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2015年11月05日

五木寛之の「青春の門」の感想(最終回)

(前回からのつづき)

信介はアムールの家(ソ連ハバロフスクの地)で農園の手伝いをしながら
出発の日を待っていた。
朝と夕方、馬に餌を与え、馬小屋を掃除し、そしてアムール川に
3頭の馬を連れて行き、洗う。
昼間と夜は、アニョータからロシア語の特訓を受けた。
アニョータがロシア語に力を入れたのは理由があった。
信介がこれからシベリアを抜け大陸を横断してヨーロッパに
行くためには、どうしてもロシア語が欠かせなかったからだ。
夜のロシア語が終わると、二人はベッドでこの先の不安をかき消す
かのようにお互いの体を求めあった。
このような生活が数ヶ月経ち、寒さも和らぎ始めた頃、
突然、伊庭敬介がバイクに乗って現れた。
二人は再開を喜んだ。
信介は、西沢とジョンの行方が気になっていたので、伊庭に聞いた。
二人は今頃ナホトカから日本に無事帰国している頃だという。
それを聞いて信介はほっとする。 
伊庭は手紙を信介に渡した。
そして、長居すると危険だと言いながら、信介と抱擁した後に
バイクで去っていった。
手紙は西沢とジョンからのだった。
西沢の手紙には、「無事ナホトカに着き、密航船を待っている。
親友伊庭が生きていたので、北海道から離れ、
郷里でゆっくり過ごす。
影之原の愛人カオルさんに惚れたみたいだ」と。
最後に「希望を持ち続け、迷ったら前へ進め」と締めくくっていた。
ジョンの手紙には、シベリアの様子が分かり、勉強になったと。
今回の危険な横断が、ジョンの旅行の話がきっかけになったことで
責任を感じている。また会えたら徹夜で話を聞かせて欲しいと
結ばれていた。
その夜、アムールが信介に家族と一緒に食事をしようと声をかけた。
信介はアムールにいつ出発だ、と聞く。
あす朝だ、と答えた。
半年がかりの旅に出る。毎年商売のために旅に出ているという。
大陸横断するために、途中で別の信頼できるグループに
信介とアニョータを渡すと。
アムールから今夜は早めに寝るように言われたが、
信介とアニョータは明日が出発と聞いて、眠れなかった。
アニョータは信介の部屋に入ってきて、ベッドの中へ体を
滑り込ませ、アニョータの太ももが信介の足に絡まった。
アムール家の農園の生活も終わる寂しさもあり、
二人は身体を合わせ、燃え、闇の中に吸い込まれていった。

  ・・・・・・・・・・・・・・・

信介は未だ自分というものが掴めていない成長過程だった。
大学生の頃も、学生運動に流され、ヤクザの世界に流され、
北海道でも西沢の活動にひきずられ、とうとうシベリア
までたどり着いた。
ジョンに触発され、ヨーロッパまで大陸横断するという決意は
できたが、目的は未だ分からない。
他方、男として、女性遍歴も重ねた。
幼なじみの織江と愛し合ったが、カオル、ミドリ、襟子、
アニョータと惹かれていった。
一人の女性だけを愛することは、信介にはできなかったようだ。
信介は今後どのような人物に成長していくのか気になるところだ。
残念ながら、著者の五木寛之は、ここで一旦筆を置き、
伊吹信介と同じシベリアを辿る必要性を感じたという。
その取材を終えた後、構想を新たに執筆を再開するので、
期待して欲しいと。
しかし、「風雲篇下巻」は見つけられていない。
続編を執筆したかどうかも不明だ。
そういう訳で、このブログの「青春の門」も終了とする。
これまでブログ「青春の門感想」を読んでいただいた方には
感謝したい。


2015年10月09日

日光鬼怒川温泉旅行

10月6日〜7日の一泊二日の日程で、「日光鬼怒川温泉」に行って来た。
天候が気になっていたが、二日間ほぼ晴天で、天気にも恵まれた。
宿泊ホテルは日光鬼怒川「あさやホテル」だったが、11時半ごろには、
日光に着いたので、日光東照宮に行くことにした。
駐車場は空いていたので楽に駐車できた。

境内に入ると、杉の大木が現れた。
日光東照宮の威厳を示しているようだ。


杉の大木1−1.jpg

訪れている観光客が多い。どうやら学校の修学旅行、社会見学などで
来ている団体だろうか。

多くの観光客1−1.jpg

現在、東照宮は平成の大修理工事中のため見ることができない
建物(陽明門、本殿入口部分など)もあり、その点は残念だった。

工事中の日光東照宮1−1.jpg

有名な「聞かざる、言わざる、見ざる」が彫られている神厩舎を見つけた。


厩舎1−1.jpg

上の飾り彫りに「聞かざる、言わざる、見ざる」をあらためて見た。
猿は馬を護るといういわれから彫られているようだ。


きかざる・いわざる・みざる1−1.jpg

この言葉は、いろいろな意味に解釈できる。
ついつい心の中で考えてしまう。

本宮に足を向けた。


御本社1−1ー1.jpg

本宮に入った天井の梁の上に国宝の「眠り猫」があるというので、
見つけて写真を撮った。


眠り猫1−1.jpg

左甚五郎の作で、家康を祀る奥宮の入口を護るといわれている。

家康を祀っている御宝塔。


徳川家康が祀られている塔1−1.jpg

三神庫の扉が開けてあった。祭りの道具が保管されている。


神輿が収納されている宮1−1.jpg

鳴き龍がある「薬師堂」に行く。

鳴龍薬師堂1−1.jpg

お坊さんが拍子木を持ち、鳴き龍を説明していた。
鳴き声は、龍の顔付近以外では、大きな音を立てても鳴かず、
顔の下で拍子木を打つと、何とも言えない鳴き声が響いてくる。
よく作られている。

隣に輪王寺があり、境内の木は紅葉しつつあった。


輪王寺の紅葉1−1.jpg

日光東照宮を後にして、日光猿軍団を見に行くことにした。
TVでも見ていたので、日光に行ったら、見に行きたいと
思っていた。
到着したときは客も少なく、駐車場はガラ空きだった。
それでも観客は30名から40名ぐらいいたように思う。


日光さる軍団正面1−1.jpg

入場料を払い、中に入ると、猿が3〜4m先の小さなお宮に行き、
観音開きドアを開け、おみくじを取ってくるというパフォーマンスを
やっていた。
見ていると面白い。


おみくじをとってくるお猿さん1−1.jpg

開演まで時間があるので、それまで会場の外舞台で猿のパフォーマンス
を見せてくれた。


猿軍団のパフォーマンス1−1.JPG

会場内でも猿のパフォーマンスは楽しかった。
学校の教室を模しての猿生徒の授業をやっていた。
単なるお笑いだが、面白い。
撮影禁止だったので、写真は撮れなかった。
駐車場から出る際、観光バスが3台入ってきた。
結構人気があるのだなと思った。

このあと、宿泊先の鬼怒川温泉「あさやホテル」に向かった。
午後2時半ごろ到着したが、会員ということで、チェックインが
できた。駐車場は到着が早かったせいか空いていた。

中居さんに案内されて、部屋で丁寧な説明を受けた。
「あさやホテル」は大きい。ホテル内は中央部に
吹き抜けがあり、天井12階まで抜けている。


ホテル中央部は天井まで吹き抜け1−1.jpg

早速、温泉に入る。先ずは一階の大浴場に入る。


秀峰館紅葉の湯.jpg

広くて清潔で湯が綺麗だ。
残念ながら外の景色はあまり見えない。

次に屋上にある「天空の露店風呂」に入った。


空中庭園露店風呂3.jpg

写真はHPに載せてある夜の風景だ。
夜も空の星を眺めながら入ったが、気持ちが良い。
昼間も申し分ない。眼前に蒙木山が迫る迫力があり、そして
日光の山々を見ながら、温泉に入る快適さは別格だ。
地上の極楽を感じる。
屋上の露店風呂は日替わりで、男湯と女湯が変わる。
なかでも良かったのは、鬼怒川の川下り観光に使用する
船を屋上の露店風呂にしている文字通りの湯船だ。
檜ではないが、木の香りがする。
肌にも優しい。
このお風呂はお薦めだ。

もう一つの天空露店風呂は寝湯もできるようになっていた。


空中庭園露店風呂2.jpg

お風呂を終えると、楽しみの夕食だ。
ブッフェ食(バイキング)を選んだ。

一人一人テーブルに案内してくれる。
早速料理を取りに行くが、種類が多い。百種類以上あるとのこと。
先ずは、美味しそうなものをチョイスした。


ビュッフェで食事1−1.jpg

その後、カニを食べたり、ステーキなど少しづつ食べた。
ビーフシチューは、納得の行く美味さだった。
和風カレーは人気メニューだったので、食べたが美味かった。


和牛カレー1−1.jpg

満腹だ。それでもデザートとしてアイスクリームを食べた。
われながら貪欲だなと感じる。

寝る前と朝に天空の露店風呂に入った。
清潔で湯はとても綺麗、そして眺めは良く。最高だ。
何度でも入りたくなる。

朝食もブッフェ(バイキング)で、美味しく頂いた。
どうしても満腹まで食べてしまう。
料理の美味しさに理性は負けてしまう。

10時半にチェックアウトし、あさやホテルを後にした。

満足感が十分に得られるホテルだった。

posted by フィロ at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行

2015年09月30日

五木寛之の「青春の門」の感想(11)

(前回からのつづき)

信介たちが宿舎に近づいたとき、軍用トラックが
幾つか停車していた。
どうやら、武装した兵士が乗っているようだった。

信介、西沢、ジョンは覚悟を決めた。
キムがやってきて、「今夜8時に出発する」と
命令調で伝えてきた。
8時に集合した。
宿舎の前に車が3台止まっており、前の2台は
大型の乗用車、後ろの1台はトラックだった。
信介たちはトラックに乗せられた。

走っている途中で、前の乗用車は方向を変えた。
おそらくナホトカに向かうようだ。
信介たちのトラックは別の方向に向かった。

西沢が走っている途中で後ろの幌を上げると
後方に一台距離を開けて走っている。
西沢は伊庭敬介が助けに来てくれた、思った。

坂道でトラックのスピードが落ちたところで、
ジープが追い越し、トラックに停車を命じ、
覆面をした男が拳銃を突きつけ、運転手の兵士を
車から降りさせ、身体を縛りつけた。
そして、飛び降りた信介たちをトラックに再び載せて、
方向転換し、別の方向に向かった。

しばらく走った後、市街地に入り、
工場の廃墟の中に入った。
そこで信介たちはトラックから下ろされ、
建物の中の小部屋に入った。

覆面をした男たちは、覆面を取った。
伊庭敬介だった。

伊庭敬介は、仲間のバイカルとアムールを紹介した。
西沢は信介に一緒に帰国しようと説得したが、
信介は計画どおり、ソ連を抜けて
ポーランドを目指すと硬い意思を告げる。

信介は西沢とジョンに別れを告げて、
アムールと一緒にジープに乗り、
アニョータが待っている村へ出発した。
西沢とジョンは、伊庭敬介とバイカルに案内されて
ナホトカに向かった。
ナホトカから日本行きの船に乗る計画だ。

信介とアムールは村の手前でジープを降り、
急ぎ足で村へと向かう。
一軒家に着き、中に入る。アムールの家だった。
その後にアニョータが入ってきた。

信介は、アニョータに向かってなぜ君が
ここにいるのかと驚く。
アニョータは憤慨して、あなたたちを救出した
のはわたしよ、と今回の救出劇を理解していない
信介に苛立ちを表した。
アニョータは、救出の企てを信介に説明した。

信介たちが、駅と反対方向に連れて行かれる
ことを察知したアニョータは、伊庭、バイカルと
相談の上、3人の救出計画を立て、実行したと。

アムールは突然馬に乗ってアムール川に
行ってみようと持ちかけた。

信介は馬に乗ったことが無かったが、
アニョータに励まされ、二人の後について行った。
不思議と落馬はしなかった。

夜のアムール川に着くと、アムールはこの川で
自分は育ったと言い、地元に伝わっている歌を歌った。
信介は心に染み込むアムールの歌が、
どこか懐かしさを感じさせた。

アムールから信介も歌えと言われ、
その場の雰囲気から立原襟子が歌っていた
「江差追分」を歌った。
アムールとアニョータはいい歌だと褒めた。

その晩ベッドで寝ていると、田川のボタ山と母タエ、
塙竜五郎が現れ、いつしか少年時代に帰っていた。
夢の中で「織江!」と叫んだ時、
暖かいものが身体に触れた。
アニョータが、信介のベッドに滑り込んできた。
身に何も着けていなかった。
信介は想定外の行為に一瞬たじろぐが、
アニョータの大人びた動きに身を任せてしまい、
快楽の海の中に沈んでしまう。


(「青春の門」第八部風雲篇・連載第30回
「週刊現代」1994年4月9日36巻13号
通巻1784号)

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






posted by フィロ at 09:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書

2015年09月11日

吉永小百合さんの平和論

週刊朝日8・21号(2015年)に掲載された
吉永小百合さんの「戦争はだめ、核もだめ」を読んだ。

吉永さんは映画作品に出演して、戦争の愚かさと
平和の尊さを認識できたと語っている。

吉永小百合1.jpg


吉永さんが平和への想いを強くしたのは、「ヒロシマ・
ノート」や「あゝひめゆりの塔」、「夢千代日記」に
出演し、心を動かされたことのようだ。

ヒロシマ、ナガサキは一瞬にして都市と市民が
破壊された。ジェノサイドと言える悲劇だ。


沖縄戰は、住民を巻き込んだ総力戦となり、住民の
4人に一人が犠牲となる悲劇が起きた。
男性は現地徴用され、女性は特に女学生たちは看護部隊
として兵士の看護に従事し、米軍に追い詰められた時、
多くの女学生が自害した。所謂沖縄の悲劇だ。

また小百合さんは東京大空襲の直後に生まれ、食べる物
も無く、母乳も出ないので味噌汁をふくませるように
して飲まされた、とある。
東京大空襲は10万人以上が亡くなり、東京は一面
焼け野原となった。

幼少期の思い出や戦争作品の出演などで、その悲惨と
悲劇の痛みが、心に深く刻まれたと思う。

このような恐ろしい戦争を二度と起こしてはならない
想いが平和への行動に繋がっていると感じられる。

小百合さんは原爆詩の朗読を続けており、「第二楽章」
という題で本やCDで出版されているようだ。
是非一度、聞いてみたい。

吉永小百合2.jpg


吉永小百合さんの平和論は、戦争の悲惨さ、恐ろしさを
知った上で、内から発している。
言葉の重みを感じることができる。

吉永小百合さんは、有名な一女優さんとしてしか、
見ていなかったが、今回の週刊誌のインタビュー記事を
読み、これほど熱い平和主義者とは知らなかった。

単純と言われるかもしれないが、小百合さんのファンと
なってしまった。

posted by フィロ at 07:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書

2015年08月19日

五木寛之の「青春の門」の感想(十)

(前回より続き)

老婦人は信介に近寄り、娘アニョータの父親
(日本人)が書いた日本語の「断想録」を渡し、
その内容を聞かせて欲しいと言った。
それは一冊のノートに書かれていた。
断想録には断片的にその時々の重要なことが
記されていた。
父親は伊藤信一、出身は九州熊本、旧満州の関東軍
に徴兵されていた。
1945年夏にいきなりソ連軍が旧満州に攻め込み、
ポツダム宣言受諾と同時にソ連の捕虜となった。
それからシベリアの抑留生活を送った。抑留生活で
過酷な労働と共産主義教育を受けていたが、
結核で倒れ、入院中にアニョータの母と恋愛し、
そのままシベリアに残り、妻、娘、妻の母親の
4人でひっそりと暮らしたとある。
アニョータは父親から日本語を習得したため、
流暢な日本語が使えた。
妻やその母親はソ連政府を恨んでいた。
妻の家族はウクライナに住んでいたが、
原発設置のため、村の住民全てが一枚の命令書で
シベリアに強制移住させられた。
家族4人でひっそり暮らしていたところへ、
ソ連のKGBがやってきて、伊藤信一にソ連の
スパイとして帰国しろと圧力を掛けてきた。
繰り返し圧力を受け、伊藤は自殺に追い込まれた
と理解されるような記述があった。
娘を愛していた父親は、アニョータを日本へ連れて、
美しい日本の風景と大和の寺院や郷里の阿蘇外輪山、
草千里を見せたいと書かれていた。
そのことをアニョータに話すと、アニョータは
泣き崩れた。
父親はやはりKGBに殺されたと泣きながら話した。

ハバロフスクに到着した時、スミルノフ将軍から
シベリア計画について協力するかどうか、
返事するよう要求されていた。
西沢はその期限を敢えて送らせた。
とうとうスミルノフ将軍から返事の催促があり、
返答することになった。

スミルノフ将軍の部下のキムが迎えに来て、
車で会談の建物に案内された。
そこには、一緒にハバロフスクに渡った
影之原他一行全員が出席していた。

西沢の結論は、(スミルノフ将軍が画策している
シベリア独立に)協力できない、という断りだった。
西沢はシベリアの件は胸にしまい、北海の件は
関わらない、と話した。
その上で、日本へ帰国させて欲しいと要望した。
同席した影之原は、「君たちだけが、帰ればよい」
と言った。
西沢と信介はどういう意味か、と尋ねた。
キムは立原襟子を指し、この人はニコライエフスクの
町に行って親戚の人を探すことになったと。
スミルノフ将軍は、沈黙を守るなら、直ぐに
帰国させるが、もし守らなかったら、
立原襟子を強制収容所に送ると。
信介はキムに「それでは人質」ではないかと言った。
ところが、襟子は「喜んで人質になる」と発言した。
襟子は、帰国よりもニコライエフに住んでいる
父方の親戚に興味があるようだった。

帰国のための出発は今夜八時と決まった。
西沢は、スミルノフ将軍は甘くない。
これから何か起こると予言めいたことを話した。
信介も無言で頷いた。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
感想:

ソ連が1945年8月9日に中立条約を一方的に
破棄し、日本植民地の満州国へ奇襲攻撃を
開始したことは、よく知られているところである。
関東軍は、この攻撃を知り、満州移民の開拓民を
置き去りにし、南へ撤退した。
これにより、多くの満蒙開拓民(日本人)が殺害され、
生き残った者は、多くが、シベリアに抑留(捕虜)
となり、酷寒の地で飢えと寒さと厳しい労働により、
多くが倒れていった。
シベリア抑留の悲劇だ。

その抑留の中で、地元の女性と結婚し、
その地で暮らし、帰国しない日本人も
いたことは、知らなかった。
五木寛之の小説の中の記載であるが、事実として
あったことは、容易に想像できる。

スミルノフ将軍のシベリア独立計画が、実際に会ったか
どうかは、疑わしいところだが、興味深い。



(「青春の門」第八部風雲篇・連載第30回「週刊現代」
1994年3月5日36巻8号通巻1779号)

posted by フィロ at 16:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書

2015年07月25日

山梨の源泉かけ流し「湯めみの丘」を堪能

山梨にある「湯めみの丘」温泉に行って来た。
源泉かけ流しの温泉と聞いて期待した。
場所は甲府市の西、甲斐市にある。
駐車場は100台収容能力がある。


駐車場

車を駐車場に停め、早速玄関に入る。

玄関アプローチ

入ると、下駄箱そして直ぐにフロントがあり、
ロビーも小ぢんまりしている


ロビー
(HPより)

フロントで手続きをして早速浴場に向かう。

その前に、ご承知かも知れないが、「湯めみの丘」
温泉の概要を説明しておこう。

入場料:大人700円
    (クーポンを持参すれば、600円に。)

泉質:ナトリウムー塩化物泉
源泉温度:44.3度
湧出量:500ℓ/分
pH: 8.0
特徴:透明、塩味、鉱物臭少々
効能:神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、疲労回復
   慢性消化器病、ほか


浴場入口

内湯は5種類ある。
先ずは、中温風呂40度


中温風呂
(HPより)

浴槽は広くて、湯も綺麗だ。温度も丁度良く、
気持ちよかった。

高温風呂(42度)と超高温風呂(46度)は
パスした。

次に露天風呂に行った。


露天風呂
(HPより)

源泉かけ流しの岩風呂だ。
少し硫黄臭を感じるが、それほど気には
ならなかった。
外は、甲府市内が一望でき、甲府盆地を
囲む山々がパノラマ状に見える。
客も少なく、貸切状態で楽しめた。
泉質であろうか、湯に漬けると肌が
スベスベする。いわゆる美肌の湯と
言えるかも。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
温泉に浸って感じたこと。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

いい湯だった。
岩風呂に一人入って眺望を楽しんで
感じたことは、平和の尊さだ。
もし、ミサイルが日本に、あるいは
東京でテロが起きたら、温泉気分も
吹っ飛ぶかもしれない。

今、国会では安保法案が27日から
参議院で審議される。
安倍政権は、何としても成立させるようだ。
国会の外では、多くの市民、著名人、
学者、各種団体が安保法案反対を
叫んでいる。
安倍首相は全く民意無視の様相だ。
集団自衛権を実行すれば、間違いなく
戦争への第一歩になるだろう。

武力ではない、平和を念願してやまない。


posted by フィロ at 16:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 温泉

2015年07月02日

五木寛之の「青春の門」の感想(九)

(前回より続き)

カオル、西沢、信介の3人は、郊外の一軒家に
到着した。
カオルが西沢と信介を案内した。
出迎えたのは、伊庭のロシア人妻ガリーナだ。
殺害されたはずの伊庭敬介も現れて,
西沢との再会を果たす。
今回の渡航の第一目的が、伊庭敬介が
本当に生きているかの確認だった。

伊庭は西沢に、これまでの経緯を説明した。
北海道で暴力団に消されたという話は
公安が流したことや、影之原に会って、
ハバロフスクで活動することになったことなど。
その活動がシベリアの「極東共和国」(幻の共和国)
と聞いて、驚く。

伊庭は、西沢に説明する。モスクワが冷戦下で
最終兵器の核爆弾を成功させるために、
シベリアで開発と実験を続け、シベリア住民が
その犠牲になったと。モスクワにとってシベリアは
ゴミ捨て場であると。
ロシアの英雄スミルノフ将軍は、モスクワから
排除された。
シベリアで暮らしているうちに、シベリアを
愛するようになった。
そしてシベリアを守るため、「幻の共和国」の
樹立を考えるようになった。
伊庭の妻ガリーナも核実験の被爆者だった。
西沢は混乱した。親友の報復をしようとした
敵対集団の中に、伊庭が仲間として入っている。
しかし西沢は、「極東共和国」は馬鹿げている
として賛成できなかった。
ハバロフスクで伊庭と合わなければ良かったと、
心で感じるのだった。
宿舎に戻ると、キムとバイカルが待っていた。
これからバイカルが重要な場所に案内するという。

40分ぐらい走ったところで車は停車した。
日本人墓地だった。
シベリア日本人抑留者の墓地だった。
キムは、ソ連が戦争犠牲者を丁寧に扱い、
墓地を作っていることを理解してもらうためと、
案内した理由を説明した。
ジョンの説明では、日本人強制連行の数は
65万人、ソ連領内の死者は5万5千人にも
上るという。
信介は埋葬地の数はと尋ねた。
墓地は分かっているだけで、七百八十ヶ所
あるという。  
キムは、今後の日本との関係改善のために、
日本人墓地の整備は進めて行く必要があると。

信介は、墓地の中に老婦人がいることに気づいた。
行って話をすると、会わせたい人がいるという。
迷惑をかけないから「一人で来てください」と。
そして紙切れを渡された。
その夜、紙に記載された家を尋ねた。
歩いていける距離だった。
ドアから出てきたのは、宿舎の料理場で
働いている黒い髪の若い娘だった。
「こんばんは」と日本語で迎えてくれた。
中に案内され、墓地で会った老婦人が出てきた。

(つづく)

ーーーーー  ーーーーーー  ーーーーー

(感想)

シベリア独立運動は、歴史に刻み込まれて
はいない。小説の世界に過ぎないのか。
歴史裏の出来事としては、興味深い。
シベリア抑留は悲惨を極めた史実として
知られている。忘れてはならない事実だ。

甚大な悲劇はアメリカ軍との戦争で、そして
ソ連軍との戦争でも起きた。
戦争は人類に対する犯罪だ。
一部の国家権力者によって引き起こされる。
その意味でも立憲主義、国民主権、基本的人権、
平和主義、民主主義は、市民の力で
守り抜かなければならない。
それができなければ、国家権力により、
市民は圧殺され、民主主義は消え失せて
しまうだろう。
その先は、戦前と同様の全体主義国家だ。
国民・市民が国家を監視できなければ、
いつの間にか、独裁体制を招来することになる。

今、国会で安保法制案が審議されているが、
その根幹の集団自衛権は憲法違反である。
憲法を形骸化させてはならない。
それはすなわち民主主義と基本的人権を
崩壊させてしまうからである。


(「青春の門」第八部風雲篇・連載第25回
「週刊現代」1994年1月29日36巻3号
通巻1774号)



posted by フィロ at 11:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書

2015年06月30日

日帰り人工温泉・岩盤浴の「阿伎留の四季」

あきる野市に岩盤浴温泉施設があった。
秋川駅から徒歩8分ぐらいの所にある。
秋川郵便局の裏側の位置にある。


施設外観

駐車場もあり、40台ぐらいは停められ
そうだ。


1階ロビーは落ち着いた雰囲気だ。

ロビー

料金は最初に支払うが、色々なプランがある。

         平日料金      土日祝日料金
       一般    会員    一般   会員
基本料金   900   850   950  900

90分コース 600   550   650  600

岩盤浴   1400  1300

(温泉+岩盤浴)

3時間コース1600  1500

1日コース 1900  1800

色々なコースがあるが、今回は
90分コースを選んだ。
ついでに会員になり、会費200円と
入浴料金550円の計750円を支払う。

平日であったため、客はそれほど多くはない。

岩盤浴は1階で、浴場は2階にある。
早速2階に上がる。


階段

浴場入口だ。

浴場入口

内湯は、「檜湯」、「ジェット・マグナムバス」
「備長炭水風呂」、「高温サウナ」がある。
早速、「檜湯」に入った。
広くて湯がとても綺麗。
入っていると仄かな檜の香りがする。


檜湯

「ジェット・マグナムバス」に入り、
ジェットマッサージを楽しむ。


ジェットマグナムバス

露天風呂に行く。
湯の色が”青白湯”だった。
人工の硫黄温泉で、泉質は
草津、別府、玉川温泉と
同様と看板案内があった。


岩風呂

岩風呂になっており、とても気持ちが良い。
塩素臭もなく、”青白湯”を楽しめた。

「寝湯」があった。
少しぬるめの湯で、体感温度では38度
ぐらいと感じたが、デジタル温度計表示
では、39度とあった。
青空を見ながら浸かっているとぬるさは
それほど感じなくなっていった。

露天風呂に併設されている「海洋深層水ナノミスト」
(蒸し風呂)に入ってみた。


海洋深層水ナノミスト

中は以外と広く、9人が同時に利用できる。

汗をかいたところで、身体をベンチで休めた。

シャワーを浴びて、高温サウナに入った。
タワーサウナになっており、中は広く、
TV付きだ。


サウナ

汗を洗い流して、「備長炭水風呂」に
入った。


備長炭水風呂


入る瞬間は冷たく感じるが、一旦入ってしまえば、
肌がなじみ、爽快感が出てくる。

もう一度、「檜風呂」に入った後、浴場を
後にし、「お休み処」に向かった。


お休み処入口

中に入ると、TV付きのリクライニングと畳の和室が
あった。


お休み処

中は広く、多くの人が利用していたが、それでも
空いているシートはあった。
ゆっくり身体を休めることができた。



「阿伎留の四季」は、日帰り温泉で、
岩盤浴が目玉商品のようだ。
今回は、温泉の方を選んだが、十分に
楽しめた。
岩盤浴の方は、「バドガシュタイン鉱石浴」、
「ミストランド浴」、「古代塩釜低温サウナ」
などがあり、岩盤浴の好きな方は、十分に
楽しめるようだ。

これまでの温泉スパと少し異なる点は、
露天風呂に入っていると癒しのクラシック
音楽が耳に入ってくる。
温泉とクラシック?
しかし、これが実に調和している。
言い換えれば、こころが和むのである。

いい湯だった。
  

posted by フィロ at 13:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 温泉

2015年06月26日

山梨の絶景露天風呂「みたまの湯」の実感

6月24日に天気が良いので、山梨の
温泉に向かった。

「みたまの湯」は山梨方面では、
人気ランキング一位とある。

むしろそれよりも、絶景露天風呂に
期待した。

中央道「甲府南IC」でおりて10分ぐらい
で到着した。

駐車場は平日でもあり、空いていた。
「みたまの湯」は、標高370mの丘陵高台
にある。
駐車場からも甲府市内が一望できる。


駐車場

駐車場は145台の収容能力があるので、広い。

施設に向かう。


正面玄関

玄関を入って下駄箱に靴を入れる。
100円コインが必要だ。出すときに
返却される。


下駄箱

フロントで受付を済ませる。

フロント

料金は、大人 770円で、良心的な料金だ。

入浴場に向かう。


入浴入口

通路の奥が入口だ。

更衣室では、ロッカーの利用でコイン100円
が必要なので用意した方が良い。
利用後に返却される。

ここで、「みたまの湯」の天然温泉の内容を
紹介しておこう。

泉質:アルカリ性単純温泉
湧出量:198ℓ/分
泉温: 44.9度
pH値: 9.0

湯の色相:透明感のある茶褐色
茶褐色の理由は、約100万年前の植物から
溶け出した天然有機物によるものとのこと。

茶褐色の天然温泉は珍しくない。

早速、身体を洗い、浴室に入った。
内風呂と窓越しの外の風景が目に飛び込む。


内風呂
(HPより)

内風呂は、高温と低温の二つの湯があった。
高温は体感温度で41度ぐらい。高温といっても
それほど高くは感じなかった。
低温は39度ぐらい。

浴場内のガラスは展望ができるように、大きな
ガラス窓になっていた。内湯からも外の景色が
楽しめる。

次に期待の露天風呂に入ってみた。


露天風呂
(HPより)

露天浴槽は二つあった。一つは屋根付きだった。
雨の日でも露天風呂が楽しめるようだ。

眼下には甲府盆地が広がっていた。
天上の露天風呂と言えば、言い過ぎかな。
とにもかくにも、すがすがしく、気持ちが良い。
絶景を見ながら、湯に浸かる心地よさは
何とも言えない。
これで入館料770円は安いと感じた。
客は、平日でもあったので、混まず、ゆっくり
入れた。

サウナに入ってみた。
タワーサウナで中は広い。
TVは付いていなかった。
2分〜3分で汗が噴き出してくる。


サウナ
(HPより)

サウナを出て、水風呂に入る。
入る瞬間は冷たく感じるが、
入っていると、冷たさはなくなり、
爽快感が出てくる。

「みたまの湯」の絶景露天風呂は、
期待を裏切らないパノラマ展望の
露天風呂だ。素晴らしい。
ただ、気になったことは、一つだけあった。
それは、源泉風呂の塩素臭だ。
そんなに強くないが、気になった。

行かれる人のために、マップを
載せておこう。


マップ
(HPより)



posted by フィロ at 10:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 温泉

2015年06月01日

東京お台場 大江戸温泉物語(温泉 +α の楽しみ) 

お台場「大戸温泉物語」に行くため、
豊洲から”ゆりかもめ”に乗り、
”テレコムセンター”で下車した。
初めて乗車したが、空いていて
快適だった。


ゆりかもめ

わずか12分間の乗車だ。
無人運転で、先頭車両の
一番前は自由に座れるように
なっており、眺めが良く、
特等席だった。
お薦めの席だ。

テレコムセンターから「大江戸温泉物語」
までは、歩いて3分ぐらいで到着した。


大江戸温泉付近

敷地に入るところに、門の代わりとして
灯篭がおいてある。
なかなか”粋”だ。


灯篭


灯篭を抜けると、正面に「大江戸温泉物語」
の建物が迫ってくる。


大江戸温泉物語正面

正面ドア、中に入る。

入口

下駄箱に靴を入れ、受付に向かった。

受付

受付は広く、11時オープンまでに
20人ぐらい待っていたが、直ぐに
受付まで流れ、それほど待つことは
なかった。


ロビー

入館料金は少し高い。
平日   2,480円
土日祝日 2,680円
浴衣、フェイスタオル、バスタオルは
料金に含まれている。

支払いは、リストバンドで後払いに
なっている。

浴衣は、3〜4種類の中から選べる。
浴衣を受け取り、着替えるため
更衣室に行く。

着替え室入口

着替えた後、更衣室を出ると、
世界が変わった。
タイムスリップしたかのようだ。
お江戸の街が広がっていた。


広小路

ラーメン店、蕎麦、うどん、寿司、和食料理、
中華、韓国料理、駄菓子、ゲーム などが
軒を並べている。
一日いても楽しめそうだ。


お店街

お江戸の街を見て回った後、浴場に向かう。
入口でフェイスタオルとバスタオルを
受け取る。

洗い場はすべて衝立があり、安心して流せる。

温泉は、地下1400mから汲み上げている。
泉質:  ナトリウムー塩化物強塩温泉
     (高張性・弱アルカリ性温泉)
水素イオン濃度:pH7.5

早速、内湯の天然「大江戸温泉」に入ってみた。
少し高い位置にある。
色は褐色で半透明の源泉だ。


大江戸温泉
(HPより)

やや熱めだ。しかし、気持ちが良い。
その向かい側にある「百人風呂」に
入ってみた。


百人風呂
(HPより)

「百人風呂」と言うだけあって、広い。
とても気持ちがいい。

露天風呂にも入ってみた。


露天風呂
(HPより)

開放感があり、広いので、落ち着く。
癒しの空間だ。
少し雨が落ちてきたが、さほど気に
ならなかった。

お腹が空いたので、浴衣に着替えて、
料亭「川長」で
食事した。


料亭川長
料理

上品な味で美味い!
また、生ビールが格別だ。
一時の極楽だ。

ゆっくり食事を楽しんだ後、また浴場に
行き、源泉や露天風呂、寝湯、サウナなど
を楽しんだ。
女性風呂には、桶風呂があるが、男性用には
無い。
男性用にも欲しいところだ。

更に紹介しておきたいゾーンは、
”足湯”だ。
「大江戸温泉物語」の”足湯”はスケールが
大きく、公園風になっており、
他では経験できない、施設だ。

足湯

風呂の種類は10種類ぐらいあった。
これだけあれば、十分楽しめる。


帰りは、無料のシャトルバスを利用した。

シャトルバス

東京駅(八重洲口)までのが出ている。
ただし、出発時間が限られているので、
事前に時刻表で確かめておいた方が良い。

時刻表

「大江戸温泉物語」は、料金が高いので
いつも行くという訳にはいかない。
でも、行くと入館料に見合う楽しみが
待っている。
温泉も塩素臭が無かったので良かった。


来館者は、外国人(欧米人、アジア人)が
結構多かった。
また、若い人たち、特に女性が多かったように
見受けられた。

一度は行ってみる価値はあると思える。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

久しぶりに「東京近郊日帰り温泉ランキング」を
公表したい。
このランキングは、あくまでもわたしの体験による
個人感覚で総合評価したものだ。
一つの参考になれば幸いである。

ランキング



posted by フィロ at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 温泉
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旅行が好きで、1年に2〜3回ぐらい旅行(温泉)に出かけています。それ以外の趣味として、読書、映画、音楽、海を見ることなど。
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