2018年08月31日
金王八幡宮 東京都渋谷区 御朱印(29)
こんにちは。
昨日、東京都渋谷区にある 金王八幡宮に参拝してきました。
金王八幡宮社伝によれば1092年(寛治6年)現在の渋谷の地に渋谷城を築き、渋谷氏の祖となった河崎基家(渋谷重家)によって創建されたとされています。
江戸時代には徳川将軍家の信仰を得、特に3代将軍徳川家光の乳母春日局は神門、社殿を造営したとされていて、江戸時代末期まではこの神社に隣接する澁谷山親王院 東n宦i天台宗)が別当寺でした。
当初は渋谷八幡と称していましたが、社名にある「金王」は、重家の嫡男常光がこの神社に祈願して金剛夜叉明王の化身として生まれたことにより金王丸と称したことによるとされています。
神門
手水舎
社殿
神楽殿
御朱印
帰りに気ずきましたが、立派な大鳥居が。(笑)
渋谷駅の近くに、こんな立派な神社があったんですね。
社殿の龍などの彫刻も、素晴らしいかった。
参拝で感謝をして元気をもらい、また清々しい気持ちになれました。
それでは、また・・・
2018年07月17日
高麗神社 日高市 御朱印(28)
2018年07月01日
秩父神社 秩父市 御朱印(27)
こんにちは。
一昨日に秩父今宮神社の後、秩父神社に参拝してきました。
秩父神社は秩父地方の総鎮守で、三峯神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社です。
12月の例祭「秩父夜祭」で知られていて、秩父夜祭(秩父祭の屋台行事と神楽)は2016年12月1日、「山・鉾・屋台行事」(18府県の計33件)のひとつとしてユネスコ無形文化遺産への登録が正式に決定しています。
この「秩父夜祭」の名で知られる秩父神社の例祭は、能楽を想わせる典雅な神代神楽に勇壮な屋台囃子、豪華な笠鉾・屋台の曳き回しに呼応する盛大な打ち上げ花火の競演など、人々を魅了するお祭りとして知られ、例年20万人以上の人出が見込まれていて、そもそもこのお祭りは、ご祭神である妙見様にちなんだ祭礼であり、かつては旧暦11月3日に行われていたものが、明治の改暦によって12月3日となり、現在に至っているようです。
荒川の源流にある秩父地方は、江戸時代に重要な水源の地とされていました。
そのため、1592年に徳川家康が水源地である秩父を守る目的で、現在の社殿の建立を命じたそうです。
何度か修復は行われていて、1966年に台風の影響で損傷した際に4年かけて復元を行ったものが現在の社殿です。
権現造(ごんげんづくり)と言われる建築様式で、鮮やかな色の彫刻が施された豪華な作りが特徴で、埼玉県の重要文化財に指定されています。
江戸時代初期に活躍したとされる、日光東照宮や出雲大社なども手がけた左甚五郎(ひだりじんごろう)の作品が多くあり、見どころとなっています。
(彫刻を見ていると、日光東照宮を思いだしました。)
手水舎
彫刻が凄いです。
神門
本殿
彫刻が素晴らしい。
社殿正面の左側にある、左甚五郎作と伝わる「子宝・子育ての虎」
寅年生まれの徳川家康が秩父神社秘伝の「虎の懺法(せんぽう:ざんげの方法)」を珍重したことから、社殿の正面の彫刻になっているという逸話もあるようです。
天神地祇社
全国の一宮やそれに準ずる神社の祭神が祀られています。
神楽殿
秩父神社の側道に、三峰神社がありました。
御朱印
たくさんの境内社や、珍しい天神地祇社、美しい彫刻など、素晴らしかったです。
また、清々しい気持ちになれました。
それでは、また・・・
2018年06月29日
秩父今宮神社 秩父市 御朱印(25)(26)
こんにちは。
埼玉県秩父市にある、秩父今宮神社に参拝してきました。
秩父今宮神社は日本有数の古社です。
信州諏訪の勢力が西暦100年前後に秩父に移住、この地に湧き出づる武甲山からの霊泉に「水神」を祀ったのが始原といわれていますが、有史時代に入ると、この霊泉に国生みの神である「伊邪那岐・伊邪那美」(イザナギ・イザナミ)の二神が祀られるようになったとのことです。
天武天皇元年(西暦672年)の壬申の乱の前後に、秩父の勢力は修験道の開祖「役行者」(えんのぎょうじゃ)の導きで天武帝に協力したと伝えられていて、それを境に秩父は発展を遂げました。
役行者は秩父に修行に訪れ、霊泉の傍に観音菩薩の守護神である「八大龍王」を合祀し、のちにこれが「宮中八神」と習合され、「八大龍王宮」または「八大宮」と呼ばれ、秩父修験の中核となったようです。
平安時代初期天長2年(825)には空海が来遊して橋立寺の洞窟内部に道場を開き、37日間の護摩秘呪を行います。
橋立寺はのちの今宮坊ゆかりの一寺。永観2年(984)「大宮山満光寺」、長暦2年(1038)「長岳山正覚院金剛寺」が開山され、さらに平安後期には熊野権現が勧請され、宮中八神と大日如来の習合した「八大権現社」が建立されました。
京都の今宮神社から須佐之男大神(スサノオノオオカミ)をこの地に勧請したのは天文4年(1535)。
疫病が猛威をふるったため、病魔退散を願って勧請されました。
永禄12年(1569)本山派修験聖護院直末二十六寺の一寺となり、諸国先達二十九寺の一寺ともなり、その頃は広大な敷地(20万坪)に修験道場や神社、仏寺観音堂などが混在していました。
江戸時代には「今宮八大宮」「八大権現社」と呼ばれる神社と「長岳山正覚院金剛寺」「大宮山満光寺」「今宮観音堂(札所十四番)」「橋立観音堂(札所二十八番)」を配下に治め、総称「今宮坊」とされ、神仏習合の一大霊場となったようです。
明治元年(1868)、明治政府の神仏分離令により修験道は廃止、「今宮坊」も解体を余儀なくされ、今宮神社(八大宮)と今宮観音堂(現・札所十四番)、橋立観音堂(現・札所二十八番)に分離され、独立して管理されるようになりましたが、御神体、御朱印、社宝、古文書等は謄写に継承されて現在に至っているそうです。
龍上観音・龍神観音・ 龍神池
手水舎
現在、本殿は改築中で仮殿で参拝します。
弁天社
稲荷社
龍神木
清龍の滝
平成の名水百選に選ばれていている武甲山の伏流水です。
ここで、お金を清めると万倍にとの事で、清めてきました。
また、お札場で無料配布されているミニボトル(お弁当の醤油入れみたいな感じ)に、御神水を入れてきました。(御神水は、一滴でそのご利益は絶大と言われているようです)
今宮神社の御朱印帳
今宮神社の御朱印
八大龍王宮の御朱印
白龍守り(御神霊入り)
一冊目の、日光東照宮の御朱印帳と比べると、一回り小さい感じ。
秩父神社にも参拝したのですが、また次回に。
参拝して、また清々しい気持ちになれました。
それでは、また・・・
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2018年06月17日
八坂神社 東京都東村山市 御朱印(24)
こんにちは。
東京都東村山市栄町にある 八坂神社に参拝してきました。
八坂神社の創建年代は不詳ですが、旧別当寺であった正福寺の創建とほぼ同時期に創建したものと考えられ、弘安元年(1278)前後から応永14年(1407)前後に創建したのではないかといわれています。
明治維新までは牛頭天王社・野口の天王さまと称されて大いに賑わったそうで、明治2年に八坂神社と改称、同年村社に列格したそうです。
当社の前を通る鎌倉街道(府中街道)の拡幅工事に伴い、平成元年建造物を一新しました。
手水舎
八坂神社拝殿
かなり立派です。
境内末社
三嶋神社(みしまじんじゃ)
ご祭神 事代主命(ことしろぬしのみこと) 大山祇命(おおやまつみのみこと)
三峯神社(みつみねじんじゃ)
ご祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 伊弉冉尊(いざなみのみこと)
御嶽神社(みたけじんじゃ)
ご祭神 櫛真智命(くしまちのみこと)
蚕影神社(こかげじんじゃ)
ご祭神 和久産巣日神(わくむすびのかみ)
最後に,御朱印をいただきました。
一冊目が、埋りました。
参拝で感謝をして、また清々しい気持ちになれました。
それでは、また・・・
2018年04月03日
立川熊野神社 東京都立川市 御朱印(23)
2018年01月08日
小平神明宮 東京都小平市 御朱印(22)
こんにちは。
東京都小平市にある 小平神明宮に参拝してきました。
小平神明宮は、小平市小川町にある神明宮です。
小平神明宮は、小川村の開拓願が出された明暦2年(1656)に神明宮の勧請を発願、5年後の寛文元年(1661)に社殿を造営、小川村の総氏神としたとされてます。
天和元年(1681)当地へ遷座、明治6年に村社に列格、明治17年郷社に列格、明治42年天神社を合祀しました。
小平神明宮の正面の御本殿にお祀りしている中心の神様は「天照皇大神」で、伊勢神宮の神様と同神です。
日の大御神と仰がれ、御神徳は太陽の恵みに例えられ、万物の生成発展に欠くことの出来ない御恵沢を日夜の別無く、分け隔て無く広く豊かに与えて下さっています。
御本殿にはほかに、天満宮、天王宮、愛宕社が相殿として祀られています。
また東殿には八雲神社、春日神社、八幡神社が、西殿には稲荷神社、秋葉神社、熊野神社、白山神社が、そして境外の中島町には一の宮神社が祀られ、合わせて十二社、十五座の神々を総称して「小平神明宮」といいます。
手水舎で清めて。
参拝しました。
稲荷神社、秋葉神社、熊野神社、白山神社
八雲神社、春日神社、八幡神社
水波能売神・御井神
木彫り干支御守
最後に御朱印を頂きました。
参拝で感謝をし、また清々しい気持ちになれました。
それでは、また・・・
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2018年01月03日
御札 天照大御神 氏神神社 崇敬神社
こんにちは。
御札について。
御札は一般的に、皇祖である天照大御神を祀る伊勢神宮の「神宮大麻」と、氏神神社と崇敬神社の御札を納めます。
氏神神社とは、自らが居住する地域の氏神様をお祀りする神社であり、この神社の鎮座する周辺の一定地域に居住する方を氏子(うじこ)と称します。
元来は、文字通り氏姓を同じくする氏族の間で、自らの祖神(親神)や、氏族に縁の深い神様を氏神と称して祀ったことに由来し、この血縁的集団を氏子と呼んでいました。
現在のような地縁的な関係を指しては、産土神(うぶすながみ)と産子(うぶこ)という呼称がありますが、地縁的関係についても、次第に氏神・氏子という呼び方が、混同して用いられるようになりました。
これに対して崇敬神社とは、こうした地縁や血縁的な関係以外で、個人の特別な信仰等により崇敬される神社をいい、こうした神社を信仰する方を崇敬者と呼びます。
神社によっては、由緒や地勢的な問題などにより氏子を持たない場合もあり、このため、こうした神社では、神社の維持や教化活動のため、崇敬会などといった組織が設けられています。
氏神神社と崇敬神社の違いとは、以上のようなことであり、一人の方が両者を共に信仰(崇敬)しても差し支えありません。
また、お札の並べ方は宮形によって異なります。
屋根がひとつの「一社造」の場合は神宮大麻を一番前にし、その後ろに氏神様(地元の神社)のお札、ほかに崇敬する神社があればそのお札を一番後ろにします。
また、屋根が三つの「三社造」の場合は、中心に神宮大麻、向かって右に氏神様、左に崇敬する神社のお札を納めます。
なお、お札を包んでいる薄紙は、汚れや穢れを防ぐためのもの。宮形に納める際には薄紙を取って納めます。
昔、薄紙を剥がして良いのか悩んだことを思い出しました。(笑)
それでは、また・・・
2018年01月02日
國神社 東京都千代田区 御朱印(21)
こんにちは。
國神社に参拝してきました。
國神社は、明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治12年(1879)に「國神社」と改称されて今日に至っています。
國神社は、明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社に参拝された折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。
「國」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。
國神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(國の大神)として斉しくお祀りされています。
第二鳥居は、青銅製の鳥居としては日本一の大きさです。
手水盤は花崗岩で作られており、重さは18トン以上あります。
中門鳥居をくぐり参拝
御朱印をいただきました。
今年も、大麻と置破魔矢いただきました。
國の桜、なにか特別な感じがします。
参拝をして、また清々しい気持ちになれました。
本年が、皆様にとっても良い年になりますように。
それでは、また・・・