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2016年06月02日
くっついてる?「朧」の部首は〇〇〇〇
肝。
脾。
肘。
胸。
部首は「にくづき」。
「肉」という字が変形していって「月」
の形になったので、「にくづき」を部首に持つと
「身体」に関する漢字になりますね。
「そうか!左側に月がきたらにくづきなのか!」
と思ったあなた。
この漢字をご覧ください。
読み方は
「おぼろ」
物の姿がかすみ、はっきりしない状態をさす漢字。
朧月夜、朧げな記憶・・・。
まったく身体と関係ありません。
なぜ、「にくづき」なのか?
もう一度、漢字をよく見てみましょう。
今度は、赤丸の部分に注目です。
おや?
どうも「にくづき」とは少し形が違うようです。
「にくづき」を部首に持つ「肘」と比較してみましょう。
おわかりいただけだだろうか?
そうです、「おぼろ」の部首は「にくづき」ではなく
「つきへん」。
「朧」は月に関係する字ですので、
「にくづき」ではなく「つきへん」なのです。
そしてつきへんは、正式には「月」の中の二本線が
右にひっついてはいけません。
これは、ひっつかないことで「月の満ち欠け」を
表しているから、とも言われます.
とにかく、二本の線は右から離します。
ちなみにつきへんは、右側に来ることもあります。
「朗」(ロウ、ほがらか)を見てみましょう。
この字も「月」に関係しているので「つきへん」。
朗。かげがなくてあきらかなさま、です。
やはり、月の部分の二本線は右にひっつきません。
つまり、
「にくづき」=「身体」=「月の二本線は右にひっつく」
「つきへん」=「月」=「月の二本線は右にひっつかない」
ということになります。
しかし、あくまでこれは正式な字体の話。
現実的には、パソコンで打っても
「朧」「朗」
のように、二本線は右にひっつきます。
だから「にくづき」「つきへん」の
使い分けが気にならないし、
そもそも区別そのものがつかないわけですね。
というわけで今回の語呂合わせは
「にくづき」=「身体」=「月の二本線は右にひっつく」
から生み出しましょう。
「にくづきのいい身体にひっつく」
というわけで、久しぶりの漢字ネタでした!
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2016年05月27日
猫の分泌する「コーキシン」とは
さて、今日は猫のお話です。
猫の尿は独特のニオイがします。
特にオスは
縄張りを主張するときやストレスを感じたときに
「スプレー」といって濃い尿をします。
(画像引用 neko-diary.com)
これは特にクサイ!
さて、そのニオイのもととなるフェロモン物質はすでに
特定されています。
それは「フェリニン」というアミノ酸。
猫属は英語で「felis」ですから、ここからの命名ですね。
ところで、2006年に興味深い発見がありました。
この独特のニオイ物質「フェリニン」の合成に
欠かせないタンパク質が猫の尿から見つかったのです。
そもそも、本来は尿にタンパク質が出てはいけません。
せっかく摂取したタンパク質が尿とともに漏れ出ると、
低タンパク血症になって筋肉も落ち、免疫力も低下。
ところが、猫はタンパク尿が出ても正常です。
それはこの猫特有のタンパク質が、ニオイ物質
「フェリニン」の合成に欠かせないから。
そのタンパク質の名は・・・
「コーキシン」(Cauxin)。
発見と命名は
岩手大学と理化学研究所の共同チーム。
そう、日本の研究者による発見なのです。
この
尿中に分泌されるタンパク質は、
「カルボキシルエステラーゼ」という酵素に
よく似た構造であることがわかりました。
皆さん、上の青字のところ、
よく覚えておいて下さい。
ともかく、猫の尿のニオイは、
他の猫からすると興味の対象。
好奇心を刺激されまくりです。
(画像引用 chokoan.blog69.fc2.com)
そうです。
「コーキシン」命名の由来は「好奇心」。
「うまいこと名付けたなあ」と思ったあなた。
まだ話は終わりません。
この「コーキシン」を英語で説明すると
Carboxylesterase like urinary excreted protein
さっき日本語で青字で示した部分
「カルボキシルエステラーゼによく似た」
「尿中に分泌されるタンパク質」の英訳ですね。
では、これを縦に読んでみましょう。
Ca rboxylesterase like
u rinary e
x creted prote
in
すなわち、
Cauxin。
・・・ということで今日は、
日本人が発見した遊び心満載のタンパク質
「コーキシン」についてのお話でした。
語呂合わせは
「コーキシン」
「岩手大学」
「理化学研究所」
なので
「好奇心いいわ!」ってリカが研究
でいきましょう。
では、さようニャら。
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<参考>
尻を振るから「シリフリン」?
https://fanblogs.jp/huun/archive/199/0
2016年05月26日
ミス?トトロのヤギに描かれた〇〇
今日はヤギのお話です。
そこそこ知られた話ではありますが
「となりのトトロ」に登場するヤギさんが
ちょっとアブノーマルなのです。
実際に画像をごらんください。
メイちゃんがトウモロコシを
ヤギさんから守ろうとするシーンです。
(出典 「となりのトトロ」徳間書店)
いかがでしょう。
ちょっと不気味というか。
「ボクの知ってるヤギさんじゃない…」
いったい、なにが違うのでしょうか?
なに?黒目がおかしい?
むむっ!確かに!
真横に細くのびています。
一方で本当のヤギの目は....
あれっ?
やっぱり横長じゃないすか。
もう一度見てみましょう。
どこがおかしいのか?
(出典 「となりのトトロ」徳間書店)
おわかりいただけだだろうか?
正解は、
「歯がおかしい」
実際に、ヤギの上あごの歯を見てみましょう。
(画像引用 skn.i-ra.jp)
は、歯が生えていない!!
そうなのです。
ヤギをはじめとして、
反芻類には上あごに前歯がありません。
ちなみに反芻類とは胃が四つある哺乳類ですね。
ヤギ、牛、羊、キリン、ラクダなど。
とにかく、反芻類には上の前歯がありません。
じゃあ草が噛めないじゃないか、
いえいえ。
臼歯(奥歯)は上下ともあるので噛めます。
反芻類の場合、上あごの前歯がなくても、
歯に相当する部分が固くなっているので
下の前歯を受け止めて草を抜いたりちぎったりが可能。
この固くなった部分を
「歯床板」(ししょうばん)
といいます。
下の図はヤギと同じ反芻類・牛の上あごの解剖図。
(出典 家畜比較解剖図説)
画像上方向が奥歯側、下方向が前歯側です。
9.が歯床板。
確かに、臼歯はありますが前歯はありません。
しかしトトロ作品中では、はっきりと
上の前歯が描かれている!!
・・・・ということで、
「トトロのヤギは歯が間違っている」
というお話でした。
まあ、しかし結局、
トトロとかネコバスとか出てきますからね。
同じ作品中に現れるこの生き物は
ヤギではない何か別の生物
だと考えることも可能です。
そう考えると不気味さが半減しますね!
(どうかな…)
というわけで語呂合わせしておきましょう。
「反芻類」「歯床板」なので
「半数が死傷」
平和なアニメの語呂に限ってこんな結果に・・・。
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2016年05月25日
猫は爪を研がない?
ふと単純な疑問。
猫は爪をとぐ、と言いますが
彼らは本当に爪を「研ぐ」のでしょうか?
とりあえず、
猫の爪の構造を見てみましょう。
(画像引用 www.iris-pet.com)
猫は、いわゆる爪とぎによって
古い爪を外側から順にはがしていきます。
そしてその下にある新しい爪を露出させ、
常に鋭い爪をキープしています。
つまり、彼らは
「古い爪を取り外している」
のであって、
外側の爪を研いでいるわけではないのです。
実際、英語では猫の「爪とぎ」は
sharpen its claws (爪を尖らせる)
です。
猫はもともと捕食者ですから
鋭い爪は獲物を捕らえる大切な道具。
だからせっせと爪とぎにいそしむわけですね。
‥‥というわけで今日の語呂合わせは
「sharpen」
でいきましょう。
「シャーペンで爪とぎ」
ガリガリガリ・・・・!!
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2016年05月24日
伊達政宗を動かした男・水谷胤重とは
今日5月24日は、独眼竜こと
伊達政宗公の命日に当たります。
(画像引用 Wikipedia)
1636年(寛永13年)の今日、
伊達政宗は70年の生涯を閉じました。
今日は、伊達政宗と関わり合いの深い、
ある武将についての逸話です。
その名を
水谷胤重(みずがいたねしげ)。
相馬氏の家臣です。
相馬氏と伊達氏は、長年抗争を続けてきた間柄。
胤重の父・水谷胤氏は、伊達との戦いで討ち死にしています。
つまり伊達家は相馬氏にとっても、胤重にとっても
積年の恨み積もる大敵。
さて。
関ヶ原の戦いの直前。
東軍(家康方)に付いた伊達政宗。
急遽、大阪から本国への帰還を試みます。
しかし進路上に西軍方の領地が。
やむなく常陸を経由する道を取ります。
しかしそのルート上、相馬の領地を通ることに。
ちなみに当時、相馬氏は表向き中立の立場でした。
しかし何せ、戦国時代を通じて長年にわたり
伊達氏と戦いを繰り広げている相馬氏。
しかも今、政宗の兵はわずかに五十騎。
「これは、政宗を討つ絶好のチャンスなのでは」
という声が高まります。
16代当主・相馬長門守義胤もやる気です。
(画像引用 www.kjclub.com)
義胤のものと伝わる甲冑。
鬨の声が聞こえてくるようです…
「政宗、討つべし!」
という流れで評定がまとまろうとしていたとき。
成り行きを静かに見守っていた家臣が口を開きます。
この男こそ、水谷胤重。
さて、彼の主張を傾聴しましょう。
「皆様のご意見はよく分かります。
かく言う私も、父を伊達に討たれたのです」
「しかし、ご当家は代々、騙し討ちのような
卑怯な事はしてこなかったお家柄」
「今、感情に流され政宗を討つのは不義であり、
相馬の名を汚すことになりましょう」
「政宗を討ち取りたければ、戦場で相見えるのが
そもそも武人としての姿勢ではありませんか」
座は静まり返ります。
そして、当主相馬義胤は決断しました。
「胤重に任せる」
胤重は政宗の宿に食料や馬の飼料などを提供。
夜には篝火をたかせ、兵士たちに徹夜で警備させます。
結果、政宗は安全に相馬領内を通過。
帰国後、西軍についた上杉との戦いに臨みます。
さて。
関ヶ原の戦いは東軍の圧勝で終結。
相馬氏は表向き中立を保っていたものの、
「西軍寄りであった」ことが徐々に明るみになり、
改易のピンチを迎えます。
名家・相馬氏もここに断絶してしまうのか…。
その時、意外な人物が相馬改易に異を唱えます。
その男こそ、伊達政宗。
天下人・徳川家康に対し一歩も引きません。
以下、『藩翰譜』から原文。
「政宗徳川殿に訴へ申しけるは、
相馬はただにも政宗が年頃の敵なり。
それに上杉、石田などにくみしたるが一定に候はんには
政宗彼が為に討たるべき時至って候ひしに、
君の仰承り馳せ下る由を聞きて
忽ちに旧き恨を忘れ新しき恩を施して候ひき。
これひとへに彼が野心をさしはさまざりし故にあらずや。
且つは又累代弓矢の家、此の時に至て
長く断絶すべきこと誠に不便の至りなり、
只然るべくは彼が本領安堵の事御免を蒙らばやと
折にふれて度々歎き奉りしかば、
其の事となく年月を経て後本領をぞ賜ぶたりける」
要点をまとめると
・相馬は確かにこの政宗にとって長年の敵である
・西軍についた節があるが、しかしあの時私を討たなかった
・これこそ相馬に野心がなかった証ではないか
・また、相馬は武家として歴史も長く、断絶させるには忍びない
・どうか改易は撤回していただきたい
この取り成しの結果、慶長7年(1602)、改易は撤回。
相馬氏は断絶を免れた・・・
・・・というお話。
義を重んじ、それに応えた二人の男。
この話には、続きがあります。
江戸時代に入ると、政宗は井伊家当主・井伊直孝に
間に入ってもらい、相馬家との仲直りを画策。
義胤の嫡男である相馬利胤に
「もうそろそろ、喧嘩はやめましょう」と打診します。
すると利胤
「当家はすでに伊達殿のおかげで、本領安堵する事が出来ました。
しかし我々は累代の敵国。私の代で勝手に仲直りをするのもどうかと」
結局、両家が仲直りすることはなかったといいます。
なお、相馬義胤は遺言により、立ったまま埋葬されました。
その見つめる方角には、伊達領。
相馬には、相馬の誇りと意地があったのですね。
語呂合わせは政宗の没年でいきましょう。
「1636年」「政宗没年」なので
「ヒーロー去ろう。政宗没す」
今日は、熱い男たちのお話でした。
伊達政宗公の命日に当たります。
(画像引用 Wikipedia)
1636年(寛永13年)の今日、
伊達政宗は70年の生涯を閉じました。
今日は、伊達政宗と関わり合いの深い、
ある武将についての逸話です。
その名を
水谷胤重(みずがいたねしげ)。
相馬氏の家臣です。
相馬氏と伊達氏は、長年抗争を続けてきた間柄。
胤重の父・水谷胤氏は、伊達との戦いで討ち死にしています。
つまり伊達家は相馬氏にとっても、胤重にとっても
積年の恨み積もる大敵。
さて。
関ヶ原の戦いの直前。
東軍(家康方)に付いた伊達政宗。
急遽、大阪から本国への帰還を試みます。
しかし進路上に西軍方の領地が。
やむなく常陸を経由する道を取ります。
しかしそのルート上、相馬の領地を通ることに。
ちなみに当時、相馬氏は表向き中立の立場でした。
しかし何せ、戦国時代を通じて長年にわたり
伊達氏と戦いを繰り広げている相馬氏。
しかも今、政宗の兵はわずかに五十騎。
「これは、政宗を討つ絶好のチャンスなのでは」
という声が高まります。
16代当主・相馬長門守義胤もやる気です。
(画像引用 www.kjclub.com)
義胤のものと伝わる甲冑。
鬨の声が聞こえてくるようです…
「政宗、討つべし!」
という流れで評定がまとまろうとしていたとき。
成り行きを静かに見守っていた家臣が口を開きます。
この男こそ、水谷胤重。
さて、彼の主張を傾聴しましょう。
「皆様のご意見はよく分かります。
かく言う私も、父を伊達に討たれたのです」
「しかし、ご当家は代々、騙し討ちのような
卑怯な事はしてこなかったお家柄」
「今、感情に流され政宗を討つのは不義であり、
相馬の名を汚すことになりましょう」
「政宗を討ち取りたければ、戦場で相見えるのが
そもそも武人としての姿勢ではありませんか」
座は静まり返ります。
そして、当主相馬義胤は決断しました。
「胤重に任せる」
胤重は政宗の宿に食料や馬の飼料などを提供。
夜には篝火をたかせ、兵士たちに徹夜で警備させます。
結果、政宗は安全に相馬領内を通過。
帰国後、西軍についた上杉との戦いに臨みます。
さて。
関ヶ原の戦いは東軍の圧勝で終結。
相馬氏は表向き中立を保っていたものの、
「西軍寄りであった」ことが徐々に明るみになり、
改易のピンチを迎えます。
名家・相馬氏もここに断絶してしまうのか…。
その時、意外な人物が相馬改易に異を唱えます。
その男こそ、伊達政宗。
天下人・徳川家康に対し一歩も引きません。
以下、『藩翰譜』から原文。
「政宗徳川殿に訴へ申しけるは、
相馬はただにも政宗が年頃の敵なり。
それに上杉、石田などにくみしたるが一定に候はんには
政宗彼が為に討たるべき時至って候ひしに、
君の仰承り馳せ下る由を聞きて
忽ちに旧き恨を忘れ新しき恩を施して候ひき。
これひとへに彼が野心をさしはさまざりし故にあらずや。
且つは又累代弓矢の家、此の時に至て
長く断絶すべきこと誠に不便の至りなり、
只然るべくは彼が本領安堵の事御免を蒙らばやと
折にふれて度々歎き奉りしかば、
其の事となく年月を経て後本領をぞ賜ぶたりける」
要点をまとめると
・相馬は確かにこの政宗にとって長年の敵である
・西軍についた節があるが、しかしあの時私を討たなかった
・これこそ相馬に野心がなかった証ではないか
・また、相馬は武家として歴史も長く、断絶させるには忍びない
・どうか改易は撤回していただきたい
この取り成しの結果、慶長7年(1602)、改易は撤回。
相馬氏は断絶を免れた・・・
・・・というお話。
義を重んじ、それに応えた二人の男。
この話には、続きがあります。
江戸時代に入ると、政宗は井伊家当主・井伊直孝に
間に入ってもらい、相馬家との仲直りを画策。
義胤の嫡男である相馬利胤に
「もうそろそろ、喧嘩はやめましょう」と打診します。
すると利胤
「当家はすでに伊達殿のおかげで、本領安堵する事が出来ました。
しかし我々は累代の敵国。私の代で勝手に仲直りをするのもどうかと」
結局、両家が仲直りすることはなかったといいます。
なお、相馬義胤は遺言により、立ったまま埋葬されました。
その見つめる方角には、伊達領。
相馬には、相馬の誇りと意地があったのですね。
語呂合わせは政宗の没年でいきましょう。
「1636年」「政宗没年」なので
「ヒーロー去ろう。政宗没す」
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