2021年01月02日
ちょっと待てよ!
(雀の砂浴びの跡)
昨日、気づいたことがありました。
いつものように、妻が否定的なことを言っているのを聞いてまして、
いつものように「否定的なんだよな」と思ってました。
そして、いつもは「それって否定的だよ」と指摘するのでした。
でも、心の中で、「説明してもあんまりよく理解しないんだよな」と思っている自分がいました。
でも妻は、指摘しても、受け入れる時と、ある時は、私が、さばいていることを
言い返してきます。
結局、この構図を、観察すると、第一パターン ハンナが否定的なことを言って、私が指摘してさばく。
それを受け入れるが、ハンナは、落ち込む。
第二パターン、ハンナが否定的なことを言って、私がさばいて指摘。それをハンナが言い返してきて、私がさばいているのを指摘される。
何れにしても、勝利してない。サタンの思うウツボ、パターンが続いている。
そんなことを思っている時に、「さばいてはいけません。さばかれないためです。」のみ言葉がいつも頭にあるのですが、どうにもなりません。このみ言葉は人の罪は、気づくけど、自分の罪は気付かないものだから、まず自分の罪に気づいて、それを取り除けば、相手の罪も取り除くことができるという言葉でした。
でも、昨日は、違ったんです。
「ちょっと待てよ!」
気づいてないとはどういうこと? そう、「ハンナは自分の罪に気づいてないんだよな」と思うのです。でも、それなりにハンナも、気づいているけど、私は、「私が考えているほど、ハンナは気づいていない。」と思っていて、「なんで繰り返すのかな。」とか、「自分のほうが、否定的な言葉、言わないよな」とか思ってます。
「ちょっと、待てよ」
でも、それって、逆に考えれば、自分も本当に、自分の罪に気づいてないっていうことかな、と思ったのです。
ハンナが、気づいてないと、私が思っているように、私も気づいてないってことがあるっていうことか?ハンナは、私の罪に気づいているけど、私は、その罪を深く知ってないってこと。そんな罪が、自分にあるかも。そう思ったのです。
これは、本当に、聖霊の語りかけではないだろうか?
これは、サタンの思うウツボ打砕きパターンです。
ここから、神に新しいことを語られていきました。
ハレルヤ。
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