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2017年11月28日

大和朝廷の謎(27)天智天皇称制から即位へ

白村江の敗戦以降、中大兄皇子は唐・新羅連合軍の脅威に備え
るために、九州の太宰府に水城を築き、瀬戸内海沿岸の山城を
整備し、近江に都を移し、防人を置くなどの防衛に努めると共
に、積極的な外交戦も展開し、唐・新羅との関係改善に尽力し
ました。

唐からも使者がやって来るなど、状況が落ち着いた668年、
ついに第38代天智天皇として即位します。

以降、中央政権国家の完成に向け、法律や戸籍を整備しました。

一方では、都の移転など民衆の反発が多く、火事などが頻繁に
起こったという記録も残っています。

また、子の大友皇子を太政大臣に任命するなど、当時、皇太弟
であった大海人皇子(後の天武天皇)との火種を残しています。

天智天皇が亡くなる直前、大海人皇子を呼んで皇位禅譲の意思
を示しましたが、大海人皇子はこれを断り、吉野へ隠棲しまし
た。

もし、大海人皇子がこれを受けていれば、天智天皇に殺されて
しまっていたかもしれません。

天智天皇は、大海人皇子を皇太弟に指名していましたが、2人
の仲は良くなく、額田王(ぬかだのおおきみ)の争奪戦や、か
なり激しい喧嘩もしていたようです。

しかし、何故か天智天皇の娘が4人も大海人皇子に嫁いでいる
という奇妙な事実もあります。それどころか、殆どの娘が、天
武天皇またはその息子に嫁いでいるというのはますます奇妙で
す。

もしかしたら、天武天皇の血筋に何らかの正当性を示す事実が
あったのかもしれません。

その場合は、同父同母となっている天智・天武の両親に隠され
た秘密があるのかもしれません。

天智天皇の娘.png


posted by mydears at 13:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 大和朝廷
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