2021年11月10日
【冬の定番!】鍋料理のバリエーションが増える(o^^o)鍋料理の歴史と分類について
今年は、ラニーニャ現象で例年より寒くなると予想されています。
寒い時に、食卓に登場するのが『鍋料理』かと思います。
今回は、鍋料理の歴史と分類について紹介します。
鍋料理の歴史と分類を知ると鍋料理のバリエーションも増えるかと思いますので、参考にして下さい(^^)/
【目次】
1,鍋の歴史
2,柳原式鍋の分類
3,最後に
【鍋の歴史】
《なべの意味とは》
なべは「肴瓮(なへ)」の意味だといわれています。
肴はさかな、瓮は土焼きの「かめ」のことです。土焼きの器でものを煮たところから、「肴瓮」という言葉が生まれ、「堝」の字が当てられるようになりました。
時代が下ると、鉄器の普及によって金偏になり「鍋」という字が生まれたといいます。
『和名類聚抄』(日本初の漢和辞典 930年頃)では土篇の「堝」、金篇の「鍋」が書き分けられています。
囲炉裏端で、薪を焚きながらつるのついた鍋を煮炊きした時代は長く、鍋そのものが一つの世帯を意味していたと思われます。
鍋前で火床、調味、煮具合などを司る主婦はその座を揺るぎないものとし、「鍋座」「鍋代(なべしろ)」「女座」などのことばが生まれました。
いまの「鍋奉行」と同じ意味の言葉です。
《「鍋」が確立するまで》
炉裏端の鍋から、座敷に七輪や鍋を持ち出して食べるようになったのは、文化が爛熟した江戸時代後期です。
町家では、すすや煙がきらわれたことから台所と食事をする場が切り離され、火床は薪をたく囲炉裏から、木炭を用いるコンロへと変化しました。
そして塩や味噌が主体だった調味料にしょうゆやみりんが加わり、鍋はもとより、日本料理そのものが確立していきました。
囲炉裏にかける大鍋に対して、食卓に持ちだす鍋を「小鍋立て」といいます。
「小鍋膳立て」の略で、これが今にいう「鍋」です。
「小鍋立て」が出現した江戸時代は、「江戸の食い倒れ」ということばがあらわすように、庶民が食を楽しめるようになった時代です。
それが鍋の発展に拍車をかけました。
茶飯屋ではおでんのルーツ、田楽が煮込まれ、今のおでんの形に近くなったのもこの頃です。
また、湯どうふ店、あんこう鍋の店など、現在も残る鍋料理屋が創業しています。
そして、鍋がいっそう盛んになった理由が、牛鍋(すき焼き)の流行です。
日本においては仏教伝来以来、肉食が禁止されてきましたが、江戸幕府の長い鎖国政策に終止符が打たれて明治時代になると文明開化が叫ばれ、一転、富国強兵のために肉を食べることが奨励されたのです。
仮名垣魯文による『安愚楽鍋』(1871年)は当時の牛鍋ブームの情景を描き出しています。
庶民にとって一番身近な文明開化の象徴が牛鍋だったのでしょう。
こうして、囲炉裏の鍋からコンロを囲んでの団居(まどい)鍋が家庭料理として定着してくるのです。
【柳原式鍋の分類】
鍋は多種多様で、それぞれの性格を明らかにして分類することはむずかしいことです。
しかしその系譜を知らないと、それぞれの本当のおいしさを作り出すことができません。
そこで、植物分類法にならい、汁の特徴によって3つのグループに分類する「柳原式鍋物系統分類図」を考案しました。
《水鍋(水煮)》
だしを用いず、真水で炊くものを言う。
水炊きなど具から出るおいしいだしでいただくこのタイプは、各人が薬味や調味料で好みの味にして食べるので、料理初心者でも比較的失敗なく作ることができます。
《煮汁鍋(汁もの)》
味つけした汁(つゆ)で作る鍋で、人気の高いおでんや寄せ鍋など多くの鍋がこのグループに入ります。
《すき鍋》
鉄鍋を用い、濃い味に作った割り下や味噌だれで煮る鍋ものをいいます。
《柳原式鍋物系統分類図》
【最後に】
鍋料理は、大きく分けると3分類ですが、3つの分類から様々な鍋料理に分岐しています。
寒くて鍋料理が増えても飽きないように、いろいろな鍋料理を試してみて下さい。
今回のブログは、以上です。
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