2017年05月07日
日吉の森庭園美術館へ
Googlemapを見ていたら偶然発見した施設。月に10日程度しか開いていないので、存在を発見してから半年程経過して日程が都合のいい日ができたのでやっとGO。
日吉駅より徒歩20〜30分程度の所にあります。バスも通っていますが、変なところ行くのが怖いので行きは歩き、帰りは目的地が日吉駅と明確なのでバスと言う事にして行ってみます。
基本的に田邊泰孝という人(田辺家12代目)の家を、そのまま美術館に使っているというもの。美術品自体を作っていた彫刻家は13代目の田辺光彰と言う人、2人とも故人。
話を聞くところによると、田辺家は徳川家の家臣の武士で、家康の関東行きの時についてきてそのまま30石5人扶持でこの地に土着したようで、そのまま明治以降は平民となり、戦後は農地が大幅に減ったもののここにずーっと住み続けたとか、倉は戦時中は空襲を避けるために茶色にしていたが現在は白に戻しているとか、色々な話を聞くことができました。
庭園、古民家(築150年、かつては茅葺きだが職人がいなくなり茅場もなくなったため板へ)、美術館(1室)で構成されています。美術館は1室で、ほぼ作品が外の作品のため、美術館内は製作まえに作られた模型がメイン。これをベースに大型化したものが作品として日本及び世界各地に置かれているとか。
倉には入れません。
なんか結果を見ると、横浜山の上美術館へいったときと似た経過だった感じです、会話の内容は結構違いますが。
日吉駅より徒歩20〜30分程度の所にあります。バスも通っていますが、変なところ行くのが怖いので行きは歩き、帰りは目的地が日吉駅と明確なのでバスと言う事にして行ってみます。
基本的に田邊泰孝という人(田辺家12代目)の家を、そのまま美術館に使っているというもの。美術品自体を作っていた彫刻家は13代目の田辺光彰と言う人、2人とも故人。
話を聞くところによると、田辺家は徳川家の家臣の武士で、家康の関東行きの時についてきてそのまま30石5人扶持でこの地に土着したようで、そのまま明治以降は平民となり、戦後は農地が大幅に減ったもののここにずーっと住み続けたとか、倉は戦時中は空襲を避けるために茶色にしていたが現在は白に戻しているとか、色々な話を聞くことができました。
庭園、古民家(築150年、かつては茅葺きだが職人がいなくなり茅場もなくなったため板へ)、美術館(1室)で構成されています。美術館は1室で、ほぼ作品が外の作品のため、美術館内は製作まえに作られた模型がメイン。これをベースに大型化したものが作品として日本及び世界各地に置かれているとか。
倉には入れません。
なんか結果を見ると、横浜山の上美術館へいったときと似た経過だった感じです、会話の内容は結構違いますが。
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