2018年03月07日
何故日蓮正宗は他宗を批判(破折)するのか
ネットなどを見ていると、何故日蓮正宗・創価学会・顕正会は他宗を誹謗するのか?と嫌がるコメントを見ます。(学会・顕正会は日蓮正宗とはもう関係の無い団体ですが)
その理由に関しては日蓮正宗公式サイトにきちんと書かれています。
http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/jpn/p-deta/kyogaku/shinko/shinko_j.htm
しごく簡単に言えば
日蓮正宗は日興上人から代々血脈が繋がっている宗派
↓
日蓮大聖人は日興上人、只一人、日興上人に法を付属された
↓
日蓮大聖人は釈尊の経典通りに法華経を広め、唯一経典通りの振る舞いをされた
↓
法華経以外の教え(釈尊が説いた50年間のうち42年に渡って説いた教え、最後の8年が法華経)
釈尊は未顕真実(いまだ真実をあらわさず)と明言し、今までの経はすっかり捨てて(正直捨方便)、今からは法華経だけを信持しなさいと仰せになりました。
よって、法華経以外の宗教は毒となり、その人の不幸の原因を積んでしまいます。
しかし「うちは念仏やってたけど死んだ爺さんは人生を全うしていた!」という人もいるかもしれません。
命というのは過去・現在・来世と三世に渡っていきます。
積んできた善行によって来世の境涯というのは変わっていくものなのです。
我々は「人」として生まれてきました。これだけでも恵まれています。
ゴキブリやハエなんかで生まれてくる命もあるのです。
人として一番深い罪は一般的には「殺人」と思われるかもしれません、当然殺人の罪は深いです。
しかしそれよりも重い罪こそ「謗法」、つまり間違った宗教を行う事なのです。
これは私が言ってる事でなくきちんと経典に書かれている事なのです。
世間一般に於いては、よほどバリバリの信者で無ければ宗教行為をする人はいません。
年末にクリスマスでキリストを祝ったり、正月に神社でお参りをしたり、恵方巻を食べて願掛けをする等、どちらかといえば「日本の習慣」のような形で宗教をしている程度の人がほとんどでしょう。
しかし積んでしまった業というものは今世であまり出なくても来世でしっかりと現れてきます。
大聖人様は「過去の因を知らんと欲せば、其(そ)の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ』等云云」 (御書・五七一頁)と仰せです、現在自分が「不幸だな」と思う人はそれは過去世で行ってきた業なのです。
しかし現在幸せを感じていても、謗法を積んでしまえば来世で持ち込んでしまいます。
例えお金を持っていても治らない病を持てばそこに待っているのは苦しみと死です、一見人生に成功して幸せを感じた人でも不幸になってしまった有名人は数知れません。
よって日蓮正宗で他宗を批判する・・のでは無く、「間違った宗教は毒であり、不幸の原因です」と言っているだけなのです。もし邪教を合わせて信仰していれば毒と薬を一緒に飲むようなものなのです。
「宗教なんて興味が無い、自分は無宗教だ!」という人でも、本当のどん底を味わえば宗教に行きついてしまいます。人はどうなるか分かりません、明日巨大地震が来る、交通事故に会う、病気になる。「絶対にありえない」なんていう確信はありません。
どんなに屈強なプロレスラーでも病気に侵されるし、プロのバイクレーサーでも公道で亡くなった方もいます(私も仕事柄、公道の怖さは身に染みています)。
日蓮大聖人は「夫れ運きわまりぬれば兵法もいらず、果報つきぬれば所従もしたがはず」と御金言を残されています。
人生というのは先が見えないもの、なれば正しい信仰を持たなければいけないと思います。
そして謗法の中でも一番罪が深いのはより本物に近い「ニセ本尊」なのです。例え現在、活動をしていなくともこのニセ本尊を拝んだ業は自分自身に根付いています。
創価学会や顕正会でニセ本尊を拝んできた人は一日も早く正しい御本尊様に縁する事を願うものです。
ただ重い謗法故に罪障消滅というのは出てきます、その罪障消滅を少しでも軽くする為に早く正法に縁をしていただきたいものです。
その理由に関しては日蓮正宗公式サイトにきちんと書かれています。
http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/jpn/p-deta/kyogaku/shinko/shinko_j.htm
しごく簡単に言えば
日蓮正宗は日興上人から代々血脈が繋がっている宗派
↓
日蓮大聖人は日興上人、只一人、日興上人に法を付属された
↓
日蓮大聖人は釈尊の経典通りに法華経を広め、唯一経典通りの振る舞いをされた
↓
法華経以外の教え(釈尊が説いた50年間のうち42年に渡って説いた教え、最後の8年が法華経)
釈尊は未顕真実(いまだ真実をあらわさず)と明言し、今までの経はすっかり捨てて(正直捨方便)、今からは法華経だけを信持しなさいと仰せになりました。
よって、法華経以外の宗教は毒となり、その人の不幸の原因を積んでしまいます。
しかし「うちは念仏やってたけど死んだ爺さんは人生を全うしていた!」という人もいるかもしれません。
命というのは過去・現在・来世と三世に渡っていきます。
積んできた善行によって来世の境涯というのは変わっていくものなのです。
我々は「人」として生まれてきました。これだけでも恵まれています。
ゴキブリやハエなんかで生まれてくる命もあるのです。
人として一番深い罪は一般的には「殺人」と思われるかもしれません、当然殺人の罪は深いです。
しかしそれよりも重い罪こそ「謗法」、つまり間違った宗教を行う事なのです。
これは私が言ってる事でなくきちんと経典に書かれている事なのです。
世間一般に於いては、よほどバリバリの信者で無ければ宗教行為をする人はいません。
年末にクリスマスでキリストを祝ったり、正月に神社でお参りをしたり、恵方巻を食べて願掛けをする等、どちらかといえば「日本の習慣」のような形で宗教をしている程度の人がほとんどでしょう。
しかし積んでしまった業というものは今世であまり出なくても来世でしっかりと現れてきます。
大聖人様は「過去の因を知らんと欲せば、其(そ)の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ』等云云」 (御書・五七一頁)と仰せです、現在自分が「不幸だな」と思う人はそれは過去世で行ってきた業なのです。
しかし現在幸せを感じていても、謗法を積んでしまえば来世で持ち込んでしまいます。
例えお金を持っていても治らない病を持てばそこに待っているのは苦しみと死です、一見人生に成功して幸せを感じた人でも不幸になってしまった有名人は数知れません。
よって日蓮正宗で他宗を批判する・・のでは無く、「間違った宗教は毒であり、不幸の原因です」と言っているだけなのです。もし邪教を合わせて信仰していれば毒と薬を一緒に飲むようなものなのです。
「宗教なんて興味が無い、自分は無宗教だ!」という人でも、本当のどん底を味わえば宗教に行きついてしまいます。人はどうなるか分かりません、明日巨大地震が来る、交通事故に会う、病気になる。「絶対にありえない」なんていう確信はありません。
どんなに屈強なプロレスラーでも病気に侵されるし、プロのバイクレーサーでも公道で亡くなった方もいます(私も仕事柄、公道の怖さは身に染みています)。
日蓮大聖人は「夫れ運きわまりぬれば兵法もいらず、果報つきぬれば所従もしたがはず」と御金言を残されています。
人生というのは先が見えないもの、なれば正しい信仰を持たなければいけないと思います。
そして謗法の中でも一番罪が深いのはより本物に近い「ニセ本尊」なのです。例え現在、活動をしていなくともこのニセ本尊を拝んだ業は自分自身に根付いています。
創価学会や顕正会でニセ本尊を拝んできた人は一日も早く正しい御本尊様に縁する事を願うものです。
ただ重い謗法故に罪障消滅というのは出てきます、その罪障消滅を少しでも軽くする為に早く正法に縁をしていただきたいものです。
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この記事へのコメント
未だにこうゆう事を言っている人がいるとはやはり宗教の毒とは恐ろしいです
Posted by at 2018年12月25日 13:03
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