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2021年04月28日
祈りの答え
2021年04月26日
赦しの祈り
2021年04月24日
ゴスペルといやし
以前、埼玉県内にある病院と併設されているグループホーム(介護福祉施設)に何度か定期的に訪問させていただいたことがありました。そこで認知症の高齢者の方々に、「ゴスペルを教えて欲しい」ということで、「大きな愛」というJゴスペルを、一緒に歌うことをチャレンジしました。音楽療法ということであったわけですが、聞かせるだけでなく、何回も一緒に歌い、ハモリにも挑戦したりして、なかなか興味深く通わせていただきました。半年、一年と続けていく中で、お医者さんの検査結果による数値的な面で、参加されている方々が、明らかに良くなっているという結果が現されてきました。
私たちはその施設に行く前に、よく祈って、そ方々がいやされたりすることを願って行っていました。そして神が私たちを愛してくださっておられることをお伝えして、そのゴスペルを歌うことを楽しみました。いつも行くたび、訪問において、神のみ心を感じ、私たちは素晴らしい臨在が現されていることを感じていました。その中で神様はそのグループホームの方々をいやして下さっていたのです。
確かに、ゴスペルを歌って、喜ぶことは、私たちにいやしをもたらし、神からの力をもたらすものだと確信しています。主を喜ぶことは私たちにとって力なのです。神にすべてを感謝しつつ、賛美し、喜んで行くことは(もちろん悔い改めも必要ですが、・・・)、私たちに明らかに力をもたらしていくのです。
悲しんんではならない。あなたがたの力を主が喜ばれるからだ(別訳:主を喜ぶことは、あなたがたの力であるから)。」(ネヘミヤ記 8章10節)
2021年04月23日
2021年04月22日
2021年04月21日
奇蹟です。
月刊誌 雲の間にある虹の文章を、書いています。連載(タイトル「祈りの恵みの現れ」)を、書かせていただいていて、もう、書くことがないんじゃないかと思うのですが、毎月書いてると、主が、なしてくださったことを、いろいろと思い出させていただいています。本当に、神は、いろんな恵みを与えてくださったと思わされます。
最近、祈りの時間で現された恵みです。一人のお母さんが、続けて、メールしてきてくださっていました。
息子さんが、中学卒で、ずっと、お仕事探しにやる気がなかったということ。祈り始めて、5ヶ月。メールを、毎週してきていて、なかなか、意欲が出ていなかったのですが。最近、ここ1、2ヶ月、アルバイトを、やってみたり、面接に行き始めたり、徐々に、動き始めました。そして、とうとう、こないだのメールで、「前向きに進み始めたみたいだ」と。「奇蹟です」と送ってきてくださいました。
ハレルヤ、一度や、二度でなく、毎週、4、5ヶ月送って、祈り続けていく中、本当に、最初は、ほとんど変わらなかったのに、
今、変わってきたという報告。私たちも、感謝しています。神は、あきらめずに、祈る時、御心の祈りは必ず聴いてくださると、
改めて、確信しています。
2021年04月20日
2021年04月19日
自分の姿、知ってます?
「自分の姿をあなたは、ちゃんと知ってますか?」そんなこと、鏡を見れば、簡単だ、と思うのが普通かもしれません。自分では、意識は、「知っている」と思っているのです。でも、鏡を見ても、実は、私たちは自分の反対の影像を見ているにすぎないという話を聞いたことがあります。我々は、自分の実像を見ることはできないというのです。確かに、鏡を見ながら、髪の毛を切ったりしようとすると、手が切りたいと思う逆の方向に動いてしまったりするのを経験した方もいるでしょう。ましてや、頭の後ろなんて全然見れないんですね。また、私は、ゴスペルクラブという、Jゴスペルのサークルを、していますが、皆さんに、自分の姿を動画で見て、姿勢や動きを確認するように勧めたりすると、自分の姿を見るのを、嫌がったり、恥ずかしがったりする人が多いのには、驚きます。ですから、知っていると思っていても、自分のことは自分が一番よく知っているなんて言っても、実は、自分が一番わかっていなっかったりもするわけです。自分の、醜さや、罪深さとか、弱さとか、はっきり見ることをいやっがったりするのが、私たち人間の弱さでもあります。高齢者の車の運転の事故が、社会問題になってもいます。これは、自分の運転したいという欲がまさって、運転能力を冷静に判断できないことからくることの問題です。ですから、自分を認識することは、とても、とても難しいことです。
まして、自分の弱さを知っている人は、非常に少ないのではないのでしょうか。ですから、クリスチャンとして自分がいかに弱い者であるかを、知っていくことは、我々の成長のために重要なことになってきます。我々は、神の助けや、恵みによって生かされているにすぎません。
だいぶ前に、テレビに出てくる超有名なニュースキャスターが、天気予報の気温の予報の後に、温度のことについて言ってました。
「この地上には、存在する温度は、摂氏で−273度から、太陽の表面温度で5526度まで、あるけど、人間が生きていけるのはそのほんのわずかな間だけなんですね。そして、10度上がって、下がって、暑いだの、寒いだのとブツブツ言っているけど、ねー・・・。」という話を聞いたことがあります。
本当にその通りだと思います。だから、その特別な作り上げられた環境の中にいなければ、私たちは、全く生きていけない、非常に弱いものです。神によっていろんな状況や、環境においていただいて、生かされているというのが、事実であると心から私も思います。さらに、発展して、我々が、いかに弱いものであるか、いかなる者であるのか、どういう罪人か、どれほど不信仰なのか、これもまた神によって知っていくこと、知らされていくことは、重要なことだと本当に思います。そこが大切な出発点です。私たちは、新たに神の恵みを知り、神に期待して、歩んでまいりましょう。神は必ず勝利を与えてってくださいます。
しかし、主は、「私の恵みはあなたに十分である。というのは、私の力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と言われたのです。ですからわたしは、キリストの力がわたしを覆うために、むしろ大いに喜んでわたしの弱さを誇りましょう。IIコリント12章9節
2021年04月18日
価値あるもの
4月になり、神学校の授業もまた新たに始まりました。授業のメッセージのお証で、この世のものは、みな「ちりあくた」ということが、とても心に触れられています。
私の人生において、後悔していたことが、血管のつまりのようなものが、ふっと、とれた感じです。ある解放を受けたんですね。神様の光が心の闇を消していただいたのとおもいました。
今朝は日曜礼拝を迎えた朝、ふとまた、「ちりあくた」の言葉が浮かんでいて、朝からその言葉が、響きっぱなし。礼拝に向かう道も、信号を待つ時も。そして、第二礼拝では、ピリピ3:7〜9が開かれ、「〜キリストのゆえに〜それらをちりあくたと思っています。」牧師さんのメッセージからも、ちりあくたという言葉が。感動しています。H