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2019年04月10日

世界へ飛び出すための“見えない教養    〜若者よ!世界へ飛び出せ〜

ただ英語が出来るだけでは、世界に通用しない。
世界と付き合いたいなら「教養を磨け」ということですね。

新指導要領で2020年度から「英語」が始まりますが
ただ英語が話せるだけではダメで、世界の常識を
身につけなければならないようです。

教養と言うと漠然としていて、具体的なことがわかりません。
そこを解説している記事です。

子どもの頃から身につけさせたい!世界へ飛び出すための“見えない教養”
4/7(日) 11:30配信 FNN.jpプライムオンライン

海外で仕事をしたり、学んだりすることで、自分もグローバル社会へと飛び出していきたいと思っている人も多いだろう。

だが、どんなに英語ができたとしても、グローバル社会には日本の常識が通じない時がある。それを知らないで飛び出していくのと、しっかりと身に着けて飛び出していくのとでは大違い。

(中略)

「グローバル化が進む日本においてもこれからますます日常生活や仕事でグローバル社会の常識を知っていることがアドバンテージとなっていくことと思います。その常識の第一はグローバル社会は招かれて入るものではなく、自分から『入れて!』と参加するもの」だというボークさん。

そのために特に大切なのは「考える力」だと語った。

(中略)

「娘が2歳の時に、“プレイグループ”という近所のお母さんたちと、先生を雇い交代でお世話をするというグループがあり、そこに行きました。お母さんたちも国籍は違い、いろいろな国の人がいました。でも、私だけ浮いていたんです。それは、娘にも影響していました。私が他のお母さんたちの輪に入れずにいたから、プレイグループの後、遊びに誘ってもらえず、娘も一人ぼっちだったんです。

他のお母さんたちと私の英語力に差はないのに、何が違うのだろう…と観察したんです。観察して、考えた末に、このお母さんたち、そして夫の関係で出会うグローバル社会で活躍する人たちの“6つの共通点”を見つけました。そして、それが私にないということも知りました。それを身につけないと、娘も私にようになってしまうと思い、行動を起こしたんです」

この6つの共通点をボークさんは物事の考え方や会話術などの“目に見えない教養”と礼儀作法やマナーなど“目に見える教養”とに分け、それぞれ経験談と共に紹介している。

【6つの共通点】
1. リベラルアーツを学び自分の意見を持つ
2.Causeという自分らしい社会との関わり方を持つ
3.教養あふれる会話と会話術を身につける
4.グローバル教養に欠かせない「外からみた印象」
5.グローバル教養あふれる食事の仕方
6. グローバル社会でネットワークを築くための社交ルール


誰かに誘われるのを待っていては、いつまでも馴染めません。
自分から積極的に入り込まないと、海外の社会では孤立する。

その為に必要な常識が「教養」だと言っています。

大切なのは「自分の意見」

まず、物事の考え方や会話術など目に見えない教養について、「リベラルアーツ的思考力」をボークさんは挙げた。リベラルアーツとは、“自分を知り、自分の意見を構築する教育”だといい、その過程で「自分ならどうしたいのか」や「自分はどう生きていきたいのか」と自問することで、自分らしい自分にとっての最適な生き方も見つけることができるという。

特に驚いたのは、意見の交換をしていても、否定や批判されることを怖がっていないことです。間違っていたら大変、こんなことも知らないと思われたら…と思うじゃないですか。でも、グローバル社会では意見を言わない人=存在しない人になってしまうので、意見を言わない人はみんなの輪の中に入れないんです。私がそうでした。

リベラルアーツは、日本では一般教養と訳され、プラトンなどの書籍を読むことが大切だと思われるかもしれませんが、読んで知識を集積するというよりも読んだことを『自分にとっての正義、コミュニティーとは?』や『幸せとは?』『働くとは?』といったことを考えることに生かすことが重要です
自分に対して問いを立てて、答えを発見し、自分というものを探していく、これがリベラルアーツです」


「自分は何がしたいのか?」を明確に持つ。
「自分はこう思うけど、みんなはどう思う?」と言う姿勢です。

子どもにとって家庭は一番影響を受けやすい場所です。『学校で何したの?』と問いかけるだけで、子どもは何をしたか振り返り、考え始めます。
私も含め質問や議論という教育を受けてきていない親世代は質問するのが苦手かと思いますが、リベラルアーツ的思考力を鍛えるためには質問し意見を引き出すことが重要です」

意見を構築するためには、人に質問をしてもらうことが必要で、ボークさんは娘と対話をしながら、徐々に自分も意見を持つということを始めた。大人になってからこれまでの習慣を変えることは難しいが、意識をすることで徐々に自分を変えていったという。


日本人に決定的に足りない経験です。
学校でもこういう教育の機会は、世界に比べて圧倒的に
足りていません。

私の経験で「青少年国際交流登山」というのがありました。
世界の高校生を集めて「登山」を通して、交流させるイベントですが
隔年で、日本と海外で開催しました。

この最後の段階で、高校生同士が発表をして質疑応答をするのですが
日本の高校生の発言が全くありませんでした。

海外からの高校生たちの意見に太刀打ちできなかったのです。

この時の経験から、子供との会話が変わりました。
子供に質問して、その答えに又質問する。
そうして、子供に自分の意見を構築させるようにしました。

要は、議論に慣れさせる。と言うことをしたのです。

それからは、片言の英語でも、自分の意見を言えるように
徐々になって行ったのでした。

社会に無関心でいてはいけない

続いて、グローバル社会を生きる上で、大切なものとして「Cause(コーズ)」を挙げている。これは「自分はどう社会とかかわっていきたいか」と自問をし、「自分一人ではなく、社会の役立つ一員となる大きなビジョンを持つ」という生き方で、今やビジネスでも取り入れられているものだという。そして、アメリカでは「エリート大学への入学でもCauseは求められている」とボークさんは言う。

「いわゆる“エリート大学”は、自分の大学で教育することで、どんな社会に役立つ人材に育ってくれるのかということを考えます。もう、テストの点数が良いという判断だけで決めていません。
例えば、『歯科医になりたい』という夢を持っていたとして、Causeがあると『口腔崩壊した子どもたちのために月に1回無料で治療できるクリニックを開きたい』といった世の中がもっと良くなることを考えたビジョンを抱くようになるかもしれません。そんな共感力あるビッグビジョンを持っている人がこれからの世の中には必要なのです


私個人の考えでは「英語教育」の前に、日本語の教育をしっかりと
やるべきなのではないか?
と言う考えがあります。

言葉の使い方を知らないままに「英語」を覚えても
自分の考えを相手に伝えることが出来ない。と思っています。

日本語でのコミュニケーション力が無いのに、英語が話せるだけでは
外国人とのコミュニケーションだってとれません。

ここで質問!あなたが海外で生活してるとして、近所の友人から「19時からのホームパーティー」の招待を受けたら、あなたは何時に友人宅へ行きますか?

その答えをボークさんは「スタート時間より前に着くのはダメです!」と厳しく指摘した。

「時間ちょうどもダメです。5分から15分程度、遅れていくことが礼儀です。これは特に、家に招待されている場合ですが、主催者は19時まで準備しているんです。
準備中に着くことになるのは大変失礼です。もちろん、ビジネスミーティングやレストランの場合は時間通りに行くことが大切ですが、これも早めに到着することはありません」


日本では「約束の時間の10分前に行く」のが常識でしょうが
海外では、それはダメということらしいですね。

「郷に入れば郷に従え」と言うことわざが日本にはありますから
それで行けば、「遅れて行け」ということになります。

日本での常識で海外を見ると、海外では「非常識」と言うことは
多々あると思われます。

これが「教養」というものなんですね。

結局、小手先の会話力ではなく、「人間力」を高めることが必要だ。
そうでなければ、世界には通用しない。ということです。

英語教育も、そういう観点で親は考えなければなりませんね。



  BY いいとこどり





「毒親」にならない為には・・・    〜子供の自由を考える〜

ついつい「過干渉」になってしまう親心。
そんな親心に潜む「毒親」予備軍にならないための
方法が書いてあります。

非常に参考になると思います。

まさか自分が…多くの親に潜む「毒親」の兆候
従順な優等生がストレスで豹変することも

親野 智可等 : 教育評論家
2017/05/23 6:00
東洋経済オンラインより

(前略)

みなさんはこのような微妙な過干渉をしていませんか?子どもの人生は子どものものですから、親が奪ってはいけません。子どもを親のコピーにしたり、親の自己実現のために利用したりしてはいけないのです。子ども自身がやりたがることを応援してあげましょう。そして、自分がやりたいことを自分で見つけて、どんどんやっていける人生にしてあげてください。


記事が長いので、いつも長文のコピーになるので、
原文はリンクから読んで下さい。

で、子供の人生を応援する立場で、子育てをしましょう。
と言う内容なんですが、ついつい「過干渉」になるのも
親心ですよね。

でもそこをグッと我慢して、子供を第一に考えなければいけないと
大いに反省しております。       WWW

親が子供の時にできなかったから、子供にはやらせたい。
これが危ないということです。
子供も本当に同じことが好きなら、それでいいですが
親に合わせている可能性があるらしいのです。

ここを見極めないと、子供は、非常に不幸になります。


子供が本当にやりたいことは何か?

これを探るのが、親の一番大事な仕事なんですね。
それ以外はどうでもいい…、とは言いませんが     WWW

これを見つけて、子供に自由にさせて挙げられれば
それで子育ては成功。
親は応援するのみ、です。

子供の人生は、子供の物です。
親が奪うようなことは出来ません。


好きで子供を作ったのであって、子供は勝手に生まれた
訳ではありませんから、子供を責めるのはお門違いです。
しかも、子供には親を選ぶことが出来ません。
子供は親が大好きなんです。

そういう子供を不幸にしてはいけませんよね。

頑張りましょう!


  BY いいとこどり



参観日は、子供を褒める絶好の機会です。  〜決して、叱らないで〜

参観日のシーズンです。
親としての参観日への心構えで、いい事が書いてありました。

4月授業参観に「行くだけの親」が見落とす本質
4/9(火) 6:10配信 東洋経済オンライン

4月授業参観に「行くだけの親」が見落とす本質

 4月は入学や進学のシーズン。子どもたちを取り巻く環境は大きく変わります。学校が変わる子も多いでしょうし、そうでない子も学年とクラスは変わります。もちろん友だちも変わり、先生も変わります。

 そんな新しい環境の中、多くの学校で授業参観が行われます。長年、小学校の教師として子どもたちを見てきた私としては、ぜひ、この初めての授業参観を有効活用してほしいと思います。そして、そのためにはちょっとしたコツがあります。

■「授業参観」最優先で見るべきは…

 まず、強調したいのは、「授業参観」という名前になってはいますが、実は親が見るべきいちばん大事なものは授業ではないということです。いちばん大事なのはズバリ“休み時間”です。

 子どもが休み時間をどのように過ごしているか、ぜひ見てください。そうすれば、新しい環境に適応できているか否かがよくわかります。授業では、子どもたちはそれぞれの席に座って、先生の指導のもとみんな同じように行動しています。言ってみれば、よそ行きの行動ばかりです。でも、休み時間は違います。子どもたちの本当の姿が見られるのです。

 多くの場合、授業参観は5時間目なので、可能な場合はちょっと早めに行って、その前の昼休みの時間から見るようにするといいでしょう。理想を言えば、親が自分を見ているということに、子どもが気づいていない状態で見られればいちばんいいでしょう。子どもが親の目を意識すると、普段と違う行動をする可能性が出てくるからです。


そうですね。休み時間は子供の本来の姿が見られるかも・・・

休み時間に楽しく幸せそうなら適応できていると言えます。中でも大事なのは友だち関係です。子どもの悩みでいちばん多いのが友だち関係のことだからです。

 もちろん、休み時間には読書をしたり絵を描いたり、1人で過ごしたいという子もいます。そうした姿を見ると、親としては心配になるでしょう。でも、本人がそれでいいならよしとしましょう。過度に心配して「みんなと遊ばなきゃダメでしょ」と強制する必要はありません。

 これは私がいつも言っていることなのですが、友だちと遊ばない子には次の4つのタイプがあります。今言った子は3番に当たります。

1. 友だちと遊びたいのになかなか遊べない。とくに避けられてはいないようだ
2. 友だちが遊びたいのになかなか遊べない。どうも避けられているようだ
3. もともと友だちといるより1人でいるほうが好きなので1人で過ごしている。でも、必要に応じて友だちと遊んだり協力したりすることもできる
4. そもそも友だちをまったく欲しがらない。一緒に遊んだり協力したりする気もない


 休み時間の様子を見て、1、2、4に当てはまる場合は、配慮が必要になります。


社会への適応の第一歩ですからね。
「友達百人出来るかな」ですね。

1のタイプなら、先生に頼んで休み時間に一緒に遊ぶ子をあっせんしてもらうといいでしょう。学年始めの4月や5月においては、このタイプはけっこう多いと思います。小学校の3年生以下なら、先生がその子と馬が合いそうな子や遊びのリーダー的な子に「○○ちゃんも遊びに入れてあげて」と言ってあっせんしてあげるだけで、あっさり解決することもあります。

 2のタイプの場合は、避けられている原因を探して対処する必要があります。

 4のタイプの場合、もしかしたら発達障害と診断されるものかもしれませんので、早めに専門家に看てもらうとよいでしょう。もし発達障害だとわかれば、それに応じた対応方法をアドバイスしてもらうことができます。そうでないとわかれば、それはそれで、その子の個性に応じた対応方法をアドバイスしてもらうことができます。

 専門家は、日々いろいろな子どもたちを見ていて経験豊富です。専門家に見てもらわないまま、素人の親があれこれ悩み続けても、展望が開けないまま苦しい時間が過ぎるだけです。子どものためにもなりません。

 なお、昼休みの後に掃除時間を設けている学校も多いと思います。掃除時間も昼休みと同じく子どもたちの本当の姿が見られる時間帯ですので、見ておくといいでしょう。


来週、参観日がありますので、大いに参考にさせてもらいます。

参観日は、子どもの話に出てくる友だちを見ておくいい機会です。前日に友だちの名前をもう一度聞いて、その子たちの席のだいたいの場所も聞いておくといいでしょう。できたら、その子たちとあいさつや会話ができればいいですね。そうすれば、それ以降、子どもが友だちの話をしたときに、より鮮明にイメージしながら聞けるようになります。

 さらには、その子たちの親御さんともあいさつや会話をするなど、顔なじみになっておければ最高です。そうすれば、その後いろいろな情報交換をしたりお互いの交流を深めたりすることもできます。

 また、万一子ども同士の間でトラブルが起こったときも、フランクな話し合いができるので問題解決につながりやすくなります。顔も見たことのない状態のままトラブルが起こったりすると、「相手の親はどんな人なんだろう」とお互い疑心暗鬼になり、問題解決がしにくくなります。


そうなんです。これは、私にも経験があることなので
良く重要性がわかります。

親同士が仲がいいと、子供も仲良くなる。

■参観日を「叱るきっかけ」にしない

 最後に改めて強調したいのは、先ほども触れたように、参観日を叱るきっかけにしないでほしいということです。家に帰って、つい「もっとしっかり○○しなきゃダメでしょ」と叱ってしまった経験がある人は多いと思いますが、これは子どもには切ないことです。

 子どもは、「自分は親にダメな子だと思われているんだ」と感じてしまいますし、自己肯定感も下がってしまいます。それに、口で叱っても、それで改善することはまずありません。

 それよりも、家に帰ったら何でもいいのでとにかく褒めてあげましょう。まずは、「がんばってたね」とか「今日は学校での様子を見られてうれしかった」と言ってあげてほしいです。同時に、より具体的に「□□がよかった」とピンポイントで褒めてあげることも大切です。

 そのためには、学校で子どもの様子を見るときに、「褒めるネタはないかな」という意識を持ちながらプラス思考で見るといいでしょう。褒められれば子どもはうれしいですし、さらに頑張るエネルギーも湧いてきます。そして褒めてくれる親のことが、ますます大好きになります。

親野 智可等 :教育評論家



耳の痛い話ですが、この点を心がけて参観日に臨みましょう。

大変勉強になる記事でした。


  BY いいとこどり


2019年04月09日

子供のトラブル どうたいしょする?

昔は「子供のケンカに親は口出すな」と言うのがありましたが
今どきの子供は、「意図的に相手を傷つける」と言うことがあるようです。
大体、家庭に問題がある子に多いようなのですが、こういう家庭の親は
「モンスターペアレンツ」である場合が多いように感じます。


「子ども同士のトラブルでしょ」ケガさせられたのに謝罪なし、相手の親を訴えられる?
4/7(日) 9:57配信 弁護士ドットコム

「子ども同士のトラブルでしょ」ケガさせられたのに謝罪なし、相手の親を訴えられる

「子どもが怪我をさせられたのに加害者の親から謝罪がありません」「加害者の親に子ども同士のトラブルでしょ、と逆ギレされました」ーー。ネット上では、トラブルを起こした子どもの親が謝罪しないことに対し、怒りの声があがっています。

小学1年生の息子がいるというアカリさん(神奈川県在住・30代・仮名)もその1人です。

「入学して間もないころから、息子は同じクラスのヤマトくん(仮名)に殴られたり、目に指を入れられたり、引っかかれたりということが複数回ありました。病院にかかったこともあり、顔についた傷は半年経っても残っています。担任の先生からは謝罪の電話がかかってきますが、親からの謝罪はありません」(アカリさん)


このケースは、執拗に複数回、特定の相手を攻撃していますから
「子供のケンカ」では済まされない事例だと思います。

ある日、アカリさんの息子はヤマトくんに筆箱で力いっぱい後頭部を殴られ、学校がこわいと言うようになったそうです。

「さすがに我慢の限界です」というアカリさん。加害者の親を訴えることはできるのでしょうか。宮島繁成弁護士に聞きました。

●子どもが高校生でも、「親」が賠償責任を負うことも

ーー加害者のヤマトくんは小学1年生です。慰謝料や治療費を親に請求することはできるのでしょうか

「民法の不法行為(709条)が成立すれば、加害者は被害者に損害を賠償しなければなりません。ただし、加害者に責任能力があることが条件です。

責任能力とは、自分の行為が違法なものであって、法律上非難されるものであることを認識しうる能力を意味します。

本来、人によってばらつきがあるものですが、過去の裁判例や学説によると、小学校を卒業するころ(12歳程度)が境目とされています。このため、未成年であっても責任能力が認められることがあり、その場合は本人が賠償する責任を負います。

ヤマトくんは小学1年生なので、責任能力はなく、不法行為は成立しません。したがって、ヤマトくん本人には賠償義務はありません。

ただし、こういった場合、民法は親が監督者として賠償義務を負うよう定めています(民法714条)。そのため、ヤマトくんが責任を負わなくても、ヤマトくんの親が賠償義務を負うことになります。


そりゃあ、当然ですね。

賠償の対象には、治療費などの実費だけでなく、慰謝料も含まれています」

ーーヤマトくんは小学1年生ですが、加害者が高校生の場合はどうなるのでしょうか

「高校生であれば本人が責任を負うことになるが、お金がない。その一方、お金を持っている親は責任を負わない。そうすると、被害者は泣き寝入りになってしまいます。

最高裁は、親の監督上の不注意と損害の間に因果関係があるときは、親自身が不法行為をおこなったものとして、親が賠償する義務があるとしています。実際にこの考え方に沿って、親に賠償を命じた裁判例はたくさんあります」

●子どもの親に謝罪を強制させることはできない

ーー学校側に責任を問うことはできるのでしょうか

「教師がヤマトくんの暴力を煽った、見て見ぬふりをした、いじめを認識しつつ放置していたなどの特別な事情があれば別ですが、一般に学校が責任を負うことはありません。

ただ、学校の管理下で発生した事故・事件は学校や相手児童の責任の有無を問わず、災害共済給付(日本スポーツ振興センターが運営)から治療費などを受け取ることができます」

ーー子どもの親が謝罪しないことに対しても、怒りの声があがっているようです。内容証明を出すなどして、謝罪を要求することはできますか

内容証明を送り、謝罪してくれるならいいのですが、謝罪は法的な行為ではありませんから、強制させることはできません。

そのため、謝罪しないと言われたらそれで終わりになってしまいます。いやいや謝ってもらっても、被害者としてはすっきりしないかもしれません」

【取材協力弁護士】
宮島 繁成(みやじま・しげなり)弁護士
日弁連子どもの権利委員会、いじめ問題対策プロジェクトチーム、教育法制改正問題対策ワーキンググループ。いじめや体罰など学校問題のほか、法教育、スポーツ問題などに取り組んでいる。中学校及び高校の教員免許を有している。
事務所名:ひまわり総合法律事務所
事務所URL:http://www.himawarilaw.com

弁護士ドットコムニュース編集部



問題は「子供が意図的に相手を攻撃した」と言う場合で
苛めにもつながることですから、放置はできないでしょう。

「何故、攻撃するのか?」を、親は見極めなければなりません。
子供がこういう行動に出る場合、裏に必ず「理由」があるはずです。
子供の言い分をよく聞いて、判断する必要があります。

私の子供(8歳の長男)ですが、小学校一年生の時に
顔を殴られて「アオタン」が出来るほどでした。
先生に聞いても「知らなかった」で済まされたので、相手の親に
直接電話して、状況を説明して、相手の子供に謝るように言いました。

親が家まで来て、謝りましたが、私は、相手の子供に
「何が原因?」と聞きました。
そうすると「僕の体に、給食のお盆が当たった」と言ったのです。
だから怒って殴ったと言いました。

でもそれは、意図的にお盆を当てたわけではありませんでした。
そこを説明して、相手を殴るのはいけない事、家の息子にも
当たったら「ごめんね」と言うことを説明して、双方が
納得したので、握手をさせて終わりにしました。

ただこの時、相手の親が、子供が何か言おうとしているのに
横から庇う様に「お盆が当たったから・・・。」と口を出してきました。
私は「それじゃあ、街のチンピラと同じです。」と言い返しました。

街中で「体が当たった」と言って、いきなり殴りかかってくる様子を
よく見かけていたのです。
「意図的にやったわけではなく、不注意で当たった」訳ですので
謝ればお終いのケースでした。

ここは親が口を出すべき時ではありません。
子供の言い分をきちんと聞いてあげなければいけない時です。
こういうことを繰り返すと、子供は「親が片付けてくれる」と
反省をしなくなります。

この時は、これでおしまいにしましたが、再度こういうことがあれば
その時ははっきりと言おうと思っていました。
がしかし、それ以後は、この子とは「お友達」として付き合っていましたので
間違った対応ではなかったと、安心しました。

ただ、この子は、他の子ともトラブルを起こしていることが
後で「ママ友」から聞きました。
短期間ですが「不登校」になった子供が居たようなんです。

こういう子供は、きっと、どこの学校にも少なからずいると思います。
でも、子供にもその理由があるはずなんです。
そこを親は、見極めてやることが必要だと思います。

親同士が相談できれば、一番いいです。
どうしたら子供たちが幸せな学校生活を送れるか?
そういう話し合いは必要だと思われます。

子供は地域で育てる。

これが一番いい方法だと、私は思っています。



 BY いいとこどり


PTAをやらない理由を言わない。と言う選択肢   〜小学校PTA〜

PTAへの参加は、本来、任意参加です。
しかしながら、現状では中々そうなってはいません。

参加は「義務」とまでいうPTAもあります。
言わんとしていることはわかります。「子供の為に・・・」
ですよね。

しかし色んな家庭がありますから、参加できない家庭も
少なくはありません。

強制的に参加させても、実際に活動してくれなければ
意味がありません。

ここに一つの意見があります。

今年のPTA委員決めは「できない理由を言わない」ことで辛い人を守ろう
大塚玲子 | ライター、編集者、PTAジャーナリスト
4/7(日) 10:00   Yahooニュースより

「みんなが言うから言う」をやめませんか? 委員決めにお父さんが出たっていいのです(ペイレスイメージズ/アフロ)

 今週は多くの学校でPTA委員決めが行われますが、この春こそは、辛い思いをする母親が出ないようにしたいものです。

 そのためには、先日の記事*でもお伝えしたように「委員を必ず何人出す」という仕組みをまず見直す必要がありますが、残念ながらもし変わらないまま当日を迎えた場合は、どうしたらいいでしょう。

*参考)PTA委員決め「必ず何人」は不要 もう、泣くお母さんを出さないために(大塚玲子)
 みなさんにお願いしたいのが、せめて「できない理由を言わない」という試みです。

 PTAでは、ほかの人たちの前で「できない理由」を言うことが当たり前になっていますが、冷静に考えれば異常なことです。PTAは本来(法律上、と言い換えてもよい)義務でなく「やりたい人がやるもの」ですから、「できるけれど、やらない」という選択もアリです。ということは、「できない理由」という個人的な事情を明かす必要はないのです。

 買い物をしたドラッグストアで「会員にならない理由を言え」などと言われたら、「はい?(なに言ってんだ)」と思うでしょう。PTAだって本当はこれと同じです。

 みなさんもお子さんが小学校に入る前、初めて「PTAでは、できない理由を言わされる」と聞いたときは、ドン引きしなかったでしょうか。もう見慣れ過ぎて頭が麻痺しているかもしれませんが、その最初の感覚はまっとうでした。

 やるならやるで引き受ける。やらないならやらないで引き受けない。それだけでいいのです。できない理由を言わなくても、本当は済むはずです。



正論ではありますが、学校行事が成り立たなくなるケースも
あるかもしれませんよ?

なかには当然、ほかの人に「できない理由」を言いたくない人だっています。たとえば最近もツイッターで、こんな発言を見かけました。

○役員決めの手紙が配られた。病気で免除を希望する場合には、病名を記入する欄がある。私は難病だが、周囲に言っていない。言わなければいけないのか? PTAにそんなことを聞く権限があるのか?

○PTAの役員免除を受けるには、みんなの前で理由を発表しなければいけない、という話を聞いて、子どもを持つことをあきらめようと思った。私は大勢の前で喋ることに恐怖を感じる心の病気です。

 みんなが「できない理由」を言えば、こういう人たちも言わざるを得なくなります。「理由を言わない」ことを、スタンダードにしていく必要があります。(*1)

*無言で、深々と、頭を下げた

 筆者もかれこれ9年前、子どもが小学校に入った最初の年、学級代表の委員がなかなか決まらず、母親たちが順繰りに「できない理由」を言う場に居合わせました。

 でも、どうしても「言えない、言いたくない」と思いました。

 だって、できなくはないのです。フリーランスですから、時間の都合はつけられます。睡眠時間か仕事時間を削れば、参加はできる。

 ただその分、体調を壊しやすくなったり、収入が減ったりするわけで、それでも「できる」=「PTA活動をやらなければいけない」ことになるのか?

 それに、仕事をしているから子どもを学童に預けているのに、平日日中に学校で行われるPTA活動に出られたら、おかしいのではないか? 子どもを学童から帰されても文句を言えなくなるのでは?

 等々のもやもやした疑問がかけ巡り、頭が爆発しそうでした。

 母親たちが端から順に「できない理由」を言っていくなか(保育園のとき大勢いた父親たちはどこへ消えた!?という疑問もありました)、最後に私の番がまわってきました。

 何も言えず、無言で深く、頭を下げました。理由を言う気がないことは、誰が見ても明らかだったのでしょう。問いただされることはありませんでした。

 こんなふうに無言で流すのが気まずければ、「すみません、理由は申し上げられませんが、お引き受けできません」と言うのでも、なんでも構いません(*2)。「理由を言わない」を、ちょっとずつでも、当たり前にしていけないでしょうか。 


周りがそれで察してくれれば、問題はないです。
でも、そんなケースは「稀」ではないでしょうか?

 なおこのとき、理由を言わせる役回りの役員さんや先生を、責めないでもらえたらと思います。他人のことを言う前に、まずは自分の行動から。「毎年言わせるから言わせる」人も、「みんなが言うから言う」人も、さして違いはありません。

 もちろん進行役の役員さんや先生たちにも、本当は考えてほしいです。「言わせることになっているから、言わせる」のは、果たして、正しいことなのか。

 もしやむを得ず「できない理由」を言う・言わせるなら、せめて来年度は同じことが起きないように、“委員を必ず何人出す”という仕組みを変えるよう、あとで役員さんや校長に働きかけてもらえないでしょうか。

 お父さんたちも、妻がもしPTAのことで溜息をついていたら知らんぷりをせず、話を聞くなり、代わりに委員決めの保護者会に出席して引き受けるなり断るなりしてもらえればと思います(役割が逆の場合は、妻も同様に)。

 念のため付け加えておくと、筆者はその後委員や部長を何度もやり、想像していたほど恐ろしいものではなく、面白い面もあることを知りましたが、「だからやるべきだ」とは思いません。PTAは決して、義務ではないのです。

*1 病名(病歴)は、個人情報のなかでも最も取り扱いに注意が必要な“要配慮個人情報”に当たります。PTAにそういった情報を集める権限はもちろんありません
*2 書面であれば「一身上の都合により」というデリカシーある表現を使えますが、稀に「“一身上の都合”は認められない」とするPTAもあります。その場合「理由はお伝えできません」と言い直す必要があります

大塚玲子
ライター、編集者、PTAジャーナリスト
主なテーマは「PTAや学校」と「いろんな形の家族」。取材執筆、講演、出演等。著書 『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』『PTAがやっぱりコワイ人のための本』(全て太郎次郎社エディタス)、共著『子どもの人権をまもるために』(晶文社)、『ブラック校則』(東洋館出版社)。ひとり親。定形外かぞく(家族のダイバーシティ)代表。連絡先:ohj@ニフティドットコム


難しい問題で、一概には結論できませんが、「相手の意見を尊重する」という
観点で、無理な押し付けは止めたいですね。

人間「得手不得手」がありますから、・・・

でもね?  子供たちが生きた学習をする為なら
親は、頑張れませんか?

親のエゴで、子供たちが嫌な思いをしないように
して上げたいではないですか。



      BY いいとこどり


世界の児童買春に立ち向かう「カモノハシプロジェクト」 〜無料支援をアンケートで〜



私には本当は夢があって…、学校へ行って勉強というものをしてみたかったなあ
だまされて売春宿に売られた少女が、20歳で亡くなる前に漏らした言葉です。

未成年の少女たちが、だまされて売春宿に売られる。
日本では考えられないことですが、世界では毎年180万人もの子どもが、人身売買の被害者になっているとも言われています。


カンボジアで既に「人身売買の無い国」を実現した「カモノハシ プロジェクト」。
今度は、最大の問題国「インド」に挑んでいるようです。

子どもが売られない世界を、インドでも。

今、注力するのがインドでの活動です。

人身売買の規模は世界最大と言われるインドで、子どもが売られてしまう値段は1人たった2万円。
特に東部の西ベンガル州の周辺に貧しい村があり、西部の大都市ムンバイまで約1600Kmのルートを通じて、たくさんの子どもが、売り飛ばされています。

かものはし1.JPG


さらに、インドで人身売買をした業者が逮捕され、有罪になるのは、たった数パーセントのみなのです。

・被害者が裁判で自らの体験を語り、証言をする精神的なハードル
・被害者だと分かってしまうことに伴う差別
・貧しい家庭は、裁判費用が出せない


その結果、悪徳な人身売買業者が平気な顔をしてのさばり、今この瞬間も子どもたちを売春宿へと売り飛ばし続けています。

そこで私たちは、被害者の少女・女性に寄り添うことと、問題の根を断つ取り組みを行っています。


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    BY いいとこどり

2019年04月08日

ゲームそのものは、脳発達に良い、が、依存症になるほどやってはいけない。

ゲームやSNSへの依存症が問題にされているが
やること自体が悪い訳ではない。

子供への影響に関しても、下記のような実験結果もある。

"ゲームをするとバカになる"は本当なのか

2カ月にわたり「一日30分」プレイ


枝川 義邦
脳神経科学者 枝川 義邦
PRESIDENT 2019年2月4日号

「脳を若く保つ」ということがわかってきた

一昔前は、「ゲームをするとバカになる」「勉強の時間を奪う」と悪者にされてばかりの存在だったゲーム。ですが、最新の脳科学の研究によればネガティブなだけではなく、脳を若く保つ影響もあるのです

これまでも、ゲームを継続的に遊んでいる人は、視覚、指の動きに関連した能力、記憶力、論理的に考える力などが高くなることが知られていました。そして、近年では脳の働きを可視化する技術が普及したことで、ゲームの脳への影響がより正確にわかってきたのです。

このような技術によれば、人がどんな活動をしているときやその後に、脳がどんな具体的な影響を受けるのか、つぶさに知ることができます。

「スーパーマリオ64」で空間認知、記憶、戦略が増大

結果として、ゲームをしているときには、特に海馬や前頭前野の働きが活発になることがわかりました。海馬は、記憶を司る部位。また、前頭前野は社会性や計画性、戦略を司っています。すなわちゲームには、記憶力や計画性、戦略性を高める効果が期待できるというわけです。

さらに、小脳で神経細胞やそのまわりの組織の層が厚くなっていることもわかりました。小脳は身体の運動を司る脳部位なので、ゲームをすることで身体のいずれかの運動機能にいい影響を与えるといえそうです。

ゲームでボケ予防」という取り組みもあります。例えば、同時並行で物事を進める料理のような作業では、記憶や認知、戦略性などの高い情報処理を行っています。認知症を患うとそれが難しくなるわけですが、ゲームは関連する脳の機能を高めてくれる。「ボケ予防にゲーム」は一理あるというわけです。

さらに、ゲームと脳の関係で注目すべきなのが、ドイツのマックスプランク研究所が行った実験です。日本でもブームになった「スーパーマリオ64」を2カ月にわたり一日30分プレイした人について、空間認知、記憶、戦略、手の運動技能を司る脳の海馬、前頭前野皮質、小脳において、神経細胞等が集まる部分が増大していることが明らかとなりました。


これに関して「0〜3歳」「3〜7歳」「7〜10歳」で、
脳神経が出来上がる。という研究があります。

「0〜3歳」・・・脳神経が出来始める
「3〜7歳」・・・不要な脳神経が整理される
「7〜10歳」・・脳神経が発達する

この段階を踏まえて、児童教育をするのがいいらしい。

< style="border:1px dotted #999; background:#eee;padding:10px;margin:10px;display:block;">ゲームはますます現実に近づいていますから、なおさら認知の力は鍛えられるでしょう。ソーシャルゲームも、パズルやアクションの要素で戦略性や動体視力、瞬時の判断力が鍛えられますし、キャラクターを組み合わせて戦えば社会性も高まりそうです。またゲームを完遂することは企業でプロジェクトを達成することと似ています。

ただし、複雑な情報による負荷があまりに続くとストレスになります。脳が過度にストレスホルモンに晒されると、神経細胞の機能が低下したり死んでしまうこともあります。1〜2時間程度で済んでいるならいいですが、ゲームの中で困難も楽しさも完結するようになって、「もっと、もっと」ととらわれると「依存」の状態になる恐れもあります

WHO(世界保健機関)は2018年1月に「ゲーム依存症」を病気として認定しました。ギャンブルやタバコ、アルコール依存と同じように、あなたのQOL(生活の質)を著しく下げる可能性もあるので、注意しながら楽しみましょう。

枝川義邦
脳神経科学者
早稲田大学研究戦略センター教授。東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了。早稲田大学ビジネススクールでMBA取得。

そう、ゲームはいいが、やりすぎで「依存症」を発症することは
勿論マイナスにしかならないわけだ。

何事も「ほどほどに」ということなのです。

怖いのは「ゲーム」ではなく、「依存症」です。
それをコントロールしてやれるのは、親だけですよ。



    BY いいとこどり

プログラミング教育に必須のパソコン保有   〜日本は最低水準〜

この記事を見て「なんじゃ、こりゃ」だった。
プログラミング教育の前に、こんなことでは話にならない。

パソコン普及率が低すぎる日本の憂鬱な未来
4/8(月) 6:15配信 JBpress

パソコン普及率が低すぎる日本の憂鬱な未来

 2020年度から小学校でプログラミング教育が必修化される。新しく使われる教科書にはプログラミングの項目が盛り込まれているが、日本の場合、子どものパソコン保有率が極めて低いという、教育以前の問題が存在している。(加谷 珪一:経済評論家)

■ プログラミングという科目があるわけではない

 文部科学省は2019年3月26日、全国の小学校で2020年度から使われる教科書の検定結果を公表した。算数や理科の教科書には必修となるプログラミングが盛り込まれている。

■ あまりにも低すぎる日本のパソコン普及率

 今回のプログラミング必修化によって、遅れていた日本のIT教育にも弾みがつくと考えたいところだが、どうも雲行きが怪しい。日本の場合、学校でのカリキュラム以前の問題が存在しており、これが足かせになる可能性が高いからである。その問題とは、パソコンがあまりにも一般社会に普及していないことである。

 プログラミングあるいはIT教育というのは抽象度が高い分野なので、教え方を工夫しないとうまく学習できないのは明らかである。パソコンやタブレットの操作というのはあくまで形而下(形を備えているもの)での話だが、形而下での操作に慣れることで、抽象思考が身に付くという側面があることは否定できない。このためIT教育において、ハードウェアに慣れ親しむことは重要な意味を持つ。

 ところが日本は先進諸外国に比べてパソコンやタブレットの普及率が低く、これがプログラミング教育の障害になる可能性がある。

 OECD(経済協力開発機構)の国際成人力調査によると、16歳から24歳までの若者が職場や家庭などでパソコンを利用する頻度は、OECD加盟国中最低水準だった。OECDの学習到達度調査においても、学校や家庭でコンピュータを使える状況になっていると回答した生徒の割合は、ほとんどの質問項目において47カ国で40位以下にとどまっている。

 パソコン販売台数などから推定した日本のパソコン保有率は米国の半分程度である。成人が業務においてもパソコンを使っていないのであれば、子どもが日常的にパソコンに触れる可能性はさらに低いだろう。

 内閣府が行った国際比較調査でも同じような結果が出ており、日本の13歳から19歳の子どものパソコン保有率は先進国中では突出して低く、約7割がパソコンを保有していない。


この教育をするからには、当然学校でのパソコン設置はするのだろうと
当然のように考えていたのだが・・・。

教室の全員がパソコンを使った教育になるものと思っていたら
そこは置き去りで、一体、どういう教育方法をとるのかが
わからなくなってきた。

教科書で仕組みを勉強させても、実際にパソコンを触れないのなら
実践教育が出来ないではないか?

学校はどう考えているのだろうか?

日本ではスマホが普及しているという意見があるが、この話にはあてはまらない。先進諸外国では日本と同様、スマホが普及しているが、これに加えてパソコンやタブレットも保有している。個人的なコミュニケーションはスマホで、知的活動はパソコンでという使い分けが出来上がっていると見てよい。
 諸外国の学校教育がパソコン保有を前提としており、宿題も電子的に提出させるケースがあることを考えると、この落差はかなり激しいといってよいだろう。


学校がパソコンを保有するのは、教育上、必須ではないのか?
民間企業では、子供向けプログラミング教材として、タブレットを
使用したものが続々出てきているので、家庭ではこれらを使っての
勉強はできると思うが、経済的負担が大きいので、格差が出来る。

経済的に厳しい家庭は、学校での教科書教育しかできない
ことになるのだろうか?

そんな教育では、実効性が怪しい。

■ 全員にパソコンを持たせても「安い買い物」

 プログラミング必修化によって、ITに興味関心を持つ子どもが増えたとしても、パソコンに触れる機会がなければ、その興味を継続的に発展させることは難しい。

 日本はあらゆる分野において予算不足となっており、教育現場は特にその傾向が顕著となっている。だが小学生あるいは中学生全員にパソコンを行きわたらせるための予算は、少々無理すれば実現できない水準ではない。日本は少子化が進んでいるので、10〜14歳の人口は600万人しかいない。1台5万円で調達できるなら、3000億円の金額があれば足りるのだ。


安い買い物である。
以前から、「日本の教育にかける予算が少ない」と書いてきた。

せめて、基本的なパソコン設置ぐらいは、金をかけていただきたい。
幸い、家にはタブレットもパソコンも親が使っているのがある。

パソコンなど、今は、安いのがいくらでもある。
国が配置するのであれば、台数が多いのだから、安価で
購入できるはずだ。

さっさと、設置しなさい。

■ 日本のIT人材は「文系」に使われている? 

 同時に、ITの知見に対する処遇についても、考え直していく必要がある。

 日本では、いわゆる理工系教育というのは、エンジニアを育成するためのものというニュアンスが強かった。日本ではいまだに文系、理系という奇妙な区分があり(諸外国ではこうした明確な区分はない)、いわゆる文系と呼ばれる人が経営的な仕事に携わり、理系は技術を担当するという役割分担が出来上がっている。

 だがITが一般教養であるならば、大学のカリキュラムも時代に合わせて変えていく必要があるだろう。諸外国では学部の専攻は工学で、大学院ではMBA(経営学修士)を学ぶといったキャリアはごく当たり前である。経営や営業といった分野は文系で技術は理系という、情緒的な区分意識はそろそろ捨てた方がよい。


全くその通りだ。
今やパソコン使用は一般教養の時代であろう。

就職するにしても、パソコンの「エクセル」「ワード」が出来ないと
どこにもまともな就職先などない時代である。


IT教育は、ただ学校で教えればよいというものではない。ITの知見を社会にどう生かし、そうした知見を持つ人材をどう評価するのかという総合的な見識が問われている。

加谷 珪一



「IT後進国・日本」と言う言葉が蘇った。
ハードの面では品質優先の日本は、そこそこの競争力はあるが
こと「ソフト」面では、全く世界に歯が立たない状況を
日本人は認識しなくてはならない。

ソフトのアイデア面で、発想力が決定的に低い。
アプリの開発で国内で一所懸命やっても、ガラパゴスにしかなっていない。

その辺の発想力を磨くのに「プログラミング教育」が必要なのに
その基本となるパソコンが持てないのでは、笑い話にもならない。

子供達にパソコンを持たせれば、勝手に自分で覚えていくのが
子供たちの可能性である。

頭の中だけで教育しようとしても、それは無理だ。
ハードが伴わなければ、子供たちの興味を喚起することが出来ない。
子供たちにとって、パソコンは「遊びの道具」なのである。

道具が無いのに「遊べ」と言っても無理な話であろう。
子供たちが困惑する。


さっさと、パソコンを買ってあげてください。


             BY いいとこどり



河野外務大臣、ロヒンギャを見殺しにするのか?   〜ミャンマー少数民族ジェノサイド〜

ミャンマーはかつて「ビルマ」と呼ばれた。
日本軍がインド側から来るイギリス軍と戦った
「インパール作戦」があった国だ。

この「インパール作戦」は、日本の補給が行き届かず
「死の行軍」を余儀なくされた。

その時に救ってくれた民族が「ロヒンギャ」の村人だった。

その恩を忘れ、政府の虐殺を「見て見ぬふり」をするなど
許されるはずがない。

なのに・・・。

日本政府が「ロヒンギャ難民問題」に対して展開する人権軽視の外交
4/7(日) 8:31配信 HARBOR BUSINESS Online

日本政府が「ロヒンギャ難民問題」に対して展開する人権軽視の外交

 「弱いものいじめはだめ」「困っている人がいたら助けてあげて」私たちはそう言い聞かされて育ってきた。読者のあなたが親なら、今も子どもにこんな声をかけているはずだ。

◆迫害される民から目を背けた日本政府

 では、私たちを代表する日本政府はどうだろう? 日本政府が、世界でもっとも危険にさらされ迫害されている人たちから、肝心なときに目を背けていることをご存知だろうか?

 その「世界でもっとも危険にさらされ迫害されている人たち」とは、ミャンマーに住むイスラム教徒の少数民族・ロヒンギャの人たちだ。彼らはミャンマー政府から国籍をはく奪されている


こんなことが許されていいはずはない。
もはや、「人」としての扱いではない。

’17年夏にミャンマー国軍はロヒンギャに対して大量殺害、性暴力、広範な放火など、筆舌に尽くしがたい残虐行為を行った。この残虐行為の結果、ミャンマーに住むロヒンギャの大半である70万人以上が隣国バングラデシュに逃れ、劣悪な環境の難民キャンプでの生活を余儀なくされている。のちに国連の事実調査団は、ミャンマー国軍のこの行為をジェノサイドおよび人道に対する罪に当たると認定した。

 国際社会はロヒンギャ保護に向けて行動を開始した。国連の総会と人権理事会がともにこの残虐行為についてミャンマー政府を強く非難し、正義を求め、国籍取得の権利を含めたロヒンギャの人権を全面的に尊重するよう求めたのだ。

◆国連の決議案を棄権した日本

 軍事作戦開始から4か月後の‘17年12月に採択されたこの国連総会決議に日本政府はどう対応しただろうか? ロヒンギャに対する過度の軍事力の行使を止めるようミャンマー政府に求めるこの決議は130以上という圧倒的多数の国の賛成で採択されたが、日本政府は驚くべきことに棄権した。


こんなことを日本政府はしていたのか?

◆アジアに広がる日本の「無価値観外交」

 そしてまた先月、国連人権理事会でミャンマー人権決議が採択されたが、またもや37か国という圧倒的多数の賛成に対し、日本は棄権にまわった。

 ミャンマー政府を非難する国連決議に圧倒的多数の国が賛成しても、なぜ日本は毎回消極的に立ちすくんでしまうのか? そして、なぜ世界でもっとも危険に晒されている人びとを守ることを犠牲にしてまで、ミャンマーの政府と軍の機嫌を取ってしまうのか?

 ミャンマーの政治的・経済的パートナーという日本の立場を中国政府に奪われないためだ、と正当化する政府関係者や政治家は少なくない。たしかに日本政府は国連決議に棄権したが、中国は反対だったじゃないか……。つまり、日本は中国ほど酷くないという声まで聞こえてくる。


アホか?
中国なんかと比べて、恥ずかしくないのだろうか?
詭弁としか聞こえない。

◆アジアに広がる日本の「無価値観外交」

 日本政府はかつて、人権、民主主義などの価値を重視する「価値観外交」を提唱していた。しかし、ロヒンギャ迫害をめぐる日本政府の人権軽視の外交は、「無価値観外交」と言われても仕方がない。

 しかも、この日本の「無価値観外交」が展開されているのはミャンマーだけではない。フン・セン首相による独裁強化が進むカンボジア、ドゥテルテ大統領が進める残虐な「麻薬撲滅戦争」が進められているフィリピンなど、アジアで広く展開されている。

 しかし、中国の台頭が止まらず世界的影響力が増す一方の今日、日本政府がアジアで仕掛ける「無価値観外交」は、勝ち目のないゲームであることは明らかだ。

 迫害された人たちから肝心なときに目を背ける外交、子どもたちに到底真相を語れない道徳観の欠如した外交ーしかも勝ち目のない外交ゲームーは、もうやめるべきだ。

 日本は価値観外交を再びしっかり掲げ、世界の圧倒的多数の国々と同様、残虐行為を公に非難し、ロヒンギャの人びとに法の下の正義が必要だとミャンマー政府に圧力をかけなければならない。

<文/笠井哲平 photo by UK Department for International Development via flickr(CC BY-SA 2.0)>

かさいてっぺい●‘91年生まれ。早稲田大学国際教養学部卒業。カリフォルニア大学バークレー校への留学を経て、’13年Googleに入社。‘14年ロイター通信東京支局にて記者に転身し、「子どもの貧困」や「性暴力問題」をはじめとする社会問題を幅広く取材。‘18年より国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチのプログラムオフィサーとして、日本の人権問題の調査や政府への政策提言をおこなっている

ハーバー・ビジネス・オンライン



一体日本は、どうしてしまったのだろうか?
気が違ったとしか思えない。

河野外務大臣よ、安倍総理の意向か?
いや、安倍総理がそんなことを命じるわけがない。

中国との駆け引きで、ロヒンギャの人々を無視していい訳がない。
イスラムだからか?
日本にだって、イスラムの人は沢山住んでいる。

よりによって、国連決議を何度も棄権するなど、
日本国民や天皇だって、そんなことは望まない。


ロヒンギャに対する「残虐行為」は、即刻停止させるべきである。
日本人として、こんなことは到底、許すことは出来ない。

今すぐ、「非難決議」を国会でやれ!



       BY いいとこどり


長野県議選 結果出る。    〜投票率 大都市部で半数以下〜

投票率はまずまずの投票率は58・89%。
しかし長野市や松本市の大都市部の投票率は、いずれも半数を割った。(共に40%台)

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県議選当選者決まる
政治・行政

[ 2019年 4月 8日 月曜日 1時19分 ]  南信州新聞より

 統一地方選前半の県議選は7日に投票が行われ、即日開票の結果、飯田市・下伊那郡区(定数4)では得票順に公明新人の川上信彦氏(48)=平谷村=、無所属新人の熊谷元尋氏(62)=高森町吉田=、無所属現職の小島康晴氏(63)=同市高羽町=、自民現職の小池清氏(61)=同市下久堅=が当選した。下伊那郡内の新顔2人が上位当選を果たし、同市内の現職2人が続いた形。59票差で敗れた自民現職の古田芙士氏(78)=同市上殿岡=ら現職2人、新人2人が涙をのんだ。
(中略)
 投票率は58・89%。飯田市、下伊那郡とも旧選挙区で行った2015年の前回選を上回った。


長野県の政治も世代交代を要求された格好だが、長野県全体の投票率は
そこそこで、大して変わり映えがしなかった。

有権者の半数が投票行為をしないという現実は、政治への
無関心さがうかがえる。

古田氏については、現職期間が長いうえに、県会議長まで歴任し
高齢であることもあって「もう休んで…」と言う声だと思う。
彼に反対したわけではない。
「ご苦労さん、もう、休んでください」の意味合いが強い。

私自身も、同じ思いである。
充分に飯田市に貢献していただいた。
ありがとうの気持ちで一杯である。


投票状況を見ると、大都市部が低い。
地方は、投票率が高いが、これは、高齢者が多く
政治への関心が高いからだ。

しかし、大都市部では、若者が投票に行かない。
これが、投票率低迷の原因だ。


飯田では、高校生が「選挙カフェ」を開催しようとしている。
21日の開催を計画しているようで、応援したい。
こういう若者が増えるような支援が大切だと思う。

未来の町は、こういう若者たちが作るのだ。


     BY いいとこどり
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