2018年05月24日
光の巻 第3帖
今の政治は貪(むさぼ)る政治ぞ、Θのやり方は与え放しざぞ、ぞ、マコトぞ。今のやり方では世はおさまらんぞ、道理ぢゃなあ。天にはいくらでも与えるものあるぞ、地にはいくらでも、どうにでもなる、人民に与えるものあるのざぞ、惜しみなく、隈(くま)なく与えて取らせよ、与えると弥栄えるぞ、弥栄になって元に戻るのぞ、国は富んで来るぞ、神徳満ち満つのぢゃ、この道理わかるであろうがな。取り上げたもの何にもならんのぢゃ、捧げられたものだけがマコトじゃ、乗り物もタダにせよ、田からも家からも税金取るでないぞ、年貢取り立てるでないぞ、何もかもタダぢゃ、日の光見よ、と申してあろうが、(金はいらんと申してあろが、)暮しむきのものもタダで取らせよ、タダで与える方法あるでないか、働かん者食うべからずと申すこと理屈ぢゃ、理屈は悪ぢゃ、悪魔ぢゃ、働かん者にもドシドシ与えて取らせよ、与える方法あるでないか、働かんでも食べさせてやれよ、何もかも与えぱなしぢゃ、そこにΘの政治始まるのぢゃぞ、Θの経済あるのぢゃ。やって見なされ、人民の算盤(そろばん)では木の葉一枚でも割り出せないであろうが、この方の申すようにやって見なされ、お上は幸(さち)で埋もれるのぢゃ、余るほど与えて見なされ、お上も余るのぢゃ、この道理わかりたか。仕事させてくれと申して人民喜んで働くぞ、遊ぶ者なくなるのぞ。
皆々Θの子ぢゃ、Θの魂植えつけてあるのぢゃ、長い目で見てやれ、惜しみなく与えるうちに人民元の姿現れるぞ。貪(むさぼ)ると悪になって来るのぢゃ、今のさま見て改心結構ぞ、算盤捨てよ、人民Θとあがめよ、Θとなるぞ、泥棒と見るキが泥棒つくるのぢゃ、元の元のキの臣民、地(くに)の日月の神ぢゃと申してあろうがな、
六月十七日、かのととりの日、ひつ九ノか三。
私有財産制の否定ですね。縄文時代はまさにこのような社会であったと推定されます。皆が優しく平和な理想世界です。税金も存在しないようです。ただ、人々に少しでも私利私欲があると成り立たない社会でしょう。
皆々Θの子ぢゃ、Θの魂植えつけてあるのぢゃ、長い目で見てやれ、惜しみなく与えるうちに人民元の姿現れるぞ。貪(むさぼ)ると悪になって来るのぢゃ、今のさま見て改心結構ぞ、算盤捨てよ、人民Θとあがめよ、Θとなるぞ、泥棒と見るキが泥棒つくるのぢゃ、元の元のキの臣民、地(くに)の日月の神ぢゃと申してあろうがな、
六月十七日、かのととりの日、ひつ九ノか三。
私有財産制の否定ですね。縄文時代はまさにこのような社会であったと推定されます。皆が優しく平和な理想世界です。税金も存在しないようです。ただ、人々に少しでも私利私欲があると成り立たない社会でしょう。
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