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2015年09月30日

五木寛之の「青春の門」の感想(11)

(前回からのつづき)

信介たちが宿舎に近づいたとき、軍用トラックが
幾つか停車していた。
どうやら、武装した兵士が乗っているようだった。

信介、西沢、ジョンは覚悟を決めた。
キムがやってきて、「今夜8時に出発する」と
命令調で伝えてきた。
8時に集合した。
宿舎の前に車が3台止まっており、前の2台は
大型の乗用車、後ろの1台はトラックだった。
信介たちはトラックに乗せられた。

走っている途中で、前の乗用車は方向を変えた。
おそらくナホトカに向かうようだ。
信介たちのトラックは別の方向に向かった。

西沢が走っている途中で後ろの幌を上げると
後方に一台距離を開けて走っている。
西沢は伊庭敬介が助けに来てくれた、思った。

坂道でトラックのスピードが落ちたところで、
ジープが追い越し、トラックに停車を命じ、
覆面をした男が拳銃を突きつけ、運転手の兵士を
車から降りさせ、身体を縛りつけた。
そして、飛び降りた信介たちをトラックに再び載せて、
方向転換し、別の方向に向かった。

しばらく走った後、市街地に入り、
工場の廃墟の中に入った。
そこで信介たちはトラックから下ろされ、
建物の中の小部屋に入った。

覆面をした男たちは、覆面を取った。
伊庭敬介だった。

伊庭敬介は、仲間のバイカルとアムールを紹介した。
西沢は信介に一緒に帰国しようと説得したが、
信介は計画どおり、ソ連を抜けて
ポーランドを目指すと硬い意思を告げる。

信介は西沢とジョンに別れを告げて、
アムールと一緒にジープに乗り、
アニョータが待っている村へ出発した。
西沢とジョンは、伊庭敬介とバイカルに案内されて
ナホトカに向かった。
ナホトカから日本行きの船に乗る計画だ。

信介とアムールは村の手前でジープを降り、
急ぎ足で村へと向かう。
一軒家に着き、中に入る。アムールの家だった。
その後にアニョータが入ってきた。

信介は、アニョータに向かってなぜ君が
ここにいるのかと驚く。
アニョータは憤慨して、あなたたちを救出した
のはわたしよ、と今回の救出劇を理解していない
信介に苛立ちを表した。
アニョータは、救出の企てを信介に説明した。

信介たちが、駅と反対方向に連れて行かれる
ことを察知したアニョータは、伊庭、バイカルと
相談の上、3人の救出計画を立て、実行したと。

アムールは突然馬に乗ってアムール川に
行ってみようと持ちかけた。

信介は馬に乗ったことが無かったが、
アニョータに励まされ、二人の後について行った。
不思議と落馬はしなかった。

夜のアムール川に着くと、アムールはこの川で
自分は育ったと言い、地元に伝わっている歌を歌った。
信介は心に染み込むアムールの歌が、
どこか懐かしさを感じさせた。

アムールから信介も歌えと言われ、
その場の雰囲気から立原襟子が歌っていた
「江差追分」を歌った。
アムールとアニョータはいい歌だと褒めた。

その晩ベッドで寝ていると、田川のボタ山と母タエ、
塙竜五郎が現れ、いつしか少年時代に帰っていた。
夢の中で「織江!」と叫んだ時、
暖かいものが身体に触れた。
アニョータが、信介のベッドに滑り込んできた。
身に何も着けていなかった。
信介は想定外の行為に一瞬たじろぐが、
アニョータの大人びた動きに身を任せてしまい、
快楽の海の中に沈んでしまう。


(「青春の門」第八部風雲篇・連載第30回
「週刊現代」1994年4月9日36巻13号
通巻1784号)

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posted by フィロ at 09:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書

2015年09月11日

吉永小百合さんの平和論

週刊朝日8・21号(2015年)に掲載された
吉永小百合さんの「戦争はだめ、核もだめ」を読んだ。

吉永さんは映画作品に出演して、戦争の愚かさと
平和の尊さを認識できたと語っている。

吉永小百合1.jpg


吉永さんが平和への想いを強くしたのは、「ヒロシマ・
ノート」や「あゝひめゆりの塔」、「夢千代日記」に
出演し、心を動かされたことのようだ。

ヒロシマ、ナガサキは一瞬にして都市と市民が
破壊された。ジェノサイドと言える悲劇だ。


沖縄戰は、住民を巻き込んだ総力戦となり、住民の
4人に一人が犠牲となる悲劇が起きた。
男性は現地徴用され、女性は特に女学生たちは看護部隊
として兵士の看護に従事し、米軍に追い詰められた時、
多くの女学生が自害した。所謂沖縄の悲劇だ。

また小百合さんは東京大空襲の直後に生まれ、食べる物
も無く、母乳も出ないので味噌汁をふくませるように
して飲まされた、とある。
東京大空襲は10万人以上が亡くなり、東京は一面
焼け野原となった。

幼少期の思い出や戦争作品の出演などで、その悲惨と
悲劇の痛みが、心に深く刻まれたと思う。

このような恐ろしい戦争を二度と起こしてはならない
想いが平和への行動に繋がっていると感じられる。

小百合さんは原爆詩の朗読を続けており、「第二楽章」
という題で本やCDで出版されているようだ。
是非一度、聞いてみたい。

吉永小百合2.jpg


吉永小百合さんの平和論は、戦争の悲惨さ、恐ろしさを
知った上で、内から発している。
言葉の重みを感じることができる。

吉永小百合さんは、有名な一女優さんとしてしか、
見ていなかったが、今回の週刊誌のインタビュー記事を
読み、これほど熱い平和主義者とは知らなかった。

単純と言われるかもしれないが、小百合さんのファンと
なってしまった。

posted by フィロ at 07:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書
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旅行が好きで、1年に2〜3回ぐらい旅行(温泉)に出かけています。それ以外の趣味として、読書、映画、音楽、海を見ることなど。
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