2017年12月01日
日本人のルーツを探る(1)
これまでは、古事記、日本書紀をベースに、その隠された
真実に迫ることを主眼として来ました。
一応、日々疑問に思っていたことをまとめ、一つのストー
リーに組み立てたつもりです。
一番、大きかったのは、「漢委奴国王」の金印が西暦57
年、「王師升等」(おしひと)が孝安天皇で西暦107年
と、山下先生に確定して頂いたことです。
これを前提に卑弥呼の年代から「倭迹迹日百襲姫」が特定
できるようになり、多くの事実が繋がって来ました。
倭国の創始者が、須佐之男命で饒速日命がその後を継ぎ
神武天皇で完成したことも確信できました。
饒速日命は誰なのかが分かって、全ての謎が氷解し始めま
した。
さて、それでは、須佐之男命以前の日本はどうなっていた
のか。これを探求せずにおいて、日本人のルーツは語れな
いでしょう。
しかし、残念ながら、古事記、日本書紀をもってしても
その真実は解明できません。情報が少なすぎるのです。
但し、神様のお名前とその関係性を探ることはできます。
また、ここでも山下先生が、価値ある情報を提供して下さ
っています。
ここからは、これまでもそうでしたが、さらに妄想を膨ら
ませ、判明している事実を繋ぎ合わせて、探求して行きた
と思います。
真実に迫ることを主眼として来ました。
一応、日々疑問に思っていたことをまとめ、一つのストー
リーに組み立てたつもりです。
一番、大きかったのは、「漢委奴国王」の金印が西暦57
年、「王師升等」(おしひと)が孝安天皇で西暦107年
と、山下先生に確定して頂いたことです。
これを前提に卑弥呼の年代から「倭迹迹日百襲姫」が特定
できるようになり、多くの事実が繋がって来ました。
倭国の創始者が、須佐之男命で饒速日命がその後を継ぎ
神武天皇で完成したことも確信できました。
饒速日命は誰なのかが分かって、全ての謎が氷解し始めま
した。
さて、それでは、須佐之男命以前の日本はどうなっていた
のか。これを探求せずにおいて、日本人のルーツは語れな
いでしょう。
しかし、残念ながら、古事記、日本書紀をもってしても
その真実は解明できません。情報が少なすぎるのです。
但し、神様のお名前とその関係性を探ることはできます。
また、ここでも山下先生が、価値ある情報を提供して下さ
っています。
ここからは、これまでもそうでしたが、さらに妄想を膨ら
ませ、判明している事実を繋ぎ合わせて、探求して行きた
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