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2024年10月17日

真偽の程は定かではないが

落下傘整備中隊の中隊長ドライバーの仕事は特にない。
演習時に中隊長の移動をお手伝いし、身辺のお世話をする係のようなモノだ。
冬なのだが、もの凄く雨の降っている時に富士の演習場で検閲があった。
その時はドライバーという係は有り難いと思った。
ジープに乗っているので、雨風に晒されることはない。
但し面倒なのは、宿舎に到着すると、中隊長の身辺のお世話をしなければならない。
特に小姑のような専任陸曹が、私の行動を細かく指摘する。
指摘というのは、小言であったり体罰であったりだ。
検閲後に私は中隊長のドライバーは免除された。
向いていないと思われたのだろう。





それでも、大型免許持ちの私は、毎月上番する駐屯地警備の車両担当として勤務することになった。
駐屯地警備とは、駐屯地の門の脇にある隊舎に、各部隊から毎日交替で駐屯地の警備にあたる隊員を指す。
朝8時だったか、他の中隊の隊員から引き継ぎを受けて、24時間の警備に当たる。
駐屯地の警備は駐屯地の縄線と言われる警備用の線に沿って歩哨が歩いて警備する。
門を通過する人を掌握し、訪問者があれば、それに対応する。
一番の任務は、駐屯地司令である陸将補が門を通過するときに、隊舎の全員が捧筒をする時だ。
駐屯地司令付の人から警備隊に連絡が入り、成田街道に歩哨が立つ。
駐屯地司令の自動車が見えたら、警備隊長に報告し、整列。
これが上手く行かないと、下番した後に警備隊長以下が厳しく原隊の中隊長に指導を受けるのだ。





ドライバーの私は食事の受け取りなどで整列しないことが多かった。
ドライバーになる前は、私も歩哨に立って駐屯地の周りを歩かされた。
日中も退屈なのだが、陽が落ちて真っ暗になると、先輩隊員のお遊びTimeが始まる。
トイレットペーパーを投げて脅かしたりするのだ。
最初は驚くが、慣れてしまうと、今度は驚く演技が面倒になる。
歩哨も一日3,4回就くので、景色を覚えてしまう。
先輩隊員の隠れている場所など、直ぐに検討が就いてしまう。
警備隊は二カ所に別れて詰め所がある。
陸士長以上の先輩隊員は、武器庫警備の詰め所に気淫夢する事が多くなる。
武器庫は土手のように土が盛ってあり、その中に詰め所がある。
こちらでも2時間周期に交替で歩哨に立つ。
男ばかりの世界である。
歩哨に立った隊員がトイレに入ってなかなか出てこない。
何をしているのか?
そう、自慰行為をしていることも珍しくはないのだ。
私はドライバーとして警備隊に勤務すると、最初の仕事は飯あげだ。
つまり、量飾版から昼食、夕食、朝食を小型の牽引車で運搬するのだ。
正門前の詰め所と武器庫の詰め所にジープで回って届ける。
飯上げ以外の時間は、演習場の巡回だ。
真夜中に演習場に入り込んでくる民間人が居ないかを警備しているのだ。
当時、成田街道には千葉の田舎の暴走族が幾つか存在していた。
こんな話を聞いたことがある。
暴走族が数十台のバイクで駐屯地内に入り込んで駐屯地内で暴走したそうだ。
警備隊から非常呼集のラッパが鳴り、蜂の巣を突いた様に木銃を持った隊員が集まってくる。
正門は警備隊が鎖と門で族を逃がさない。
暴走族なんて空挺団の隊員から見ると正に子供。
流石に殴る蹴るは加減をしたが、数人の愚か者を引っ捕らえた。
真偽の程は定かではないが、警備にその族の処遇が任されたそうで、3トン半にバイクと族数名を乗せて、演習場まで連れて行ったそうだ。
そして素っ裸にして逆さづりにして暫く眺めていたそうだ。
族の陰部はチジミ上がり、しかも包茎だったらしい。
私もその現場に立ち会いたかったと、当時は思ったモノだ。
8時に別の中隊の警備の隊員が来て、引き継ぎを行う。
下番した私はジープを洗車して営内でゆっくりと睡眠だ。
11時頃に起床して、食堂で昼食を摂って午後は補給整備の御仕事に戻った。



2024年10月16日

今月から郵便料金が値上げされた

今月から郵便料金が値上げされた。
また、自宅から一番近い郵便局の営業時間が来月5日から変更になるそうだ。
郵便事業は既に経費節減の為に土日の配達業務を行っていない。
郵便局には郵便事業と貯金・保険事業がある。
郵便事業は平日9時から17時まで。
貯金・保険事業は9じから16時までらしい。
しかし、11月5日からは12時から13時までの一時間は休止時間となるようだ。
昼休みの時間帯に休止時間とするのはいかがな物かと思う。
一般の企業も12時から13時までがお昼休みだ。
普通、その時間帯に私的な郵便などを行うのだが、その時間帯に業務を休止するらしい。
正直、そんなサービス業は淘汰されて当然に思った。





11月に年賀葉書が発売されるが、今年で年賀終いにする人が殖えるのは当然の流れだ。
私も今年で年賀葉書は終いにする予定だ。
年賀葉書にシールでメールアドレスや自分のサイト、SNSなどのQRコードを印刷しようかと考えている。
今のExcelなどでは住所やサイトのアドレスをQRコードに変換する事が出来るみたいだ。
年賀状も値上がりして企業も慣行廃止する状況で、ますます郵便事業は衰退するだろう。
今でもスマートホンのアプリでは話すだけでテキストが出来てしまう。
もう、紙媒体での通信は不要な時代なのかも知れない。



自訓は朝が早い

自訓は朝が早い。
8時には演習場内の自動車訓練場に入っていなければならない。
駐屯地から演習場までは専用のトラックで移動する。
季節は1月だ。
習志野の冬は東京よりも寒い。
自訓には習志野駐屯地の隊員だけが訓練に参加するわけではない。
松戸の補給隊の陸曹も参加している。
初日に班分けがされ、松戸の陸曹も私と同じ班になった。
習志野の駐屯地では、階級意識が異常に強く、序列も一日入隊日が速ければ先輩である。
しかし、他所の部隊の場合はかなり緩いらしい。
直ぐに打ち解けて、仲良くなれた。





自訓の訓練は座学と自動車教習になる。
特に体力を使う事は無いはずだが、やはり自衛隊である。
何か教官の気に入らないことがあると、鉄拳が飛んでくるし鞭で打たれる。
自衛隊で大型のトラックを運転するために、教習車を使うのだが、ギアチェンジの練習やダブルクラッチの練習は、最初は教習車では無くゴーカートのような座席とハンドルとギアチェンジレバー、ブレーキとアクセル、クラッチの付いた練習機で訓練をする。
自訓のトラックはかなり新しい自動車なので、クラッチの操作でダブルクラッチなど必要ない。
しかし、自衛隊の中にはかなりの年代物があり、ダブルクラッチをしないとギアが入らない物もあるらしい。
私の場合、自動車の運転自体が初めてなので、とにかく覚えることばかりだ。
最初の一ヶ月近くは教習所内のコースの中を走る。
一般の教習所と全く変わりはないと思うのだ。
S字カーブやクランク、坂道発進などが出来るようになるまで繰り返す。
ただ繰り返すだけでは無く、失敗すると鉄建や鞭が飛んでくるのだ。
ある程度慣れてくると、訓練生のみで教習所のコースを走り、自己練習を繰り返す。
路上に出る前に、試験がある。
私は何とか一発でこの試験に合格できた。
しかし、私は大型の車の車幅に慣れるにはもう少し時間が必要だったと思う。
路上訓練はどこの班も訓練生は鼻に詰め物をして帰ってくる。
中には路上から演習場の教習コースまで走って帰ってくる隊員もいた。
私も教官の裏拳で何度も鼻に詰め物をして帰ってきた口だ。
路上の訓練ももうすぐ終わりになる時期、狭い成田街道を走っている時に私は宴席にタイヤを擦ってしまった。
脱輪だ。
すかさず教官はハンドルを奪い、正常な進路に戻すと裏拳が飛んできた。
見極めの試験で無かったが、かなり厳しく叱られた。
そんなこんなで路上の見極めにも一度で合格できた。
後は筆記試験だけだった。





座学は毎日行われていた。
自動車教習の教範は一般と同じだ。
毎日読み込んで、ほぼ暗記状態だった。
筆記試験は千葉の警察署に行って受けるのだが、私はかなり余裕で満点合格だった。
大型免許は18歳で普通免許を取得してから3年後に受験資格が出来る。
最短21歳で大型免許を取得できるのだが、自衛隊は18歳でも取得可能なのだ。
そして、私は19歳で大型免許を手にした。
しかし、隊員の中には合格できない隊員もいた。
最初に仲良くなれた松戸の陸曹もその一人で、結局三回も筆記試験を受けていた。
早い物で、三ヶ月にわたる自動車教習訓練も終わった。
最終日には津田沼の飲み屋でで教官も含めて宴会を行った。
原隊に戻った私は、補給整備士の教育を受けながら、先輩隊員から部隊のトラックの運転の教育を受けた。
そして、6月に中隊長のドライバーに上番する事になった。
中隊長社はジープだ。



2024年10月15日

私は原隊に戻った

私は原隊に戻った。
私は落下傘整備中隊に配属されていた。
当時、落下傘整備中隊には、包装小隊、補給整備小隊、重物降下小隊の三つがあった。
新隊員は最初は包装小隊で落下傘のパッキング、包装を習得する。
こうした部隊毎の特殊な技術をMOSと言い、MOS訓練を約一ヶ月で習得する。
包装小隊でのMOS教育は、60式落下傘と60式改落下傘の放送技術を学ぶ。
どちらの落下傘も大きさは同じだ。
張索の数も一緒、ただ違うのは、傘体の一部にスリット(風が抜ける穴)が空いていることと、傘体の縁にネットが付けられていることだ。
空挺団の落下傘は、演習などで使用された後に、補給整備招待が演習場から落下傘を改修する。
改修された落下傘は、乾燥塔という場所に吊されて濡れている落下傘を乾燥させる。
そして傘体に入り込んだゴミ(演習場に生えている草木など)を取り除き、破れなどの損傷を確認する。
これは補給整備招待の仕事だ。
そして問題が無い落下傘を包装小隊の作業場所に置く。
包装小隊は、落下傘を手中通りに包装(パッキング)するのだ。
包装された落下傘は倉庫の棚に格納され、訓練校かで配布するまで保管される。
包装された期日と誰が包装したかを落下傘に付帯している履歴簿に記載される。
落下傘は包装されてから三ヶ月か半年で使用期限を迎え、使われなかった落下傘は再点検、再包装される。
落下傘の材質は総てナイロンだが、湿気は厳禁で火気も厳禁である。





落下傘の包装は、梱包台と呼ばれる長い台の上で行われた。
落下傘を縦に伸ばせる長さの台だ。
伸びきった落下傘を張索を一本一本落下傘に空気を入れるようにして畳む。
そして畳まれた落下傘を蛇腹状に装着帯に押し込んで行く。
特定の力が加わると切れる紐で落下傘結びで梱包部分を閉じる。
装着帯の肩部離脱器などの動作確認を行い、履歴簿に日付と名前を記入して、検査係の陸曹に報告する。
このパッキングが疎かになると、重大な事故に繫がるので、包装工場内の空気はいつもピリピリしている。
私はMOS教育の最中に何度も教育係の陸曹に殴られた。
緊張が足りないとのことだった。
包装小隊で三ヶ月ほどして、私は自動車訓練教育隊に教育訓練に行かされた。
包装小隊から補給整備小隊に転属するためだ。





補給整備小隊では、落下傘の配布・回収でトラックの運転をしなければならないので、運転免許を必要とするのだ。
習志野駐屯地の自動車訓練教育隊は習志野の演習場内に
ある。
通称自訓だ。
そこでは、三ヶ月で大型免許を取得する事が求められる。
私は原付免許すら持っていない。
それがいきなり大型免許を、それも三ヶ月で取得しなければならない。
陸上自衛隊の一任期は2年だ。
免許取得目的で入隊する人も居るらしいが、一任期目で自訓に通えるひつは少ないそうだ。私は勤務先が落下傘整備工場から演習場内の自動車訓練場に変わった。



2024年10月14日

胸には銀の空挺記章を付けていた

空挺教育隊は、通称馬小屋と呼ばれる隊舎にある。
空挺教育隊の科目は私が知っているのは、基本降下訓練、自由降下訓練、レンジャー訓練の三つだ。
基本降下訓練は、落下傘を自動開傘させる為の自動索の付いた落下傘で、輸送機やヘリコプターなどから降下する為の訓練を行う。
自由降下訓練は、フリーフォールと呼ばれるモノで、高高度の飛行機やヘリコプター等から降下して、高度計を見て自己判断で開傘して地上に降りる訓練だ。
レンジャー訓練は、各種想定の任務を完遂する訓練だ。





基本降下訓練は、地上訓練と効果等訓練、飛び出し塔訓練、実機からの降下訓練などがある。
また、空挺団特有の体力検定に合格しなければならない。
屈み跳躍(教官が屈んだ姿勢と跳躍した時の姿勢を見て、納得しないとカウントにはならない)75回だったか、1分以内に終了させるとか、鉄棒での懸垂(胸まで身体を持ち上げるのだが、教官が見て納得しないとカウントにならない)を20回以上行うとか、腕立て伏せ(教官が地面と隊員の間に手を入れて、教官が認めた回数だけをカウント)を50回だったかを行うとか、かなりキツい項目に合格しなければならない。
体力検定は基本降下訓練の間に何回か行われるが、基本的に一回目の検定では合格しない。地上訓練の基本は体力の増強だ。
また、地上訓練で着地方法を徹底的に行う。
降下して地上に接地したときの受け身の練習だ。
両足を揃えてつま先、体側部を接地させる様に脛、大腿部、臀部、体側部、最後に両足が浮き上がるようにして倒れ込む。
とにかく、この受け身を徹底的に行う。
次に落下傘の制御動作の訓練。
落下傘の装着帯を付けて、訓練用の器具に吊される。
そして腕力のみで、空中姿勢を想定して操縦索を引く。
教官がどの操縦索を引っ張るのかを指示する。
この訓練は腕力が無いと全く出来ない。
空挺降下は、当時は川崎C-1と言う輸送機で行われていた。
その輸送機から飛び出す事を想定した訓練が飛び出し塔訓練だ。
人間が一番恐怖を感じる11メートルの高さに飛び出しの設備が作られている。
高さを感じさせる為か、直ぐ側に杉の木が植えてある。
飛び出し塔の訓練は、飛び出す時の姿勢を見られる。
飛び出した後は、滑車で滑りながら着地点まで行く。
私は高所恐怖症だったので、飛び出し姿勢が悪く、お化けなどと言われて、他の隊員より多く、訓練が出来た。





実降下の前に、降下塔訓練がある。
80メートルの高さまで落下傘を開いた状態でつり上げられて、落下傘で降下する訓練だ。
飛び出し塔も怖かったが、降下塔の訓練も怖かった。
私は二階くらいしか体験しなかったが、吊り上げられて落下傘で降りる途中、下から教官が指示を出して来るので、それに従って落下傘を操作する。
そして、着地するときの受け身がキチンと出来ていないと、やり直しだ。
降下塔の訓練が終わると、最後は実降下訓練だ。
実降下は最初は何も持たずに降下をする。
合計3回か5回の降下をする。
だんだん装備を増やして行き、最後は重武装で実降下訓練を行う。
降下した後は、演習場で突撃演習を行い、部隊に帰る。
空挺団では、最後の基本降下訓練が終わると、駐屯地の部隊全体で祝福する。
駐屯地司令に敬礼して訓練は終了する。
実降下訓練の前日、教官は我我に8o映像を見せてくれる。
其れは、米軍の空挺部隊が降下に失敗して死んでしまうような映像だった。
落下傘が開かずに地面にめり込んでしまった米兵を、スコップを担いで掘り出しに行く。
落ちた米兵は、足が胴体にめり込んで瀕死の状態だ。
明日、初降下の新隊員には恐怖を倍増させる映像だ。
私は基本降下訓練を終えて、晴れて空挺隊員になった。
胸には銀の空挺記章を付けていた。



2024年10月13日

1980年3月21日に陸上自衛隊に入隊した

私は1980年3月21日に陸上自衛隊に入隊した。
教育隊は34普通科連隊の板妻駐屯地だ。
板妻とは、御殿場市にある。
東京生まれの東京育ちの私には、正に陸の孤島という感じだった。
高校生の頃、部活動で体躯会計だったので、体力には多少の自身が有ったが、走るのが得意では無かった。
富士山の近くの御殿場という土地は、私には富士山からの傾斜が続いているように思えた。つまり、傾いている様に感じるのだ。
毎朝6時に起床ラッパで目を覚まし、直ぐに点呼を行う。
板妻は新隊員の前期教育隊として配属されたのだ。
走ることに慣れていなかった私は、入隊後直ぐに怪我をした。
足首を捻って捻挫してしまったのだ。





新隊員は基本教練と戦闘訓練。
具体的には、基本教練では行進すること、戦闘訓練では偽装と突撃の野外訓練が主な訓練だった。
座学では、自衛官の心構えは64式の小銃の分解・結合を目隠しをして規定時間内に行う試験を受けさせられた。
体力の等級もあり、指定の等級に合格しなければならなかった。
腕立て伏せや腹筋、鉄棒の懸垂、屈み跳躍等は問題なく基準以上だった。
ただ、1500メートルを5分以内に走りきるのは苦手だった。
自衛隊では、武道の必修もある。
銃剣道と徒手格闘(日本憲法)だ。
新隊員の前期教育では、徒手格闘は型のみ、銃剣道もパンヤを木銃で刺突するだけだった。新隊員の前期教育の期間は約三ヶ月行われる。
前期教育隊では、本当に基本的な事しかやらなかった気がする。
教育隊で二ヶ月もすると、このまま板妻駐屯地で後期教育を受けるか、別の部隊に転属するかの希望を聞かれる。





私は特にこの駐屯地でも良いと思っていたが、教育隊長の推薦で別の部隊に転属する為の適性試験を受けることになった。
丸い円盤の矢印を自動車のハンドルのような物で避ける試験や、色盲の検査、身体検査のような事も行った。
前期教育が終わる5月の下旬に、試験の結果を教育対象から告げられた。
私は習志野駐屯地に転属になった。
6月に転属だ。
前期の教育中に、自衛隊では、北富士の演習場で総合火力演習というのを見学に行った。
3t半という幌付のトラックの荷台に数十人の新兵が乗って、北富士演習場まで行き、総合火力演習を見学に行った。
総合火力演習は一般の人は予約抽選でしか観ることが出来ない。
自衛官の親族は特別に翔太曰くがあった。
私は母と姉をその招待枠で呼んでいた。
新兵と言えど、自衛官の教育で見学できるのは良かった。
総合火力演習とは、自衛隊の保持する武器の実弾を使って行う模擬演習だ。
戦車や機関銃、無反動砲などの武器の実弾射撃は凄い。
川崎C-1と言う輸送機が上空を飛んで行った。
それから直ぐにヘリコプターが降りてきて、そこから自衛官が降りてきて小銃やロケットランチャーなどを打ちまくる。
暫くすると、先ほど上空を通過した川崎C-1から降下した落下傘を付けた自衛官が降ってきた。
陸自最精鋭の空挺団の登場だ。
ナント、空挺団は習志野駐屯地に居るそうだ。
そう、私は6月から落下傘で飛び降りる部隊に転属になったのだ。
高所恐怖症の私には、最も似合わない部隊だと、その時思い、後悔もした。
1980年6月21日、私は御殿場から習志野に向かって電車で移動をした。


2024年10月11日

理想という妄想から覚めない危険な状態

最近の人間について考えた。
今の西側の人間は共通して現実逃避している。
例えば、自分は女性に産まれたとする。
女性の生き方に不満を持つと、女性という肉体の現実から逃避して、自分は男だと思い込む。
そして、肉体をも手術で改造してしまう。
その逆もしかりだ。
男性という事を思い込みで否定し、肉体は男性のままで女性の領域に踏み込む。
女性の優遇された領域に踏み込む為の思い込みだ。
結婚という制度にも不満を持つと、夫婦別姓等と言い出し、合理性を主張する。
しかし、どれも総て現実逃避の行動に過ぎない。
性差は個々人の意識の問題では無く、生き物としての宿命だ。
受け入れるしかない。
結婚という制度は、古からの人間社会での粗差異を避けるための手段で在り、しきたりである。
結婚の目的は男女間の感情的な問題では無い。
第一に、嫡子をもうけて子孫繁栄をする事が第一にある。
つまり、世界のどの国でも、結婚は嫡子をもうける為に行う。
現在の様な現実逃避を行う様になったのは、1948年に統一国家(国連)が時年宣言を行った事に端を発している。
人権宣言は、個々人の生きる事に権利という形の無いモノを与え、権利という言葉で現実から逃避する思考感染を行ったのだ。
たった76年で人権宣言に倣った国家の大半の国民が現実逃避の行動を起こしている。
現実逃避とは、理想という出来ない事を、さも出来るように思い込み、それを周囲に押しつける事だ。
76年という時間は、人間の世代で言うと4世代から6世代の世代交代が行われている。
人間の現実逃避の思考感染が顕在化したのは、2000年辺りだと私は記憶している。
この頃には、殆どの先の大戦で実際に闘った世代はこの世を去った。
戦争という現実、生きるために耐えなければならない現実を経験している世代がこの世を去った節目の年なのかも知れない。





この頃からハラスメントという言葉が世界中に広まっていった。
また、レイプという言葉も、アメリカの映画を切っ掛けに世界中に広まった。
最初はセクシャルハラスメントという言葉が、世界中で飛び交い、女性のヌード写真や静的なイメージを持つモノに対して、激しく攻撃する社会風土ができはじめた。
以前は生命保険会社は、必ずヌードのカレンダーなどを粗品として配っていたが、それがパッタリと無くなった。
1970年代からウーマンリブとか、フェミニズムという現実逃避的な運動が世間を騒がせた時もある。
しかし、一過性の運動として、社会に然程影響を与える事は無かった。
私の感覚的なモノだが、2000年を境に、世界中で人間関係が疎遠になった感がある。
気軽に異性に接触すれば、セクシャルハラスメントと咎められ、ヘタをすると社会的制裁に遭う。
本音と建て前という概念も通用しなくなった。
人間の本性というモノは、決して清らかなモノでは無く、汚い麺がある。
しかし、この頃から本音以外を認めない風習が広がっている。
息苦しい社会の始まりだ。
さて、60代の私も戦争を全く知らない。
正に現実逃避の世界で生き、育ってきた世代なのだ。
そんな世代の私でさえ、2024年の世界は異常だと思うのだ。
現実逃避の代表は何と言ってもアニメーションだ。
2000年以降、ライトノベルという素人の小説を漫画家する事が流行りだした。
「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品もその一つだと記憶している。
このライトノベルの作風は、世界観である。
「涼宮ハルヒの憂鬱」は正に主人公が現実世界に不満を持っているが為に、色々な世界に影響を与えるというモノだ。
宇宙人、未来人、異世界人などあらゆる世界からの干渉を受けながら、SOS団なるお遊びクラブを続けて行くのだ。





こうしたあり得ない世界観を題材にするライトノベルがアニメ化され、話題になった。
2011年に東日本大震災が起こった。
その頃から、現在の異世界転生の物語が乱立する様になった。
現実世界では、不幸な師を遂げた主人公が、異世界に転生して様々な問題を都合良く現れる仲間達と協力して解決して出世する。
現在アニメ化されている「転生したらスライムだった件」や「本好きの下克上」などは、正にそうした類いのライトノベルである。
そして、共通して言えるのは、10年近くも長く続く長編になっていることだ。
異世界というご都合主義の世界で人生をやり直して成功して行く。
正に現実逃避の決定版とも言える。
統一国家(国連)が行った人権宣言という思考感染の実験は、76年で現実逃避という本来在ってはならない思考を人々に植え付けてしまった。
夢幻を現実のように思い、そして実現できるとする生き物として間違った思考が、現代世界では、標準的な思考になってしまっている。
理想という妄想から覚めない危険な状態だ。



2024年10月10日

解散後の選挙期間中は、海外、特に極東の安全保障状況には要注意だと思う

今日、国会では党首討論が行われている。
その後に衆議院の解散を行うそうだ。





自民党政権は、いい加減、終わりにしないと日本の未来はウクライナと同じ道を行くことになる。
ウクライナは、ユダヤ人に乗っ取られたと言っても良い状況だ。
2014年からユダヤ人のウクライナ国内での反政府運動がロシア系のウクライナ人の虐殺へと発展した。
其れを阻止しようとロシアがクリミア半島を制圧してロシア系の住民を救った。
8年間の沈黙の中、NATOの拡大計画に乗って、2022年2月にユダヤ人の大統領のジェレンスキーがロシアに戦いを挑んだ。
EUは現在、ユダヤ人に乗っ取られている。
ドイツは40年近く前からナチスの泰を掲げる運動が顕在化しており、フランスでは悪魔崇拝とも思えるようなオリンピックを開催した。
ロシアとウクライナの戦争は、明らかにロシアの優勢であるのだが、西側諸国は世界中にデマを流し、ロシア劣勢と言い続けてきた。
経済制裁を行えば、ロシアは数ヶ月で戦争継続能力が無くなると西側諸国は居ていたが、結果、2年半以上経った現在、ロシアの経済力は西側の其れを大きく上回る成長を遂げた。当初、ウクライナは2014年に奪われた領土奪還を全面に押し出し、力による現状の変更を許さないと世界中にそのスローガンを宣伝して、西側諸国の支援を招き入れた。
西側諸国の経済的軍事的な支援を受けて、ウクライナは領土奪還の兆しが見えたのか?
全く見えていない。
それどころが、国内の民間人を総て戦争に送り出し、おびただしい戦死者を出してしまった。
そして国民の居なくなったウクライナの地に、続々とユダヤ人が入り込んできている。
これは偶然なのか?
2014年のウクライナのユダヤ人による内乱から今日までのユダヤ人によるウクライナの侵略だったと思えて成らない。
現ウクライナ大統領は戦時という事で、選挙を行わずに任期が切れたまま大統領を続けている。
実におかしな話しだ。
このユダヤ人の大統領は、大統領就任以来、ユダヤ人の影の力でウクライナという国を乗っ取ったのだ。





今、イスラエルという国は、中東で戦争を始めて消えようとしている。
いくらアメリカや西側諸国が支援しても、勝てない戦争になっている。
そのイスラエルのユダヤ人の受け入れ先がウクライナになるように思えて成らない。
日本では、前の首相の岸田文夫は日本人であるか判らない。
現在の石破も日本人であるか判らない。
理由は、朝鮮人や中国人は日本国内に帰化した場合、通り名を使えるからだ。
ウクライナの大統領のように、民族主義の人間が国を乗っ取り、元いた国民を皆殺しにして、国を統べて奪うことは、日本でも起こりうる事なのだ。
例えば、選挙中に台湾有事を引き起こし、選挙が出来ないと無理矢理理屈付けして、自民党が政権を維持し、戦時内閣として憲法を勝手にいじり、人絹を無視する軍事国家になる可能性が無いとも言えない。
今回の解散については、明らかに外圧である。
解散後の選挙期間中は、海外、特に極東の安全保障状況には要注意だと思う。



2024年10月09日

Twitter(X)では、れいわ新撰組の投稿で溢れている

本日、夕方から参議院でれいわ新撰組の山本太郎の総理への質問があった。
https://www.youtube.com/watch?v=WCy_3vJUoCM
実に痛快で、的を得た内容だった。
堪える石破首相や各大臣は想定問答の読み間違いを注意するしか出来なかったようだ。
先ず、能登震災への自民党政権の対応のいい加減さを、誰にでも判るように説明してくれた。
次に、経済対策への問題として、消費税の廃止についても、その必要性を分かり易く語っていた。
最も痛快だったのは、自民党、立憲民主党共に滅んでくださいという下りだ。
特に立憲民主党のやる気の無さを、わざわざ山本太郎の部屋まで行って、パフォーマンスは止めろと説得に来た立憲民主党の無様さには、呆れたの一言しか出なかった。
今、Twitter(X)では、れいわ新撰組の投稿で溢れている。
次の選挙では、間違いなく大きな風が服と信じている。
れいわ新撰組が日本の再起の最後のチャンスだと、総ての日本国民に訴えなければと思った。



電気設備安全点検訪問が来た

電気設備安全点検訪問が来た。
数日前に、訪問点検が来ると前触れのチラシがポストに入っていた。
それが今日だとはすっかり失念していた。
チラシには9時から12時という事だった。
インターホンが鳴っていたので、外を見ると、訪問検査員が来ていた。




説明によると、屋外の点検と屋内の点検があるそうだ。
直ぐに点検に入って貰った。
屋外の点検後、屋内の点検を始めていた。
具体的にはブレーカーの点検である。
漏電やブレーカーの故障などの点検をしてくれた様である。
この点検はどの程度の頻度でしてくれるのかを聞いてみた。
すると、4年に一度しか来ないそうだ。
ブレーカーも電化製品なので、経年劣化が起こるとのこと。
ブレーカーの点検方法やその時の注意事項も教えて貰った。
次の訪問点検は4年後なので、現在のブレーカーを使い続けるかは判らないが、今回の点検では異常なしの判定だったようだ。
漏電火災が報道されることが最近は多くなっている気がする。
コンセントや電気の通る場所の点検は必要だと感じた。



プロフィール
サダー・パリブータさんの画像
サダー・パリブータ
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