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2024年10月16日

自訓は朝が早い

自訓は朝が早い。
8時には演習場内の自動車訓練場に入っていなければならない。
駐屯地から演習場までは専用のトラックで移動する。
季節は1月だ。
習志野の冬は東京よりも寒い。
自訓には習志野駐屯地の隊員だけが訓練に参加するわけではない。
松戸の補給隊の陸曹も参加している。
初日に班分けがされ、松戸の陸曹も私と同じ班になった。
習志野の駐屯地では、階級意識が異常に強く、序列も一日入隊日が速ければ先輩である。
しかし、他所の部隊の場合はかなり緩いらしい。
直ぐに打ち解けて、仲良くなれた。





自訓の訓練は座学と自動車教習になる。
特に体力を使う事は無いはずだが、やはり自衛隊である。
何か教官の気に入らないことがあると、鉄拳が飛んでくるし鞭で打たれる。
自衛隊で大型のトラックを運転するために、教習車を使うのだが、ギアチェンジの練習やダブルクラッチの練習は、最初は教習車では無くゴーカートのような座席とハンドルとギアチェンジレバー、ブレーキとアクセル、クラッチの付いた練習機で訓練をする。
自訓のトラックはかなり新しい自動車なので、クラッチの操作でダブルクラッチなど必要ない。
しかし、自衛隊の中にはかなりの年代物があり、ダブルクラッチをしないとギアが入らない物もあるらしい。
私の場合、自動車の運転自体が初めてなので、とにかく覚えることばかりだ。
最初の一ヶ月近くは教習所内のコースの中を走る。
一般の教習所と全く変わりはないと思うのだ。
S字カーブやクランク、坂道発進などが出来るようになるまで繰り返す。
ただ繰り返すだけでは無く、失敗すると鉄建や鞭が飛んでくるのだ。
ある程度慣れてくると、訓練生のみで教習所のコースを走り、自己練習を繰り返す。
路上に出る前に、試験がある。
私は何とか一発でこの試験に合格できた。
しかし、私は大型の車の車幅に慣れるにはもう少し時間が必要だったと思う。
路上訓練はどこの班も訓練生は鼻に詰め物をして帰ってくる。
中には路上から演習場の教習コースまで走って帰ってくる隊員もいた。
私も教官の裏拳で何度も鼻に詰め物をして帰ってきた口だ。
路上の訓練ももうすぐ終わりになる時期、狭い成田街道を走っている時に私は宴席にタイヤを擦ってしまった。
脱輪だ。
すかさず教官はハンドルを奪い、正常な進路に戻すと裏拳が飛んできた。
見極めの試験で無かったが、かなり厳しく叱られた。
そんなこんなで路上の見極めにも一度で合格できた。
後は筆記試験だけだった。





座学は毎日行われていた。
自動車教習の教範は一般と同じだ。
毎日読み込んで、ほぼ暗記状態だった。
筆記試験は千葉の警察署に行って受けるのだが、私はかなり余裕で満点合格だった。
大型免許は18歳で普通免許を取得してから3年後に受験資格が出来る。
最短21歳で大型免許を取得できるのだが、自衛隊は18歳でも取得可能なのだ。
そして、私は19歳で大型免許を手にした。
しかし、隊員の中には合格できない隊員もいた。
最初に仲良くなれた松戸の陸曹もその一人で、結局三回も筆記試験を受けていた。
早い物で、三ヶ月にわたる自動車教習訓練も終わった。
最終日には津田沼の飲み屋でで教官も含めて宴会を行った。
原隊に戻った私は、補給整備士の教育を受けながら、先輩隊員から部隊のトラックの運転の教育を受けた。
そして、6月に中隊長のドライバーに上番する事になった。
中隊長社はジープだ。



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