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2025年01月07日

日本を同盟国と観ていないのだ

アメリカのバイデン大統領が、アメリカのUSスチールを日本製鉄が買収する事を、安全保障を理由に禁止する命令を出した。
同盟国で、しかも現地で創業するにも関わらず、安全保障という理由で同盟国の企業の買収を拒否する行為は異常だ。
要は日本を同盟国と観ていないのだ。
形上同盟国としているが、実際は植民地であり、日本を見下しているのだ。
最近のアメリカの覇権主義的な外交姿勢には世界樹運の国々が閉口している。
アメリカはドルの債務で破綻寸前である。
30年前のように軍事で他国に脅しを掛けて資源を略奪するような真似は出来ない。
イスラエルと組んでパレスチナのエネルギー資源を盗んでいるが、イランやロシアなどが対局の勢力として台頭してきている。
アメリカの覇権主義は今年行き詰まると思われる。
アメリカ同様、西側諸国は経済的に行き詰まっている。
その原因は無計画な移民政策だ。
移民による文化の破壊が受け入れ国の経済を破壊しているのだ。
現実問題として、移民と言って流れ込んでくる輩は母国で犯罪を犯して居られなくなった犯罪者が大半である。
当たり前の人間は移民になど成らないのだ。
難民と呼ばれる輩もほぼ同じ様な輩が他国に流れ込んでいる。
文明文化の違う移民を名乗る犯罪者と闘う時代が始まっているのだ。



100年後の未来を考えてみる

100年後の未来を考えてみる。
100年後は22世紀だ。
20125年の世界はどうなっているだろう?
100年前の1925年は大正最後の年になった。
翌年の1926年は昭和元年だからだ。
現在の令和の世もあと30年は続かないだろう。
そもそも天皇という存在が無くなっている可能性が高い。
100年後に元号という年号は無くなっているかも知れない。
理由は、現在の日本の移民政策で、大和民族が日本国内に居なくなっているかも知れないからだ。
世界の王室も100年後の未来には存在しないと私は考えている。
その理由も日本と同じで、移民政策で各国の民族が入れ替わっている可能性が高いと思われるからだ。
主義主張はどうでも良いが、今のように為政者を立てて人間が恣意的な思考で政治を行う限り、人間の発展はあり得ないと私は感じている。
人間の政治家は狙い澄ましたように間違った政策を立案し、実行する。
そして大きな破綻を招いている。
人間は生き物だ。
生き物で在る以上、食欲、性欲、睡眠欲等の基本的な欲求に加え、名誉欲など人間個体としての欲望から逃れることが出来ない。
その欲望が正しい判断を損なわせるのだ。
人間が為政者を立て、政治を行っている間は、常に間違った方向に人間は進むしかない。
否、生き物は常に間違った方向にしか進めないのだろう。
100年後、人間による政治というモノが消滅し、AI等の機械が欲望を棄てた計画を組み立て、実行する世界ならば、人間の進歩は未だ有るかも知れない。
現代の政治の一番の間違いは、多数決という見せかけの市民参加の政治だ。
民主主義は多くの人々の欲望の一端を為政者が肩代わりして行うという仕組みだが、その様な出鱈目な制度では、正しい政策や事業は出来ない。
人間という一個体の判断など間違いでしかない。
言ってみれば、勘で政策を行っているだけだ。
過去の膨大なデータを分析し、最適化された政策立案はAI等の思考するプログラムで無ければ出来ない仕業だ。
しかし、このプログラムにもバグはある。
だが、人間がそのバグに対応しては、必ず不正に繫がる。
常に人類の利益と発展を第一優先する自動修正プログラムで無ければならない。
果たしてそういった優秀且つ完璧に近いプログラムが出来上がるかが人類の存亡の試金石になるだろう。
100年後の政治は正直、絶望的かも知れない。
さて、100年後の我我の生活についても考えてみよう。
私は現在の異常気象は地球の周期的な気候変動であると考えている。
また、現在の温暖化は20世紀から始まった世界中での高層ビル群、高層建造物の影響で気団の動きに影響を与えた結果だと信じている。
その為、温暖化現象は地球上から人工的な高層建造物を無くせば、速やかに終息すると考えている。
だが、地球の周期的な気候変動は、実際には寒冷化が進んでいるとも言える。
つまり、全球凍結までは行かなくとも、かなり寒い状況が待っていると思われる。
そして、現在のように地表にへばりついて生きて行く事は、不可能になるとも考えているのだ。
では、人間は100年後はどうしているのか?
愚かな為政者の欲望のために核戦争を起こして絶滅しているのか?
私はそれを否定できない。
実際に西側諸国はそれを狙っている節がある。
人類が絶滅していても、正直、その頃まで生きていない私にとってはどうでも良いことなのだ。
一応、核戦争が起きたとして、その戦火から生き残っている人類が居ると仮定して100年後の人間の生き方を考えてみる。
恐らく、人類は地下に居住地を変えていると思われる。
地球の寒冷化又は温暖化による気象状況の変化に人類は耐えられないからだ。
現在でも食料を地下の様な場所で収穫できる技術はある。
居住地を変えると言うことは食料の調達が出来なければ成らないのだ。
地下に居住しても日光は地上から取り込むことは可能だ。
そして、地下は地上のような寒暖差が殆ど無い。
人間は寒さや暑さで体力を消耗する。
地下に棲むようになれば、寿命は延びると思われる。
更に、人口爆発の問題も解決されると思われる。
現在、人類は地球の三分の一の面積しかない陸地に住んでいる。
だが、地下は地球の総ての場所に居住が可能なのだ。
地震による被害も殆ど無く、津波などの気象現象も影響しない。
100年後の未来、貧困層は地上に生き、富裕層は地下に潜る。
そういった世界が想像できる。
人間が地上から姿を消せば、海も大気も清浄化されるかも知れない。
逆に人間が存在しない世界ならば汚しても問題ないと考えるかも知れない。
どちらにせよ、人間は地上から姿を消さざるを得ないかも知れない。
現在の延長線上で人間の発展は期待できない。
私は人間が今以上に発展するには、神や仏に縋る宗教を無くさなければならないとも考えている。
宗教は悪だとも思っている。
理由は、宗教の目的が人心掌握に使われる為政者の道具だからだ。
宗教形態の元と言われる仏教は、釈尊が苦しみから逃れる方法を求めた事から始まる。
そしてその答えは、諦めることだった。
つまり、宗教では何も解決できないのだ。
だが、宗教は宗教団体を作り、組織化した結果、組織維持の為に教義を変え人身を弄ぶ悪しき存在へと変わっていったのだ。
これはどの宗教でも同じだ。
人間は組織を維持するためならば、その組織の存在意義すら変えてしまうのだ。
組織即ち構成員を食わせるための道具なのだ。
政治も宗教も、そうした性質は全く同じだ。
つまり、政治と宗教は人類から消さなければ成らないのだ。
100年後に為政者を立てた政治が行われているならば、人類の未来は無い。
AIのような人間以外の判断する存在が人間を管理するならば、未だ人間が生き残る可能性はあるかも知れない。
人間の一番の問題は、人間のことは人間が決めるという愚かな思考をすることだ。
つまり人間相手なら、自分という個体の言うことを聞かせることが出来ると思うからだ。
現在の経済についても考えなければならない。
市場経済は常に拡大する事で発展する。
だが、現代の経済はあと10年もしないうちに行き詰まる。
新たな市場が地上に無くなるからだ。
市場とは即ち人間の数だ。
人口が増加し続けなければ市場は縮小する。
だが、地球上に存在できる人間の数には限りが有る。
例え地下に居住を変えてもだ。
市場経済を維持するために、為政者はスクラップアンドビルドという手法で人間を棚卸しする。
産業革命以降、ディープステートと呼ばれる輩が為政者を操り人間の棚卸しを行って来た事は間違いない。
100年後にそうした輩の存在が合った場合、恐らく人類は滅亡しているだろう。



大型の警棒が堂々と備え付けられていた

相模七福神巡礼に行く途中、小田急線に乗った。
各駅停車に乗っていたのだが、大きなリュックを前に抱えた男性が居た。
その団セインのリュックには、何故か大型の警棒が堂々と備え付けられていた。
警察関係者ではないと思う。
警棒は背負っていても、直ぐに抜き出せるような場所に設置されている。
明らかに護身用且つ反撃用だ。
最近の日本国内の治安の悪さは異常で有る。
私は思うに、外国人がやたらと増えた影響では?と思うことがある。
こうしたあからさまな自己防衛手段をしなければ、犯罪から身を守れない国になったという気持ちになった。
経済が発展する一番の条件は、治安の良さだ。
安心して人との交流が出来ることが、経済発展の条件なのだ。
世界は間違った移民政策で国内の治安を悪化させ、経済の衰退を引き起こしている。
特に西側諸国は鮮明にそれを現している。
ドイツ、フランス、イギリス、そしてアメリカは移民政策の失敗で国内の治安が悪化してしまった。
そこにウクライナ戦争による大きな経済負荷。
西側諸国は世界大戦で国内引き締めと、戦争に勝つことで、敗戦国からの資産の略奪で経済を建て直そうとする間違った政策に舵を切っている。
それがイスラエルというテロ国家につけ込まれている理由かも知れない。
寛容とか多様性などと、生き物としての人間では許されない理想を目標に掲げた愚かな西側諸国は尊厳という人間の存在意義を示す理を無視し続けた。
その結果が、西側諸国の衰退の原因だ。
日本を含めた西側諸国の未来には暗雲が垂れ込めている。



電動アシスト自転車の購入を考えている

電動アシスト自転車の購入を考えている。
費用は概ね20万円近くする。
昨日、日野七福神巡礼に自転車で行って来た。
その時に思ったのだが、人間は身体に負荷を掛けないと身体が老化・退化すると思ったのだ。
利便性や肉体的な負荷の軽減は重要なことだが、生き物で在る以上、常に身体に負荷を感じ、刺激を受け続けなければ、身体は弱くなってしまう。
私はそれを昨日、感じたのだ。
60を越えて老化を実感するからこそ、無理はせず、適度な刺激と負荷を身体に掛け続けなければ老化は進み、心も亜ラダも退化してしまうと思った。



キャッシュレス化に危険を感じている

最近のキャッシュレス化に危険を感じている。
そもそも、キャッシュレスという物で、個人の資産はどの様に担保されるのか?
個人の資産は国家が貨幣価値を担保することで成り立っている。
しかし、キャッシュレスサービスのキャッシュは誰が担保するのか?
例えば、キャッシュレスサービスを行っている企業のシステムが破壊され、個々人のデータが復旧できない状態になった場合、個々人の資産はどの様に担保されるのだろう?
恐らく、踏み倒されるだろう。
何故なら、データが存在しなければ、資産の補償の根拠が消えているからだ。
また、キャッシュレスサービスの企業が破綻した場合はどうなのか?
具体的には、アメリカドルの破綻だ。
そうなった場合、日本のドル国債は紙屑になり、アメリカの資本は無に帰す。
そうなると、世界中の金融機関、西側の金融機関は総て破綻する。
キャッシュレスサービスを行っている企業の資本形態で、アメリカドルの資本の入っていない企業は無い。
アメリカのドル破綻はあと数ヶ月で起きると考えられている。
そうなったときに、キャッシュレスサービスなど行える状況にはならない。
日本国内では、政府の信用での現金でしか購買能力が無くなるはずだ。
現状のキャッシュレスサービスは総て破綻する。
私はそう考えている。



正月三が日に飲食店は営業するべきだと

自宅に戻る途中、日野バイパスを走りながら思った。
正月三が日に飲食店は営業するべきだと。
正月三が日に飲食店が閉店している理由は、問屋などの休みの為だ。
また、最近は従業員が休みを取るために営業しないという愚かな選択もあるようだ。
ほんの数年前まで、三が日でも営業するのがサービス業で在り、飲食店であった。
だが、最近はやたらと休むことばかりを推奨している。
結果、日本の産業は衰退の一途である。
衰退すれば、従業員の所得は増えない。
経済的に困窮すれば、少子高齢化は一向に減らない。
休みよりもお金を取るから景気は良くなるのだ。
今の日本は政治がおかしな方向に向かっているから、国民の所得が増えないのだ。
国が何を言おうが、所得を得るためには働く機会が増えなくては成らない。



初詣は、政府による金集め

氏神神社への初詣から帰ってくる家族達を観て思った。
初詣は、政府による金集めだと。
そもそも、初詣に行くと御利益があるという。
御利益は初詣客に有るのでは無く、神社に御利益(りえき)が有るのだ。
私は思う。
宗教法人であっても、利益を出すイベントを行えば、税金を徴収しなければならない。
宗教法人は初詣などの賽銭に税金は掛からないそうだが、それはおかしい。
賽銭は御利益という神様のサービスを期待して支払う料金だ。
つまり、消費である。
ならば、賽銭を投げ込んだ人は既に消費税込みで賽銭箱に現金を投げ入れている事と同じだ。
最近では、電子マネーで賽銭を行うようにもなっている。
正に、消費である。
当然、宗教法人もインボイス制度に倣って税金を納めるべきなのだ。
世界中で宗教法人から税を取っている国は無いと言うが、それならば、日本が最初の国になれば良い。
国民という自然人ばかりでは無く、宗教法人からも税を取るべきだと私は思う。



初詣というイベントは

初詣というイベントは、国家が宗教法人から賽銭という巨額の税金の掛からない現金を政治資金に環流するために作られた仕組みだと考える。
神社庁というおかしな宗教組織が全国の神社からお金を徴収している事は有名だ。
では、集めたお金は何処に行くのか?
政府与党である自民党に行くのだ。
宗教ほどお金の流れの判らない組織は無い。
私は国民に苛政を敷く政府は、自然人だけでは無く、法人に対して増税するべきだと思うのだ。
法人税は事業法人だけではない。
宗教法人も法人なのだ。
法人税は等しく徴収しなければならない。



他人の目を気にしなければ、人生は楽しい

赤坂からの帰りの電車の中で思った。
他人の目を気にしなければ、人生は楽しい。
天上天下唯我独尊。



今日とAmazonの置き配があった

昨日、今日とAmazonの置き配があった。
昨日は年末の大晦日。
忙しいのはよく分かるが、置き配で玄関の前に荷物を置いた後は、門を閉めて帰るべきである。
そんな事も出来ない配達員は素行を疑うべきだ。
また、今日元日に二つのAmazonの置き配があった。
どちらの配達員も、玄関前に荷物を置いてから門を閉めずに帰って行った。
三回連続で門を閉めないと言うことはどうもおかしい。
若しかしたら、Amazonの置き配の配達員は、最近流行の闇バイトの一味かも知れない。
置き配で一般住宅の敷地に入ることは可能である。
その怪しまれない事で、住民の在不在を確認している可能性がある。
その確認手段が門を閉めずに帰ることだ。
もしかしたら、数時間後に立ち戻り門の開閉を確認してるのかも知れない。
門が開いていれば不在である。
そうした情報を闇バイトの連中に有料で教えている可能性があるのだ。
不在であれば、堂々と配達員を装って空き巣に入れる。
置き配用の箱を用意しても、しっかりと監視カメラを付けておかないと危険なのだ。
置き配という配達員の利便性の向上が、住民の危険を増す可能性を高める事になりかねない。
年末年始・長期外出時は要注意である。


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