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2017年11月24日

大和朝廷の謎(14)仁徳天皇

第16代仁徳天皇は、皆さんもご存知の通り、大阪の堺市にある
世界一の面積を誇る陵墓をお持ちになる大天皇です。

古事記では「聖皇」、日本書紀でも「聖帝」とされる非常に評判
の良い天皇です。

その性格も温厚で慈愛に満ちた方のようで、ある日、宮殿から
眺めているとどの家からも煙がのぼっていないことに気づき、
民を救済するため3年間の年貢、労役を停止し、自らも質素な
生活を貫いたとの逸話も残っています。

また、河内平野の治水・灌漑事業を推進されるなど、「土木・
土建事業」の推進者であったようです。

まさに「仁政」→「仁徳」を体現されたようです。

その即位時の逸話として、ダチョウ倶楽部のように
「どうぞ」「どうぞ」と譲り合いをされて、最終的に即位され
るに至ったとの話があります。

そして、即位5年ほどで履中天皇に譲位され、その20年後に
亡くなられるまで院政を続けられたようです。

国内では、このように評判の良い一方で、海外では相当アグレ
ッシブに行動されたようです。

韓国ドラマ・ヨン様「大王四神記」の広開土王(こうかいどお
う)と直接対峙されたのも、この方のようです。

大古墳の造営、海外遠征と、国内が相当にまとまっていなけれ
ば出来ないようなことだと思います。

まさに、古代の高度成長時代の輝いている状態だったと推測さ
れます。

因みに、広開土王の先祖は、やはり韓国ドラマで有名な「朱蒙」
(ちゅもん)ですが、この人となりもこの際触れておきましょう。

朱蒙は、古代中国の東北部「扶余国」(ぷよこく)の出身でツ
ングース民族(満州族に近い?)と云われています。

以前、「天照大神の謎(3)須佐之男命」で、須佐之男命の本当
の父親は布都(フツ)ではないかとお話ししましたが、この布都
の出自が「扶余国」の佛流(プリュ)の流れではないかとの疑い
があるのです。

*プリュ=フル=布留→布留の御魂=十種神宝(とくさのかんだ
 から)(石上神宮)。

理由は、熊野神社の「三足烏」。サッカー日本代表でもお馴染み
ですね。朱豪の高句麗の紋章もこの「三足烏」です。

次に、「因幡の白兎」のお話。朱豪が河を渡ろうと思った時に
魚がたくさん現れて、その上を踏んで向こう岸に渡ることができ
たというお話とよく似ていますね。

もちろん、百済王族が高句麗王族の血筋であるらしいということ
から、百済から伝わったということも否定できませんが、「因幡
の白兎」は大国主命の古い時代の話でもあるし、熊野神社も
須佐之男命ゆかりの神社(島根県松江市八雲町熊野に「熊野大社」
があり、須佐之男命のお墓もその裏山にあると云われている)で
ありますから、やはり、須佐之男命と「扶余国」との繋がりが
あやしく感じられます。



posted by mydears at 09:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 大和朝廷
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