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2024年10月17日

真偽の程は定かではないが

落下傘整備中隊の中隊長ドライバーの仕事は特にない。
演習時に中隊長の移動をお手伝いし、身辺のお世話をする係のようなモノだ。
冬なのだが、もの凄く雨の降っている時に富士の演習場で検閲があった。
その時はドライバーという係は有り難いと思った。
ジープに乗っているので、雨風に晒されることはない。
但し面倒なのは、宿舎に到着すると、中隊長の身辺のお世話をしなければならない。
特に小姑のような専任陸曹が、私の行動を細かく指摘する。
指摘というのは、小言であったり体罰であったりだ。
検閲後に私は中隊長のドライバーは免除された。
向いていないと思われたのだろう。





それでも、大型免許持ちの私は、毎月上番する駐屯地警備の車両担当として勤務することになった。
駐屯地警備とは、駐屯地の門の脇にある隊舎に、各部隊から毎日交替で駐屯地の警備にあたる隊員を指す。
朝8時だったか、他の中隊の隊員から引き継ぎを受けて、24時間の警備に当たる。
駐屯地の警備は駐屯地の縄線と言われる警備用の線に沿って歩哨が歩いて警備する。
門を通過する人を掌握し、訪問者があれば、それに対応する。
一番の任務は、駐屯地司令である陸将補が門を通過するときに、隊舎の全員が捧筒をする時だ。
駐屯地司令付の人から警備隊に連絡が入り、成田街道に歩哨が立つ。
駐屯地司令の自動車が見えたら、警備隊長に報告し、整列。
これが上手く行かないと、下番した後に警備隊長以下が厳しく原隊の中隊長に指導を受けるのだ。





ドライバーの私は食事の受け取りなどで整列しないことが多かった。
ドライバーになる前は、私も歩哨に立って駐屯地の周りを歩かされた。
日中も退屈なのだが、陽が落ちて真っ暗になると、先輩隊員のお遊びTimeが始まる。
トイレットペーパーを投げて脅かしたりするのだ。
最初は驚くが、慣れてしまうと、今度は驚く演技が面倒になる。
歩哨も一日3,4回就くので、景色を覚えてしまう。
先輩隊員の隠れている場所など、直ぐに検討が就いてしまう。
警備隊は二カ所に別れて詰め所がある。
陸士長以上の先輩隊員は、武器庫警備の詰め所に気淫夢する事が多くなる。
武器庫は土手のように土が盛ってあり、その中に詰め所がある。
こちらでも2時間周期に交替で歩哨に立つ。
男ばかりの世界である。
歩哨に立った隊員がトイレに入ってなかなか出てこない。
何をしているのか?
そう、自慰行為をしていることも珍しくはないのだ。
私はドライバーとして警備隊に勤務すると、最初の仕事は飯あげだ。
つまり、量飾版から昼食、夕食、朝食を小型の牽引車で運搬するのだ。
正門前の詰め所と武器庫の詰め所にジープで回って届ける。
飯上げ以外の時間は、演習場の巡回だ。
真夜中に演習場に入り込んでくる民間人が居ないかを警備しているのだ。
当時、成田街道には千葉の田舎の暴走族が幾つか存在していた。
こんな話を聞いたことがある。
暴走族が数十台のバイクで駐屯地内に入り込んで駐屯地内で暴走したそうだ。
警備隊から非常呼集のラッパが鳴り、蜂の巣を突いた様に木銃を持った隊員が集まってくる。
正門は警備隊が鎖と門で族を逃がさない。
暴走族なんて空挺団の隊員から見ると正に子供。
流石に殴る蹴るは加減をしたが、数人の愚か者を引っ捕らえた。
真偽の程は定かではないが、警備にその族の処遇が任されたそうで、3トン半にバイクと族数名を乗せて、演習場まで連れて行ったそうだ。
そして素っ裸にして逆さづりにして暫く眺めていたそうだ。
族の陰部はチジミ上がり、しかも包茎だったらしい。
私もその現場に立ち会いたかったと、当時は思ったモノだ。
8時に別の中隊の警備の隊員が来て、引き継ぎを行う。
下番した私はジープを洗車して営内でゆっくりと睡眠だ。
11時頃に起床して、食堂で昼食を摂って午後は補給整備の御仕事に戻った。



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