2018年06月29日
秩父今宮神社 秩父市 御朱印(25)(26)
こんにちは。
埼玉県秩父市にある、秩父今宮神社に参拝してきました。
秩父今宮神社は日本有数の古社です。
信州諏訪の勢力が西暦100年前後に秩父に移住、この地に湧き出づる武甲山からの霊泉に「水神」を祀ったのが始原といわれていますが、有史時代に入ると、この霊泉に国生みの神である「伊邪那岐・伊邪那美」(イザナギ・イザナミ)の二神が祀られるようになったとのことです。
天武天皇元年(西暦672年)の壬申の乱の前後に、秩父の勢力は修験道の開祖「役行者」(えんのぎょうじゃ)の導きで天武帝に協力したと伝えられていて、それを境に秩父は発展を遂げました。
役行者は秩父に修行に訪れ、霊泉の傍に観音菩薩の守護神である「八大龍王」を合祀し、のちにこれが「宮中八神」と習合され、「八大龍王宮」または「八大宮」と呼ばれ、秩父修験の中核となったようです。
平安時代初期天長2年(825)には空海が来遊して橋立寺の洞窟内部に道場を開き、37日間の護摩秘呪を行います。
橋立寺はのちの今宮坊ゆかりの一寺。永観2年(984)「大宮山満光寺」、長暦2年(1038)「長岳山正覚院金剛寺」が開山され、さらに平安後期には熊野権現が勧請され、宮中八神と大日如来の習合した「八大権現社」が建立されました。
京都の今宮神社から須佐之男大神(スサノオノオオカミ)をこの地に勧請したのは天文4年(1535)。
疫病が猛威をふるったため、病魔退散を願って勧請されました。
永禄12年(1569)本山派修験聖護院直末二十六寺の一寺となり、諸国先達二十九寺の一寺ともなり、その頃は広大な敷地(20万坪)に修験道場や神社、仏寺観音堂などが混在していました。
江戸時代には「今宮八大宮」「八大権現社」と呼ばれる神社と「長岳山正覚院金剛寺」「大宮山満光寺」「今宮観音堂(札所十四番)」「橋立観音堂(札所二十八番)」を配下に治め、総称「今宮坊」とされ、神仏習合の一大霊場となったようです。
明治元年(1868)、明治政府の神仏分離令により修験道は廃止、「今宮坊」も解体を余儀なくされ、今宮神社(八大宮)と今宮観音堂(現・札所十四番)、橋立観音堂(現・札所二十八番)に分離され、独立して管理されるようになりましたが、御神体、御朱印、社宝、古文書等は謄写に継承されて現在に至っているそうです。
龍上観音・龍神観音・ 龍神池
手水舎
現在、本殿は改築中で仮殿で参拝します。
弁天社
稲荷社
龍神木
清龍の滝
平成の名水百選に選ばれていている武甲山の伏流水です。
ここで、お金を清めると万倍にとの事で、清めてきました。
また、お札場で無料配布されているミニボトル(お弁当の醤油入れみたいな感じ)に、御神水を入れてきました。(御神水は、一滴でそのご利益は絶大と言われているようです)
今宮神社の御朱印帳
今宮神社の御朱印
八大龍王宮の御朱印
白龍守り(御神霊入り)
一冊目の、日光東照宮の御朱印帳と比べると、一回り小さい感じ。
秩父神社にも参拝したのですが、また次回に。
参拝して、また清々しい気持ちになれました。
それでは、また・・・
川越インターや南大塚駅から、すぐ近くの家を販売中です。
✰南大塚駅から徒歩7分
★駅徒歩7分の好立地!!
★3階建の4LDK!
★カースペース2台分!
スマイルハウス
https://asp.athome.jp/067601/bukkens/56c9022ed032a72066000ef9?selected_page_num=1&shumokus%5B%5D%5Bcsite_bukken_shumoku_cd%5D=5002&tokushu_id=20171002223490
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/7839434
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック