今朝は抑鬱感が無い.
家計簿を付けるためとプログラミングの勉強のためとで使っている HP-42S のバッテリーが切れてしまった.
ちょうど図書館に本を返しに行く用があったので, 図書館に行ったついでに切れたボタン電池 (LR-44) の回収と替えの電池の購入を近所の電器店で済ます.
返却したのは読み終えた新藤兼人『老人読書日記』.
この中では著者がドストエフスキー, 永井荷風, 夏目漱石, チェーホフ, テネシー・ウィリアムズなどを読んだ体験のことや自身の現在までの生活などが取り上げられている.
新藤兼人さんはまるでそれぞれの作家と一体化しているのではないかと思えるほど彼らを読み込んでいる.
中でもテネシー・ウィリアムズとチェーホフへの共感と強烈な意識 (競争心とかライバル心とかだと思うがもっと強い) が突出している.
なぜこれほどまでに読み込むことができたのか.
著者自身が本の中で書いている.
新藤さんが戦時中, 京都の小さなアパートに暮らし溝口健二監督の下で映画の仕事をしていた頃.
書き上げたシナリオも採用されずに潰れそうなのを辛うじて踏み留まっていた時期である.
溝口監督との散歩中に「芝居をもっと読みなさい」と言われて「はあ」などとぼんやり返事をして話を聞いているうちにその瞬間が訪れる.
そして古本屋に行って『近代劇全集』全 45 巻を代金後払いで買い (と言うより譲ってもらう) ひたすら読んだ.
突然アタマにひらめくものがあった。芝居の本を読もうと思った。(中略) わたしが一日じゅう本と向かい合って過ごしたのは、このときの二年足らずがただ一度である。正座して、本に向かって、目を凝らして読んだ。
こういう瞬間は大きかろうが小さかろうが, 多くの人が経験していると思う.
決して一度限りとは限らない.
熱に浮かされたように何かにのめりこむ時期というのが確かにある.
この本を読んで背中を押されるようだった. 読んでよかったと思う.
自分にこれからこういう時間が訪れるかどうかはわからないが元気は出た.
本を読んでこういう風に気持ちが高揚するというのも久々だった.
10 年以上, 心の底に, 自分は鬱病が悪くなって感情がすべて摩滅して寝た切りの廃人になってしまう, という恐怖があるのだが, ひとまず振り払えたようである.
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