2018年08月24日
18切符で鹿島神宮と鹿島城
本来鹿島線の予定だったのですが、本数の少なさだけならいいものの沿線に何もなかったので神宮だけになりました。残りの時間は銚子に。
鹿島線は佐原駅の0番ホームという端っこの目立たないホームから出発します。基本的に成田線→鹿島線は一応連絡がされています、が逆はありません。鹿島線は微妙な時間帯に佐原駅について成田線を30分くらい待ってから出発する模様。
鹿島線は多くの川の上を走っていくため車窓の眺望はいいです。が特に沿線には小規模な温泉街があるくらいでそれ以外は何もなし。
鹿島駅周辺はかては水がそこまで来ており、湊があったような場所だそうですが、今は陸地。なので谷底みたいになってます。そこから上がって鹿島神宮まで、鹿島の町はすごく普通の田舎町。
鹿島神宮
鹿島にある神宮です。かつてはここ一帯まで香取海と呼ばれる巨大な内海があったらしく、その香取海の入り口にある鹿島神宮は要衝だったとか、なので地図にも昔の湊跡という文字がかなり内陸に複数見えます。土砂の堆積や干拓によって徐々に縮小して今の形になったそうです、でも鹿島神宮はずっとここにあります。鹿島線はかなり低い土地をずっと走っており、そのためかつての香取海の名残が見えるっちゃ見えるのかなぁ…私もよくわかりません。
藤原氏とも深いかかわりがあるようで、藤原氏の氏神でもあるとか。
鹿島神宮入り口付近。
拝殿(奥に本殿)…意外とあっさり。
奧宮までの道、森は深い、木は太い。
途中の鹿苑。
奥宮。
戻る道、こっちには誰も来ないのかいかにも地元民っぽい人が何人かいる程度。
宝物殿もあるそうですが休館中。
入口に戻る、入り口にはミニ博物館ココシカという事実上神宮資料館があります。見た感じかつてはもっと水が近くまで来ていたようです。
鹿島城山公園
堀。
現在残っているのは本丸跡のみ。
西側はかなーり高い。
基本的に駅側方面や西側はかなり高所なものの、南側の学校方面は同じ高さがあり明らかにそっちも城跡なんだろうと思ったら案の定で、小学校中学校高校のエリアは全部かつての鹿島城だった模様、さらにもっと高い位置にある神宮方面まで城だったとか。地形的に高地がゆるーく広がっている。
戦国末期に佐竹氏によってだまし討ちで城主が殺され落とされていたそうですが、江戸時代に佐竹氏が国替えになった後に鹿島氏が戻ってきたそうです。その後城としての形は徐々に失われていき、今は本丸だけ。
鹿島名物氏塚卜伝。剣豪らしいです。
卜伝の顔だし看板。
そのまま結局佐原まで戻り、そのまま銚子へ。
ちなみにこのエリアに入るとときわ路パスの広告が出てきます…これだと真岡線や鹿島臨海鉄道など茨城県全域の鉄道に乗れるフリーパス。
鹿島線は佐原駅の0番ホームという端っこの目立たないホームから出発します。基本的に成田線→鹿島線は一応連絡がされています、が逆はありません。鹿島線は微妙な時間帯に佐原駅について成田線を30分くらい待ってから出発する模様。
鹿島線は多くの川の上を走っていくため車窓の眺望はいいです。が特に沿線には小規模な温泉街があるくらいでそれ以外は何もなし。
鹿島駅周辺はかては水がそこまで来ており、湊があったような場所だそうですが、今は陸地。なので谷底みたいになってます。そこから上がって鹿島神宮まで、鹿島の町はすごく普通の田舎町。
鹿島神宮
鹿島にある神宮です。かつてはここ一帯まで香取海と呼ばれる巨大な内海があったらしく、その香取海の入り口にある鹿島神宮は要衝だったとか、なので地図にも昔の湊跡という文字がかなり内陸に複数見えます。土砂の堆積や干拓によって徐々に縮小して今の形になったそうです、でも鹿島神宮はずっとここにあります。鹿島線はかなり低い土地をずっと走っており、そのためかつての香取海の名残が見えるっちゃ見えるのかなぁ…私もよくわかりません。
藤原氏とも深いかかわりがあるようで、藤原氏の氏神でもあるとか。
鹿島神宮入り口付近。
拝殿(奥に本殿)…意外とあっさり。
奧宮までの道、森は深い、木は太い。
途中の鹿苑。
奥宮。
戻る道、こっちには誰も来ないのかいかにも地元民っぽい人が何人かいる程度。
宝物殿もあるそうですが休館中。
入口に戻る、入り口にはミニ博物館ココシカという事実上神宮資料館があります。見た感じかつてはもっと水が近くまで来ていたようです。
鹿島城山公園
堀。
現在残っているのは本丸跡のみ。
西側はかなーり高い。
基本的に駅側方面や西側はかなり高所なものの、南側の学校方面は同じ高さがあり明らかにそっちも城跡なんだろうと思ったら案の定で、小学校中学校高校のエリアは全部かつての鹿島城だった模様、さらにもっと高い位置にある神宮方面まで城だったとか。地形的に高地がゆるーく広がっている。
戦国末期に佐竹氏によってだまし討ちで城主が殺され落とされていたそうですが、江戸時代に佐竹氏が国替えになった後に鹿島氏が戻ってきたそうです。その後城としての形は徐々に失われていき、今は本丸だけ。
鹿島名物氏塚卜伝。剣豪らしいです。
卜伝の顔だし看板。
そのまま結局佐原まで戻り、そのまま銚子へ。
ちなみにこのエリアに入るとときわ路パスの広告が出てきます…これだと真岡線や鹿島臨海鉄道など茨城県全域の鉄道に乗れるフリーパス。
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