見「悪」と見えるようなことで「善」を行う必要もあるようです。

「この世の鬼平らげるぞよ。鬼なき世となりけるのざぞ、わかりたか。」
鬼とは「我れ善し」の心のことでしょう。この世の殆ど全てが「我れ善し」で動いています。

「キリストの取次さん、仏の取次さん、今のうちに改心結構ぞ、丸潰れ近づいて御座るに気づかんのか。」
キリスト教も仏教も、もとは正しいものを、人間がねじ曲げて伝えていることを理解し、改心しないと世界丸潰れの時、道を誤るぞということでしょう。

「同じ名のΘ二つあるぞ。人民三つ四つにも拝んで御座るぞ」
同じ名前の善神と悪神と思われます。今の人々は、それを3つにも4つにも取り違えて拝んでいるということでしょう。

「暫し待て、世界の文出す時来るぞ。アワの様な今の文何にもならんぞ、時待てと申してあろうがな」
時が来たら、日月神示と同様の文が世界に示されるということでしょう。

「三年の立て替えぞ。」
戌年、亥年、子の年の3年と思われます。


posted by mydears at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 光の巻
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