2018年03月01日
奉安堂は安普請?
顕正会の浅井会長は奉安堂についてこのように述べております。
だが改悔なき阿部は、こんどは正本堂の跡地に、しかも壊し残した基礎部分の上に、奉安堂という建物を建てた。
そして池田への見栄があったのでしょう、大きさだけは正本堂と同じ五千人が入れるという大きなものを造った。しかし中は体育館のような造りで、長椅子がズラーッと横に並べてあるだけ。にわか作りの安普請、見せかけだけの建物です。
更に
と、奉安堂では頼りない、顕正会がその費用を出すというパフォーマンスをしていますね。
しかし日蓮正宗では信徒以外の謗法の人からの供養は出来ないのです。
つまり、一般の人、例えば地元住民や市や県からどんなにお金を出されても受け取る事ができません。
これは日蓮正宗の信徒であるならば当然知っている事。かつて信徒であった浅井会長がこの事を知らないはずはありませんね、つまり分かっていてこのような発言をしたのはまさしくパフォーマンス以外何者でもありません。
では奉安堂は本当に安普請なのか?
今日、都内の仏教専門の古本屋にてこのような本を手に入れました
かつて正宗で出していたのですが、現在はなかなか手に入れる事が困難です。
基礎を打ち込んでいる写真です
更に
何本もの太い柱と制震ダンパーが備え付けられていますね。
そして厳重な大手銀行金庫並みの耐久性を持った電動扉です、これはまさしく蔵の形であり、御開扉は「内拝」という信徒のみに許されたしごくオープンでもなんでもない事なのです。
更に、正本堂の完工式と同じように竣工式も行われています
ここでは外部の来賓も招いて行われています。ここに「御本尊」と書かれていますが、もちろんこれは戒壇の大御本尊様の事ではありません。
何故かといえばその2日後に御遷座式が行われているからです
まさしくこれは正本堂の時と同じなのです。
顕正会が「神父を招いた!」と騒いでいるのはこの竣工式と同じで戒壇の大御本尊様が御遷座される前の事なのですね。
日有上人の化儀抄における
「法華宗の御堂なんどへ他宗門の人参詣して散供まいらせ花を捧ぐる事有り之を制すべからず、既に順縁なるが故なり、但し大小の供養に付いて出家の方へ取り次ぎ申して仏聖人へ供養し申せと有らば一向取り次ぐべからず、謗法の供養なるが故に与同罪の人たるべし。」(聖典九九三頁)
『化儀抄註解』日亨上人
「信謗の区別なき一般的なもので、順縁とも云ふべきであるから、禁制に及ばぬ、と仰せられるのである。」(富要集一―一五六頁)
つまり「他宗門の人が本宗のに参詣してくることはすでに順縁の一歩であるから、これを拒否してはならぬ、ただし、その参詣者を本宗信徒として扱い、その供養を御本尊に取り次ぐことは、謗法与同となるからいけない」という趣意ですね。 ここで冒頭に出てきた「顕正会で供養する」というのが出来ない事実に繋がります。
ちなみに昭和47年10月11日の冨士において
―巻頭言―
御遺命ついに曲らず
本部長 浅井昭衛
「事きわまって大聖人の御裁断は此処に下り給うた。大御本尊御遷座の九日前・九月二十八日ついに決着、ゆえに十月三日の聖教新聞の公式声明に云く「云々」と。また不信・謗法の来賓数千も大御本尊の御座所をついに踏み奉らず。御遺命の正義・本宗七百年の伝統は辛じて此処に死守せられた。」(中略)
十月十一日
また
「来賓の件については、落成式には招かず、建物が完成した時点の、御遷座以前に、建設に寄与した工事関係人、銀行等を集めて『完工式』を行なうことと決定された。ここに戒壇の大御本尊に対する不敬は辛(かろ)うじて防がれた」
「不信・謗法の来賓数千も大御本尊の御座所をついに踏み給わず、御遺命の正義・本宗七百年の伝統は、辛うじて此処(ここ)に死守せられた」(『冨士』第二百五十号)
しかし平成16年版諫暁書では
「池田は十月一日に行なった正本堂完工式において、なんとローマ法王庁から二人、米国から二人、計四人のキリスト教神父を招き、法要の最前列に座わらせていたのである。ノーベル平和賞を狙っての工作であった。
まさにこの穢れた正本堂に、戒壇の大御本尊は居(す)えられ奉ったのである。Wもし邪法の神父で穢した事実が妙信講の耳に入ったら重大なことになるW――これが隠密裡に御遷座を行なった理由(わけ)であった。戒壇の大御本尊に対し奉るこの背筋の凍(こお)るような不敬冒涜。私がこの事実を知ったのは、二年後の昭和四十九年夏であった。」
と述べています。昭和49年に知った・・とありますが、工事関係者や銀行の人であろうが信心をしていないのであれば同じ事でしょう。
ちなみに神父ではなく駐日バチカンの外交官であり、法服ではなくローマンカラーと背広です。
また招いたのでは無く、向こうからの参列希望があったからです。
なので来賓として、「外交官」という立場で来たのです。それにこの人達が外道の信仰をしていようが、折伏の意義からすれば全く問題のない話なのです。
だが改悔なき阿部は、こんどは正本堂の跡地に、しかも壊し残した基礎部分の上に、奉安堂という建物を建てた。
そして池田への見栄があったのでしょう、大きさだけは正本堂と同じ五千人が入れるという大きなものを造った。しかし中は体育館のような造りで、長椅子がズラーッと横に並べてあるだけ。にわか作りの安普請、見せかけだけの建物です。
更に
と、奉安堂では頼りない、顕正会がその費用を出すというパフォーマンスをしていますね。
しかし日蓮正宗では信徒以外の謗法の人からの供養は出来ないのです。
つまり、一般の人、例えば地元住民や市や県からどんなにお金を出されても受け取る事ができません。
これは日蓮正宗の信徒であるならば当然知っている事。かつて信徒であった浅井会長がこの事を知らないはずはありませんね、つまり分かっていてこのような発言をしたのはまさしくパフォーマンス以外何者でもありません。
では奉安堂は本当に安普請なのか?
今日、都内の仏教専門の古本屋にてこのような本を手に入れました
かつて正宗で出していたのですが、現在はなかなか手に入れる事が困難です。
基礎を打ち込んでいる写真です
更に
何本もの太い柱と制震ダンパーが備え付けられていますね。
そして厳重な大手銀行金庫並みの耐久性を持った電動扉です、これはまさしく蔵の形であり、御開扉は「内拝」という信徒のみに許されたしごくオープンでもなんでもない事なのです。
更に、正本堂の完工式と同じように竣工式も行われています
ここでは外部の来賓も招いて行われています。ここに「御本尊」と書かれていますが、もちろんこれは戒壇の大御本尊様の事ではありません。
何故かといえばその2日後に御遷座式が行われているからです
まさしくこれは正本堂の時と同じなのです。
顕正会が「神父を招いた!」と騒いでいるのはこの竣工式と同じで戒壇の大御本尊様が御遷座される前の事なのですね。
日有上人の化儀抄における
「法華宗の御堂なんどへ他宗門の人参詣して散供まいらせ花を捧ぐる事有り之を制すべからず、既に順縁なるが故なり、但し大小の供養に付いて出家の方へ取り次ぎ申して仏聖人へ供養し申せと有らば一向取り次ぐべからず、謗法の供養なるが故に与同罪の人たるべし。」(聖典九九三頁)
『化儀抄註解』日亨上人
「信謗の区別なき一般的なもので、順縁とも云ふべきであるから、禁制に及ばぬ、と仰せられるのである。」(富要集一―一五六頁)
つまり「他宗門の人が本宗のに参詣してくることはすでに順縁の一歩であるから、これを拒否してはならぬ、ただし、その参詣者を本宗信徒として扱い、その供養を御本尊に取り次ぐことは、謗法与同となるからいけない」という趣意ですね。 ここで冒頭に出てきた「顕正会で供養する」というのが出来ない事実に繋がります。
ちなみに昭和47年10月11日の冨士において
―巻頭言―
御遺命ついに曲らず
本部長 浅井昭衛
「事きわまって大聖人の御裁断は此処に下り給うた。大御本尊御遷座の九日前・九月二十八日ついに決着、ゆえに十月三日の聖教新聞の公式声明に云く「云々」と。また不信・謗法の来賓数千も大御本尊の御座所をついに踏み奉らず。御遺命の正義・本宗七百年の伝統は辛じて此処に死守せられた。」(中略)
十月十一日
また
「来賓の件については、落成式には招かず、建物が完成した時点の、御遷座以前に、建設に寄与した工事関係人、銀行等を集めて『完工式』を行なうことと決定された。ここに戒壇の大御本尊に対する不敬は辛(かろ)うじて防がれた」
「不信・謗法の来賓数千も大御本尊の御座所をついに踏み給わず、御遺命の正義・本宗七百年の伝統は、辛うじて此処(ここ)に死守せられた」(『冨士』第二百五十号)
しかし平成16年版諫暁書では
「池田は十月一日に行なった正本堂完工式において、なんとローマ法王庁から二人、米国から二人、計四人のキリスト教神父を招き、法要の最前列に座わらせていたのである。ノーベル平和賞を狙っての工作であった。
まさにこの穢れた正本堂に、戒壇の大御本尊は居(す)えられ奉ったのである。Wもし邪法の神父で穢した事実が妙信講の耳に入ったら重大なことになるW――これが隠密裡に御遷座を行なった理由(わけ)であった。戒壇の大御本尊に対し奉るこの背筋の凍(こお)るような不敬冒涜。私がこの事実を知ったのは、二年後の昭和四十九年夏であった。」
と述べています。昭和49年に知った・・とありますが、工事関係者や銀行の人であろうが信心をしていないのであれば同じ事でしょう。
ちなみに神父ではなく駐日バチカンの外交官であり、法服ではなくローマンカラーと背広です。
また招いたのでは無く、向こうからの参列希望があったからです。
なので来賓として、「外交官」という立場で来たのです。それにこの人達が外道の信仰をしていようが、折伏の意義からすれば全く問題のない話なのです。
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前に私もブログで取り上げましたが、700ガル以上の地震に耐えうる設計だと、大日蓮平成13年8月号に載っておりますね。
顕正会員さんは「浅井会長の言うことは何でも正しい」と即断せずに、しっかり検証してほしいです!
https://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/9617947.html