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2018年05月30日

まつりの巻 第1帖

五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、どちら採(と)る気ぢゃ。今までの教ではこの道わからんぞ、ますます食う物なく曇りてくるぞ、その国その所々で当分暮し向き出来るぞ。野見よ、森見よと申してあろう、青山も泣き枯る時来ると申してあろう、海川も泣き枯る時来るぞ、まだ気づかず我さえよけらよいと、我れ善しして御座る人民、神々様、気の毒来るぞ、今まではΘも仏も同じぞと申していたが、Θと仏とは違うのざぞ、十(かみ)の動くが卍(ほとけ)ぞ、卍の動くが渦右巻き.jpgぞ、渦右巻き.jpgの澄みきりがΘぞ、Θと仏と臣民とは違うのぢゃぞ。
八月八日、一二Θ。


古来、日本で花といえば、奈良時代は梅、平安時代以降は桜となります。奈良時代に梅であったのは、当時の先進文化であった仏教およびその中心の中国の影響があったからでしょう。平安時代に入り、西行法師の「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ」の歌や「左近の桜、右近の橘」にも見られるように桜が国花となりました。現在のソメイヨシノは「江戸末期から明治初期に、江戸の染井村に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成された」とありますので、当時の桜は山桜(ヤマザクラ)であったと思われます。日月神示では「木之花咲耶姫」の象徴として、桜花をあてているようです。「五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、どちら採る気ぢゃ」というのは、神道、仏教のどちらを選ぶのかということに聞こえます。

十(かみ)が右回りに動いて卍(ほとけ)となり、卍がさらに動いて渦右巻き.jpg(渦)となります。そして、澄みきり渡った姿がΘ(神)となるのだそうです。言い換えれば、十は人、卍は霊、Θが神となります。だから、「Θと仏と臣民とは違うのぢゃぞ」ということでしょう。

前にも触れたかもしれませんが、東京オリンピックの折り寺院の記号卍がナチスのマークに似ているので変更したいみたいな話がありました。これはどちらも十字の一種であり、それを言うなら、キリスト教会の十も変更する必要があります。「旭日旗」もそうですが、もっと、歴史や文化を勉強し、ましな議論をして欲しいものです。


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