今の西側の人間は共通して現実逃避している。
例えば、自分は女性に産まれたとする。
女性の生き方に不満を持つと、女性という肉体の現実から逃避して、自分は男だと思い込む。
そして、肉体をも手術で改造してしまう。
その逆もしかりだ。
男性という事を思い込みで否定し、肉体は男性のままで女性の領域に踏み込む。
女性の優遇された領域に踏み込む為の思い込みだ。
結婚という制度にも不満を持つと、夫婦別姓等と言い出し、合理性を主張する。
しかし、どれも総て現実逃避の行動に過ぎない。
性差は個々人の意識の問題では無く、生き物としての宿命だ。
受け入れるしかない。
結婚という制度は、古からの人間社会での粗差異を避けるための手段で在り、しきたりである。
結婚の目的は男女間の感情的な問題では無い。
第一に、嫡子をもうけて子孫繁栄をする事が第一にある。
つまり、世界のどの国でも、結婚は嫡子をもうける為に行う。
現在の様な現実逃避を行う様になったのは、1948年に統一国家(国連)が時年宣言を行った事に端を発している。
人権宣言は、個々人の生きる事に権利という形の無いモノを与え、権利という言葉で現実から逃避する思考感染を行ったのだ。
たった76年で人権宣言に倣った国家の大半の国民が現実逃避の行動を起こしている。
現実逃避とは、理想という出来ない事を、さも出来るように思い込み、それを周囲に押しつける事だ。
76年という時間は、人間の世代で言うと4世代から6世代の世代交代が行われている。
人間の現実逃避の思考感染が顕在化したのは、2000年辺りだと私は記憶している。
この頃には、殆どの先の大戦で実際に闘った世代はこの世を去った。
戦争という現実、生きるために耐えなければならない現実を経験している世代がこの世を去った節目の年なのかも知れない。
この頃からハラスメントという言葉が世界中に広まっていった。
また、レイプという言葉も、アメリカの映画を切っ掛けに世界中に広まった。
最初はセクシャルハラスメントという言葉が、世界中で飛び交い、女性のヌード写真や静的なイメージを持つモノに対して、激しく攻撃する社会風土ができはじめた。
以前は生命保険会社は、必ずヌードのカレンダーなどを粗品として配っていたが、それがパッタリと無くなった。
1970年代からウーマンリブとか、フェミニズムという現実逃避的な運動が世間を騒がせた時もある。
しかし、一過性の運動として、社会に然程影響を与える事は無かった。
私の感覚的なモノだが、2000年を境に、世界中で人間関係が疎遠になった感がある。
気軽に異性に接触すれば、セクシャルハラスメントと咎められ、ヘタをすると社会的制裁に遭う。
本音と建て前という概念も通用しなくなった。
人間の本性というモノは、決して清らかなモノでは無く、汚い麺がある。
しかし、この頃から本音以外を認めない風習が広がっている。
息苦しい社会の始まりだ。
さて、60代の私も戦争を全く知らない。
正に現実逃避の世界で生き、育ってきた世代なのだ。
そんな世代の私でさえ、2024年の世界は異常だと思うのだ。
現実逃避の代表は何と言ってもアニメーションだ。
2000年以降、ライトノベルという素人の小説を漫画家する事が流行りだした。
「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品もその一つだと記憶している。
このライトノベルの作風は、世界観である。
「涼宮ハルヒの憂鬱」は正に主人公が現実世界に不満を持っているが為に、色々な世界に影響を与えるというモノだ。
宇宙人、未来人、異世界人などあらゆる世界からの干渉を受けながら、SOS団なるお遊びクラブを続けて行くのだ。
こうしたあり得ない世界観を題材にするライトノベルがアニメ化され、話題になった。
2011年に東日本大震災が起こった。
その頃から、現在の異世界転生の物語が乱立する様になった。
現実世界では、不幸な師を遂げた主人公が、異世界に転生して様々な問題を都合良く現れる仲間達と協力して解決して出世する。
現在アニメ化されている「転生したらスライムだった件」や「本好きの下克上」などは、正にそうした類いのライトノベルである。
そして、共通して言えるのは、10年近くも長く続く長編になっていることだ。
異世界というご都合主義の世界で人生をやり直して成功して行く。
正に現実逃避の決定版とも言える。
統一国家(国連)が行った人権宣言という思考感染の実験は、76年で現実逃避という本来在ってはならない思考を人々に植え付けてしまった。
夢幻を現実のように思い、そして実現できるとする生き物として間違った思考が、現代世界では、標準的な思考になってしまっている。
理想という妄想から覚めない危険な状態だ。
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